2018年4月

白の季節

フィリッポ 濱田了神父

復活祭を迎えると教会の典礼色は「白」となります。「白」は伝統的に「喜び」の色と説明されてきましたが、それだけではありません。聖書の中では「御変容」の場面や天使の服が「白」ですので、この世に属さないこと、つまり「天に属する」ことを表現します。

教会以外でも、結婚式では、花嫁さんが純白のドレスを着ます。これは「喜び」以上に「純潔」を意味するようです。披露宴のスピーチなどでは、「どんな色にも染まる」と紹介されますが、「白」は「色がないこと」も表します。これは単に通俗的な解釈ばかりでなく、宗教学的な観念も含みます。「色」とはこの世のことがらを示しますので、「色がない」とされる「白」はこの世での絆から離れること、あるいは少なくとも、それまでの身分からの離脱を表すことができます。つまり、次の身分へ移行する状態にあることを示します。この意味から、神社の祭礼でも本来、白の装束あるいは裸になって御輿を担ぎます。つまり、日常性を表す色物を身にまとわないことによって、祭礼にふさわしく離脱した状態を表現しているのです。また、修行者や死者の装束も常に「白」であり、次の世に移ることを示しています。ですから、結婚式で純白のドレスを身につけるのは、これまでの家庭を離れて新しい家に入ることを意味しているのです。

復活節は「新しい生命」を祝うのですから、それへの移行を表現する「白」がふさわしいのです。復活節第二主日を以前は「白衣の主日」と呼んでいましたが、復活祭に受洗した人がその日まで「白衣」を来ていたことに由来します。白はラテン語で「アルブム」と言い、司祭が祭服の下に着用するものを「アルバ」と呼びます。

これから暑くなるとミサ奉仕者には少々つらい季節となります。特にフランシスコ会士の場合、シャツとズボンの上に修道服を着て、その上にアルバ、さらに祭服を着なければならないからです。修道服を省略する方もいますが、これらを重ねるには「それなりのわけ」があります。それはまず、自分が修道者であるしるし(修道服)であり、キリストの死と復活に与る者となったしるし(アルバ)であり、さらに、キリストの司祭職を代行する者のしるし(祭服)だからです。重ねていくのは、これが前のものを否定したり破壊したりすることなく、完成へと導く「キリストの変容する力」を表すのです。キリストによって変えられるとは、キリストを着た者となる(ガラテヤ三・二七参照)ことで、それはこの世の着物を捨て去るのではなく「重ね着」をするように(2コリント五・四参照)、天からのものを身にまとうのです。

若い人の目から見れば、服装など「どうでもよい」と思えるかも知れません。しかし、服装が見えるしるしであることは確かであり、しるしとは何らかの内実を示すものです。それゆえ定まったしるしを持たないことも、それはそれで一つのしるしとなり、何かに特定されていない状態を表すと考えられます。定まった意識や役割を持たないこと、関わりを拒否する姿勢にも通じるのです。あなたはどんな服装でミサに与りますか?

教会報 2018年4月号 巻頭言

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