2016年4月

御父のゆるしといつくしみを

クラウディオ・ジャネシン神父

ご復活おめでとうございます!
復活された主イエスの光によってわたしたちの日々の生活が照らされるようお祈り申し上げます。

毎日のようにヴァチカンの放送を聞いていますが、教皇庁のニュースの中で、「父なる神のいつくしみ」、「イエスが御父のいつくしみの姿である」という教皇フランシスコのメッセージが頻繁に読まれます。メキシコのキリスト者の共同体を訪問なさった時にも、特に小さくされた人の居住区を訪れた時、また重い病を抱えている子供の病院の訪問の時、あるいは刑務所に収容されている青年を訪れた時、さらにメキシコとアメリカ合衆国の間の国境を閉鎖する壁と塀のところを訪れた時に、このメッセージは暗い夜に光を照らすように響いたことでしょう。教皇様は、神のいつくしみの真の宣教者になられたと言えるでしょう。

御父のいつくしみをあらわすイエスの姿は福音書の中で数えきれないほどの場面に現れています。ナインの村で一人の息子を亡くしたやもめにかけられた「泣くことはない」とおっしゃった言葉はそのこころを表す一つの例です。
聖地に巡礼に行った時に、一般の巡礼者にはめったにない恵みを与えられました。

大抵巡礼者で混んでいる 「ペトロがイエスとのつながりを打ち消した」悲しい出来事を記念するお聖堂の中で、一人で長い時間お祈りできました。脇の祭壇壁にはその悲しい場面を描く壁画があります。「ペトロの否認」のエピソードを語る福音には次のように書かれています。ペトロが「まだ言い終わらないうちに、鶏が鳴いた。その時、主は振り向いて、ペトロを見つめられた。ペトロは、“今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう”という主の言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。」(ルカ22章60-61節)

様々なかたちでわたしたちも神のことを優先すべき勤めの中でも、またイエスの兄弟である人との関係の中でも、実際に何回もイエスの道からそれて、イエスとイエスの教えを否定するようなことがあるでしょう。それにしてもイエスは、常にあわれみの目を注いでゆるしてくださるだけではなく、変わらない愛のうちに入れてくださることでしょう。三度(その意味は「完全、徹底」という意味ですが)否認したペトロに、イエスは三度「わたしの小羊を飼いなさい」という招きを差し伸べました。完全なゆるし、完全な信頼のしるしです。イエスの愛といつくしみは絶えることなく、元通りの状態にしてくださいます。復活された主イエスは一人一人に立ち直る力を与え、生きる喜びを与えてくださるでしょう。空になった主イエスの墳墓をながめて、その信仰を感じています。

ご復活、おめでとうございます。

教会報 2016年4月号 巻頭言

Script logo