2019年4月

雨後のタケノコ

フィリッポ 濱田了神父

4月新学年・新学期となりました。お隣のフランソア幼稚園も新入園児を迎えて、子どもたちの歓声が一段と響き渡り始めました。ところで、新学期はサクラの季節とされ、サクラの花がシンボルですが、わたしどもの修道院ではタケノコ掘りもまた、春の年中行事となっています。新しい修練者にとっての体力テストのような趣きもありますが、この伝統的な作業には、経験のあるベテラン信徒の協力が欠かせません。「雨後のタケノコ」というように、少し顔をのぞかせたばかりと思っていたら、雨上がりの日には一気に大きくなって、立派な「タケ」になってしまうものですから、油断ができません。

まずタケノコ掘りの前作業としては、竹藪を掃除し、多すぎるタケを少し間引きし、張り巡らされた地下茎を切り取って、大きなタケノコが出やすくなるようにしておきます。そして雨上がりの日を待つのですが、この作業のために竹藪に入る都度、隣家の飼い犬が大きく吠えてくれます。3年たってもわたしの臭いを覚えてくれないとこぼしていたら、上越・高田の修道院から応援に来てくれた修道士のユスチノ斎藤さんが、「犬はね、顔を見せれば吠えないんだよ」と教えてくれました。やはり「年の功」ですね。人間だけでなく動物にもまた、「顔の見える関係」が必要なのかと感心させられます。けれどもコンクリート壁の上にまで身体を持ち上げなければならないので、運動能力の劣るわたしには至難のわざです。

顔が見えないと言えば、伝統的な「ゆるしの秘跡」の場(告解室)は、顔の見られない「匿名性」を確保するために、聖堂内における告解室では、聴罪司祭席と告白する信徒の席との間に格子を設けることが義務づけられています(教会法第964条2項)。しかし、現代的な様式では、対面式だったり、応接室のような雰囲気のものも作られています。告白する側にとって、聴罪司祭の顔の見えた方が信頼感があるのか、それとも自分の顔が見られない方が安心感が得られるのか、個人によって受け止め方が異なるでしょうが、隣家の飼い犬は前者を支持するようです。

さて、タケノコに話を戻すと、これまでのところ小さなかわいいものしか収穫できていませんので、料理の得意な新修練者は「タケノコごはん」や「シナチク」を作ろうとしています。タケノコというと、その皮にウメボシを包んで「おしゃぶり」にしたり、おむすびを包んで弁当に持っていったりしたのが、わたしの子どもの頃の思い出ですので、最近の人は偉いですね。

教会報 2019年4月号 巻頭言

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