2019年2月

26聖人 ― 3人の少年殉教者 ―

ヨゼフ 松井繁美神父

「14才のトマス・小崎の手紙」
長崎で十字架につけられるために24人の者は(初めは24人で途中2人が加えられて26人となる)大阪を発って9日目の1月19日に広島(現在)の三原の町に到着する。その夜トマス・小崎は見張りの役人の目を盗んで母親に別れの手紙を書く。
「神のお恵みに助けられながら、この手紙をしたためます。わたしたちパードレ様以下23名の者は、列の先頭を行く制札に書かれた宣告文にありますように、長崎で十字架につけられるため、ここまでまいりました。わたしのこと、また一緒にいるミゲル・父上のこと、何一つご心配くださいませんように。・・・・たとえパードレがいなくとも、臨終には熱心に罪を悔い改め、イエス・キリストの多くのお恵みを感謝なされば救われます。・・・・人からどんなに迷惑をかけられても、どんなに貧しくとも堪え忍び、すべての人たちに大いなる愛と徳をほどこされますように。・・・・わたしは弟たちのために、天守様にお祈りいたします。・・・・自分たちの犯したあらゆる罪を悔い改めることを忘れぬよう、再び重ねて申し上げます。なぜならそれがただひとつ重大なことですから・・・・。」
都にいる母親にあてた手紙を、トマスはとうとう出しそびれ、最期のときになって父親のミゲルに手渡したのでしょう。手紙は、トマスが処刑されたあと、一緒に処刑された父親の着物の袖の中から信者によって発見されたのでした。
トマス少年は、なつかしい母やまだ小さい弟たちの顔を思い浮かべ、筆を走らせながら泣いていたのでしょう。発見されたとき、手紙には父親ミゲルの血の跡と、たくさんの涙のあとが染み付いていたと言われます。
「12才のルドビコ・茨木」
道中いつも明るく朗らかで、殉教の苦しみにあっている人々にとって、大きな慰めと励ましになっていた。一緒に殉教したブランコ神父は同僚にあてた手紙の中で言っている。
「・・・・誰でも少年ルドビコの快活さには感嘆しています。・・・・ある武士は・・・・「お前は信仰の故に磔にあうのだぞ。だからその信仰を捨てたらどうだ。そして、せっしゃの家にきたらどうだ。そうすれば、お前の縄目をほどいて自由にしてやろう。」それに対してルドビコはきっぱりと答えたといいます。
「お武家様こそ、キリシタンにおなりになり、わたしがやがて行くパライソにおいでなさるのが、ずっとよいことです。」と。
「13才のアントニオ」
やはり同じように役人から信仰を捨てるように言われたとき、アントニオは、「あなたのご好意には感謝いたします。しかし、あすにも終わってしまうこの世のために、わたしが決して終わりのない天国を捨てる道理があるか、お考えください。」と答えたといいます。

12才のルドビコにしても13才のアントニオにしても、そして14才のトマス・小崎にしても、他の子どもたちと一緒に夢中になって楽しく遊び回っているはずの少年たちでした。

2月5日は日本26聖人殉教者の祝日。
フランシスコ会日本管区の保護の聖人でもあります。私たちが今の時代にあって、それぞれの役割りを果たすことが出来ますように聖人たちのとり継ぎを祈りましょう。

教会報 2019年2月号 巻頭言

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