2019年6月

捨てることの出来ないもの

ヨゼフ 松井繁美神父

少し長い引用になりますが、最近読んで何度も心に思い巡らせたことです。

「おぎんは江戸時代初頭のキリシタンでした。彼女は孤児でしたが、じょあん孫七、じょあんなおすみのキリシタン夫婦に養われて成長しました。ある時三人は役人に捕らえられ、数々の拷問を受けましたが、三人とも信仰にとどまり決して教えを捨てようとしませんでした。ところがいよいよ殉教の栄冠をえる直前になって意外にもおぎんは棄教してしまったのです。その理由をおぎんは次のように語ります。

わたしはおん教を捨てました。その訳(わけ)はふと向こうに見える天蓋のような松の梢に気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教もご存じなし、きっと今頃はいんへるの(地獄)にお堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人はらいそ(天国)の門に入ったのではどうしても申し訳がありません。わたしはやはり地獄の底へ御両親の後を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりや様の御側へお出なすってくださいまし。その代りおん教を捨てた上は、私は生きて居られません。」

「おぎん」という芥川龍之介の小説からの引用です。現代の教会の教えによれば、おぎんは自分の実の両親が地獄に落ちていると信じる必要はなかったのですが、しかし、第二バチカン公会議前の教えによれば、キリストの教えを知らず、洗礼を受けていなかった者は救いから遠ざけられていたと信じてもやむを得ない状況にあったと言えるでしょう。これを読んでまず考えたことはキリシタンが必ずしも拷問に耐え切れずに教えを捨てたということではなく、断ち切ることの出来ないものがあって教えを捨てたと言わざるを得ない人たちも実は多かったのかもしれないという事でした。

おぎんは実の両親は洗礼を受けてキリスト信者になっていないから救われないと思い込んでいました。そのまま殉教してしまえば実の両親がいるところには行くことが出来ないと理解したのでしょう。その親子としての絆を断ち切ることが出来なかったおぎんは、それまでの数々の拷問を耐えてきたにもかかわらず「私は信仰を捨てます。信仰を捨てて両親がいる いんへるの(地獄)に行きます」と決心したのです。信仰のために「捨てることの出来ないもの」があれば、親子の絆のために「捨てることの出来ないもの」があるということなのでしょう。その痛み、その苦しみ、その悲しみをイエスの御心はご存知です。
御父の御心はご存知です。

6月はイエスの御心の月でした。私たちの最大の理解者であり、私たちが祈る前から全てをご存知の神に、そして最後まで「ともにいてくださる」と約束してくださったイエスにこれからもますます信頼して歩んで行くことができますように。

教会報 2019年6月号 巻頭言

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