2016年8月

今何をしたい?

ヨゼフ 松井繁美神父 

「ロザリオを編みたい」
「ベッドの上に座ったままでいいからミサをささげたい」

7月1日から修練院での生活が始まった。何日かして電話が鳴った。出てみると男の声。しかも声の主は同級生の戸村神父だと言う。しかし明らかに私の知っている戸村神父の声ではない。イタズラかと思っていくつか確認してみると間違いなく本人。
「どうしたんだその声は?イタズラかと思ったぞ」
「ガンで入院しているんだ。ステージ4。末期」
「うそだろ、じょう談か」
「本当だよ」
傾聴ボランティアをしていたシスターが彼に「誰か会いたい人はいますか」と聞いてくれた時に、「同級生の松井繁美神父に会いたい」とフルネームで伝えてくれたらしい。

早速次の日に病院を訪ねた。幸いその日は体調が良かったようで、最初に病院に行った時からその日までの事をかなりくわしく話してくれた。1週間後に再度訪問した。シスターからは「意識障害も少し始まっているようです」と聞いていた。「何かしてもらいたいことがあるか」と聞くと、「体が痛いからさすってくれないか」と言う。そう言って寝巻をたぐって腰を出そうとするけれどもうまくいかない。その姿を見て涙が出そうになった。あんなに頑健でスポーツ万能だった彼が、着ている寝巻すら自分の力でどうすることもできない。
「いいよ、寝巻の上からさすってやるから」
腰から足の方に移動してみると、足にはもう
全くと言っていい程肉はなかった。
「どうだ気持ちいいか」
「おう。ありがとう」
おそらく足にはもうまったく感覚はなかったと思うのだが、しかし聴覚と触角は最後の最後まで生きているという話も聞く。その時に彼に聞いてみた。彼の名前は「修」。
「修、今何をしたいか」その時の答えが
「ロザリオを編みたい」「ベッドの上に座ったままでいいからミサをささげたい」
この彼の答えに私は驚かなかった。神学生の頃から趣味としてロザリオを編み続け、それをどれ程たくさんの人たちにプレゼントしてきたことか。そして神父として最も大切にしてきたミサ。長崎の浦上教会の出身であり、潜伏キリシタンの子孫である彼にとって、ミサは最も大切な奉仕であったに違いない。

更に1週間後に訪ねた。その時は薬で眠っていて話すことは出来なかった。

更に1週間後、東京に行く用事があったので彼を訪れようとしていたところに電話がなった。
「戸村修神父様は昨日亡くなりました」
広報の方に教会便りの原稿を頼まれたが、今は「修」のことしか考えられなかった。修道会は違うが本当にすばらしい同級生、すばらしい仲間に恵まれたと感謝している。62歳になる2ケ月前、61歳10ケ月の生涯であった。

教会報 2016年8月号 巻頭言

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