2017年4月

親離れ・子離れ

フィリッポ 濱田了神父

4月になり、それぞれの学校では新学期が始まりました。教会に隣接する聖フランソア幼稚園でも新入園児が元気に登園して来ています。でも子どもたちにしろ、お母さん方にしろ、朝の通園には一苦労するようです。まだ幼稚園になじめず、お母さんから離れようとしない子どもや、お母さん方の中にも、子どもを幼稚園に送り届けた後も、なかなか幼稚園から立ち去ろうとはせず、教会の庭などで、同じお母さん仲間と立ち話をしながら、チラチラと幼稚園の様子をうかがっている方もあるようです。

子どもが「親離れ」するのが難しいのと同じくらい、あるいはそれ以上に、お母さんの「子離れ」も難しいのかもしれません。恥ずかしい話ですが、わたしの場合も同じでした。わたしの母は、わたしが末っ子であったためか、なかなか「子離れ」が難しく、わたしが中学生の時に父が先立った後は、特にそれがひどくなりました。高校でわたしが担任から注意されると、学校に押しかけてきて先生に直談判したり、大学の入学式にまで付き添って来ただけでなく、卒業後に就職して大阪に配属されると、わたしが借りていたアパートに押しかけてきました。どんな所に住んでいるのか確かめるためと言いながら、いつもながらに散らかったままの部屋に少し安心(?)した様子でした。そして「司祭になりたい」と申し出たわたしに大反対し、仕方なく家出のようにして修道会に入ると、最後には北浦和の修練院にまで押しかけてきました。

母は、わたしの修練が始まってまもなく亡くなりましたが、もしまだ存命していたならば、わたしが転任する度にその教会に押しかけていたでしょう。ですから今頃はまた北浦和教会に押しかけてきて、「ウチの息子をよろしく」と、信徒の方々に頭を下げて挨拶していたかもしれません。

でも、そんな母親になったのは、半分以上、その息子であるわたしの責任かも知れません。何しろ、父が亡くなった後は、就職するまでいつも一緒に暮らし、自分の部屋の掃除も、炊事も、洗濯もできない「甘ったれ息子」でしたので、母にしてみれば、修道会に入れるなどとは夢にも思っていなかったでしょう。

この「親離れ」・「子離れ」がなかなかできない人にとって難しいのが、どこまでが肉親としての愛情なのか、それとも単なる心理的な依存関係なのかを識別することでしょう。第三者から見れば単なる「心理的依存関係」であっても、当事者(子ども)からすれば、大切な相手(お母さん)への「思いやりの表現」だからです。この関係がイエス様や神様との間でもそうであれば良いのですが。

教会報 2017年4月号 巻頭言

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