司祭のメッセージ
11月16日 年間第33主日 ルカによる福音21章5節〜19節
〔そのとき、〕ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、
ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことをきいても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、
世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、
方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して
迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。
だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、
わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
東日本大震災から10年以上経ちましたが、その教訓から観測地点が多く作られ、またその結果、各地で発生した地震が、より多く、
より素早く観測されるようになり、津波警報も多く出されるようになりました。でも、このように考えていまうと、
地震が増えてきたのではなく、昔より多く観測されるようになっただけだと、思い違いをして、地震への警戒感が薄れてきます。
外国から来た方々は、日本に地震災害が多いのには、皆さん驚かれるようです。昔、フランシスコ会の神学校に教授として
イタリアから来られた神父さんの話ですが、来日して間もない頃、ミサの最中に小さな地震が起こりました。
その神父さんは司式をしていたのですが、祭壇の前からダーッと一目散に飛び出して行きました。ミサに与っていた信徒たちは、唖然として、
一体神父さんに何が起こったのだろうかとびっくりしましたが、しばらくしてやっと、聖堂入り口の前でひざまずいて、
何やら懸命にお祈りしている姿を見つけました。初めての地震体験だったらしく、建物がガタガタ揺れるので、地球全体が崩れ落ちる、
「世の終わり」が来たのではないかと恐ろしくなり、飛び出したそうです。
さて、今日の福音でイエスさまは、「神殿が崩される日が来る」と話されます。そもそもエルサレムの神殿は、前9世紀にダビデ王によって
建築が準備され、息子のソロモン王の時代に建設されたのですが、バビロニアによって前587年に破壊されました。その後バビロン捕囚から戻った
ユダヤ人によって再建が始まり、イエスさまが誕生された頃のヘロデ王の時代にも8年をかけて修復し、さらに今日の聖書箇所でイエスさまが
神殿について話される時代まで、46年をかけて修築された壮麗・壮大なものでした。ですから「神殿が崩される」との言葉は、
ユダヤ人には恐ろしいことで、理解することも、耳にしたくもない話です。彼らには、「この世の終わり」を告げる言葉のように響いたのでしょう。
そのため人々は、崩される日がいつ起こるのか、また、起こるときにはどんな徴(しるし)があるのかと尋ねます。
イエスさまは、しかし、これには直接に答えません。「崩される日」が時間的に切迫しているかどうかは、重要ではないのです。
「世の終わりはすぐには来ない」からです。その前には、民族間の戦争と自然現象の大混乱があり、イエスさまの弟子たちは迫害される
という事態が生じます。でも、それですべてが終わりなのではなく、それらはこの世が過ぎ去ることの前触れなのです。
「人の子」が力と栄光をもって到来するときまで、歴史のすべての出来事の意味は隠されています。
ですから、イエスさまは「惑わされないように気をつけなさい。」と言い、「世の終わりはすぐには来ない」とも言われたのです。
残念ながら、近年勃発している世界各地の戦争を見れば、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」ことは、現実に進行しているものとして
理解しなければならないでしょう。この戦争の影響で、「方々に飢饉や疫病が起こる」ことや、「恐ろしい現象や著しい徴(しるし)」も、
既に始まっていると言えます。また、別の問題として、地球温暖化も、その対策を怠れば、地球上の人間生活が、すべて崩壊してしまう
危険性があります。これらの出来事は、「この世的な価値や常識には、永遠不変のものなどないこと」を示しています。
つまり、それが「世の終わり」の意味するものなのです。
イエスさまは、永遠に変わらないものとして、ご自分の命をかけて「愛」を教えられました。この「愛」に基づいて、わたしたちの生活と
世界のすべてを築き上げるとき、この世の価値や常識は後ろに引き下がり、隠されていた神の栄光が、わたしたちの前に、
最も大切なものを輝かせてくれるでしょう。
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11月9日 ラテラノ教会の献堂(祝)ヨハネによる福音2章13節〜22節
ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、
座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまち散らし、
その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、
「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、
あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日はラテラノ教会の献堂をお祝いします。ローマ皇帝コンスタンティヌスによって、キリスト教が容認された後に、最初に建てられた教会です。
その土地が元々、ローマ貴族のラテラノ家のものだったのと、コンスタンティヌス皇帝の2番目の婦人ファウスタの屋敷があり、
彼女がこれをキリスト教徒の集会に使っていたので、キリスト教容認後、教会となったのです。そして、ローマに宣教した聖ペトロの司教座となり、
献堂された時、「ラテラノの聖ヨハネ教会」(S. Giovanni in Laterano)と名付けられました。この「聖ヨハネ」は当初、
洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネの両方を指していたようです。何度も地震で壊れ、中世に再建された後、福音記者であり使徒の
聖ヨハネだけにされたのです。現在でもローマ教区本部事務所はここに置かれており、またローマ司教である教皇様の正式な司教座は、
バチカンではなく、こちらの教会にあります。ちなみにバチカンは、聖ペトロが上下さかさまに十字架につけられて殉教した所で、
その近くに聖ペトロの墓があり、その墓の真上に祭壇が設置されています。
さて、朗読箇所では第1朗読も第2朗読も、そして福音も神殿についての話です。
アブラハムなどの太祖たちは、遊牧生活を送っていたため、その時代では礼拝のための特定の場所はなく、またエジプト脱出後の時代でも、
過越祭には各家庭で生け贄を屠っていたことが旧約聖書に記されています。いつ礼拝のための場所が作られ始めたかは、
民が定着し始めた頃としか分かりません。エルサレムに神殿が建てられたのは、イスラエルを統一したダビデ王の息子、ソロモン王の時でした。
ソロモン王はエルサレムに神殿を建てると、イスラエル各地の礼拝所を、異教の神々の礼拝所だとして、すべて破壊し、
民にエルサレムに巡礼して礼拝することを義務づけました。つまり、この第1神殿と呼ばれるものは、王が支配するための道具だったのです。
その後、王国が分裂し、また外国勢力によって滅ぼされ、人々がバビロンに捕囚となる時代が来ます。その捕囚時代の後、
元の地に戻った民が建てたのが第2神殿と呼ばれるものです。この神殿は復興のしるし、民の一致のしるしでもありました。
さらに、この神殿もシリアのアンティオコス四世によって略奪され、異教のゼウス神の像を立てて、これへの礼拝を強要しました。
これに反抗して独立戦争を行ったのがユダ・マカバイとその一族で、戦争に勝利すると神殿を再建したのです。イエスさま時代の神殿です。
ユダヤ人にしてみれば、46年もかけて再建した自分たちの誇りでもあったわけです。しかし、イスラエルはその後、ローマ帝国に支配されました。
そのため日常生活ではローマの通貨を使用しているのに、神殿への献金はマカバイ時代のギリシア通貨しか使えず、また生け贄の動物については、
モーセの律法に従って、つまりエジプト脱出後の時代のやり方で、各家庭でほふる際の規定を当てはめて、「傷も汚れもないもの」を強要したのです。
そのため、神殿の境内では献金のための両替商や生け贄の動物を売る商人が、礼拝の便宜のために、商売を行っていたのです。
イエスさまは、このうわべだけを取り繕う形態を排除されようとしたのです。
神殿とは、神への礼拝と生け贄をささげるところです。それは、わたしたちにとり、まず第1にイエスさまの体であり、
すなわち教会のことです。わたしたちも聖体拝領を通して、イエスさまの生け贄に与り、イエスさまとともに教会で礼拝するのです。
この世での便宜や体裁を取り繕うためでなく、率直で心からの礼拝をささげなければなりません。
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11月2日 死者の日 ヨハネによる福音6章37節〜40節
〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、
わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の
御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、
終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今年は夏の暑さが残り、いつまでも秋にならないな、と思っていましたが、この何日間かで気温も下がり、一気に冬に入ってしまったように感じます。
東浦和のシスター方の所では、つい先日まで扇風機の置かれていた場所に、大きな石油ストーブが置かれていました。
今日は死者の日、冬がやって来ると、人生の終わりも感じさせられます。
昔ある人が、「人間には、見つめ続けられないものが二つある。それは太陽と自分の死だ!」と言いました。確かに、太陽はシンボルとしては
良いのですが、肉眼では見つめられません。また自分の死も、肉眼ではなくて、心の中で縁起が悪いものとして、どこか考えるのを
拒否してしまいがちです。でも、キリスト教のシンボルが十字架であり、そこに死を迎えたイエスさまの姿を見るのですから、死を考えるのは
わたしたちの務めでもあります。
同じ死でも、遠くの国での災害や事故、あるいは病気や戦争のために亡くなる方があると聞くと、可哀想には思っても、
少しも痛切には感じておりません。「3人称の死」です。ですから災害対策がいつも遅くなったり、国際平和の動きがまったく進まなかったり
するのでしょう。しかし、自分の両親や子ども、あるいは配偶者の死に直面すると、いつかはこれに遭遇すると頭では理解していても、
心ではなかなか受け入れることの難しいもので、「何故なのですか? 何故今なのですか?」と神さまに、その理由を問い詰めたりします。
いわゆる「2人称の死」となります。ところが、さらにこれが「1人称の死」、つまり自分の死となると、見つめたり、問い続けたり、
受け入れるのがなかなかできないものになります。でも、敢えてその死を見つめるとすれば、それは「鏡を見ること」に近いのかもしれません。
鏡の前に立って自分の姿を見ていると、そこには、目の前に(当たり前ですが)今の自分自身がいて、その後ろには、その部屋の内部、
現在の自分を取り巻く周囲のことが映っています。またその遠くの背後には、自分のこれまでの事が映ります。そこには天使でも悪魔でもない
自分がおり、また関わりのあった人々や事柄がぼんやりと映っており、もっと遠くには、自分の若い頃、幼かった頃の人々、親や兄弟姉妹、
お世話になった方々、仲良くしたりケンカした友人たち、その最も奥には、はるかにわたしを見つめている方の影も映っているようです。
鏡の前に立つ時、それが今という現在を映すものでありながら、その現在が過去からの連続であること、それも永遠の昔からの連続であることが
思い出させられます。わたしも、いつかはこの鏡の向こう側に移動するのでしょう。でも、そこには自分を良く知っている親族や知人、
友人も待っていると考えると、必ずしも恐ろしいものではなくなります。
死者の日。昨日が「諸聖人の祭日」で、天の国に召された方々のお祝い。今日は「死者の日」で、天国に入る資格があったのかどうかは
分かりませんが、亡くなられた方すべてのために祈る日です。いずれわたしたちも、その列に並ぶことは、頭では分かっていながら、
無意識のうちに、避けていたことだと思い出させてくれます。
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11月1日 諸聖人の祭日 マタイによる福音 5章1節〜12節a
〔そのとき、〕イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
福音では、イエスさまが山に登ってご自分の教えを宣べ伝え始められたときのことばが記されています。そのとき、「心の貧しい人は幸いである」
に始まる「真の幸い」、昔流に言えば「真福八端」が語られます。「福」とは「幸いなこと」、「喜ばしいこと」の意味なので、
その中身を知らせる「便り」が「音」とされるのです。でもラーメンの丼は別にして、身近に「福」が使われているのは、「福引き」とか
「大福」とかでしょう。「大福」と聞くと、よほどのへそ曲がりは別にして、ほとんどの人がニッコリします。つまり、イエスさまが告げ知らせた
「福音」とは、抽象的で頭の痛くなるような難しい話ではなく、具体的で、それを受け取る人がニッコリとうれしくなるような話なのです。
今日の箇所で、その「幸いである」との祝いのことばが向けられているのが、「貧しい人」、「悲しむ人」、「柔和な人」、「義に飢え渇く人」、
「憐れみ深い人」、「心の清い人」、「平和を実現する人」、「義のために迫害される人」であり、これらの人々に共通するのが、
真面目な生活をしながらも「現状では報われていない人々」と言うことができます。その人々が、イエスさまのメッセージでは、
既に「幸いである」とされます。なぜ「幸い」なのか、イエスさまは、それぞれの人への「幸い」の後にその理由を付け加えられます。
つまり「慰められる」、「地を受け継ぐ」、「満たされる」、「憐れみを受ける」、「神をみる」、「神の子と呼ばれる」、
そして、最初と最後の人の幸いである理由は、「天の国はその人たちのものである」とされます。
全体として、天の国とはこれらの人々のものとなることが宣言されるのです。
イエスさまの元に集まってくるのは、その時代の人々ばかりではありません。時代を超えて、すべて苦しみ、悲しみ、悩みを抱える人々が、
救いを求めて集まってきます。その解決は、しかし、何かの奇跡を行うことでも、革命を起こして時の権力者たちを追い出すことでもありません。
そんなことをしても、また次に、別の権力者が台頭してくるだけで、根本的な解決にはならないのです。それよりも、イエスさまの「幸い」とは、
人が本来の姿を取り戻すこと、神の似姿として創造された、人間の尊厳を取り戻すことにあります。それは、生活を向上させようと
努力するあまり、いつの間にか社会の競争に巻き込まれてしまい、他者を蹴落としてでも、自分が上に立とう、前に出ようとするあせりから、
見失われてしまった尊厳です。反対に、この尊厳を保つ正直な生き方は、今の世の中では報われず、あまり成功しない生き方になってしまっています。
イエスさまがもたらした福音は、神さまこそが、それらをすべてご覧になっておられること、そして最終的に、
それに報いてくださることにあります。この意味で「聖人たち」とは、神さまのみ旨に従って生きることで天の国に入った人々であり、
その中には、奇跡を起こすことや、自分の生命を捧げ、多くの人に影響を与えて、名前の良く知られた聖人もあれば、人知れず、
神さまのみ旨を果たす生活を送った無名の聖人も多くあります。わたしたちが自分の苦しみ、悲しみ、悩みを抱えてイエスさまに
より頼むときも、「幸いである」とのことばをいただきます。それにより、イエスさまから天の国に入る「聖人」として認められた
と言えるでしょう。まだ教会からは、公式に、個別に祝われることがないとしても、すでにわたしたちは「諸聖人」の一員に
予定されているのです。このことから、「諸聖人の祝い」とは、イエスさまを信じるわたしたち自身のお祝いなのです。
諸聖人の祭日、おめでとうございます。
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10月26日 年間第30主日 ルカによる福音18章9節〜14節
〔そのとき、〕自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して、イエスは次のたとえを話された。
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
散歩をしていると、皇山町付近でも、家の新築や改築の現場をよく見かけます。とりわけ建物の解体や基礎工事では、彫りの深い顔立ちの、
外国籍と思われる方が多く働いているようです。日本の若者たちの嫌がる、常に危険の伴う肉体労働ですが、がっしりとした体を使って、
黙々と働いている姿には頭が下がります。通りすがりの者でも、「ご苦労さまです」と感謝したくなります。でも、わたしもそうですが、
外国籍というだけで、東アジア系でない方には、少し身構えてしまいます。
さて、今日の福音でイエスさまは、ファリサイ派の人と徴税人が同時に神殿で祈るという、「たとえ話」をなさいました。「ファリサイ派」とは、
紀元前168年に、当時のイスラエルを支配していたシリアのアンティオコス4世が、エルサレム神殿の聖器を掠奪し、
ユダヤ人に偶像礼拝を強制したことに対して、ユダ・マカバイが起こした「マカバイ戦争」の協力者、ハシディーム(敬虔派)から分離した人々です。
この戦争によって勝ち取った前142年から前63年までの独立時代も、残念ながらその後、ローマ帝国によって支配されることになりました。
ファリサイ派は、律法の貫徹による、神の国の建設を期待していました。そのため、今日の「たとえ話」に出て来るファリサイ派の人も、
律法の規定を熱心に守っていたのです。これに対して「徴税人」は、当時の支配者であるローマ帝国に納める「税」をユダヤ人から
徴収する職業の人々でした。「税」と言っても、現代の税金とは異なり、教育事業や公共工事に使われることのない、
少しも自分たちのためには役立たない、一方的な「貢ぎ」だったのです。さらにこの「貢ぎ」は、誰から、どれだけ徴収するかを、
ローマ総督に任された徴税請負人が決めていました。ですから、支配者側のローマ帝国に協力する者として、徴税人たちはユダヤ人から毛嫌いされて
いたのです。支配されているユダヤ人のために、誠実に仕事をしていても、常にさげすまれ、除け者にされていた徴税人は、
自分の信仰心を誇るファリサイ派の人とは対照的に、神殿での祈りの際にも、周囲に気を遣い、へりくだって遠くから、神の憐れみを願っていたのです。
「きつい」、「汚い」、「危険」な労働は、現代の若い世代にはあまり好まれないようです。無理にそのような職種を選ばなくとも、
他に多くの働き場所があるのは確かです。しかし、だからといって、世間的に好まれそうな、体に楽で、手を汚さず、収入の多い仕事が、
神さまからも喜ばれるとは限りません。少なくとも、わざわざ外国に行って、日本に特殊詐欺の電話をかけるような仕事は、
どれほど報酬があろうとも、誰からも祝福されません。わたしたちが仕事を選ぶときは、何のためにその仕事をするのか、
愛そのものである神さまが、それをどのようにご覧になるかを意識しなければならないでしょう。わたしたちが携わる仕事は、
他の人々のためにもなり、神さまから喜ばれるものでなければなりません。
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10月19日 年間第29主日 ルカによる福音18章1節〜8節
〔そのとき、〕イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、
『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。
しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、
彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない』」。
それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わず、
彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、
果たして地上に信仰を見いだすだろうか」。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今から40年ほど前になりますが、ローマに留学中、たまたま出会ったシスター方のアシジ巡礼にお付き合いしたとき、
そのグループの責任者のシスターから、ある若いシスターの召命がぐらついているので、祈って欲しいと頼まれました。
その若いシスターには会ったこともないのですが、うかつにも、「はい、祈ってあげますよ」と、軽く答えてしまいました。でも、どの祈りを、
どれほどすれば良いのか聞くのを忘れて、安請け合いしていたことに、後で気づきました。ミサの中で意向として祈れば良いのか、
それも一回だけなのか何回もなのか、あるいは別の形で祈るのか...、考え込んでしまいました。そのときは、丁度10月だったので、
ロザリオをひとりで夕方、修道院の屋上で祈っていました。それで毎日、「そのシスターの召命が続くように」という意向で一連をささげました。
11月になっても続け、12月にも、そして翌年にも続けていき、それから、とうとう日本に帰るまでの6年間、毎日ロザリオの意向を捧げることに
なってしまいました。帰国してから、もちろん直ぐに、巡礼の責任者だったシスターに、そーっと、「彼女、まだ続いている?」と尋ねました。
そのシスターは、わたしに祈るよう依頼したことも忘れていたようでしたが、「まだ元気に続いているようです」と答えてくれました。やれやれです。
けれども、帰国の後片付けが終わって落ち着いてきますと、祈りで守られていたのは「召命にぐらついている若いシスター」の方だったのだろうか、
という疑問が浮かび上がって来ました。確かにわたしはロザリオを使って6年間、毎日、「彼女のために」とマリアさまに祈ってきました。
しかし、それによって守られていたのは、遠く日本で生活する若いシスターではなくて、当の自分自身ではなかったのだろうかという疑問です。
自分のためだけならば、あるいは自分の信心目的であれば、時々は、長期間の外国での勉強に疲れてきているし、論文を書くために
調べなければならないことや、修道院内での共同の祈りや作業も沢山あるしで、休んだり、途中で諦めてしまうこともあり得たはずです。
けれども、その間は、ともかくも「祈らなければ」との思いだけで、夕方になると毎日、屋上に出て、夕日に染まる遠くの空を見ながら、
ロザリオを手にぶらぶらと、あっちに行ったり、こっちに来たりしながら、30分ほど祈っていたのです。その祈りは、「健康に良い」とか、
「忍耐力を養える」とかの意味を持つものではなく、何も考えずに頭を空っぽにできる時間、外から見れば信心深い修道者のふりをして過ごせる、
気楽な時間であったことは確かです。今になって考えると、他の人のためにロザリオを唱えている間は、わたし自身の方が守られていたようです。
今日の福音でイエスさまは「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」と教えられました。絶えず祈るためには、自分に合ったペースで、
無理なくできる範囲で続けることが大切です。それも自分自身のためよりは、誰かのために祈る方が、気楽に続けられ、
自分自身に恵みが戻ってくるようです。祈っている間は、常にイエスさま・マリアさまが、ともにいてくださるからです。
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10月12日 年間第28主日 ルカによる福音17章11節〜19節
イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、
遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。
イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で
清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して
感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。
あなたの信仰があなたを救った。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
どこからともなく、キンモクセイの香りが漂い、修道院の柿の実も赤くなり始めました。数年前に、高い所についた実を採ろうとしてバランスを崩し、
脚立ごと地面に倒れ、右足に大怪我をしました。今もその傷痕が残ります。しかし、それ以上にならなかったことを、神さまに感謝しています。
さて福音では、重い皮膚病を患っていた10人が、イエスさまから、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われます。彼らは、祭司たちの
ところへ行く途中で清くされましたが、直ぐにイエスさまのところに戻って来たのは、その中の一人だけでした。しかも、その人はサマリア人でした。
彼に向かってイエスさまは「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。このサマリア人は、清くされたとわかると、神を賛美し、イエスさまに
感謝するために戻って来たのです。イエスさまが神のわざを行ったと知ったからです。しかし他の九人は、同じように清くされたはずなのに、そのまま
彼らの祭司のところに行きました。それは律法の掟をまず遵守するためであり、元の生活に戻るためには、祭司によって調べてもらうことが不可欠だった
からです。また、ユダヤ人とサマリア人との間には深い対立があったため、同じ病気に苦しむときは一緒に生活できても、同じ祭司のところには一緒に
行くことが出来ませんでした。この人たちは、律法と慣習によって、がんじがらめになっていたと言えるでしょう。
さて、わたしたちの家庭で日常的に祈ったり、感謝を捧げたりするのは、どんな場合なのでしょうか? 病気が癒やされたり、何か幸運に恵まれるなどの
特別な場合を除いて、普通の人が祈るのは、食事の前後ではないでしょうか? 家庭での食前の祈りは、でも、一緒に食べ始めるための合図(ヨ〜イ、ドン!)
ではないでしょう。ましてや、家族のだれかに、美味しそうなおかずを「おさきに」と独り占めさせないためではないはずです。まぁ、お腹をすかせた
成長期の子どもにしてみれば、美味しそうな食事を前にして、長い祈りで待たされるのは、エサを前に「おあずけ」をさせられる飼い犬のような気持ちに
なるのかも知れませんね。神さまへの感謝の心よりは、時として、家族への恨みがつのるかも知れません。
では、食後の祈りはどうでしょうか? やはり、食事終了の合図でしょうか? 一緒に唱えるには、食べるのが遅い、老人や小さな子どもに合わせる、愛情と
忍耐が試されます。いらいらとして、食器を片付け始めたり、さっさと食卓を離れたりするのは、ある意味で、家庭での食事を、動物的なエサの次元に貶める
ことになります。
いずれにしても、食事という生存本能的な行為の前後に祈るには、動物的な次元を越える人間性と、神さまがわたしたちの生活に、常に共にいてくださる
という信仰が必要とされます。特別な場合だけでなく、常日頃からすべてのことに感謝する気持ちがなければ、奇跡を見ても奇跡として受けとめることが
できないでしょう。イエスさまの元に戻って来たサマリア人は、おそらく常に感謝する人だったのでしょう。その反対に、戻って来なかった九人は、清くされた
ことすらも、奇跡として見ていなかったのを示しています。
わたしたちは、果たして、どちらのタイプなのでしょうか?
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10月5日 年間第27主日 ルカによる福音17章5節〜10節
使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』
と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』
と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。
自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
10月になりました。今週の火曜日、7日は「ロザリオの聖母」の記念日です。それで10月は「ロザリオの月」として、
毎日ロザリオを使ってマリアさまへの祈り、「アヴェ・マリア」の祈りをすることが勧められています。イエスさまや天の御父に直接祈るのではなく、
マリアさまに取り次ぎを願うものです。マリアさまは多くの恵みを与えられた方であるとは言え、わたしたちと同じ人間として
この地上で生活された方なので、日常の細々としたことや、少し気恥ずかしいような願いでも取り次いでくださるからです。
さて、今日の福音では、「信仰を増してください」と使徒たちが言うと、主は「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」と答えます。
「信仰を増してください」という願いは、とても謙遜で、深い信頼を表しているように思えます。「信仰を増してもらえれば、沢山の人に宣教し、
数々の奇跡を行って、多くの人に天の国を宣べ伝えられるはず」と、使徒たちは考えたのでしょう。これに対して、「もしあなたがたに
からし種一粒ほどの信仰があれば」とのイエスさまの答えは、一見、彼らの願いを拒絶したように聞こえます。このことは、使徒たちには、
まだ信仰がないと指摘しているのでしょうか?
また続いて、イエスさまが示された、僕が畑で働いて帰って来ると、直ぐに主人は僕に夕食の用意をさせ、給仕させるという「たとえ話」からは
何が示されているのでしょうか? 使徒たちからの願いと結び合わせて考えると、たとえ使徒たちが宣教に力を尽くして働き疲れていたとしても、
それに対する「ほうび」とか慰めを主人(神さま)から期待してはならないこと、かえって、主人への給仕、つまり神さまへの礼拝が
先に行われるべきであって、その後でのみ、食事や休息が許されるものだと理解できます。自分に命じられたすべてのことを成し終えたとき、
「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです。」と言わなければならないのは、どのようなわざを行っても、
それを神さまの前では誇ることができないことを示しています。
では、そもそも信仰とは「増えたり、減ったり」するものでしょうか? 確かに、奇跡のような神さまのわざを目の当たりにすると、
信仰心が高められるような気がします。また反対に、聖職者や教会の関係者のスキャンダルを耳にするとき、つまずかされるような思いもします。
でも、これらは「神の国を求める信仰そのもの」とは異なった次元のもので、人間の自然的感情に類するものでしょう。
「信仰を増してもらえれば」と考えるのも、そのことによって宣教活動が成果を上げることや、信心業に熱心になること、
自分の満足感などを期待してのものであれば、「神の国を求める信仰そのもの」を願っているのではないことになります。
どのような成果が得られようとも、また得られなくても、命じられたすべてのことを果たすのが、「信仰」なのでしょう。
イエスさまは神を愛し、人を愛しなさいと、わたしたちに「命じ」られました。まずこれを果たしたうえで、「わたしは取るに足りない僕です。」
と言いましょう。
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10月4日 聖フランシスコ(祭日) マタイによる福音 11章25節〜30節
その時、イエスは仰せになった。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある者や賢い者に隠し、
小さい者に現してくださいました。そうです。父よ、これはあなたのみ心でした。
すべてのものは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が現そうと望む者のほかに、父を知る者はいません。
労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で、謙遜であるから、
わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは魂の安らぎを見出す。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
フランシスコ会では、今日、10月4日を会の創立者・アシジの聖フランシスコの祭日として祝います。福音書の箇所も
聖フランシスコを思い出させる箇所が選ばれています。
さて、「フランシスコ会」という名前は通称で、正式にはラテン語で "Ordo Fratrum Minorum" 、つまり日本語で「小さき兄弟会」と言います。
実際、フランシスコは、あまり大きな身体ではなかったと言われており、丁度、北浦和修道院のブラザーと、背格好が同じだったかもしれません。
でも、正式名称の「小さき兄弟会」は、会員の体が「小さい」ことを示すのではなく(松井神父さまのように大きな人もいますので)、
フランシスコ自身が望んでいた霊的な「小ささ」であり、謙遜を表す「小ささ」を目指す会です。一般には、フランシスコは
厳しい清貧を実践したことの方が有名で、その後の弟子たちには、修道会の清貧を巡って、時の教皇さまと争うような者もありました。
でも、フランシスコが残した書き物の中では、「貧しさ」とか「清貧」とかの語よりも、「謙遜」とか「小ささ」という語の方が多く使われています。
また、修道会を立ち上げるとき、その名前を「貧しい兄弟会」としなかったのは、金銭や物質、権力にとらわれずに、無学・無力な者として、
一途にイエスさまの生き方に従うという、「小さき者」としての理想がありました。その理想を追い求め続けたため、生涯の終わり頃には、
十字架に付けられたイエスさまと同じ傷痕、「聖痕」を受けています。それで、フランシスコは「中世最大の聖人」と呼ばれています。
さて福音では、小さな者にこそ神の奥義が示されることを述べた後、イエスさまは、弟子になることを、「軛(くびき)を受け入れる」
と表現しています。しかし、「わたしの軛(くびき)を受け入れ、わたしに学びなさい」ということばは、それでイエスさまが楽になるという
意味ではありません。軛(くびき)とは、牛や馬に農具や荷車を引かせるために繋ぐ道具ですが、聖書で言われているのは、日本のものとは異なり、
一頭ではなく、複数の動物に、一緒に力を合わせて引かせるための道具です。ですから、「わたしと一緒に苦労しましょう」という意味なのです。
イエスさまと一緒に連なるのですから、光栄である以上に、わたしたちの力の足りない分を、すべてイエスさまが補ってくださることになります。
イエスさまがわたしたちの元にお出でになり、わたしたちと共に働き、わたしたちの労苦を一緒に担ってくださるのです。
「小さな者」とは、自分の力が足りないことを知っている者のことであり、それを素直に認め、イエスさまにより頼むとき、
イエスさまを通した神の恵みに満たされるのです。
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9月28日 年間第26主日 ルカによる福音16章19節〜31節
〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに
遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと
思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムの
すぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムと
そのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。
ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出して見るがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、
ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、
わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、
そこからわたしたちの方へ越えて来ることもできない。』金持ちは言った。
『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、
こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。
「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、
もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。
『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
暑さがまだ続いていますが、暦の上の季節は秋のはずです。今年は秋が短くて、急に冬になってしまうことを心配させられます。
でも、冬には冬の楽しみもあるでしょう。寒くなると子どもたちも家に閉じこもりがちになりますので、昔は大人が昔話をして
子どもたちを楽しませました。「昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました」こんな出だしで「おとぎ話」は始まります。
聞いている子どもたちの空想や幻想をかき立てて、引き込み、それでいて、どこか教訓めいた事柄もちゃんと入っています。
さて、福音書の中の「たとえ話」はどうでしょうか。今日の箇所では、「金持ち」と「貧乏人」が登場します。「貧乏人のラザロ」は
生きている間は、犬にできものをなめられるなど、みじめな生活を送りますが、死んだ後には天使たちによって天の宴席にいる
アブラハムの元に運ばれます。一方の「金持ち」は死んだ後、生前ぜいたくに遊び暮らしていたのとは反対に、陰府(よみ)では
炎に焼かれて悶え苦しみます。金持ちは単に「ある金持ち」とされるだけで特定されませんが、これに対して「貧乏人」は、
明白に「ラザロ」と紹介されます。「ラザロ」と言えば、ヨハネ福音書(11・17-44)で、死んで葬られた後、イエスさまが墓の中から
よみがえらせた人、「ベタニアのラザロ」が直ぐに浮かびます。イエスさまを自分の家にお迎えしたマルタとマリア(ルカ10・38-42)の兄弟です。
ですから、イエスさまのお話を聞いていた人々は、「イエスさまを家にお迎えすることができるならば、貧乏であるはずはなく、
この話の貧乏人・金持ちは、資産を持っているかどうかの話ではない」と直ぐに気がついたはずです。
では、何が語られているのでしょうか? 陰府で悶え苦しむ金持ちがアブラハムに、ラザロを遣わして、指先の水で舌を冷やしてくれるように頼むと、
アブラハムは、「わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって」渡ることができないと答えます。次に金持ちが自分の兄弟たちの家にラザロを
遣わしてくれるように頼むと、「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる」と答えます。これは旧約聖書を指しています。さらに金持ちが、
「もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう」と言いますが、これは丁度、イエスさまの復活を
指しているようです。しかし、「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを
聞き入れはしないだろう」とアブラハムは冷たく答えます。
イエスさまの教えは、もちろん御父のみ旨を示したものですが、それは既に、イスラエルの歴史の中で律法や預言者を通して示されていました。
ですから、旧約聖書にはイエスさまの教えがちりばめられていたのです。金持ちと貧乏人の対比は、現世における成功ではなく、
神により頼む心の豊かさによって、神のみ前では反対になることを教えます。
人は生きている間に悔い改めなければなりません。それを促すために、イエスさまはご自分の復活によって、神のみ旨、つまり聖書の教え全体を、
わたしたちに示しておられます。涼しい秋風は、人生の冬、つまり終わりがやってくることを思い出させます。
わたしも「今のうちに悔い改めなければ!」との思いに駆られます。
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9月21日 年間第25主日 ルカによる福音16章1節〜13節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 《「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、
告げ口をする者があった。そこで主人は彼を呼びつけていった。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。
もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。
土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような
者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』
と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』
また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。「小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。
八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、
光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、
金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」》
「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。どんな召し使いも
二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
土曜日に彼岸入りとなり、教会受付の脇にも修道院の庭にも、ヒガンバナ、曼珠沙華が咲いています。この「曼珠沙華」とは
サンスクリット語で「天界に咲く花」や「赤い花」を意味するそうですが、強い毒を持つため、「死人花」とか「地獄花」などの異名もあり、
あまり直接手で触らない方がよいようです。特にお子さんたちには要注意です。
さて、福音では「不正な管理人のたとえ話」が語られます。聖書箇所からは、この管理人が、そもそも、どのような不正をしたので
主人を怒らせたのかは示されていません。ただ、自分の仕事が取り上げられると悟ったときに、借りのある者たちの負債を減らしてあげて、
後でその者たちに迎え入れてもらえるように取り計らったということです。「油百バトス」を「油五十バトス」に減らし、「小麦百コロス」を
「小麦八十コロス」にしたということは、元々の貸し付けた額に、相当余分な利息が付けてあったことが分かります。
(ちなみに、ヘブライ語では100はクフ[ק]、80はフェー[ף]、50はヌン[ן]と、一文字で表記しますので書き換えるのは簡単です。)
おそらくそれが、彼の取り分となるものだったのでしょう。証文には、元金と利子とを合計して、返済すべき全額が記されるからです。
このたとえ話でも、人々が理解しやすいように、普段の生活でなじみのあることばが使用されています。
では、この話に登場する人物は、誰がたとえられているのでしょうか? 「主人」は、もちろん神さまです。「管理人」は、
この聖書を読むすべての人となります。聖書では、先祖から受け継いだ土地以外の、自分の才覚で獲得した富や財産は、
「不正なもの」と呼ばれます。しかし、わたしたちの場合、神さまから管理を委ねられたものとは、貸したり借りたりできる、
油とか小麦などであるよりは、自分の身体、健康、才能となるでしょう。これは神さまから授かったものなので、あまり「不正なもの」
と呼ぶにはなじまないかも知れません。しかし一体、人はこれによって、何を為すべきなのでしょうか?
今日の聖書箇所の後半でイエスさまは、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、
大きな事にも不忠実である」と教えられます。わたしたちに預けられたのが、たとえ話のような油や小麦などではなく、
自分の身体、健康、才能ならば、それをどのように維持し、使用していくかが重要となります。時々、「いろいろな仕事で忙しいから、
なかなか休みが取れない」とか、「付き合いなので断れず、ついついアルコールを摂り過ぎてしまう」などと、家族で一緒に食事することや
レクレーションができないことの言い訳が聞かれます。しかしそれは、自分の健康だけでなく、家族にも悪影響を与えてしまうものです。
さらに、それが信仰者としての務めを怠る言い訳とされる場合には、神さまの愛を裏切ることにもなります。
確かに、単純化された「たとえ話」の教えを、現実生活にそのまま当てはめることには無理があります。けれども、もう一つの要素、
すべての人が「管理の仕事を取り上げられる」時、つまり人生の終わりを迎える時を考えると、本当に今のままで良いのだろうかと
反省しなければならないと思われます。「終わりの時」が来る前に、自分が誰に仕えているのか、誰の友人でありたいかを確かめなければなりません。
まだ修復できる内に、家族や神さまとの関係をよくするよう、自分の賢さを発揮しなければならないのです。
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9月14日 十字架称賛の祝日 ヨハネによる福音3章13節〜17節
〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、御子によって世が救われるためである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日は「十字架称賛の祝日」です。福音の中では、イエスさまがニコデモに、モーセが荒れ野で蛇を上げた話を述べられます。
これは、第一朗読にある民数記21章に記されていますが、出エジプト記や申命記には記されていません。おそらく、偶像となり得る
すべての形や像を伝承から排除したためだろうとされています。しかし、民数記に残されている以上、非常に古い伝承だということが分かります。
今日の「聖書と典礼」のパンフレット表紙をみると、「モーセと青銅の蛇」の絵が載せられています。これを見ると、
ニョロニョロとした蛇がT字形の太い柱に巻き付いていますね。民数記では「旗竿の先に掲げる」とされていますので、
現代の国旗などを掲揚するポールとは異なって、タテだけでなく、ヨコの木もあります。それでT字形になるわけです。
また、このT字形なのですが、ギリシア語のT字は「タウ」と読みます。ヘブライ語アルファベットにも最後の文字として
同じ発音の「タウ」があり、意味は「しるし」です。動詞にすると「しるしを付ける」となります。この語は創世記では、
アダムとエワの息子カインが、弟のアベルを嫉妬して殺してしまったので、神さまがカインを追放するとき、彼が地の民に
打ち殺されないように、彼に「しるしを付けた」(創世記4・15)とされる箇所、また、エゼキエル預言書では幻の中で、
神さまが偶像崇拝に染まったエルサレムに罰を与える前に、「忌まわしい行為を嘆き悲しむ者の額にしるしを付けよ」(エゼキエル9・4)と、
天使に命じる箇所に使われています。それゆえ、危害を受けないためや、神さまからその良い行いを認められたことの
「しるし」となるわけです。言い換えると「タウ」とは、「神さまのものであることのしるし」、「救いのしるし」なのです。
しかし、古代ではこの「タウ」には、タテ軸がヨコ軸の上にまで突き出た十字架の形、あるいは、それが少し傾いたX字形があったようで、
後者は聖アンドレアの十字架とされています。
したがって、カトリック教会がイエスさまの十字架を聖堂の中に掲げることは、単にイエスさまが十字架に付けられて
救済のわざを成し遂げられたことの記念だけでなく、旧約聖書からの裏付けに基づいた、「神の救いのわざ」の象徴で、
偶像崇拝などとはまったく異なると言わねばなりません。
福音でイエスさまは、「独り子を信じる者が一人も滅びない」ために、この世に遣わされたと説明されます。「神の独り子を信じる」ことは、
神が愛である以上、愛を中心に据えた生き方に表されるはずです。御子は世を救うために来られました。「この世のしがらみ」や
「思い煩い」、「トラウマ」などに囚われることから、解き放たれて、自由に神さまの愛に応えるためです。
わたしたちは、この十字架のしるしを、御父・御子・聖霊である三位一体の神への信仰告白と結び合わせています。
つまり、十字架のしるしは、洗礼の記念であり、聖水を使用して、人や物を祝福する場合には、悪の力からの解放と罪の清めを表すことになります。
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9月7日 年間第23主日 ルカによる福音14章25節〜33節
〔そのとき、〕大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、
造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、
見ていた人々は、皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。また、どんな王でも、
ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍してくる敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、
まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。
だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
9月に入り、先日の台風の雨で少しは涼しくなると期待していたのですが、陽差しが戻ってきたために、かえって蒸し暑いようです。
元気なのは、学校が再開した子どもたちと、やたらと動き回る虫たちだけのようです。
さて今日の福音では、大勢の群衆がイエスさまの後について来たとされています。おそらくイエスさまが行った奇跡を目撃し、
教えに感動したからでしょう。しかし、彼らはイエスさまがエルサレムを目指して進んでおり、それは最終的には
ゴルゴタの十字架へと続く道であることを知っていたのでしょうか? また、彼らはその道を最後までともに歩むつもりだったのでしょうか?
実際には、ペトロを始め使徒たちでさえ、イエスさまの受難の際には逃げ出してしまったことを、わたしたちは知っています。
そのため群衆に対してイエスさまは、弟子となるための厳しい条件を示しています。それはまず、両親や兄弟姉妹、更には自分の命までも
「憎む」捨てる覚悟を持つことです(14・26-27)。ヘブライ語文法には比較級がありませんので、「憎む」とは「より少なく愛する」ことを
意味しています。つまり、親族や自分の命以上に、イエスさまの教えに従って、神と隣人とを愛するのを求めているのです。
次にイエスさまは、「塔を建てること」(14・28-30)や、「ほかの王との戦い」(14・31-32)の「たとえ話」を通して、弟子となって
全面的に関わる前に、自分に備わっている能力や可能性を冷静に調べること、自分の誇りや名誉などを含めた一切を捨てきる用意があるかと、
一緒について来た群衆に尋ねています。でも、この「塔を建てること」や「ほかの王との戦い」のたとえ話からすると、能力や可能性を
使わないのではなく、それだけで間に合うかどうかを考えるように促していると言えます。どちらかと言うと捨てなければならないのは
自分のプライド、つまり誇りとしてきた事柄です。これまでの経験や才能に頼るのではなく、常に新たに学んでいく姿勢を持ったとき、
自分の限界を知ることになり、以前には屈辱と思われた新たな道を選ぶことができるようになります。これは、子どものためには、
どんなことでも耐えられる親の愛を考えてみれば、すぐに納得できることです。
確かに、「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ」などと言われると、弟子となるのは、すべての人にとって、それほど易しく
簡単にできることではないかも知れません。しかし、「救い」とはイエスさまのみを見つめ、イエスさまの教えに忠実であることにあります。
そのためイエスさまは、すべての人に対して、均一に、同じ徹底的な放棄を求めておられるのではないはずです。それぞれの人をイエスさまは、
それぞれ固有の道に召し出しています。誰も不可能なことには義務づけられません。弟子となる者に求められる放棄は、神と人への愛の裏返し
なのですから、すべての人は、少なくともこの愛を、自分の生きる場において、自分のできる限りにおいて実践するよう招かれているのです。
それが「弟子」となることの条件なのです。
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8月31日 年間第22主日 ルカによる福音14章1節、7節〜14節
安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。
あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。
そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、
『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、
へりくだる者は高められる。」また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、
近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、
むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、
あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
福音では、「へりくだり」についての「たとえ話」が語られます。それは、イエスさまが食事に招待され、そこに来た客たちが上席を選ぶ様子に
気づいて話されたものです。
日本では婚宴の席というと、初めから主催者側によって定められていて、招待を受けた客が自由に席を選ぶ機会は少ないようです。
わたしなども、姪の結婚式を行って、その後の披露宴に出席したことがあります。親類なのですが、司祭だからという理由で、新郎新婦の勤め先の
上司が居並ぶテーブルに座らせられ、話題に苦労させられました。後で姪に尋ねると、「皆嫌がって、誰も座ってくれないから」という理由でした。
割り当てられた際の上席は、座らせられる当人にとって、あまり座り心地の良い席ではないようです。
では、わたしたちにとって、教会のミサでの上席とはどこなのでしょうか? 祭壇周囲の司祭席や、侍者や聖歌隊のコールス席は、
典礼規則で定められていますので、これを除外した信徒が座る部分での話です。日本では、信徒の座る場所は、椅子であったり、ベンチ式の長椅子、
あるいは昔風の畳敷きの席であったりします。ローマ留学中に近郊の教会にお手伝いに行きましたが、ほとんどの教会では、
椅子や長椅子の置かれているのが聖堂の前半分くらいまでで、中には全く座る椅子の置かれていない教会もありました。また椅子の背もたれ部分に、
それぞれネームプレートが付けられていましたので、「これは他の人が使っても良いのですか?」と尋ねると、案内してくれた方は、
「どうせ寄贈した方は滅多に来ないし、おそらく寄贈したことも忘れているでしょう」とのことでした。
では、その「上席」なのですが、教会の御ミサでは、祭壇がよく見える前の方か、あるいは、御ミサが終わればすぐに逃げ出すことのできる
後ろの方か、どちらが上席なのでしょうか? どうもこのように話しますと、各自の信仰程度を揶揄しているように聞こえてしまいますね。
いずれにしましても、上席を選んだために後から、案内係の方に促されて末席に行かされるよりは、初めに自ら末席についた方がましです。
案内係の方から、もっと上席に進むように促されると、同席の人々の前で面目を施せるというものです。(何の面目なのでしょうか?)
また同時に、貧しい人や体の不自由な人など、お返しすることのできない人々を宴会に招くようにとの話では、
この人々はこの世ではお返しができないから、復活するときに報われると話されます。へそ曲がり的に考えれば、「お返しできない人」
を招くのも、上席・末席の面目にこだわるのも、後から高められることを期待した上での、単なる見せかけの「へりくだり」でしかない
と言うことができます。しかし、イエスさまが指摘しておられるは、見せかけのものではない心からの「へりくだり」、
つまり自分を客観的に見ることであり、また貧しい人や体の不自由な人など、すべての人の尊厳が現れる「復活するとき」を前提にした、
神の前における「へりくだり」を中心にした考え方です。
これは、見せかけの「へりくだり」ではなく、すべての人の尊厳が現れる「復活のとき」を、見せかけだけでなく心から信じ、
それに気づくことが、「へりくだり」を行わせる原動力だと、イエスさまは教えておられるのです。
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8月24日 年間第21主日 ルカによる福音13章22節〜30節
〔そのとき、〕イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かっておられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」
と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、
『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、
また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。
不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが
神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、
また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
「狭い戸口から入るように努めなさい」とイエスさまは言われます。このことばを聞くと、自動車に乗り込むときのことを連想してしまいます。
高校生の頃に、小学生時代の同級生が自動車の免許を取ったというので乗せてもらいました。「スバル360」という軽自動車で昭和42年式のものでした。
4人乗りですが、ドアが二つしかなく、それも他の車とは異なって、前側から開くものでしたから、後ろの座席に乗り込もうとすると、
助手席のシートを倒し、頭を下げて身を屈め、腰をひねりながら、アクロバットか新体操のように乗り込まなければなりませんでした。
若い頃でしたから問題はありませんでしたが、今ではとても無理です。
また日本文化の一つに「茶の湯」(茶道)があります。千利休が始めたものですが、彼の考案した「茶室」は、母屋とは別棟に建てられており、
その入口は「にじり口」と言って、高さ65cm、幅60cmほどの小さな入り口です。ここから入るには、やはり頭を下げて身を屈めなければなりません。
小さな子どもならば何の苦労もなく入れるのですが、70歳を過ぎたわたしですと体も硬くなり、お腹もせり出しているので大変です。
利休の時代にこんな入口を作ったのは、おそらく刀を帯びたままで入らせないため、つまりそこに身分の上下を持ち込まず、
平和の内にお茶を飲むためだろうと思われます。
さて、今日の福音でイエスさまがたとえ話で示しておられるとおり、救われるためには「狭い戸口」から入るように努力しなければなりません。
また、「狭い戸口」から入って救われる先では、身分の上下や貧富の差もないはずです。天の国では、この世で得意になって誇ってきた
財産も血筋も経歴も通用せず、助けてくれる親類縁者もなく、ただ一人ひとりの信仰だけが頼りとなります。資格や権利ではなく、
神さまの憐れみによって、天の国に入れてもらえるのです。だとすると、凡庸なわたしたちは、神さまの憐れみを得るための努力を直ぐに
始めなければなりません。今日のたとえ話では、「家の主人が戸を閉めてしまってから」では、食事を共にし、教えを聞いていたと言っても
入れてもらえないからです。それは、主の食卓を共にするミサに与り、キリストの教えを説教で聞いたとしても、それを自分で実践していないと、
「不義を行う者ども」と言われてしまうからです。さらに「狭い戸口から入るように」との教えは、どれほど善いわざを行ったとしても、
それを自分のものとして誇ることはできず、神さまの前に謙虚に身を屈めること、つまり自分が取るに足りない存在であることを
認めなければならないことを示しています。すべての人は、聖人と言われる人も含めて、神さまの憐れみを必要としているからです。
さらに考えてみると、神さまが憐れみ深い方なのであれば、人間の行うわざが多少不十分であっても問題にならないと期待することができます。
その際に最低限必要となるのは、頭を垂れて、謙虚に憐れみを願うことだけでしょう。そのため、「わたしはもう高齢となってしまい、
頭も身体も硬くなり、何かの善行をしようにもできなくなりました」と手を合わせて謙虚に祈るとき、実はそれこそが、
神さまの憐れみを願うことであり、天の国に入れてもらうための最良の近道となると言うことができます。ある人はこれを「最上のわざ」と呼んでいます。
「最上のわざ」
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来たれ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。
ヘルマン・ホイヴェルス神父が南ドイツの友人から送られた詩
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8月17日 年間第20主日 ルカによる福音12章49節〜53節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、
どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
お盆も終わったというのに、過去にない暑い日が続いています。この暑さについて、約10万年の周期で繰り返えされてきた
氷河期と氷河期の間の間氷期が、温室効果ガスによる地球温暖化の影響で、今後5万年以上続くだろう学者たちは予測しています。
この暑さを、これから先5万年も耐え忍ばなければならないのかと考えると、気が遠くなります。お盆は「あの世」に行った
ご先祖様たちをお迎えする行事でしたのが、「この世」に戻ったご先祖様たちは、あまりの暑さにびっくりしていたかもしれませんね。
そして今頃は「あの世」で、「やれやれ、こちらの方が過ごしやすいわい」とくつろいでいるかもしれませんし、
あるいは元の炎熱地獄で、「やはり、この世の方が少し涼しかった」と嘆いているかもしれません。
さて、今日の福音でイエスさまは、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」(ルカ12・49)と言われます。
これは亡者を苦しめるための地獄の炎熱とは異なるものです。なぜなら、その直ぐ後で、「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある」
(ルカ12・50)と続けておられるからです。「洗礼」は「水」を意味し、「火」と一緒になって、「命」や「死」のシンボルともなります。
洗礼の水に表されるのは、罪や穢れからの洗いと浄めであり、命を育むことです。しかしまた「水」は、九州における先月来の豪雨にも見られますように、
多すぎても、破壊や死をもたらしてしまいます。「火」は暖め、溶かし、変化させるものです。特に固い金属を曲げたり、
精錬したり、不純物を取り除き、焼き尽くします。洪水や火災などの災害でさえも、単なる破壊や消滅だけでなく、新しいもの、
新しい命への始まりとなり得ます。それゆえ、人がその積極的な意味を汲み取って受け入れるならば、どのような破滅でさえも
救いを意味し得るでしょう。でも、実際に災害を受けられた方々には、受け入れることの難しい解釈です。
さて、今日のイエスさまのことばは、エルサレムに向かう途上で話されたものであり、それは、この世に対する裁きが行われる(ヨハネ12・31参照)
ことを目指してのものです。イエスさまは、エルサレムにおいて決着が付けられるこの時を、恐れながらも待ち焦がれていました。
「わたしには受けねばならない洗礼がある」(ルカ12・50)とのことばによって、イエスさまはご自分が投じる「火」を、
つまり、ご自身にもたらされる結末を、「洗礼の水」という象徴で表現しておられるのです。それは十字架という「苦しみの海」に沈むことです。
「火」と「水」。両者とも、反対の意味を持つものでありながら、同時に対立をもたらす裁きであり、浄めであり、救いを意味するものとなり得ます。
「火」と「水」は聖霊のシンボルとも言われます。神の霊は、まずもって「火」であり、「水」でもあります。つまり、それにおいて、
すべてのものが試され、浄められ、純化されて命を与えられ、育まれるからです。それは信者にとって、実際生活において信仰を表明する際に、
周囲からの反応として具体的に示されるものであり、殉教者たちにとっては、信仰そのものの象徴でもあったでしょう。
暑い、暑いと嘆くだけでは、暑さを和らげることも、信仰を深めることもできません。
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8月15日 聖母の被昇天の祭日 ルカによる福音書 1章39節〜56節
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは
必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は 主をあがめ、
わたしの霊は 救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう。
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは 代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を 打ち散らし、
権力ある者を その座から引き降ろし、
身分の低い者を 高く上げ、
飢えた人を 善い物で満たし、
富める者を 空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対して とこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日8月15日は、80年前に戦争が終わった記念日、つまり終戦記念日です。太平洋戦争の始まったのが12月8日の真珠湾攻撃だったので、
奇しくも聖母無原罪と聖母被昇天の祝日、つまり、マリアさまの生涯の始まりと終わりが、この戦争の始まりと終わりに重なります。
もちろん、教会がこの祝日を定めたのは、日本の戦争の終始を考えてのことではありませんが、平和の執り成しを願う方と重なって見えることは確かです。
さて、福音では、天使から神の御子の受胎を告げられたマリアさまが、親類のエリザベトを訪問します。2人の女性は、
それぞれ旧約聖書と新約聖書を表す人物を産むことになるのですが、エリザベトが年寄りであるのに、他方のマリアさまは若いおとめであり、
この対比が新旧両聖書の対比に反映されています。マリアさまの挨拶を聞いて、エリザベトの胎内でおどったのは、後に洗礼者ヨハネとなります。
かつて、聖書の勉強会に来ていたお母さんたちに「お腹の中の赤ちゃんは『おどる』のですか?」と尋ねたことがあります。
お母さんたちは、「『おどる』というより、動いたり、お腹を蹴ったりする」と答えました。「どんな時に?」と尋ねると、
「美味しい物を食べたとき」、「お風呂に入ったとき」とかの答えでした。すべてリラックスしているときで、緊張して何かの作業をしているときには、
お腹の赤ちゃんもじっとしているようです。このことから類推すると、エリザベトは緊張してマリアさまを迎えたのではなく、
喜びにあふれて迎えていたことが人間的にも理解されます。
けれども福音書を書いた弟子たちは、そんな人間的な経験に基づくよりも、旧約聖書の記述を下敷きにして描いているようです。
つまり、ダビデが「契約の櫃」の前で「おどった」という箇所です。
サムエル記下6章には、一度ペリシテ人に奪われた「契約の櫃」をダビデがエルサレムに運ぶ次第が描かれています。最初、櫃を運ぶ牛がよろけたので、
脇にいたウザが「神の櫃」を手で支えようとすると、神はウザを打たれました。これを見て、「どうして、主の櫃をわたしの所にお迎えできようか」
(サムエル下6・9)と、ダビデは主を恐れて言います。これとは反対にエリザベトは、マリアさまを迎えて「わたしの主のお母さまが
わたしのところに来てくださるとは」(ルカ1・43)と喜びの声をあげます。マリアさまはお腹に御子(神のみことば)を宿したことによって、
「契約の櫃」(中に神のみことば=4契約の板を納めています)と同じになったのです。マリアさまはその後、エリザベトのところに3か月滞在されました。
一方ダビデは、ウザが打たれた後、主を恐れて3か月間、近くのガト人オベド・エドムの家に「契約の櫃」を置きます。
その後、主がオベド・エドムの家を祝福されたのを知って、再びエルサレムに移そうとするのですが、そのときダビデは「契約の櫃」の前で裸になって
「おどった」のです。ちょうど、マリアさまの訪問を受けて、後の洗礼者ヨハネがエリザベトの胎内で(裸で)「おどった」のと同じです。
マリアさまが「契約の櫃」と同じ役割を担ったことから、マリアさまの被昇天の教義も導かれました。「契約の櫃」はアカシア材で作られています
(出エジプト25・10)。その材質は水に強く、簡単には腐ったりしないことから、ギリシア語の「ア・カキア」(α κακια)、つまり「汚れがない」、
「腐敗しない」という意味から来た名称です。ですから、マリアさまも「汚れがない」(無原罪)だけではなく、そのお体はこの世の生涯を終えた後も
「腐敗しない」でそのまま、天に上げられたのだという教義に発展していったのです。
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8月10日 年間第19主日 ルカによる福音12章32節〜38節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕《「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。
そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」》
「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
主人が帰って来たとき、目を覚ましてしるのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、
そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
《そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、
その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。
主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、
多く任された者は、更に多く要求される。」》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
8月に入り、世間ではどこもかしこも夏休みモードとなりました。しかし、教会では6日の広島原爆の日から平和旬間が始まり、昨日は長崎原爆の日、
そして15日の聖母被昇天の祭日に続きます。戦後80年ということもあり、暑い暑いと何もしないのではなく、少しは平和について
普段から考えておかないと、3度目の原爆という事態が生じてしまうかもしれません。
さて福音では、イエスさまは「主人がいつ帰って来ても良いように、目を覚ましていなさい」と教えられます。
これは身体の目を覚ましていることではなく、霊的に常に備えることですが、「主人が帰って来たとき」とは、一体何を指しているのでしょうか?
初代教会の人々は、おそらく、直ちにやって来る「この世の終わり」を想定していたことでしょう。けれども、イエスさまが昇天した後、
何年、何十年過ぎても、この世が終わりにならないことから、これは被造物の世界全体の終わりではなくて、個々の人生の終わりを指している
のではないかと思い始めました。
確かに、わたしたち現代に生きる者も、2つの世界大戦を機に創設された国連とか国際機関によって、もはや核爆弾を使う戦争によって
地球全体が滅びるなどということは、杞憂に過ぎないものと思い込んでおりました。しかし最近では、ロシアやイスラエル、
そして国連本部のある米国にも、国際的な協調関係を無視して、軍事力に訴えたり、経済的圧力をかけるような指導者たちが登場し、
以前ほどのんきにしてはいられません。また個人的には、いつ病気になったり、交通事故に遭うか分からないという思いがあります。
実際、医学の進歩により、普通の病気などでは簡単に死なないだろうと考えていましたが、コロナ感染症が広がったときには、
基礎疾患のある身として、「これは少し、やばいかも」と思ったりしました。
しかし、イエスさまの教えは、もっと身近なことから考えた方が良いのかも知れません。わたしが大学生になってびっくりしたことの一つに、
女性の変身があります。高校までは、化粧をすること自体が学校で禁止されていたはずですが、めでたく大学に入ると、
大っぴらに化粧をすることが社会的にも許されます。大学に入っても、まだ1学期には、ぎごちなく薄い化粧をしていた彼女たちも、
夏休み後に再会すると、まったく変身してしまい、同じ人物なのかと目をこすってしまいます。彼女たちは20歳前後なので、
女性としての本性に目覚めた頃と言えるでしょう。つまり、いつ巡り会うかも知れない将来の伴侶の出現に備え始めたのです。
近年では同様に、身だしなみに気を配ったり、薄化粧を始める男性もいるそうです。人は自分の将来のことを考え始めると、
当然のように自分の人生設計を立てます。その中でも伴侶となる人物の選択はとても重要となります。ですから、大学生くらいの年代になると、
勉強するにしても遊ぶにしても、常にそのことが頭の片隅にあり、常に備えており、常に「目覚めている」ことになります。
これは、霊的に備えるのも同じことが言えるのではないでしょうか? 恐ろしい方の到来をビクビクしながら待つのでは、
目を覚ましているのは大変なことです。でも、究極の幸福を与えてくださる方を待つのであれば、心楽しく備えることができるはずです。
外面的な化粧や服装などではなく、イエスさまがいつ再びいらしても良いように、霊的な身だしなみを備えておきましょう。
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8月3日 年間第18主日 ルカによる福音12章13節〜21節
〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。
「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」そして、一同にる言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」それから、イエスはたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。
『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。
「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、
「愚か者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
暑い日が続いております。2日ほど前から台風の接近によって少し雨が降り、涼しくなるかなと期待しておりましたが、
かえって蒸し暑くなったような気がします。皆さんはどうでしょうか。どこかに涼みに出かけようかなと思ったのですが、
自分の部屋にじっとしていた方が涼しいような気もします。
さて、話は40年ほど前のことですが、飢餓にあえぐアフリカの子どもたちを援助する団体に、突然一千万円もの寄付をしてくださった方が
あったそうです。その添え状にはただ、「孫に教えられて」と書かれていました。それで、寄付を受けた団体の職員が、早速お礼のために
その方を訪問し、詳しい事情を伺いました。その方はかなりの資産家でしたが、ある日、テレビで飢餓にあえぐ子どもたちのニュースを
一緒に見ていた3歳のお孫さんが、立ち上がって画面に向かい、「これ食べなよ!」と、手にしていたお菓子を差し出したそうです。
子どもでさえ自分が持っているものを分かち合おうとしている姿に、ハッと気づかされて、その方は、手元にあるお金を送っただけだ
とのことでした。お孫さんの素直な反応に触発されたのは事実ですが、埋もれていた善意を即座に行動に移せたのは、本来その方が
単なる守銭奴ではなかったことを示しています。
さて、今日の福音でイエスさまは、「人の命は財産によってどうすることもできない」、「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにはならない」
と教えられます。このように言われますと、あまり働いても意味がないのかなとひねくれたりもします。でも「働く」ことは「富を得る」ことと
まったく同じではなく、区別されることができます。「働く」とは俗に、「はた(傍)の者を楽にさせること」と解釈して、
日本人はせっせと労働することを良しとしてきました。それは結果として、他国の人から仕事を奪うことになったりもしましたが、
単に富を蓄積するためではなかったはずです。夜な夜な札束を数えて「ニターッ」とするのでは、少々怪談めいた話になってしまいます。
そうではなくて、神の前に宝を積むにはどうすれば良いかを考えなければなりません。
しかし、一方でイスラエルやロシア対ウクライナの戦争があり、さらには米国のトランプ政権による一方的な関税を「ディール」によって
課せられたり、日本経済の先行きは、決して明るいものではなくなりました。遠いパレスチナで創り出されている飢餓の問題もありますが、
日本国内でも、トランプ関税によって企業が成り立たなくなり、これから先、職を無くしたり、貧困状態に陥ってしまう人が、
増加していくという予測もあります。ですから、有り余る中からの援助ではなくて、乏しい中での分かち合いを、どのように実現してゆくかに
知恵を働かせなければならないのです。できることから、また、気がついたことから、始めましょう。
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7月27日 年間第17主日 ルカによる福音11章1節〜13節
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、
わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。
『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。
起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて
何かを与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、
魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に
聖霊を与えてくださる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
暑さが続いております。あまりの暑さに、蚊や虫なども、日中は草むらに隠れているようで、油断して夕方に庭に出ると、
あちこちから一斉に襲ってきます。そのときは気づかないのですが、後から、刺された箇所がかゆくなり、また赤く腫れてきます。
「毎日の祈り」の効果も、すぐには現れず、後から効いてくるそうですが、虫たちのように、しつこく神さまにお願いしなければならないようです。
さて、福音では「主の祈り」が紹介されます。普段わたしたちが使用しているマタイ福音書6章を基本としたものに比べると少し短いものです。
内容としては同じであり、イエスさまが直接弟子たちに教えられた祈りのことばです。日本語においては、「主の祈り」を「唱える」のか、
あるいは「言う」のかという小さな問題があります。「言う」という語では、少し軽いように感じられ、口先だけのようにも受け取られます。
また「唱える」ならば、「呪文を唱える」ように、その文言自体の力で何かが起こることを期待させてしまいます。
例えば、アラビアンナイトの「アリババと40人の盗賊」では、盗賊たちが岩屋の前で「開けごま」と唱えると、岩の扉が開き、
中に入ることができます。これを物陰から見ていたアリババが、同じ呪文を唱えて中に入り、まんまと金銀財宝を手に入れることができました。
これと同じように「主の祈り」は、何らかの財宝を手に入れるための呪文なのでしょうか? 少し違和感がありますね。というのも、
祈っているのは、神さまの国が到来することによって、わたしたちの必要なものが得られ、わたしたちの罪が赦され、
わたしたち自身が赦せるようになるための願いだからです。さらにこの祈りについてイエスさまは、「しつように」願うように教え、
願いは必ず天の御父に聞かれており、祈りが決して無駄にならないことを加えておられます。
また考えてみれば、神さまは常にわたしたちと共におられる方ですので、わたしたちがどのような「こころね」(心情)で祈ろうとも、
その祈りを聞いておられるはずです。それゆえ、この祈りが神さまによって聞かれていることに気づくならば、
とても、口先だけの軽い気持ちでこれを唱えることなどはできず、かえって自分が本当にこれを言うのにふさわしい者だろうかと
自問させられてしまうはずです。
日本のミサ典礼書では、奉献文の後に「主の教えを守り、みことばに従い、つつしんで主の祈りを唱えましょう」と司祭が招きますが、
ラテン語規範版でのこの招きの最後の言葉は「アウデムス・ディチェレ」(audemus dicere)となっています。
これは、このことばを口にする資格がないにも関わらず、主の救いの教えに従って、「敢えて言いましょう」の意味です。
ラテン語の「言う」(ディチェレ)とは、決定を下すことであり、方向を定めることです。つまり、祈りのことばを自分の生き方として決定し、
それに向かって努力してゆく決意表明となります。主イエスが励ましてくださっているように、日々このように祈り、
少しずつ岩のように固い心の扉を開いていかなければなりません。「開けゴマ!」と同じように、「主の祈り」は、
わたしの心を開いていくための呪文となります。
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7月20日 年間第16主日 ルカによる福音10章38節〜42節
〔そのとき、〕イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしがこちらの教会に着任した頃のことです。ある地区の家庭集会に招かれたとき、玄関から入ると、集会が行われる予定の部屋に案内され、
床の間を背にした席に座らされました。すると、こんどは地区のご婦人方が一斉に立ち上がって台所に行き、茶菓子の準備を始められたのです。
居間に残されたのは、わたしとその家の飼い猫だけになってしまったので、仕方なく「みんな行ってしまったね」と猫に話しかけると、
猫も大きなあくびをひとつして、居間から立ち去ってしまいました。
また、大分以前、留学中にドイツで聞いた話ですが、デュッセルドルフには多くの日本人商社マンが駐在しています。
あるとき、日本から新任の商社マンが赴任したということで、永年駐在している方の家に近隣の商社マンたちが集まり、歓迎会が開かれました。
新任の商社マンは、日本からのお土産として「梅干し」を一袋持参したそうです。集まった商社マンたちは皆、「これは珍しい、久しぶりだ」
と言いながら、早速「梅干し」にぱくつきました。台所で料理をしていたその家の奥さんも、少し遅れて食卓に来たのですが、
「梅干し」はもう一つも残っていません。それを見て奥さんは「ワーッ」と急に泣き出したので、夫が「どうした?」と尋ねると、
「わたしも食べたかったのに!」と涙声で言いました。すると、ぱくついていた皆が恐縮し、一人が、「ごめんなさい。食べかけですが ...」と、
半分になった「梅干し」を差し出しました。しかし、おそらく彼女が泣き出したのは、単に懐かしい「梅干し」を食べたかっただけではなく、
料理のために席を外していた彼女の存在を、夫も含めて、皆がまったく忘れ去っていたからでしょう。
さて、今日の福音では、おもてなしのために忙しく立ち働いていたマルタは、イエスさまに、自分だけがせわしく立ち働いて、
姉妹のマリアが手伝おうとしないことに苦情を述べています。来客があった場合には、女性はまず台所でおもてなしの準備をするものだという常識が、
当時のイスラエル(そして日本の)社会にも存在していたのでしょう。福音では、これに対してイエスさまは、マルタをたしなめているように
描かれていますが、本当でしょうか。イエスさまがなさっていた人々への話は、いわば、お土産の「梅干し」のように、
皆が喜んで聞き入っていたはずです。そして、その話を聞く輪に、台所でせわしく働いていたマルタが加わっていないことに、
誰一人気づかなかったことに対して、「存在を忘れ去られた」マルタが怒ったとすれば、イエスさまも当然、少し気まずい思いをされた
のではないでしょうか。でも、そのことをマルタ自身があからさまに言い出したことによって、かえってイエスさまは、「マリアは良い方を選んだ」と、
マリアを弁護してあげなければなりませんでした。そうでもしなければ、マリアは女性なのに何の手伝いもしない「ダメな女」とされてしまうからです。
もし、マルタが先に言い出さなかったならば、おそらく話に一区切りついたときに、きっとイエスさまは、近くに来て一緒に話を聞くようにと、
マルタを招かれていたことでしょう。決してマルタの存在を忘れていたわけではないからです。
この際ですが、いつも教会で裏方として働いてくださる多くの「マルタさん」たちに、感謝したいと思います。
わたしも、皆さんのことを決して忘れているわけではありません。皆さんのおかげで、今日もまた無事に御ミサが献げられるのですから。
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7月13日 年間第15主日 ルカによる福音10章25節〜37節
〔そのとき、〕ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、
「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、
追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、
その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、
自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、
だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
先日、雷の鳴る夕立から大雨となって、各地で浸水騒ぎが起こりました。少し気温が下がり、過ごしやすくなったと喜ぶばかりで、
大雨の被害を受けた人たちのを少しも気にかけていないのに気づき、反省しております。年齢とともに感受性まで鈍くなった自分が、
少し悲しくもあります。
さて今日の福音では、「隣人愛」がテーマです。まず、律法の専門家がイエスさまを試そうとして、
「永遠の命を受け継ぐためには何をしたら良いか」と質問します。しかし、イエスさまから、「律法には何と書いてあるか。
あなたはどう読んでいるのか」と質問され、彼は「神を愛すること、隣人を愛すること」と答えています。そこでイエスさまから、
その答えは正しいのだから、「それを実行しなさい」と言われると、彼は実行していない自分を正当化しようとして、
「わたしの隣人とはだれですか」と、さらに尋ねます。つまり彼は、そのことについての知識がなかったのではなく、
自分に当てはめて実行することができない、あるいは実行していないことを隠そうとしているのです。
そこでイエスさまは「善きサマリア人」のたとえ話を語るのですが、「隣人をあなた自身のように愛せよ」(レビ19・18)という旧約の掟は、
神への愛が、具体的には隣人愛のうちに表現されることを言っています。そのため、イエスさまは隣人を愛することの具体性を述べているのです。
このたとえ話では、強盗に襲われた人のために実際的に尽くすサマリア人の行動が淡々と述べられていきます。
それゆえ隣人愛とは、感情的に「可哀想」な人を好きになることではなく、感情を超えて具体的な配慮をすることと言えます。
「サマリア人」とは、北イスラエル国がアッシリアによって前721年に滅ぼされて、その地が「サマリア」と呼ばれるようになり、
そこに住む人々のことですが、その地には異民族が入って混血したとされます。一方、南ユダ国もバビロニアによって前587年に滅ぼされ、
主立った人々はバビロニアに捕囚として連れて行かれましたが、その50年後に元のユダヤ地方に帰還することになりました。
そして、その地を受け継ぐ根拠としての「血筋」が重要視されたのです。そのため、自分たちの血筋を重んじるあまり、混血したサマリア人を軽蔑し、
交際することをも拒み、いわば「犬猿の仲」となっていました。そのような背景のもとに、旅をしていたサマリア人にそのような民族的反目を
乗り越えさせたのは、強盗に襲われた人を見て、とても「憐れに思った」ためです。そのギリシア語は「エスプランクニセ」('εσπλαγχνισθη)であり、
「内蔵」(σπλανχνον)と「揺れる・発酵させる」(ζυμοω)という2つの語の合成です。日本語でも「断腸の思い」と言いますが、
イエスさまの言う隣人愛も同じように、「他者の痛みを、自分の痛みとして感じること」という意味になります。
その隣人愛は、人と共に喜び、共に悲しむという連帯感から生まれるものです。当初、律法の専門家が「隣人」について質問したのは、
「対象」を客体的に定義することでした。ところがイエスさまは、「だれが隣人になったと思うか。」と、主体性を問題にしたのです。
ここに主体と客体の逆転があります。
今日のイエスさまのことばは、わたしたちに、今の時代における災害や戦禍にあえぐ人々、障害や人間関係において差別されている人々の存在を、
直視しているかと問いかけています。わたしたちは、たとえ話に出て来た祭司やレビ人のように、見て見ぬ振りをして、
傍らを通り過ぎているのでしょうか。一方で、わたしたちから差別されている「サマリア人」は、自分にできることを実行しているのです。
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7月6日 年間第14主日 ルカによる福音10章1節〜12節、17節〜20節
〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。
わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。
どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。
もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。
働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」
《「しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。
しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊でさえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。
「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、
わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、
喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
蒸し暑い日が続いております。暑さに体がまだ慣れていない時期なので、エアコンが設備されたからといって油断せず、聖堂内でも脱水症などに
陥らないように注意しなければなりません。強がりは無用ですので、ミサ中でも水分をこまめに補給したり、休息することを心掛けてください。
さて、今日の福音では、72人の弟子が派遣されます。既に同じルカ福音書の9章では、12使徒が派遣されていますが、その際イエスさまは、
「旅のためには何も携えてはならない」として、「杖も袋もパンも金も持ってはならない。また下着も2枚持ってはならない」と命じられます。
ところが今日の72人の弟子の場合には、単に「財布も袋も履物も持って行くな」と命じています。それも「狼の群れに小羊を送り込むようなもの」
であることを十分承知した上でのことです。
「財布」とは、旅行のためのお金を入れる物なので、現代の若者ならクレジットカードか携帯電話(「おサイフケータイ」)で、
これに代用させてしまうかもしれません。あるいは昔の殿様のように、常に本人に代わって支払ってくれるお付きの家来が必要となります。
でも72人の弟子たちは、殿様の身分にあるのでも、またクレジットカードや「おサイフケータイ」の時代に生きていたのでもなかったので、
「財布」なしに派遣されるとは、受け入れてくれる人々の善意に、まったくすがることになります。
また「袋」とは、何かを入れて持って行くというより、訪れた先でもらった物、特に食べ物を入れるためではないでしょうか。ですから、
何も余分にもらえることができません。
さらに「履物」とは、現代でもアフリカのマサイ族やブッシュマンがそうであるように、当時の庶民の日常生活では使用する機会がなく、
王宮とか神殿で奉仕する人たちだけが使用していたようです。これを使わないということは、外的な権威や力を見せて圧倒するのではなく、
訪れた先でただ、「神の国は近づきました」と謙虚に述べることになるのです。結果として悪霊を追い出したり、病気を癒やしたりしたとしても、
初めからその能力が備わっていると分かっていたのではないでしょう。例えば、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」ではないですが、
病床にある人を前に、オロオロと愚直に祈り続けるだけの真摯な態度こそが、人々の間で奇跡をもたらすのではないでしょうか。
このように考えると、イエスさまが72人の弟子を遣わしたのは、それによって御自分がこれから訪れる宣教の下準備をさせるためよりも、
彼らを「宣教」という「修業の場」に送り出したのだと言うことができます。暖かく迎えられることが初めから分かっていれば、
福音宣教は、修学旅行にも似た、楽しい思い出作りの体験ともなり得たでしょう。しかし、実際に行ってみて、最初の2・3軒で
受け入れられなかったり、冷たくあしらわれたりすると、もう足がすくんでしまいます。その先に進んでいくためには、
イエスさまへの信仰をより強めなければならず、困難を乗り越えていくことにより、結局「自分自身に対して宣教し続ける」という努力と姿勢が
養われることになります。つまり、そのことが、「世の終わりにおける恐ろしい裁き」としての「神の国」の到来ではなく、
イエスさまの福音がもたらす真の平和を、福音宣教する姿において体現することになるのです。
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6月29日 聖ペトロ・聖パウロ使徒(祭日) マタイによる福音 16章13節〜19節
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリアだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、
『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。
あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしが生まれたのは東京の下町ですが、住んでいた家は江戸時代に建てられた、古い茅葺きの農家造りでした。
そのため、金属製の鍵などが付いている入口などはなく(トイレにもなく)、夜寝る前に、玄関に「心張り棒」を掛ける程度でした。
日中であれば、いつでも、誰でも出入りが自由でした。実際ある日、警察官が来て、「他所で捕まえたコソ泥が、お宅に何度も入ったと自供した」
と言って、被害届を出さなかった(出せなかった)父親が叱られていました。その後、やっと玄関には鍵を取り付けたのですが、
鍵を使うことに慣れていなかったので、家族で旅行すると、必ず誰かが、自動的に鍵のかかるホテルの部屋から締め出されていました。
さて、今日の第一朗読では「ダビデの家の鍵」、つまり「職務」が語られ、また福音では、シモン・ペトロに天の国の鍵が授けられます。
この鍵により「地上でつなぐことは、天上でもつながれ、地上で解くことは、天上でも解かれる」のです。
教会では伝統的に、「つなぐ」とは婚姻の絆のことであり、「解く」とは、罪の束縛から解くことで、「赦しの秘跡」と解釈してきました。
さらに、教会の歴史の中では、「解く」権能として、婚姻解消について言われて来ました。良く知られているものに「パウロの特権」があります。
これはパウロの「コリントの信徒への第一の手紙」7章15節を基にして、信仰を持っていない配偶者との離婚を認める手続となりました。
これに対して、「信仰擁護のための婚姻解消」、俗に「ペトロの特権」と言われるものは、パウロの特権に収まらない離婚のケースに適用され、
教皇の権限により、以前の婚姻を解消し、新たな婚姻を許すものです。教会は、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」
というイエスさまのことばに基づいて、これらの権限を発展させてきました。それは、イエスさまのことばを、
シモン・ペトロ個人に与えられただけではなく、その後継者にも与えられたと解釈してきたからです。
しかし、イエスさまから「あなたはペトロ」と言われたすぐ後に、彼は受難の話を聞くと「主よ、とんでもないことです」とイエスさまをいさめ、
反対にイエスさまから「サタンよ、引き下がれ」と叱られてしまいます。つまり、シモン・ペトロが述べた、「あなたはメシア、生ける神の子です」
というイエスさまへの信仰告白は、その「ことばの内容」として「岩のように堅固」なのですが、それを「述べた個人」が「岩のように堅固」
であるとは言われていないのです。
また一方、「つなぎ」そして「解く」ことを「職務」として考えるならば、イエスさまから与えられたのは、シモン・ペトロに対してだけではなく、
同じ信仰を持つ使徒たち、そして弟子たちのすべて、つまり信徒のすべてが担うものなので、わたしたちもまた、「つなぎ」そして「解く」役割を
担っていることになります。わたしたちは現代社会、とくに宗教にあまり関心のない日本の社会においても、信仰を固く保ち、信者同士の交わりを
「つなげよう」と努力しています。身近な実践において、社会的経済的に差別されている家庭、特に母子家庭などを援助することは、
差別の連鎖から「解こう」とする努力となります。これらはまったく小さな実践であり、「秘跡」という形式をとり得ませんが、
イエスさまがわたしたちに委ねた、「つなぎ」そして「解く」鍵の権能の行使と言えるのではないでしょうか。
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6月22日 キリストの聖体 ルカによる福音9章11b節〜17節
〔そのとき、イエスは群衆に〕神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。
「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所に
いるのです。」しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。
「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」というのは、
男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、
裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の福音では、イエスさまのパンを増やす奇跡が語られます。単純にイエスさまが奇跡によってパンを増やされたのだと受けとめても良いでしょうし、
また、これは御聖体を象徴する出来事だと考えることもできます。御聖体を表しているのなら、御聖体とは何でしょうか?
原材料は小麦粉を水で練って、少し焼いただけです。このような小さな「パン」を食べただけで満腹する方は、ほとんどいないでしょう。
けれども、イエスさまがこの御聖体を定められたのは、十字架の苦難を受ける前日でした。そして制定するにあたり、
「これをわたしの記念として行いなさい」とおっしゃいました。つまり、イエスさまが何を食べていたかなどという話ではなく、
イエスさまが地上での生涯の間に行われた「わざ」、つまり、神と人への愛を思い起こすことにあります。
小さなホスチアがイエスさまの体となるということは、これを食べる人は、イエスさまの生き方を自分のものにすることを意味します。
イエスさまの体、イエスさまの行ったことを自分のものにした人は、別の言い方をすれば、イエスさまの命に与るものとなり、
イエスさまの体の一部になっていくのです。イエスさまがご自分の思い、心をこの地上に明らかにしたのは、そのお体を使ってのことです。
そのお体を拝領するわたしたちは、イエスさまの手足となって、イエスさまの思いと心をこの世界に表していかなければなりません。
ところで、今日は1名の子どもが、初めて聖体拝領する「初聖体」のお祝いをしております。中世には「これほど尊い秘跡なのだから、
その意味が理解できる大人しか拝領すべきではない」とか、「人生の終わりに一度だけ拝領すれば良い」などという俗説が流行して、
子どもが聖体拝領することなどは考えられませんでした。これに対して第4ラテラノ公会議(1215年)は、「分別の年齢に達したすべての信者」に
少なくとも年に一度、ゆるしの秘跡を受け、復活祭の頃に聖体拝領することを義務づけました。1910年に教皇ピオ10世は、
ゆるしの秘跡と聖体拝領のための「分別のある年齢とは、幼児が理性を働かせ始める年齢、すなわち7歳前後である」と定めました。
「理性を働かせる」とは、具体的に何を意味するでしょうか? 御聖体の内にイエスさまが現存するかどうかは、外から見た目では分かりません。
さらに、どんなに偉い科学者に顕微鏡などを使って調べてもらってみても、あるいは偉い司教様方にお願いしても、
ホスチアが聖変化される前と後では、どれほど違いがあるかは判別できないはずです。では、それほど難しいことを子どもに要求するのでしょうか?
端的に言って、御聖体を受けようとする子どもたちに要求される能力とは、周囲の大人が示す態度を感じとる能力です。
分別のない赤ちゃんであれば、自分の都合だけで泣いたり、笑ったりして、周囲がどのような状況にあるか、大人たちが何を大切しているかを
まったく理解できないでしょう。しかし、今日初聖体を受ける子どもにはそれが分かります。つまり、周囲の皆さんが示す御聖体に対する態度を見て、
イエスさまが現存される御聖体を感じとっているからです。信徒の皆さんの信仰心こそが、子どもたちの信仰を育てているのです。
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6月15日 三位一体の主日 ヨハネによる福音16章12節〜15節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、
聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。
わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。
だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
このところ修道院の庭では、ウグイスの鳴き声が聞こえます。どこで鳴いているのかと目をこらして探してみても、それらしい姿は見当たりません。
ネットで確かめてみると、「暗い緑茶色」とのことで、和菓子にあるような「ウグイス色」ではないそうです。
きれいな緑色をしているのはメジロで、梅や椿の花の咲く頃に姿を見せるそうで、「梅にウグイス」というのはメジロと誤解したもののようです。
この季節にウグイスが鳴き声を立てるのは、オスがメスを呼び求めたり、縄張りを主張するためです。鳴き声はきれいなのですが、
「まだお相手が見つからないのかしら」と考えると、少し哀れにも響きます。
さて、教会の典礼暦は、聖霊降臨祭をもって復活節が終了し、「年間」となりました。聖霊降臨後の最初の日曜日は、
神さまご自身にささげられた祭日、三位一体の主日です。御父・御子・聖霊という、三位でありながら唯一の方である神さまをお祝いします。
この唯一の神さまを考えてみれば、「御父」は永遠の愛の源泉であり、万物の創造主である方です。「みことば」である御子イエスさまは、
御父の愛を人間に啓示してくださった方であり、そして、信じる者たちに働いて信者同士を結び合わせ、御父・御子の愛の交わりに人間を与らせ、
神のわざを実践させてくださるのが「聖霊」です。しかし、わたしたちがどのように神さまを描写してみても、どのような言葉で表現してみても、
結局の所、それは人間の理解力、言葉による表現の限界によって、常に不完全なものに留まります。神さまが実際にどのような方であるのかは、
この地上に生きるわたしたちには、完全に理解することはできないでしょう。神さまの世界から来られた方、つまり、イエスさまのみが、
これをわたしたちに啓示することがおできになるだけです。
今日の福音でイエスさまは、聖霊を「真理の霊」と紹介なさいます。「真理の霊」とは「真理をことごとく悟らせる霊」だそうです。
この「真理」については、最後の晩餐の後にユダヤ人によって捕らえられ、告発されたイエスさまが、ローマ総督ピラトの前で述べらられた言葉から
少し推察できるかも知れません。イエスさまはピラトに、「わたしは、真理について証しをするために生まれ、またそのために世に来た」と言われ、
ピラトはその言葉を受けて「真理とは何か」と言い返しながらも、その後で、「わたしはあの者に何の罪も見いだせない」(ヨハネ18・37-38)と
ユダヤ人たちに告げています。おそらくピラトは、イエスさまの教えが、人間社会の法律や規範などとはまったく次元の異なるものであることを
理解したのでしょう。このことから、真理とは、人間社会の規範を超えた神的次元の基準であり、それは生きざまにおいてのみ表明し得るものと
言うことができます。イエスさまがその生涯をかけて証しなさったことは、「神が愛そのものである方だ」と言えます。つまり神さまについて考えれば、
「真理」と「愛」とはほとんど同義語であり、その愛と真理をイエスさまが啓示なさり、聖霊がわたしたちにそれを悟らせてくださるのです。
それゆえ、それを受け入れ、イエスさまの教えに従って生きる者は、三位の神の愛に与ることができるのです。
したがって、「三位一体」という語は、わたしたちが信じている神さまがどのような方であるかを、あたかも外部から客観的に眺めて述べた語
などではなく、神さまの愛の交わりにわたしたちが招かれており、その交わりに巻き込まれていくという、救いの摂理のダイナミックな
描写なのです。神さまからの愛の呼びかけは、今日も響いているはずです。
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6月8日 聖霊降臨の主日 ヨハネによる福音14章15節〜16節、23節b〜26節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む。
わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、
あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
アジサイの花の季節となりました。花屋さんの店先だけでなく、修道院の庭にもアジサイの花があります。
花屋さんのは鮮やかな色合いを見せていますので、ウチの庭のはどうかと思い、よく見たのですが、アジサイのつぼみは、まだ少し緑で、
華やかな色に染まるのはこれからのようです。さまざまな色合いを見せるので、アジサイには「心変わり」の花言葉もありますが、
聖霊が与えてくださる、さまざまな賜物にも似ています。
さて、典礼は聖霊降臨祭を迎え、復活節が終了します。今日の福音でイエスさまは、聖霊を「弁護者」として紹介しています。
これは何らかの「裁き」のときに、一緒にいて弁護してくださる方という意味に受け取れます。「裁き」と言っても、
もともと「別ける」という意味合いなので、「最後の審判」のような、最終的・決定的な場面だけでなく、わたしたちの日常生活においても、
判断したり、選択したりするときは、一種の「裁き」を行うわけです。例えば、買い物をするとき。
買い物によって信仰が表されるわけではありませんが、今日では、選んだ商品がどのような過程を経て作られたかを考慮する必要があるかも知れません。
世界のどこかの貧しい国で、搾取されたり、暴力の被害を受けたりして作られ、運ばれ、商品となってお店の棚に並べられた物だとすると、
それらを選ぶことによって、搾取や暴力に加担することになり得ます。反対に、それらをまったく選ばないように排除することは、
さらに世界の貧困を助長したりします。買い物一つにしても、価格だけでは判断し、決められない時代となったのです。
そんなときに「弁護者」は、わたしたちにすべてのことを教え、イエスさまが話されたことをことごとく思い起こさせてくださるのです。
「弁護者」は単に直弟子たちに、イエスさまのことばを「思い出させる」のではなく、その「深い意味を悟らせる」のです。
つまり、イエスさまが地上で生活なさった間に、そのお話を直接伺った直弟子たちだけでなく、イエスさまが昇天なされた後に降って来た聖霊が
他の弟子たちに、その「深い意味」を教えてくださるのです。その「深い意味」とは、「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る」
という箇所に端的に示されています。「わたしの言葉」とはギリシア語で「トン・ロゴン・ムー」(τον λογον μου)であり、
イエスさまの思い、考え、理性を表します。平たく言えば「心」であり、これを守ることは、イエスさまの「み心」を受け継ぐことになります。
イエスさまご自身が御父の「みことば」として、御父のみ旨を具現なさる方ですので、イエスさまの「み心」とは、
人間が作った規則や方針などではなく、すべてのものに対するイエスさまの思い、優しさなのです。その「み心」を、
わたしたちがこの世界で少しでも真似しようとするときに助けてくれるのが、聖霊ということになります。
使徒信条は、「創造主である御父」、「みことばである御子」、そして「聖霊」を信じるとしています。そして聖霊を信じることの内容としては、
「聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのち」が述べられます。言い換えれば、わたしたちが信徒として生き、
交わり、互いに愛し合い、ゆるし合うとき、聖霊の助けによって、イエスさまの「み心」を実践しようとしているのです。
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6月1日 主の昇天(祭日) ルカによる福音24章46節〜53節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「聖書には〕次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたは
これらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日から6月です。雨の多い梅雨の季節です。地方によっては、「入梅」とも言いますが、梅の実を採り入れる季節なので、
「梅」が共通しています。この梅雨の季節が明ければ直ぐに夏となりますが、聖堂には新たなエアコンが設置されましたので、
この夏は安心して御ミサに与れます。
さて今日は、「主の昇天」の祭日です。30年前に聖地旅行をしたとき、エルサレムの南東3kmにあるベタニアの「昇天の山」(オリーブ山)
に登りました。山上にはイエスさまの足跡が岩の上に線で刻まれています。土踏まずもなく、長さ30cmくらいの大足です。
それを見てわたしは、ウルトラマンが「シュワッチ!」と空に飛び上がるのを思い出してしまいました。
しかし福音では「祝福しながら、天に上げられた」とありますので、イエスさまは、別にジャンプしたわけではなく、
ゆらゆらと昇っていったようです。
使徒言行録には、復活後40日間にわたって現れた後、イエスさまは弟子たちの目の前で昇天されたように記されています。
しかし、そのように計算すると、ご復活から40日後は先週の木曜日に当たります。日本では、一般の信徒が週日に教会に集まるのが難しいので、
司教団は「主の昇天」を復活節の第7日曜日に移動しました。実は、福音書でも、復活したイエスさまが弟子たちに現れた後に昇天したというだけで、
「40日後」とは記されていません。「40」という日数は、「満ち足りた十分な期間」という意味だからです。
しかし、復活したイエスさまが弟子たちから離れて行くという点では、立場は逆ですが、どこか、勉強や就職のために
子どもを都会に送り出した田舎のお母さんたちと似ています。イエスさまが十字架の苦難を受けられた時には、弟子たちは悲嘆にくれていましたので、
丁度慣れない一人暮らしに当惑している若者を思い起こさせます。しかし、復活の後の弟子たちは、イエスさまが離れて行っても悲嘆にくれることは
ありませんでした。これは、やっと都会生活に慣れた青年たちのように、弟子たちも成長して、イエスさまが側におられないことに慣れたから
なのでしょうか? また、昇天されたイエスさまの方は、子育てから解放された、どこかの母親のように「ヤレヤレ」と言いながら、
天国で、コタツにでも入りながら、くつろいでいるのでしょうか?
もしそのようだとすると、主の昇天後に弟子たちがどうして、「大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」
のか理解できません。「主の昇天」という出来事は、単に復活された主の出現の終了を示すものではないのです。
昇天の後に起きた「聖霊降臨」と、それによる「教会の誕生」への期待、そして「宣教活動の開始」への準備が示されているのです。
つまり、イエスさまがご自分の昇天によって示されたのは、まず、ご自分が天に昇るということだけでなく、イエスさまの教えとわざを
継承する弟子たちのすべてが、同じように天の国に昇るということです。そして、その喜びに満ちた招きに応えるためには、
まずもって弟子たちは、自らの聖性を高めることが必要なのです。肉眼ではイエスさまを直接見ることはできなくなったとしても、
丁度、都会で働いたり勉強している子どもたちを、田舎で案じている母親の心のように、イエスさまの心もわたしたちから離れることなく、
いつもわたしたちと共におられます。
このように理解すると、昇天とは、聖霊降臨による宣教への派遣を受ける前に、弟子たちに心の準備を促すための合図だと言うことができます。
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5月25日 復活節第6主日 ヨハネによる福音 14章23節〜29節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、
父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。
あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、
あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、
わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、
あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
もう梅雨に入ったかのようにはっきりしない天気がつづきますが、復活節も第6主日となり、教会の典礼は、お天気とは無関係に、
聖霊降臨に向かう準備を始めます。
福音の中で、イエスさまは聖霊について、「弁護者」であると示されました。「弁護者」とは、ギリシャ語では「パラクレートス」(παρακλητοs)
ですが、これはイエスさまが「あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」
と述べられていることからも分かるように、法律上の弁護人などよりも、常に傍らにいて、助けてくれる存在だということが言えます。
つまり、最終的な裁きの場、とりわけ、「最後の審判」で代弁してくれるだけでなく、常日頃から執り成してくれる方、
困ったときに助けてくれる方です。そのことから、勇気とか知恵とかの「賜物」としてとらえられてきたのでしょう。
今日の第一朗読で「使徒たちの宣教」は、初代教会の使徒たちのが、割礼を受けることが絶対的に必要かどうかを論議して、
聖霊を受けることは、割礼を受けるのと同じように明白な、救いに与る者のしるしと判断したことを記しています。
福音では、イエスさまはさらに、弟子たちに聖霊の賜物である「平和」を残し、イエスさまの「平和」を与えると約束なさっていますが、
「世が与えるように与えるのではない」ともおっしゃいます。
そして第二朗読の「ヨハネの黙示」では、救いが天のエルサレムとして描かれ、「神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かり」となって、
太陽も月も必要のない、平和な都を描いています。
一般の用語法では、「平和」の反対は「戦争」であるとされ、ある人は、「平和とは戦争が終わった時と、次の戦争までの準備期間だ」と、
皮肉を込めて言います。イエスさまが残されたのは、このような、戦争や闘争を基準にした「平和」などではないはずです。
しかし、現実世界では、現在もパレスチナやウクライナでは戦争が行われています。
ウクライナでの戦争の初めの頃、ウクライナの北東部に侵攻したロシアの兵士たちも、部隊によっては、上層部、
特にプーチンさんの意図がわからず、とても穏やかにウクライナに侵入し、当地の住民と接して、プレゼント交換までもしていた部隊もあったそうです。
社会学者たちは、彼ら若い兵士たちが、まだ戦争という心理状態になっていなかったことを指摘しています。しかし、他の部隊や、
民族の異なる北朝鮮からの兵隊が来ると、多くの民間人を平気で虐殺していきます。軍隊の集団心理として、ウクライナ人をすべて敵と見なす、
いわゆる疑心暗鬼の状態での「集団規範」に縛られているのです。残念ながら、これはパレスチナの場合は、当初からこのような雰囲気であるようです。
日本の社会心理学者たちには、これを「空気」と表現する方もあります。わたしたちの仲間内の会話で、「空気が読めない」などと言う場合の
「空気」です。これが人を支配すると、それが集団規範となり、人にさまざまな行動をもたらし得るものとなります。周囲の「空気」に流された結果、
自分で理解した上での自由な判断ができなくなって、後で考えれば、本当にひどい残虐な行為を犯してしまうのです。
イエスさまは、このような「空気」に流されない強さとしての「平和」、つまり、聖霊を与えられることによって、
常に人間的なキリスト者であり続けられることを教えられておられるのです。
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5月18日 復活節第5主日 ヨハネによる福音 13章31節〜33節a、34節〜35節
さて、ユダが〔晩さんの広間から〕出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。
神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。
子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによって
あなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
近年、ペットを飼う人が増えたように思えます。特に休日の午前中などは、多くの方が飼っているイヌを連れて、あるいはイヌに連れられて、
お一人やご夫婦で散歩をなさるようです。手塩にかけて育てた子どもでも、成長すると家を離れてしまいますので、
その後の淋しさを紛らわすために飼う人が多いのでしょう。人間の子どもと異なり、当然ですが、小型犬などの場合、
小さいままで、いつまでも愛らしく飼い主を慕ってくれます。
先年亡くなったわたしの2番目の姉夫婦も、小型のイヌを飼っていました。初めはテリアで次にチワワでしたが、
飼い主である姉夫婦の命令には素直に従い、特にチワワは、わたしのような「見知らぬ他人」が手を出すと、ウーッと呻ったり噛み付いたりします。
しかし、姉夫婦には体のどこを触られてもおとなしくしていました。動物病院の獣医さんから注射を打たれるときでも、姉夫婦がそばにいれば、
我慢してじっとしていたそうです。ですから姉たちも、思い通りにならない子どもたちに対する以上に、自分の愛情を注いでいたのです。
しかし8年前に夫が先立ち、その年末にそのチワワも亡くなると、姉の方まで急にボケが始まりました。3年後にやっと老人ホームに入ることが
できたのですが、ほどなくして亡くなりました。愛することは、生きる力ともなっていたようです。
さて、福音では、「互いに愛し合いなさい」と、イエスさまは新しい掟を与えておられます。それは、ユダが「最後の晩餐」の席から
出て行った後に教えられたことでした。イエスさまは既にユダが裏切ることを知っておられたので、彼にこの掟を与えても無意味であったし、
それによってユダが余計に傷つくことを分かっておられたので、それで、あえて彼がいなくなってから、残った弟子たちに教えられたのでしょう。
イエスさまの優しさからの配慮であったと思われます。
しかし、この「最後の晩餐」において、イエスさまが食事の席でなさったのは、まず「弟子の足を洗う」ことでした(13・1〜11)。
つまり、イエスさまが教えられた「互いに愛し合うこと」とは、「互いに仕え合うこと」であり、相手を自分の意のままに支配することでも、
自分の満足のために利用するでもありません。互いに尊重し、尊敬することです。自分の考えとは異なる意見や生き方をも尊重することです。
それも一方的なものではなく、「互いに」愛し合うことです。ですから、相手を支配したり、利用したりする接し方は、ペットに対するように、
どれほど一方的に可愛がったとしても、「互いに愛し合うこと」にはならないのです。人間はペットの動物とは異なるのです。
人間にはそれぞれ人格があり、それぞれの考え方や人生を持っています。イエスさまが教えておられるのは、自分の考え方や期待とは異なるときでも、
相手を尊重して、愛することです。
ユダは、自分の期待どおりにはメシアとして行動なさらないイエスさまを、愛しきることができませんでした。
そのためにイエスさまを裏切ってしまったのですが、その裏切り者のユダに対してさえも、イエスさまは、彼の考えを尊重して、
愛しておられたのです。ある意味でその「ユダ」は、「わたし」であったかもしれません。
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5月11日 復活節第4主日 ヨハネによる福音 10章27節〜30節
〔そのとき、イエスは言われた。〕「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
5月は聖母月であり、その第2日曜日は「母の日」とされています。教会の典礼暦によるのではありませんが、今では日本にもその風習が広まっていて、
「お母さんに感謝する日」となっていて、カーネーションを飾ったりします。朝早くから夜遅くまで、家族全員、
特に子どもたちのために尽くしてくださっているお母さま方に、心から感謝いたします。育児放棄とか、自分が産んだ子を虐待する母親などの
暗いニュースを聞くたびに、「普通の」お母さんたちのありがたさが際立ちますね。
さて、福音では、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とイエスさまは言います。わたしも、羊についてではありませんが、
牧場の牛が人の声を聞き分けるのをつくづく実感したことがあります。それは修道会に入りたての頃、まだ志願者だったとき、
上智哲学科の夏休みに、北海道の牧場にお手伝いをさせてもらった時のことです。同期の志願者には、切江修道士さんや、
前の管区長であった村上神父さんもいました。皆、初めての牧場体験で、受け入れ先では、都会から来た若者だからということで、
まず薪割りの作業を頼まれました。大きなマサカリでバッサリ木材を割るはずなのですが、マサカリが重くてうまく割れず、ふうふう言いながら、
6人の志願者が交代で挑戦しました。内心、「これはかなり男らしい作業だ」と思っていたのですが、その家のおばあちゃんが来て、
「こんなのは女の仕事だ」と言われてしまいました。そして午後になると、「あんちゃんたち、そろそろ牛を小屋に入れてくれや」と頼まれました。
牧草地に30頭ほどの乳牛が放たれており、それを牛小屋に追い込む作業です。まず、おっかなびっくり、草を食べている牛に近づき、
歩いてくれるようにお願いしました。牛の方は、わたしたちが初心者だと見くびって、わたしたちを無視し、座り込んでモグモグと食べ続けています。
仕方がないので、後ろから近づいて、2・3人で押してみようとすると、尻尾で顔をピシャリとたたかれてしまいました。
先の方がふさふさの毛だけならば良いのですが、フンがくっついて乾き、かりんとうのような形状で固くなっていて、石ころのようでした。
たたかれた者にはかなりこたえます。それでも、こわごわ、木切れで牛のお尻をたたいたりして立たせ、なんとか皆で一頭ずつ牛小屋の方に
歩かしたのですが、うまくいったと、次の牛に注意をそらせた途端に、元の牧草地に戻っていってしまい、2時間ほどかけても、
一頭も入ってくれません。するとまた、あのおばあちゃんが出て来て、「あんちゃんたち、何やってるんだべ」と言い、牛たちに向かって、
「お〜い、おいで〜」と一声を掛けると、牛たちはぞろぞろと自分たちから牛小屋に入って行くではないですか!
そのとき、非常な脱力感に襲われると共に、今日の福音のことばが身にしみました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」
牛たちは、都会から来た若者などは無視しても、毎日愛情を込めて世話をしてくれるおばあちゃんの声を知っており、それに素直に従います。
わたしたちも同じように、イエスさまがわたしたちと共にいて、毎日わたしたちのために働いていてくださることを感じているならば、
たとえその声が遠くから、またかすかなものであろうと、それを聞き分けることができるのではないでしょうか。
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5月4日 復活節第3主日 ヨハネによる福音 21章1節〜19節
その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、
ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、
彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。
そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは、「主だ」と聞くと、裸同然だったので、
上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりした離れていなかったのである。
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚で
いっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。
弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、
これでもう三度目である。
《食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、
あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。
「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。
「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。いかし、年をとると、
両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを
示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに「わたしに従いなさい」と言われた。》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
聖書の注解によれば、ヨハネ福音書は元来20章で終わっていて、21章は元の福音書ができあがった後に追加された、「補遺」とか「こぼれ話」
とされる部分だそうです。
フランシスコ会訳聖書では、この初めの箇所に「不思議な漁」という小見出しがつけられています。「夜通し漁をしても何もとれなかったが、
岸辺に立つ人(イエスさま)の指示に従って網を打つと、大漁になった」というのが、「不思議な漁」とされる理由のようですが、けれども、
もっと「不思議」なのは、漁に出かけたペトロたちです。この前の章では、エルサレムで弟子たちの集まっているところに、
復活したイエスさまが出現し、人々の罪を赦すために遣わされた(ヨハネ20章)はずなのに、ペトロたちは、また元のガリラヤの漁師に
戻っているのです。ですから、この部分が「補遺」とされるのです。
さて、今日の箇所の初めでは、ペトロと他の弟子たちの名前が紹介されますが(2節)、大漁になった網を引き上げるときになると、
「イエスの愛しておられたあの弟子」(7節)が突然登場し、「主だ」とペトロに教えます。つまり、読者の心がその場に入ってペトロを応援します。
これに続いて新共同訳では、「シモン・ペトロは ... 裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」と訳していますが、フランシスコ会訳聖書は、
「シモン・ペトロは ... 下には何も着ていなかったので仕事着の裾をからげて、湖に飛び込んだ」と訳しています。新共同訳で(上着を)「まとって」
と訳される動詞は、ギリシア語原文では「ディエゾーサト」(διεζωσατο) であり、フランシスコ会訳では(仕事着の裾を)「からげて」と訳されています。
これは船乗りことばでの、「帆を巻き上げる」ときの言葉を指します。日本の船乗りさんたちが左に舵を切るとき、「とり(酉)舵いっぱ〜い」
と言うように、独特の業界ことばです。つまり、「裸では主に対して失礼だから上着をまとった」のではなく、
「泳ぐのに邪魔になる仕事着の裾をからげて」水に飛び込んだという情景です。このように見てみますと、この21章の前半は、
少なくとも、ガリラヤ湖での漁に従事していた人物からの情報に基づいて記されたものであり、復活した主との直接の出会いを述べたものと言えます。
21章の次の部分で、食事の後にイエスさまはペトロに、「わたしを愛しているか」と尋ねます(16節)。ギリシア語原文では
「アガパース・メ」(αγαπασ με)、つまり、好き嫌いの感情ではなく、完全な無私の愛、「アガペー」の愛を尋ねています。
ところがペトロは「フィロー・セ」(φιλω σε)、つまり「好きです」と答えます。それで2回目もまたイエスさまはアガペーの愛を尋ねますが、
ペトロはまた、好きですと答えます。それで3回目にイエスさまは「フィレイス・メ」(φιλεις με) と尋ねます。ことばの違いに気づかないペトロは、
3回も尋ねられたことを悲しみながらも、今度も好きですと答えているのです。もしペトロが、イエスさまの受難の時に3回「知らない」と言ったから、
それを消し去るために3回「愛しているか」と尋ねられたのだとすれば、わたしなどは、何千回も何万回も「愛しています」
と答えなければならないでしょう。ところがイエスさまは、アガペーの愛を示して、自分の感情や損得に関係なく、真理であり善である方に
いつも倣うように招いておられるのです。
原文の細やかな語のニュアンスをたどるとき、このヨハネ21章は、イエスさまの愛を直接体験した弟子が、後世のわたしたちのために
伝えてくれたものとしか思えません。
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4月27日 復活節第2主日(フランシスコ教皇さまの追悼)ヨハネによる福音 20章19節〜31節
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、
その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、
「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、
信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、
あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日は復活節第2主日ですが、この前の月曜日に教皇さまが逝去されましたので、このミサで教皇さまの追悼をいたしましょう。
教皇さまは「平和の使者」とされる「アッシジのフランシスコ」を教皇名とされて、紛争の絶えない現代世界にあって、聖フランシスコのように、
実際に現地に赴いて当事者たちとの対話、そして仲介を続けられました。逝去は、本当に残念です。
さて福音では、週の初めの日の夕方に、家の戸に鍵をかけて弟子たちの集まっているところへ、イエスさまが出現したことを伝えています。
出現したイエスさまは、手とわき腹とをお見せになって、御自分が十字架の苦しみを受けた本人であることを示し、弟子たちに息を吹きかけて、
聖霊を与えます。それにより、一致して苦難を乗り越える力をお与えになります。
ところで、なぜ弟子たちは「週の初めの日」、つまり日曜日に、一緒に集まっていたのでしょうか。福音書は「ユダヤ人たちを恐れて」
と理由を述べていますが、それは教会がその始まりにおいて、「ユダヤ教内の一つの異端者グループ」として理解され、
それによって周囲から迫害を受けていたからでしょう。しかし、弟子たちは単に隠れていたのではないようです。
イエスさまが現れることによって、それがイエスさまの教えを信じる者たちの集い、原初のミサを描写していることが分かります。
何よりも「8日の後」、つまり日曜日ごとに集まることは、「主の復活」を記念する集いとなるのです。「8日目」とは、一週間が終わった次の日です。
創世記によれば、主なる神は天地を7日間で創造されました。このため「8日目」とは新しい一週間の初めであるだけでなく、
新しい天地の始まりを示すことになります。イエスさまの復活によって、新しい天地が始まるのです。
またイエスさまは、弟子たちに「手とわき腹」とをお見せになります。現れた方が、弟子たちと共に、この地上での宣教生活を送り、
十字架の苦しみを受けて死に、墓に葬られた方そのものであることを示すためです。復活なさったイエスさまは、弟子たちに息を吹きかけて
聖霊を与えられます。それは弟子たちを遣わして、人々に罪の赦しを得させるため、つまり命を与えるためでした。その場にいなかったトマスは、
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ...、わたしは決して信じない」と言いましたが、「8日の後」、つまり次の日曜日に
再びイエスさまが現れて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われます。トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と答えます。それは、イエスさまが、
単に人間的な「先生」の意味としての「主」であるだけでなく、神としての「主」であるとの信仰告白です。ここに、ヨハネ福音書の目的があります。
さらに言えば、イエスさまを信じるとは、イエスさまが「神」であることだけでなく、イエスさまの「教え」を信じることです。
イエスさまの教えを信じる者は、イエスさまの「弟子」となり、信じた内容を他の人々にも伝えることによって「使徒」となります。
このことから、イエスさまが復活なさったのは、弟子たちを「使徒」に変容させるため、言い換えれば、
これが新しい天地創造の内容であったと理解できます。その新しい天地創造において「使徒たち」が伝えることばが福音であり、
イエスさまの教えを自分の生活の中で実践することが、永遠の命であり、まことの幸せに至るというメッセージです。
「8日目」ごとにわたしたち皆が、イエスさまに「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白し、日常生活で「使徒」の役割を担っていくのです。
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4月20日 復活の主日 (日中のミサ) ヨハネによる福音 20章1節〜9節
週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行き、墓から石が取り除かれているのを見た。そこで、
シモン・ペトロの所と、イエスが愛しておられたもう一人の弟子の所へ走って行って言った、「誰かが主を墓から取り去りました。
どこへ置いたのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロともう一人の弟子は、出かけて墓に向かった。二人は一緒に
走っていったが、もう一人の弟子のほうがペトロより速く走って、先に墓に着いた。そして、身をかがめてのぞき込むと、亜麻布が
平らになっているのが見えた。しかし、中には入らなかった。彼に続いてシモン・ペトロも来て、墓の中に入ってよく見ると、
亜麻布が平らになっており、イエスの頭を包んでいた布切れが、亜麻布と一緒に平らにはなっておらず、元の所に巻いたままに
なっていた。その時、先に墓に着いたもう一人の弟子も中に入ってきて、見て、信じた。
二人は、イエスが死者の中から必ず復活するという聖書の言葉を、まだ悟っていなかった。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
御復活おめでとうございます。例年ですと復活祭を彩るサクラが、今年は葉桜になってしまいましたが、それでも教会の庭では、
ハナミズキやフジの花、そして生垣や御心像の足元にはツツジが咲き競っています。それぞれが主の御復活をお祝いしているようです。
さて、朗読しました福音は、フランシス会訳聖書からのもので、復活された主の出現に先立つ、「空の墓」を伝える箇所です。
十字架に付けられてから3日目、朝早く墓を訪問した婦人たちから、墓から遺体がなくなったとの知らせを受けて、シモン・ペトロと
もう一人の弟子は、イエスさまの葬られた墓に急ぎます。そこで2人が確認したのは、婦人たちのことば通り、墓から「遺体」が
なくなっていたという事実です。遺体を覆っていた亜麻布は元の場所にありましたが、平らになっていました。
一方、顎を締めるために頭を包んでいた布切れは、亜麻布の中に残っていて、ポコンと盛り上がって見えます。マルコ福音書によれば、
イエスさまは最期に、十字架上で「大きな叫び声をあげて、息を引き取られた」(マルコ15・37)とあります。埋葬の際に、
口が開いたままにならないように顎を締めなければならなかったのです。それで、この布切れを亜麻布の間に残したまま、遺体だけを
抜き取って運び去ることはできません。これは「誰かが主の体を墓から取り去った」のではなく、イエスさまの体が、その
「亜麻布の間から煙のように消えたこと」を描写しています。ヨハネ福音書が伝える復活の状況は、通常の理解を超える、
本当に深い謎に包まれています。
ペトロが主の復活を悟るのは、その日の夕方になってからでした。戸口には鍵を掛けて弟子たちが集まっていた部屋の真ん中に、
イエスさまが現れて「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)と仰ったときです。そしてイエスさまは、弟子たちに
息を吹きかけて聖霊を与えられました。十字架上で息を引き取るまでのイエスさまは、反対する者や信じない者でも見ることのできる
存在でしたが、復活した後のキリストには、信じる者、弟子となる者だけが出会うことができるのです。このように「墓」は、
イエスさまの宣教生活と復活後の姿を繋ぐものでありながら、そこにイエスさまのかつての姿を探し求めても、見ることも会うことも
できない「空の墓」なのです。
わたしたちの経験する日常生活でも、この「空の墓」に似た状況が生じることがあります。それは、受験や仕事などに失敗したり、
健康や加齢による制限から、かつての元気や目標を失ってしまい、自分がもう何の役にも立たなくなったと思い込むような状況です。
でも、それは単にそれまで目指していたものから方向転換するように与えられた、神からの示しで、新しい方向、新しい次元を
指し示すものであるはずです。
福音書の伝える「空の墓」は、復活した主が弟子たちに聖霊を与えることにつながるもので、弟子たちの方が、いわば信仰上の
「さなぎ」の状態にこもって、美しい蝶へと変身するためのものでした。同じように、わたしたちも八方ふさがりの「さなぎ」の
状態に陥ることがあるとすれば、それは新しい生き方へと方向転換するための準備段階と言うことができます。「空の墓」の神秘は、
復活信仰の神秘です。言葉では言い尽くすことのできない、深い信仰上の確信が、この神秘によって表現されているのです。
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4月19日 復活の主日(復活徹夜祭)ルカによる福音 24章1節〜12節
週の初めの日の明け方早く、〔婦人たちは、〕準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、
主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、
二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。
まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、
三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、
十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
ご復活おめでとうございます。多くの信徒の方々が、この復活祭のために四旬節前から準備を進め、とりわけこの一週間は忙しく働いていただきました。
本当にありがとうございます。また、この典礼には与っておられなくとも、それぞれの場で、わたしたちの信仰の原点とも言える
「主の復活」を祝うすべての方々に、祝辞を述べさせていただきます。
今夜の典礼では、まず復活のシンボルであるローソクの祝別を行い、復活賛歌の後、創世記、出エジプト記、ローマ書が朗読され、
そしてルカ福音書からイエスさまの復活が語られました。創世記が読まれますのは、イエスさまの復活が天地創造の初めから、
御父なる神によって計画され、準備されてきたことを示しています。そして、出エジプト記ではイスラエルの民が紅海を渡って約束の地に入ったこと、
その意味で、ご復活は、死から生の世界へ渡ることと言えます。けれども、ただいま福音書から朗読しましたように、その最も重要で中心的な、
復活の証言となるはずの報告は、「墓が空であった」という、理解しがたい出来事でした。
福音では、安息日が明けた日曜の朝早く、墓を訪れた婦人たちが見たのは、「イエスさまの遺体がない」ということでした。
それまでイエスさまに忠実に付き従ってきた婦人たちが抱いていた、イエスさまの姿、思い出のすべてが、そこには残されていなかったのです。
そして天使たちから主の復活を教えられたのです。婦人たちはこの不思議な事実に直面したその驚きを、直ちに弟子たちに伝えました。
しかし、それを聞いた使徒たちには、それが婦人たちの「たわ言」のように思えました。ただ一人ペトロは、自ら墓に赴いて確かめようとしましたが、
彼もまた理解しがたい事実に直面して驚くばかりでした。
このように、復活について新約聖書が伝えるさまざまな記述は、人間的論理による解明を一切拒むものであることを示しています。
「天使によって教えられる」復活についての理解は、使徒たちにとってそうであったように、人間的な理性や推論によるのではなく、
復活された主・キリストとの、直接の出会いによってのみ得られるものです。それは、要約したり、一般化したりすることのできない、
個々の信仰者による、個人的出会いによって初めて得られるものなのです。主との出会いが人格的であり、個人的である以上、
一人として同じ体験を持つことはありません。新約聖書にはさまざまな弟子たちが、いろいろな形で、復活なさった主と出会うことが記されています。
これはわたしたちにとっても同じことでしょう。なぜなら、生きておられる主は、いつまでも過去の同じ場所に、同じ姿でおられるのではないからです。
常にわたしたちと共に、わたしたちの先を歩んでおられます。その姿に気づいたとき、わたしたちは自分の信仰の出発点を確認するのです。
ご復活、おめでとうございます。
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4月18日 聖金曜日・主の受難 ヨハネによる主イエス・キリストの受難(ヨハネ18・1〜19・42)
C 〔夕食のあと、〕イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、
イエスは弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした
下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器をてにしていた。イエスは御自分の身に起こることを
何もかも知っておられ、進み出て、言われた。
╋ 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは答えた。
S 「ナザレのイエスだ。」
C イエスは言われた。
╋ 「わたしである。」
C イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、
地に倒れた。そこで、イエスは重ねてお尋ねになった。
╋ 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは言った。
S「ナザレのイエスだ。」
C すると、イエスは言われた。
╋ 「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
C それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。
シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。
手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。
╋ 「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
C そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。
彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、
このカイアファであった。シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、
イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、
出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。
A 「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
C ペトロは言った。
A 「違う。」
C 僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。
╋ 「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。
なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」
C イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。
A 「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」
C イエスは答えられた。
╋ 「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」
C アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。
A 「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」
C ペトロは打ち消して、言った。
A 「違う。」
C 大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
A 「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
C ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。
明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。
A 「どういう罪でこの男を訴えるのか。」
C 彼らは答えて、言った。
S 「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」
C ユダヤ人たちは言った。
S 「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」
C それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、
イエスを呼び出した、言った。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
C ピラトは言い返した。
A 「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、
部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
C そこでピラトが言った。
A 「それでは、やはり王なのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
C ピラトは言った。
A 「真理とは何か。」
C ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。
A 「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。
あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」
C すると、彼らは大声で言い返した。
S 「その男ではない。バラバを。」
C バラバは強盗であった。そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、
紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、平手で打って言った。
A 「ユダヤ人の王、万歳。」
C ピラトはまた出て来て言った。
A 「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」
C イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは言った。
A 「見よ、この男だ。」
C 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。
S 「十字架につけろ。十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
C ユダヤ人たちは答えた。
S 「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
C ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、イエスに言った。
A 「お前はどこから来たのか。」
C しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。
A 「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
C イエスは答えられた。
╋ 「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
C そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。
S 「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
C ピラトは、これらを言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。
A 「見よ、あなたたちの王だ。」
C 彼らは叫んだ。
S 「殺せ、殺せ。十字架につける。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」
C 祭司長たちは答えた。
S 「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」
C そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、
いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタというところへ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。
また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。
それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、
多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。
A 「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください。」
C しかし、ピラトは答えた。
A 「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ。」
C 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、
それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、話し合った。
A 「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」
C それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。
兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に言われた。
╋ 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」
C それから弟子に言われた。
╋ 「見なさい。あなたの母です。」
C そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。
╋ 「渇く。」
C こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿を
ヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。
╋ 「成し遂げられた。」
C 〔そして、〕頭を垂れて息を引き取られた。 (頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、
足を折って撮り下ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、
もう一人の男の足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。
その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、
「その骨は人とも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」
とも書いてある。その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、
イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、沒薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、
そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の典礼は沈黙がテーマです。
御子が十字架の苦難を受けて亡くなるという事態に際しても、父なる神は沈黙し続けます。他の共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では、
「我が神よ、我が神よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)という、
十字架上でのイエスさまの叫びを記録していますが、今日のヨハネ福音書にはありません。その代わりに、「渇く」という言葉が記されています。
何に渇いておられたのでしょうか? 単に喉が渇いたというより、御父のお言葉、イエスさまの叫びに対する、
お応えに渇いておられたのではないでしょうか。しかし、御父の側からは沈黙だけが返され、その後に、イエスさまは
「成し遂げられた」と述べられます。つまり、その沈黙は、ただ間が空いていただけではなく、イエスさまの心の内における葛藤と、
その後に満たされた何らかのものを示すものであったのです。
振り返って見れば、イエスさまもまた、ピラトの尋問での最も重要な2つの質問、「真理とは何か」、「お前はどこから来たのか」
という問いに対して、そのどちらにもお答えになりません。もし仮にイエスさまが、真理とは「これこれである」という形でお答えになれば、
それはもう言語化されたことによって相対化され、真理そのものを示すものではありません。また、「どこから来たのか」という質問も、
イエスさまがガリラヤ出身であることは、ピラトも知っていた上でのものなので、その質問は、「自分は何者なのか」という
イエスさまの自己理解を問うことになります。従って、これに応えないということは、「自分とは何者なのか」への応えを要求する
問いかけとなってピラト自らに戻って来ます。
つまり、今日の典礼で示される沈黙は、わたしたちにも「イエスさまとは一体、わたしにとって何者なのか」、
そして「わたしとは一体何者なのか」という問いかけとなって戻ってくる沈黙なのです。
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4月17日 聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ ヨハネによる福音 13章1節〜15節
過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」
と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、
あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、
師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
聖木曜日となりました。東京など他の教区では、今日の午前中に司教さま司式の聖香油ミサが、各カテドラルで行われるようですが、
さいたま教区では昨日既に、伊勢崎教会でその聖香油ミサが行われました。わたしは電車で伊勢崎まで行くことにしたのですが、
大宮から東武電車に乗り、春日部や久喜を通り伊勢崎線になると、車窓からの田園風景の後ろに、富士山がくっきりと朝日に映えて、
電車の進行に寄り添っているようでした。わたしたちの人生に、いつもイエスさまが歩みを共にしてくださる象徴のように思えました。
さて今日からの三日間は、典礼上最も大切な三日間とされて、四旬節にも復活節にも属さない、特別な期間です。
三日間が全体として、イエスさまの過越秘義を表していますので、イエスさまの宣教生活の総括である御聖体の意味と苦難の意味、
御父による沈黙の意味と復活の意味のすべてが、この三日間の典礼で表されています。今日の典礼ではこのために、
御聖体の意味が中心となって記念され、御聖体の制定とそれに対するわたしたちからの応答としての聖体礼拝が行われます。
まず今日の福音では、最後の晩さんにおいて、イエスさまが弟子たちの足を洗う場面が描かれています。不思議なことに、
マタイ・マルコ・ルカの共観福音書が描く最後の晩さんでは、この場面が述べられていません。
反対に、共観福音書で最後の晩さんに行われた最も大切なこととして描かれている御聖体の制定、つまり、イエスさまがパンとぶどう酒をとって、
「これはわたしの体、わたしの血」と言って示された動作が、ヨハネ福音書には欠落しています。
これはヨハネ福音記者が書き忘れたとは考えられません。かえって、他の福音書には記されていない、この弟子たちの足を洗う場面が、
聖体制定の内容を示すものとして記されていることが分かります。つまり、互いに足を洗い合うこと、互いに仕え合うことが教えられているのです。
御聖体は、それをイエスさまの体と血として拝領する者を聖化し、イエスさまと同じ神の子の身分に与らせるものです。
しかしそれは、神の御子が人となって、人々に奉仕したのと同じように、互いに仕え合い、愛し合うことを意味するのです。
御聖体を拝領するのは、利己的に自分の聖化に役立てるためではなく、むしろ、御父からの助けを得て、周囲の人々に愛を分かち合い、
互いに仕え合うためのものです。それだからこそ、聖体祭儀を「愛の秘義」とも呼び、この愛に、愛をもって応えることが、
拝領する者に求められているのです。
そのことは、単なるホスチアがイエスさまの体、御聖体であることを信じることを要求し、さらにその拝領は、
口によって物理的に拝領することよりも、むしろ霊的に心において、主と結ばれることを憧れさせるものとなります。
このことから、聖体礼拝を「霊的聖体拝領」とも呼ぶのです。
わたしたちの「永遠の恋人」となって御聖体に現存してくださるイエスさまに感謝を捧げ、霊的にもイエスさまと一致するように、
短い時間であっても聖体礼拝しましょう。
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4月13日 受難の主日 ルカによる福音23章1節〜49節
(C=語り手、+=司祭、A=他の登場人物、S=会衆)
C〔そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは〕立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
S「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
C そこで、ピラトがイエスに尋問した。
A「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスはお答えになった。
+ 「それは、あなたが言っていることです。」
C ピラトは祭司長たちと群衆に言った。
A「わたしはこの男に何の罪も見いだせない。」
C しかし、彼らは言い張った。
S「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです。」
C これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。
ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、
ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、
イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちや律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。
ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。
それまでは互いに敵対していたのである。
ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。
A「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は
この男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは
何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
C しかし、人々は一斉に叫んだ。
S「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」
C このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。
しかし、人々は叫び続けた。
S「十字架につけろ、十字架につけろ。」
C ピラトは三度目に言った。
A「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
C ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、
イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。
+ 「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、
乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、
『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
C ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
そのとき、イエスは言われた。
+ 「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
C 人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。
A「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。
C 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。
A「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
C イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
A「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
C すると、もう一人の方がたしなめた。
A「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
C そして、言った。
A「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」
C すると、イエスは言われた。
+ 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
C 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
イエスは大声で叫ばれた。
+ 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
C こう言って息を引き取られた。〔頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る〕
百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して言った。
A「本当に、この人は正しい人だった。」
C 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、
ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
「受難の主日」になりました。別名、「枝の主日」とも言います。これはイスラエルで9月末頃に行われていた「仮庵祭」の名残です。
日本ではシュロの葉を使いますが、ルーラブというヤナギ科の枝を使っていたそうです。この葉を組み合わせて小さな庵(テント)を作り、
それを遊牧民の住居と見立てて、太祖たちが遊牧生活を送っていたことの記念としたようです。
ですから、民族のアイデンティティーをかき立てる祭となり、しばしば暴動も起こったそうです。どこか、現代の中東で、
イスラム教徒の多いガザ地区の人々が抗議して立ち上がったことに対して、イスラエルが圧倒的な武力で鎮圧し、
かつイスラム教徒を抹殺しようとしているのと同じです。2千年前にはユダヤ人が立ち上がり、ローマ帝国が鎮圧しましたが、
これと同じようなことが、立場を替えてイスラエルで起こっています。もしかすると、2千年前よりも激しく、
残酷な仕方で起きているのかもしれません。しかし、このような現代世界の政治情勢とは関わりなく、教会の典礼では、この「仮庵祭」を
イエスさまの「エルサレム入城の記念」として行い、信徒の皆さんが手にしているシュロの葉の祝福を行いました。
来年の四旬節まで、その枝をご家庭で保存してください。来年はその枝を燃やして灰を作り、「灰の水曜日」に使用します。
さて、受難の週に入り、今週後半の「聖なる三日間」においてキリスト教典礼の頂点を迎えます:弟子の一人によってイエスさまは裏切られますが、
他の弟子たちとの「最後の晩餐」で愛の記念を残されます。その後、兵士たちに捕らえられ、十字架の苦難を受けられて亡くなられ、墓に葬られます。
そして三日目に復活して弟子たちの前に再び現れることになります。
今日の福音の内容は「受難の主日」として、司式者だけでなく、朗読奉仕者と全会衆も参加して、苦しみと屈辱に満ちたイエスさまの十字架上での
死の場面を朗読しました。その終わりに、異邦人である百人隊長の口から、「本当に、この人は正しい人だった」と述べられました。
イエスさまの生きざまが、「義人」そのものとしての生き方であったことを、異邦人の口を通して確認されたことを示しています。
この百人隊長はローマ人であり、ユダヤ人たちとは異なり、客観的に、つまり第3者的にイエスさまの十字架刑を見ていました。
ですから、イエスさまが息を引き取られたときに「神殿の垂れ幕が真ん中から裂け」ても、冷静に「この出来事を見る」ことができたのです。
その彼が神を賛美して言った、「本当に、この人は正しいだった。」ということばは、その死を確認すると共に、イエスさまの生き方が
「神の御旨に沿うもの」、「神に喜ばれるもの」であったことを示しています。周囲のユダヤ人たちが投げかける「下品な言葉」や、
イエスさまの服を分け合うような「卑劣さ」とは対照的に、十字架の上で逍遥として死にゆくイエスさまの姿が、軍人としての潔さにも通じる、
ある種の感銘を与えたのかも知れません。
受難の朗読で描かれるのは、十字架でのイエスさまの最期の情景ですが、それは同時に、イエスさまの宣教生活全体を象徴するものです。
それは、わたしたちの信仰生活に必然的に伴う試練と、その先に待つ栄光の姿を予想させるものです。
このすべてをシュロの葉に込めて、わたしたちの生活の場に持ち帰ることにしましょう。
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4月6日 四旬節第5主日 ヨハネによる福音 8章1節〜11節
〔そのとき、〕イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、
座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、
指で地面に何かを書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい。イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、
イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
ようやく天気が落ち着いてきました。ソメイヨシノや枝垂れ桜も見頃を迎えていますが、修道院入り口のマリアさまの前にはアヤメが咲き競っています。
細く長い葉と、紫や白の柔らかな花びらです。
さて今日の福音では、「姦通の現場で捕らえられた女」が語られます。律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられたとされる
女性をイエスさまの前に引き出します。このような女性は、律法に従えば、石殺しの刑に処せられることになっていますが、それはイエスさまを試みて、
訴える口実を得るためでした。ですから、本当のところは分かりません。
少し前のことですが、教皇フランシスコは、2016年「いつくしみの特別聖年」の閉幕にあたって、使徒的書簡「あわれみあるかたとあわれな女」
を発しました。使徒的書簡はこの「姦通の現場で捕らえられた女」のエピソードを、イエスさまのいつくしみを説明するものとしています。
そして、教皇さまは書簡の冒頭で、聖アウグスティヌスが、人々が去った後に残された2人、つまり、イエスさまとその女とを、
次のように表現したことを紹介しています。「罪人に触れるときの神の愛の神秘を表現するのに、これよりも美しく、あるいは適したものを想像することは
難しいでしょう。『彼らのうちの2者だけが残った。惨めな女といつくしみ。』」イエスさまがこれほどのいつくしみを示されたのは、惨めな女の背後に
隠れているものに気づかれていたからでしょう。
この場面は、律法学者たちやファリサイ派の人々によって、イエスさまを、言わば「わな」にかけるために仕組まれたものです。
人々はこの女性が姦通の罪を犯したと、その結果だけを言い立てていますが、石殺しにされるかも知れないような恐ろしい罪の状況に、
どうして彼女が陥ったのかをまったく考慮していません。姦通に走ったのは、幸福であった家庭生活を一方的に捨て去ったのではないはずです。
おそらく、夫や家族から自分がまったく無視されてきたこと、いろいろな悩み事を抱えながらも、それを相談できる相手がいないこと。
自分の親類に打ち明けても、「夫婦のことは自分たちで」と取り合ってくれないことなどが積み重なっていたのでしょう。
そんなとき、優しく声をかけてくれる異性に惹かれたとしても、それは結果であって、当初から望んでいたことではなかったのです。
そしてまた「姦通」であるならば、当然その相手であり、共犯者である男性がいたはずなのに、彼女が捕らえられたときには、
彼女を弁護しようともせず、姿を消して、集まった群衆の影に隠れています。彼女は、もしかすると、イエスさまを訴える口実を作るために、
だまされて利用されていたのかも知れません。
イエスさまはしかし、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われます。
そして、群衆の顔を直接見るのではなく、地面に指で何かを書き始められます。教父たちは、イエスさまが周囲の人々の罪を地面に書いていたのだと
説明しています。人間的に考えても、面と向かって反論されるのではなく、ただ冷静に振り返る時間を与えられることにより、自分も関係している過ち、
つまり、この女性が罪の状況に陥るのを防がなかったという過ちに気づかされたのです。それに気づいた人々は、年長者から始まって一人また一人と、
立ち去っていきました。
四旬節の第5主日にこの福音箇所が読まれるのは、自分が積極的に罪を犯したかどうかだけではなく、何気ない自分の行為によって、
結果的には他者を罪に追いやってしまう、人間社会の罪の構造に目を向けるためです。イエスさまを十字架の死に追いやったのは、紛れもなく、
わたしたち自身の過ちであるからです。
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3月30日 四旬節第4主日 ルカによる福音 15章1節〜3節、11節〜32節
〔そのとき、〕徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。
「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、
そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、
彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚のたべるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。
『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、
これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、
お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。
『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。
それなのに、わたした友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、
娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の福音は「放蕩息子のたとえ話」として有名です。ある人に息子が2人いて、そのうちの「弟」が、父親から財産を分けてもらい、
その全部を金に換えて遠い国に行き、「放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いした」とされています。
確かに、もしそのような息子がいたとすれば、親にとっては大変なことでしょう。特に、親が地道に長い間働いて、
苦労して築き上げた財産であればなおさらのことです。でも、イエスさまはこのたとえを、
ファリサイ派や律法学者たちに向けて話しておられるので、「放蕩して無駄遣いした」のは、金銭的な財産ではないようです。
なぜなら、徴税人たちは他の人々よりも、経済的には裕福であったからです。
ファリサイ派や律法学者たちと徴税人とを比較すると、ファリサイ派の人々の方が、はるかに真面目に律法の掟を遵守していました。
つまり、たとえでは「兄」の役割です。そのため、「弟」である徴税人が「無駄遣いした」のは、イスラエルの民としての誇り、
あるいは宗教的な義務ということになります。つまり、神の民としての当然の掟や義務をないがしろにしていたことになります。
しかし、これらの人々には、心ならずもそのような職に就かざるを得なかった、さまざまな事情や背景があったことに、
イエスさまは気づいておられれたのです。「医者を必要とするのは病人である」と述べられて、「弟」の彼らに神の国の福音を宣べ伝えられると共に、
一方「兄」であるファリサイ派の人々が地道に掟をしっかりと遵守していることに対して、父親に「わたしのものは全部お前のものだ」
と言わせて、慰めています。
さて、このたとえは、わたしたちにはどのように当てはまるのでしょうか? わたしたちがイエスさまによって御父と結ばれるのは、
主日(日曜日)の礼拝を通してです。ユダヤ教徒は、安息日である土曜日に、普段の仕事を休んで神への礼拝を献げました。
イエスさまの復活の後、キリスト教徒は主の日、つまり日曜日に普段の仕事を休んで、礼拝であるミサに与ります。
週に一日だけですが、すべての人に日曜日が巡って来ます。神の子としての「分け前」とも言えるものです。
この日を、必要な安息のためだけでなく、いつもいつも自分の趣味や娯楽のために使うとすれば、いつか、困難にぶつかったときに、
自分の方から「もう神の子と呼ばれる資格」が無いことに気づかされるでしょう。
また一方、真面目に教会に行きながらも、「せっかくの日曜日にも好きなことができない」と、自分がカトリック信者であることに対して
不平を言う人は、たとえ話の「兄」に良く似ています。主日を賜物として受け入れることに意味を見出していないからです。
信徒の皆さんが、スケジュールをやりくりし、いろいろな不便を忍びながら、日曜日に教会での礼拝に与っておられるのは良く理解できます。
でも、それができるのも大きな恵みであることも事実です。主日に与えられる大きな恵みの第一は、
神と共に過ごす一日を与えられるという恵みです。それは、御父から「わたしのものは全部お前のものだ」と言ってもらえる恵みなのです。
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3月23日 四旬節第3主日 ルカによる福音 13章1節〜9節
ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。
「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。
言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、
エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。
言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。
なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。
木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかも知れません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
春のおとずれと共に、自然界では草花が芽を出し、枝葉を伸ばして、つぼみをつけ始めています。けれども人間の世界では、
まだ真冬の寒さが続いているようです。分厚いコートの襟に包むかのように、心を閉ざして争いを続ける国々があり、またそれに乗じて、
権益を増やそうとする国もあります。武力や戦争、あるいは政治的な取引によっては、たとえ一時的な勝利や和平を収めることができたとしても、
国民や周囲の国々からの共感を得ることはできません。咲きかかった平和のつぼみも、あわてて閉じてしまうでしょう。
さて福音では、不運な目に遭ったガリラヤ人たちの話と、実を結ばない「ぶどう園のいちじくの木」のたとえが語られています。
災難に遭った人たちについてイエスさまは、「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と言われました。
これは決して、ウクライナやパレスチナのことを言っているのではありません。悔い改めなければならないのは、
ウクライナやパレスチナではないからです。他方、それを説明する「いちじくの木」のたとえ話の中で、
3年もの間「いちじくの木」に実を探しに来ている主人とは、父である神さまのことと思われます。
そして「ぶどう園」とはイスラエルの象徴であり、「いちじくの木」はその民です。
「3年間」とは、園丁であるイエスさまの宣教生活を指していると思われます。つまり、イエスさまの宣教にもかかわらず、
回心の実を結ばないイスラエルの民が「いちじくの木」とされているのです。
今日の箇所で、ぶどう園の「いちじくの木」が切り倒されないのは、「今年もここままにしておいてほしい」との、
園丁であるイエスさまの執り成しによるものです。しかし、それは猶予されているだけで、もし、次の年にも実を結ばないのであれば、
主人である神さまによって、切り倒されてしまうかもしれません。神さまがお望みになる「回心の実を」結ばないなら、わたしたちもまた、
今日の福音にあるように、ピラトによって殺されたガリラヤ人や、シロアムの塔が倒れて死んだ18人のように滅びてしまうかも知れないのです。
わたしたちも新約のイスラエルの民として、神さまの期待に沿う、「回心の実」を結ぶことができるように祈りましょう。
今日の共同回心式にあたっては、わたしたちが、どれほどイエスさまから恵みというお世話を受けてきたかを考え、
そして、他人との比較ではなく、自分の良心に照らして、自分がどれほど努力してきたか、あるいは努力してこなかったかを素直に反省いたしましょう。
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3月16日 四旬節第2主日 ルカによる福音 9章28b節〜36節
〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、
じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。
「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、
もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
春、3月というとサクラの花の季節。幼稚園から大学まで、卒業式をサクラが彩ってくれる季節です。
風に乗ってサァーっと飛んでいく花びらのように、卒業生たちは新たな進路に向かって出て行きます。見送る側には一抹の寂しさが残りますが、
「ありがとうございました!」という卒業生たちの言葉に、「頑張れよ!」という励ましの言葉が自然に出て来ます。
さて、今日は四旬節の第2主日。福音では、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人の弟子たちが、
イエスさまの本来の姿を垣間見させてもらいます。それぞれ、教会位階、証聖者、殉教者を表す3人です。
それは「イエスさまがエルサレムで遂げようとしておられる『最期』」、つまり十字架の苦難を目撃することに備えるためだと言われています。
この「最期」という語は、ギリシア語原文では「エクスホドス」、つまり直訳で「出口」という意味ですが、
旧約聖書の目次では「出エジプト記」を指す語です。奴隷状態にあったイスラエルの民が、エジプトを脱出して、約束の地に向かうという意味です。
ですから、イエスさまが遂げようとしておられるのは、単に十字架の上での惨めな人生の終わりではなく、
その先にある輝かしい天の国の生命の始まりなのです。
わたしたちの四旬節における節制も、これに似たところがあります。節制の先には、イエスさまと同じ栄光の姿があるはずです。
しかし、天の国で受ける栄光を想像できない方には、節制すること自体が何の意味を持つのか理解できないかも知れません。
「四旬節の節制はカトリック信者の義務だから」とか、「長年の慣習だから」という説明では、ただ耐えるだけの季節になってしまいます。
この節制の先に何が待っているかを考えることによって、節制自体が「楽しい」とまではならなくとも、意味のあるものになるかも知れません。
卑近な例えになりますが、「スタイルを良くしたい」とか、「血糖値を下げたい」などの願望でも、人は節制に動かされるものです。
他人の目から見れば、その動機は不純なものであったり、とてもつまらないものであったとしても、当人にとって納得できるものであれば良いのです。
節制にはさらに、自分の欲望を抑え、それによって周囲の世界に目を向けられるようになる意味があります。
3年前の2月から始まったウクライナでの戦争や、パレスチナでの殺戮、それによって殺されたり、傷つけられた人々、
国を去らなければならなかった人々が何千人、何万人にもおよびます。遠い国々の戦争のために、日本でも貿易面や防衛論などに影響が出ています。
昔とは比較にならないほど密接に、世界中の国々はつながっているのです。それは悪い面の影響だけではないはずです。善い方への影響もあるはずです。
ほんのわずかな節制によって、日本に居ながら世界平和に貢献できれば、大きな意味を持つことができるでしょう。
自分ひとりの聖性のためでなく、世界の救いにも役立つからです。この四旬節を、より意味あるものとするために、
何か身近な目標を定めては如何でしょうか?
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3月9日 四旬節第一主日 ルカによる福音 4章1節〜13節
〔そのとき、〕イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、
一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。
それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』
と書いてある。」そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。
『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』
また、
『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
「四旬節」は、復活祭までの準備の期間で、「四十日間の季節」という意味です。それは、イエスさまがヨハネから洗礼を受けた後、
四十日間、荒れ野で修行し、断食していたこと、そして悪魔から誘惑を受けられたことから定められたものです。ですから、この前の水曜日、
「灰の水曜日」がその初日で、聖土曜日までの間となるのですが、日数で計算すると46日となっています。
元来は待降節と同じように第一日曜日から始まり、そして6週間続くものとされていたようですが、それでも42日間となります。
細かく計算する学者が、「それでは2日間も多いし、日曜日にも節制を強いるのはおかしい」として、日曜日を除外してしまいました。
そうすると今度は36日になってしまい、40日には4日足りませんので、これを補うために、その前の土曜日、金曜日、木曜日、
そして水曜日をこれに加えることになったそうです。これでめでたく「四十日間」となったはずですが、第2バチカン公会議後には、
典礼の専門家が、終わりの3日間、つまり聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日は四旬節には含まれないと言いだしました。
それは典礼色が、それぞれ白、赤、白となって、もう紫ではないからです。このように、専門家の議論は続くのですが、いずれにしましても、
四旬節は復活祭、つまりイエスさまのご復活に与るための準備の期間なので、いつ始めても遅すぎることはないはずです。
今日から節制を始める方も、引け目を感じる必要はありません。
さて、今日の福音では、荒れ野での悪魔からの誘惑が述べられます。「空腹なら、この石をパンにしたらどうか」、
「わたしを拝むなら、一切の権力と繁栄とを与えよう」、「神の子なら、屋根の端から飛び降りたらどうだ」というものです。
悪魔の登場からしても、これらの誘惑は史実とは思われませんし、単なるフィクション、飾りのように受け取られがちです。
しかし、この誘惑が一体何を示そうとしているのかを理解する必要はあります。
つまり、この悪魔による誘惑は、現実にはイエスさまの生涯の最後の場面、つまり、十字架での誘惑と試練を予告するものではないかということです。
実際、イエスさまが十字架刑を宣告される前に、ピラトは「わたしには、お前を釈放する権限があり、十字架に付ける権限もある」(ヨハネ19・10)
と言います。これは悪魔の「わたしを拝むなら」とのことばに対応しています。次に、十字架に付けられたイエスさまに向かって、
通りかかった人々の「十字架から降りて、自分を救え」(マルコ15・30)は、悪魔の「飛び降りたらどうだ」ということばに対応しています。
そして、十字架の近くに立っていた人々のうちの一人が、最期を迎え、のどの乾きを覚えられたイエスさまにすっぱいぶどう酒を飲ませようとします
(マタイ27・48;マルコ15・36;ヨハネ19・30)。荒れ野での誘惑では、悪魔は空腹となったイエスさまに「石をパンにするように」と言いますが、
キリスト教の典礼においては、パンもぶどう酒も同じご聖体の形色の種類とされていて、同じ意味を持ちます。
このように考えてみますと、福音書がイエスさまの宣教生活の初めに置いている「荒れ野での誘惑」は、イエスさまの最期の試練を前もって
示すものだと言えます。それは、この世の権力や富に惑わされないこと、神を試みることなく、その摂理に信頼すること、
そして自分の生活の糧すらも惜しまずに、神のみ旨を求めることなのです。
四旬節の始まりは、イエスさまの生涯におけるその行く末を示し、わたしたちにしっかりと節制することを促しています。
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3月5日 灰の水曜日 マタイによる福音 6章1節〜6節、16節〜18節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、
偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときには、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
それはあなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日から四旬節です。四旬節の初め:灰の水曜日(今年は3月5日)と、終わりの日:聖金曜日(4月18日)には、
満18歳から満60歳までのカトリック信者に、大斎・小斎が義務づけられています。神学生の頃に、ある先輩が灰の水曜日の日付が変わる
夜中の午前0時過ぎに食べようと、巻き寿司を買って台所に取っておきましたが、本人はその前に寝入ってしまい、
朝まで食べられなかったという話がありました。また、他の先輩は、前日の火曜日に少し賞味期限の切れたものを食べて、お腹が痛くなり、
翌日の夕方、つまり灰の水曜日になって、医師に往診してもらうと、「食べ過ぎです」と言われてしまい、
誤解を解くのに大変だったという話もありました。若い時は空腹に悩まされますが、それでもあまり邪推しない方が良いようです。
一方、太りすぎや美容のためのダイエットならば、断食も自発的に行うものですから、いつ始めても、また、いつ終わっても、
自分で決められるので気楽ですが、節制も教会から定められ、「押しつけられた」と感じると、それだけで気が重くなるものですね。
さて、公教要理のおさらいをしてみますと、教会が規定している節制のうち、小斎とは、鳥や獣などの肉を食べないこととされ、
満14歳以上の信者に、祭日に当たる場合を除く毎金曜日と、灰の水曜日に課されています。これに対して大斎とは、
一日に一回だけ十分な量の食事を摂ることができ、他は「軽く済ます」というものです。別に、「一食抜く」必要はありません。
実は、教皇庁が位置しているローマでは、一日2食が普通でしたので、別にわざわざ大斎日に食事を抜くことはありませんでした。
かえって、わたしが初めてイタリア・シエナの修道院に泊まったとき、それは聖霊降臨祭の終わったあとでしたが、朝のミサが終わって食堂に行くと、
朝食がまったく準備されていませんでした。台所のコックさんに「朝ご飯は?」と尋ねると、「えっ! 食べるの?」と反対に驚かれました。
イタリア人は、ほとんど朝ご飯を食べないで、コーヒーを一杯飲むだけなので、食事とは言えないのです。ですから「大斎」の規定は、
彼らにはあまり節制にもならないのかも知れません。しかし、これらの節制について、世界の状況を考えますと、飽食の日本とは異なり、
世界的には、まだまだ飢えに苦しむ人がいることに思いを馳せなければなりません。現代では、それゆえ四旬節には、
自分がどれほど恵まれた環境にあるのかを知って、神に感謝することが強調されています。
また儀式として、四旬節の開始日(灰の水曜日)には、司祭から頭に灰を振りかけてもらい、自分が「塵からとられて、塵にもどる」、
はかない存在であることを表します。これは、その起源を旧約時代に遡(さかのぼ)るもので、ユディト記には「地面にひれ伏し、頭に灰をかぶり... 」と、
回心と神に嘆願する際の様式が描写されています。教会の初期においては、公の回心式で、回心者が司教から頭に灰をかけられたり、
灰のかかった粗末な衣服を受け取りました。11世紀頃から、四旬節の初めとしての灰の水曜日が慣習となったそうです。
わたしたちも今日、この灰の式と大斎・小斎を実践して、今年の四旬節を開始しましょう。
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3月2日 年間第8主日 ルカによる福音 6章39節〜45節
〔そのとき、イエスは弟子たちに〕たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。
弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。
悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、
野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。
人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
このところ、腰の不具合のために、ご覧の通り杖をついて歩いています。食事当番の日の食材の買い出しには、車でスーパーに行けますので、
それほど不自由は感じません。しかし、月末になると、北浦和駅近くの銀行や郵便局に、振込や年金の引き出しに行かなければなりません。
駐車場が使えないので、農協前からバスに乗って行くのですが、それが大変です。バスの発車時刻に合わせて、停留所まで早足で歩かねばならず、
急ぐと足腰が痛み出し、息も切れてしまい、かえって早く歩けなくなります。ゆっくりしか歩けないわたしの脇を、
若い方々は自転車でさぁ〜っと抜き去っていきます。そんな時、盲人ではないのですが、よろよろと杖をついて歩いてくるわたしに、
バスやエレベーターの乗り口では、お先にどうぞとばかりに、乗り込む順番をゆずってくれる人たちもいます。
その人たちに、今日一日、神さまからの祝福がありますようにと、心の中で祈りながら、のろのろと歩き続けています。
さて、今日の福音にあるイエスさまの教えは、とりわけ、教会の司牧者に当てはまるものであり、主任司祭としては耳の痛い話です
:「盲人が盲人の道案内をすることができようか。兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、自分の目にある丸太に気づかないのか。」
しかし、ここで開き直って語らなければならないのが主任司祭の務めです。つまり、直接自分のこととして反省し、うなだれて、
黙り込んでしまうのではなく、信徒の皆さんにも共通する教えとして、厚顔にも説明しなければなりません。敢えて言わせてもらえば、
わたしも単なる人間であり、別段、優れた取り柄を持っているわけではないので、皆さんとご一緒にイエスさまの教えを味わうことにしましょう。
今日の福音箇所の後半部分でイエスさまは、「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」と言われます。ここで言われる「実」とは何でしょうか?
主任司祭としてとか、家庭の主婦としてとか、学校の生徒としてとか、それぞれの役割による「実」が問題とされているのではないでしょう。
もっと根本的に、人間として、神さまに創られた神の子としての「実」と考えることができます。素朴に考えてみると、
まず心に浮かぶのは「信仰の実り」であり、礼拝行為に表される神への愛と、隣人愛のわざとなるでしょう。表向きは洗礼を受けていても、
心の底で神さまを信じていない方であれば、礼拝行為はうわべだけのものとなります。そして、少しでも不都合や障害があれば、
何かと理由を取り繕って信仰を実践しないことになります。また、自分の周囲の人々、とりわけ、困難にある人々の存在を無視して、
援助の手をまったく差し伸べようとしないなら、これもまた、信仰の「良い実」を結んでいるとはとても言えません。
でも反対に、「自分はこれこれの良いわざを行っている」と誇るならば、その「信仰のわざ」は、単なる自己満足に成り下がってしまうでしょう。
たまたま道で出会った人の困難を、神さまが与えてくださった機会として、謙遜に隣人愛のわざを実践していくことが「良い実」を結ぶはずです。
さあ、今週の水曜日からは、いよいよ四旬節になります。カトリック信者としての自覚を深める典礼季節です。
自分の周囲に置かれた「隣人愛の機会」を、見逃さないようにしましょう。
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2月23日 年間第7主日 ルカによる福音 6章27節〜38節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の福音は先週の続きの箇所で、「敵を愛しなさい、憎む者に親切にしなさい」、そして、「人を裁くな、罪人だと決めるな」
という教えが宣べられます。自分に対して親切にしてくれる人や、身内・親族の者を愛するのは、半ば本能的な感情ですが、
イエスさまはこれを超えて、敵までも愛するように教えられます。「敵」とは元来、戦争などの極端な状況を示す言葉ですが、
誰が「敵」であるか、どこに潜んでいるかと捜し回る前に、何故それが「敵」なのかを考えてみる必要があります。
「敵」は「自分と対立するもの」という概念から始まっています。昔からの「戦争ごっこ」や「おままごと」と同じように、
現代の子どもたちが大好きな、妖怪や怪獣の場合、人類とは異なる存在として、「敵」を排除し攻撃することが、
通常まったくの善として考えられて、マンガやアニメなどのストーリーが作られています。しかし、人間は妖怪や怪獣ではありません。
にもかかわらず、愛し合うはずの同じ親族内、身内同士でも、例えば遺産相続をめぐって争えば、しばしば「敵」となってしまいます。
自分には相続する権利、取り分があるはずだと思い込んで、それを妨げる者を皆、「敵」と見なしてしまうのです。
遺産相続をめぐる抗争には、時として殺人事件にまで発展するものもあり、推理小説やホラー映画の格好の題材となっています。
つまり、初めから「敵」として存在していたのではなく、自分が「敵」を創り出したと言えるのです。
「敵」とは、自分の心の内に潜んでいた欲望や願望が、外に姿を現したものと言えるでしょう。また、愛し合ってきたはずの者同士が憎み合うという例は、
離婚についての争いにしばしば見られることです。離婚経験者の話からすると、離婚するには、
結婚するために費やした3倍以上の労力を必要とするようです。まあ、これは結婚したことのないわたしなどにはピンとこない話ではあります。
でも、このように考えると、イエスさまのお話にある、「悪口を言う者」、「頬を打つ者」、「上着を奪い取る者」などは、憎しみにしても、
まだ「序の口」と言えるでしょう。しかしその「序の口」であっても、これを押さえて解決し、さらには愛することができるためには、
どのような態度、力が必要なのでしょうか? 昔、「子は親のかすがい」と言って、両親の離婚を思いとどまらせたのは、
結局、可愛い子どもの存在であるとされていました。つまり、「子への愛情」だとされていたのです。
では、共通の子どもがないなどの、「子への愛情」という抑止力を前提としない状況でも、「敵」を愛するためには、
どのようなものが愛する力の源泉となるのでしょうか?
おそらくそれは、自分自身を冷静に見つめ直したときに、自分がどれほど取るに足りない人間であるかを自覚し、
そのような人間にも常に注がれている、神の愛に気づくことでしょう。陽差しのぬくもりのように、内側から氷の冷たさをとかしてくれる
神さまからの愛に気づく時に、自然とその愛に促されて、すべてを容認し、愛すことができるのではないでしょうか。
♪春〜よ来い、早〜く来い... 。
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2月16日 年間第6主日 ルカによる福音 6章17節、20節〜26節
〔そのとき、イエスは十二人〕と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、
ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から〔来ていた。〕
さて、イエスは目を上げて弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである。
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
10年ほど前、あるテレビ番組で「世界で最も幸せな国とはどこか?」というクイズがありました。経済的な指標についてではなく、
国民がどれほど満足しているかという観点からの問題です。正解は、ヒマラヤ山脈の東の端にある仏教王国のブータンだそうです。
国民のほとんどすべてが、王様を含めて、電子製品や家電機器を持っていないにも関わらず、現状の生活に満足しているからだそうです。
しかし、このように天国に近いような王国も、地球温暖化の影響を受けているようです。このブータンでの「スノーマンレース」を、
先月NHKテレビが放送していました。全行程のほとんどが富士山よりも高く、酸素の量は平地の半分ほどの高地で行われた、世界一過酷な山岳レースです。
番組では、参加選手たちのレースそのものよりも、地球温暖化の影響を受けて、ヒマラヤの氷河が溶け始めたための水不足、
また、氷河からの流れを堰き止める自然のダム、氷河湖が、温暖化によって決壊して起きる壊滅的な被害を大きく映していました。
その温暖化は、ヒマラヤから遠く離れた「豊かな」国々で排出した、二酸化炭素が原因となっているのです。真っ青な空に映えるヒマラヤの山々が、
被害を受けたふもとの貧しい村々とは、切ないほどに対照的でした。このブータンとは対照的に、世界的にも「豊か」と思われている国、
日本に生活する人々は、はたして本当に「幸せ」なのでしょうか? 確かに、一見、モノに溢れていますので、その意味では「豊か」なのかもしれません。
けれども、新聞やテレビで時折報道される「孤独死」や、「育児放棄」された子ども、「ヤング・ケアラー」などの問題は、
日本の社会全体としての、精神的な貧困を暴露しています。
さて、今日の福音でイエスさまは、4つの幸いと4つの不幸を示されました。貧しさ、飢え、悲しみ、周囲から理解されないことが幸いとされ、
反対に、豊かさ、満腹、笑い、周囲からほめそやされることが不幸とされています。常識的には、これらはまったく正反対のもので、
「幸い」と「不幸」が入れ替わっているように見えます。しかし、イエスさまが教えられる「神の国」が到来する終末においては、
すべての価値が逆転するのです。「神の国」の到来においては、この世的な幸いは、もしそれが神の御旨に適うものでないなら、
不幸の元凶となり、またこの世的な不幸は、教えのためにそれを耐え忍ぶ人には、大きな幸いのもととなるのです。
従って、自分の生活に満ち足りていて、何の不自由も感じていない人にとっては、「主の祈り」おける「御国が来ますように」という祈願は、
一段と恐ろしいものとなるでしょう。反対に今、さまざまな困難や苦しみにあえぐ人々には、この「主の祈り」が大きな慰めのもととなります。
尊大にも、健康だけが自分にとって一番大切な事柄で、その他には何の苦労もないと言い切る人は、貧困や飢餓にあえぐ世界中の人々や、
豊かな国の人々が勝手に排出した二酸化炭素が造り出す、地球温暖化の影響を受けている国々のことを知らないのでしょうか。
また、同じ日本に生活しながら、国籍や家庭の事情から、行政からも、また周囲の人たちや親戚からも助けてもらえない子どもたち、
そして外国籍の人々の存在を、理解していないのか、あるいは、あえて無視しているのでしょうか。
わたしたちの霊魂にとって、一番大切なものとは何かを、見失わないようにしなければなりません。
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2月9日 年間第5主日 ルカによる福音 5章1節〜11節
イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。
そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、
来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。
すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしの中学時代からの友人に、マナブ君がいます。わたしが修道会に入って司祭叙階する少し前に、彼もやっと結婚することになり、
相手を紹介してくれました。参考までにと、マナブ君に、「ところで、どうして彼女と結婚する気になったの?」と尋ねました。
すると、「ある日、二人で喫茶店に入ったときに、初夏だったので窓が少し開いていて、風がサーァっと吹き抜けたんだ。
そうしたら彼女の長い髪がパラッと顔にかかって、彼女はそれを指でかき上げたんだけど、その仕草がとても優雅に見えたので、
是非この人と結婚したいと思った。」との答えでした。へぇ〜っと思いながら次に、彼女に向かい、「どうして、貴女はマナブと結婚しようと思ったの?」
と尋ねました。彼女は、「そのとき彼は、『ごめん、ごめん』と言いながら、手にしていたタバコを灰皿で消してくれたんです。
その仕草がとても格好良かったものですから。」との答えでした。どうやら質問する方が馬鹿だったようで、実のところは二人とも、
「そんな大切なことは、他人にペラペラ話せるものではない」という回答だったようです。本当に大切な決断に至るきっかけというのは、
他人には明かせられないようです。
さて、今日の福音ではペトロの召し出しのきっかけが語られています。ペトロは自分が夜通し働いても、何もとれなかったのに、
あえてイエスさまの指図に従って網を降ろしました。すると、おびただしい魚がかかり、驚いて、「主よ、わたしから離れてください。
わたしは罪深い者なのです」と言います。そこでイエスさまから「人間をとる漁師に」と召し出されます。
常識では理解できない不思議な力をイエスさまが持っておられることを、ペトロは理解したのです。しかしそれは、
あくまでも人間としての能力を基準としたものであり、イエスさまの本当の姿を理解した後でのことではありませんでした。
その本当の理解が出来たのは、イエスさまが十字架の苦難を受けて死に、そして三日目に復活した後になります。
けれども、ペトロが最初イエスさまに従って行こうと決心したのは、漁師のペトロだけには分かる、不思議な力を見たからです。
しかし、それでもペトロはイエスさまの苦難に際しては、イエスさまを「知らない」と否定して逃げ出しています。
そして復活したイエスさまが現れてくださることにより、再度イエスさまについて行こうと決心し、自分自身の殉教に至るまで、
それは揺るぎませんでした。
召命とは、その道の最後までを完全に把握してから応じるものではなく、自分にとって充分な理由、
自分だけが分かる示しを感じとって応えていくものです。しかし、長い人生の間には、その決心を揺るがすような出来事が何度も持ち上がり、
その都度、召命の再確認を迫ってきます。
おそらく、結婚も同じなのではないでしょうか?「この人だ!」とひらめく一瞬があり、それは日常生活の何気ない言葉、
仕草の内に隠れているものでありながら、その人には決定的な意味を持つものです。人の生涯を左右する決断は、
損得勘定では測れない次元のもので、いつもその人の召し出しに関わります。しかしその決断は、一度限りで十分なのではなく、
おそらく毎日のように再確認していかなければならないものでしょう。一緒に天の国に入るまで。
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2月2日 主の奉献 ルカによる福音 2章22節〜40節
モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、
山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、
聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
シメオンが霊に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。
この救いは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
《父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
——あなた自身も剣で心を刺し貫かれます——多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いときに嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日は「主の奉献」の祝日です。イエスさまの誕生を祝った40日後に、律法(出エジプト13章)に従い、両親が、エルサレムの神殿において、
初子を神に献げたことの記念です。日本でも、子どもが生まれると、近くの神社(氏神さま)に連れて行くという「お宮参り」の風習がありました。
それは誕生後30日だったり、40日だったり、地方によって異なります。また「主の奉献の祝日」の以前の名前は、「マリアの清めの祝日」だったそうです。
マリアさまは出産されたので、日本的には「赤不浄」となります。「赤不浄」とは、出血にかかわる不浄一般を指しますが、
特に女性の生理や出産がこれに当たります。「不浄」とされると、通常の生活から遠ざけられますので、昔は会社勤めの女性なら、
「生理休暇」が毎月もらえました。出産の場合は母屋から離れた、出産の場所である「産屋」にこもって出産し、
その後、生まれたての赤ちゃんと一緒に定められた日数を過ごさなければなりません。それが30日だったり、40日だったりするわけです。
長い「有給休暇」のように思えます。でも、これはよく考えると、昔の人の知恵なのかも知れません。
昔の日本は、ほとんどが農家でしたから、そのお嫁さんたちは、立場上、朝から晩まで働きづめです。子どもを宿していても出産までは、
何とか体を動かして作業しなければなりません。しかし、魂と体の全力を使って出産した後では、少し動くのも大変で、無理に畑仕事などをすれば、
体を壊してしまいます。なるべく早く体力を回復させなければなりません。そこで「産屋」にこもっている間は、
お嫁さんの代わりにお姑さんが家事一切を引き受け、お嫁さんの分の食事も作り、産屋まで運んで来てくれるのです。
お嫁さんの方は、生まれたての赤ちゃんと二人きりで、濃密な子育ての時間をもらえるわけです。でも、「休むことができる」という表現では、
立場の弱い昔のお嫁さんたちにとり、現代女性の有給休暇とは異なり、「休み」を申し出るのは不可能だったでしょう。
そこで、「あなたは穢れているから」と決め付けられて、産屋から出ることなく、休み続けることを義務づけられるのです。
そして、その休み明けが「お宮参り」となるわけです。
さて福音の方では、老人であるシメオンとアンナが、両親に連れて来られた幼子イエスを祝福して、
「異邦人を照らす啓示の光、イスラエルの誉れ」であると宣べています。高齢となった人が、誕生したばかりの赤ちゃんを見て、その将来を祝福するのは、
自分の子でなくとも、新しい生命のなかに救いの光を見るからでしょう。当教会にも、同じように赤ちゃんや幼い子どもを連れて
ミサに与っている方々があります。子どもたちの泣き声や騒ぐ物音を、「うるさい!」と顔をしかめて叱るよりも、シメオンやアンナと同じように、
わたしたちの誉れ、救いの「しるし」ととらえ、お父さんやお母さんたちも一緒に、祝福してあげたいものです。
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1月26日 年間第3主日(神のことばの主日) ルカによる福音 1章1節〜4節、4章14節〜21節
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、
物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、
わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
〔さて、〕イエスは『霊』の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしが初めて聖書を手にしたのは、小学5年生のときでしたが、「よし、読んでやれ!」とばかりに、
新約聖書の最初のマタイ福音書から読み始めました。ところが、皆さんもご存じの通り、マタイ福音書の初めの部分は、
アブラハムからイエスさまに至る系図が記されていますので、カタカナの名前ばかりが続きます。
そのアブラハムがどんな人物だったのか、何の説明もエピソードもなく、その子ども、またその子どもと系図は続いていきます。
何の予備知識もなかったわたしは、それが終わる頃には、もうあきてしまい、聖書を読めるのは、その後、大人になってからでした。
今でも、これから勉強しようとする方には、聖書は、ぱらぱらっとめくって、出て来た箇所から、つまり綺麗な表現にすれば、
聖霊が示す箇所から、読むように勧めています。そして、もっと勉強したい方には、ルカ福音書から読み始めるように勧めています。
旧約聖書の知識なしにも分かるからです。
さて、今日の箇所の前半は、ルカ福音書の「著者の序」とされる部分で、「テオフィロさま」という人物に献呈された形を取っています。
この名前が「神を愛する者」という意味を含むことから、キリスト信者すべてに対して宛てられたものと理解できます。
ルカ福音書は、この「著者の序」に続いて、今日は割愛されていますが、「洗礼者ヨハネとイエスの誕生」(1・5〜2・52)と
宣教への準備」(3・1〜4・13)が述べられ、そして今日の「宣教開始」に続きます。ですから、ルカ福音書におけるイエスさまの宣教の第一声は、
「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき、実現した」というものなのです。
イエスさまがお読みになった聖書は、預言者イザヤの巻物(61・1〜2)なので、主の僕の使命、つまり「約束された救いの到来を告げる使命」
を宣言して宣教を開始されたのです。これをイエスさまは「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣べられました。
では、「今日」とはいつなのでしょうか? 「今日」とは、2千年前のある日ではなく、この言葉がわたしたちの耳に届いた「今日」です。
「あなたがた」とは誰なのでしょうか? イエスさまのお声を聞いていた、ナザレの会堂に集まった人々でしょうか?
しかし、この福音書は「テオフィロさま」に宛てられたものです。つまり、神を愛し、イエスさまの教えについて良く知りたいと願う人たちに
宛てられたものです。それは、イエスさまの教えについて初めて聞いた人だけでなく、既に何度も何度も聞いている人、わたしたち、
既に信者となった者にも宛てられているのです。わたしたち自身が「貧しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる」とき、この言葉が「実現した」とされるのです。
つまり、聞くだけではなく、実際に、経済的に貧しい人、因習に捕らわれている人、救いへの希望が見えない人に、
解放と光をもたらすことが言われているのです。
このように考えると、世知辛い社会にあって、さまざまな制約を受けている人、絶望の淵に瀕している人、困窮している人々が、
自分の周囲には多くいるのに気づくときにこそ、イエスさまの言葉が思い出されるのです。
「主の霊がわたしの上におられる。」イエスさまはこの言葉によって、ご自分の使命をはっきりと自覚され、宣教を開始されました。
イエスさまの弟子となったわたしたちも、自分の使命を思い起こして、隣人愛のわざを捧げなければなりません。
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1月19日 年間第2主日 ヨハネによる福音 2章1節〜11節
〔そのとき、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、
「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、
かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、
世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
福音では、婚礼の最中にぶどう酒が足りなくなり、イエスさまが水をぶどう酒に変えるという奇跡をなさいます。
イエスさまが相当な酒好きであったなどと考える必要はありません。イスラエルの結婚式は3段階に分けて理解できます。
まず、花婿の家族は、彼が結婚を切望する若い女性の親と婚約を取り決めます。この婚約はラビからの離婚許可書なしには破棄されることができません。
そのためこの段階で既に結婚したものと見なさているのです。もし、その後に他の異性と性交渉を持つなら、これは姦通したことになり、
律法の規定に従えば「石殺し」になる可能性があります。ですから、イエスさまを身ごもった時のマリアさまは、
大変危うい状況に追い込まれていたのです。さて、結婚の次の段階は、人々の前でのお披露目と祝杯です。
まず、ぶどう酒と式のための祝福が行われます。次いで、花婿と花嫁が天蓋の下に立ち、花婿が花嫁に指輪を渡します。
結婚証書が読まれ、もう一度ぶどう酒が祝福されて、結婚のための七つの祝福の言葉が唱えられます。
それは、ぶどう酒、被造物、男、女、シオンの出来事、結婚の喜び、イスラエルの回復についての祝福です。その都度、参列者は祝杯を挙げます。
そして第3の段階は、花婿と花嫁が一室に退いて二人だけとなり、結婚式は完了します。饗宴は3日から7日間続くとも言われます。
ですから、今日の福音箇所はこの結婚式の第2段階にあたるもので、乾杯が終わらなければ結婚の祝福が中断されることになってしまうのです。
単に酒飲みどもの欲求を満たすための乾杯ではなかったのです。
また「宴会の世話役」は、イエスさまが変化させたぶどう酒を味見して、良いぶどう酒だと言いましたが、彼が現代のソムリエのように、
ぶどう酒を鑑定する専門家であったとはされていません。ただ一口飲んだだけで分かるほどの違いがあったということです。
それは、当時は、秋に実を収穫して発酵させたぶどう酒を長く持たせるために、アルコール度数と糖度を上げて腐敗を防がなければなりませんでした。
焼酎ほどのアルコール度数になったと言います。これを実際に飲む場合は、適度に水で割って飲まなければなりません。
糖分のあまり多くないブドウで造ったものは、長く置くと酸化して、半ば酢になってしまうので、海水のような塩水で割ってごまかしたようです。
そうすると塩味の混じったぶどう酒となります。宴会の世話役は、まったく塩味のしない純粋なぶどう酒を一口味わって、
「良いぶどう酒だ」と花婿をほめたのです。
さて、イエスさまは母マリアさまに「婦人よ」と呼びかけています。サマリアの女性に呼びかけたとき(ヨハネ4・21)と同じ言葉なので、
自分の母親に対するものとしては、とても他人行儀で冷たい印象を与えてしまいますが、少しイエスさまの意図は異なるものだったでしょう。
別の箇所、受難の箇所では、十字架の下に立つマリアさまに「婦人よ、これはあなたの子です」(ヨハネ19・26)と愛する弟子を示しています。
その意向として、マリアさまがキリストを信じるすべての者の母親となることを願ったのであれば、
人類の始祖であるエワと対比されていることが分かります。つまり、エワが罪を犯すことによって、その子孫のすべてに原罪の害悪を
及ぼしたのに対して、マリアさまは、すべてのキリスト信者のために恵みを執り成す母と立てられたと言えるのです。
まさにカナの婚礼の場面もこれに当たります。
わたしたちの生活において、それほど高尚ではなくとも、身近で切実な事柄を、直接神さまやイエスさまには気恥ずかしくて
お願いできないようなことも、母であるマリアさまには打ち明けることができ、マリアさまは必ず執り成してくださるのです。
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1月12日 主の洗礼 ルカによる福音 3章15節〜16節、21節〜22節
〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。
わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
先週の中頃から学校などの冬休みが終わり、授業が再開されたようです。隣の幼稚園でも金曜日に始業式となり、
朝と昼の送り迎えも再開されたようです。休み中にたっぶりと家族の愛情に甘えていた子どもたちには、
また「親離れ」の試練のときとなります。
さて典礼では、降誕節の締めくくりとして今日は「主の洗礼」を祝い、明日の月曜日からは年間の典礼となります。
福音では、イエスさまが聖家族に守られた生活から、宣教生活に踏み出すことを示して、イエスさまご自身がヨルダン川で、
洗礼者ヨハネから洗礼を受け、そのとき三位の神性の現れたことが紹介されます。御父は「天からの声」として、また聖霊は「鳩のように見える」姿で、
そしてイエスさまは「祈る人」として描写されます。この洗礼の後、イエスさまは荒れ野での試みを受けられ、それから宣教を開始することになるのです。
イエスさまの洗礼において三位の神性が現れることから、その後の宣教生活におけるイエスさまの言葉とわざは、常に三位の神のわざ、
つまり御父そして聖霊のわざでもあることが示されているのです。
特に御父については、「天からの声」と表現されます。旧約聖書の創世記には、天地創造の第1日目に、神が光あれと「仰せになる」と、
そのとおりになったとされています(創世記1・3)。そして続く第2日目も第3日目も、第6日目まで、神は「仰せになる」ことを通して、
そのわざを行われます。このため、「創造する方の声」として表現されていると理解できます。御父は創造主なる神なのです。
同じように聖霊は、神の霊として、天地創造の初めに、「水の上を覆うように舞う」姿で描かれます(創世記1・2)。
フランシスコ会訳聖書の注釈を見ますと、「『覆うように舞っている』という動詞(ラヘーフェー)はまれにしか使われない語で、
鷲が雛鳥を飛ばせようとして、その巣の上を舞っている様を描く申命記32章11節に用いられている」とあります。
イエスさまはそのとき、「洗礼を受けて祈っておられます。」創世記の天地創造の箇所にあてはめれば、「深淵」のように静かな状態です。
このことは、聖霊が「鳩のように降って来る」ことの理解を助けるもので、「まったく霊的でない存在の上に聖霊が降った」のではなく、
同じ霊的な本質を持つ方、イエスさまの上に舞う(降る)ことにより、その霊的本質を発露させるよう促している様を描くものとなります。
このように、創世記における天地創造の初めを描写する神の働きが、再びイエスさまの洗礼において行われることによって、
イエスさまが「新しい世界」を創造し、開く方として示されていることが分かります。
すべてを新しくされるイエスさまへの信仰を新たにして、わたしたちもまた、新しい年をご一緒に築いてまいりましょう。
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1月5日 主の公現 (祭日) マタイによる福音 2章1節〜12節
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレム
に来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、
拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや
律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民、イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを
詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて
出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物
として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
公現とは、隠れていた神が公にその実の姿を現すという意味です。その意味では、今日の福音にある、
1)占星術の学者たちによって幼子のイエスさまが拝まれたという箇所だけでなく、2)洗礼者ヨハネからイエスさまが洗礼を
お受けになったときに、神の霊が鳩のように降り、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声
がしたというイエスさまの受洗の箇所(マタイ3・17;マルコ1・11;ルカ3・22)、そして、3)山の上で弟子たちの前でイエスさま
の姿が変わり、モーセとエリアが現れ、そして光り輝く雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」
との声がしたというご変容の箇所(マタイ17・1ー5;マルコ9・2ー8;ルカ9・28ー36)があります。一方、イエスさまがこの世に現れた
という固有の意味で、クリスマスの一環として御公現が祝われ、以前は東方典礼の降誕祭に合わせて、1月6日にお祝いしていました。
御公現の中で重要な役割を担っているのが占星術の学者たちとその贈り物です。学者たちの名前は、伝説によればカスパー、
メルキオール、バルタザールです。ローマ留学していた頃、ドイツ人の同級生が主任を務めていた小教区で冬休みを過ごしたことが
ありました。彼の小教区では、御公現の祭日に子どもたちが占星術の学者たちの扮装をして各家庭を訪問し、今年でしたら
「2+C+0+M+2+B+5」と玄関のドアにチョークで書いていきます。西暦を表す数字とアルファベットの合わさったこの文字を、
子どもたちは占星術の学者たちの名前、カスパー、メルキオール、バルタザールの頭文字だと思っていたようですが、友人によると
それは "Christus Mansionem Benedicat"(キリストがこの家を祝福してくださいますように)というラテン語の頭文字だそうです。
降誕祭の飾りの馬小屋では、学者たちは白人と黒人、そしてアジア人を代表するような肌の色です。この学者たちが献げた贈り物は、
黄金、乳香、そして没薬です。黄金は権威を表し、キリストの王職のため、乳香は神さまへの献香に使う、祭司職のため、そして
没薬は古くは医師の務めも担っていた預言者の職務のためとされます。
しかし、このような献げ物としての考察よりも、学者たちが持って来た宝物は、その後どのように使われたのだろうかと気になります。
子どもたちにも分かる説明としては、次のようになります:イエスさまが誕生して間もなく、ヘロデ王による追求の手を逃れるために
聖家族はエジプトに行きました。そこでは陽射しがとても強かったので、マリアさまは赤ちゃんのイエスさまの日焼け止めのために
「乳香」を使いました。また時が流れて、大人となったイエスさまが教えを宣べ伝えたために十字架に付けられてしまったとき、
マリアさまは埋葬のために「没薬」を使いました。では、黄金はどうなったのでしょうか? 実は、イエスさまが復活して弟子たちを
遣わして、全世界で教会を作り始めたとき、マリアさまはその中心となった司教さまたちに、それぞれ「黄金」の指輪を作ってあげた
とのことです。現代でも司教さまたちは、その権威を表す指輪をつけています。学者たちの贈り物は、イエスさまの生涯のみならず、
その後の教会にまで助けとなったという次第です。
子どもたちがしっかり勉強して、将来は立派な学者になることができたら良いですね。
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1月1日 神の母聖マリア ルカによる福音 2章16節〜21節
〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、〔彼らは、〕この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今日は元旦、新しい年が始まる日です。
日本では、新年というと、元日だけでなく、1月一杯いろいろな行事が企画されます。しかし、ローマでは新年の祝いというと、
1日(ついたち)だけです。午前零時の時報とともに、教会の鐘を鳴らすだけでなく、人々もそれぞれの家でパンパンとクラッカーを鳴らしたり、
自動車のクラクションを盛大に鳴らしてお祝いします。
下町のトラステベレ地域などでは、ローマっ子が古くなったものをアパートの窓から投げ捨ててしまうため、朝早く外出するときには、
道路上に投げ捨てられたモノをよけながら歩かなければなりません。もちろん、市の清掃局は、もう午前3時ころから道路の清掃を始め、
元日の教皇さまのミサに与ろうとする善男善女の邪魔にならないようにしています。
さて、1日だけでは終わらない、日本の年中行事では、年が新しくなってから初めて行う「〇〇初め」という表現が、
この日を基準にいろいろな分野で使われます。例えば、書道の「書き初め」や消防の「出初め式」、
皇室などでの優雅な「歌会始」(うたかいはじめ)があります。アマチュア・スポーツでは、例えば、
箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)が2日と3日に、また花園高校ラグビー(全国高等学校ラグビー・フットボール大会)は、
暮れの12月27日から1月7日にかけて行われますが、年の初めだからというより、学校が冬休みだったり、普段は混雑する国道1号線で
交通の邪魔にならないという理由もあるようです。
一方、教会の典礼暦年は、イエスさまが誕生したクリスマスを中心に考えていますので、待降節の第1主日がその始まりです。
でも、もう一つの教会の暦、聖人暦は、1月1日の「神の母聖マリア」の祭日に始まり、12月31日の「聖シルヴェルストロ1世教皇」の記念日で終わります。
ですから、大晦日にウイーンで行われるクラシック音楽のコンサートは(ドイツ語式では)「ジルベスター・コンツェルト」と呼ばれ、
翌日の元旦に行われる「ニューイヤー・コンサート」と同じ演目を行うそうです。年の終わりと年の始まりに、同じ曲を上演することは、
年が改まることによって嫌なこと、不幸なことに区切りをつけようとするよりは、神さまからの祝福の連続を願っているようです。
このように、世界中で新しい年の始まりをお祝いしていますが、特に日本では、毎日曜日の他に、信徒が集まりやすい日として、
1月1日の「神の母聖マリア」の祭日と8月15日「聖母被昇天」の祭日には、平日であっても教会に行ってミサに与るよう、
すべての信徒が義務づけられています。
日本人にとって重要な日なので、どこかの神社やお寺に参詣に行くよりは、教会に行って祈りなさいという趣旨なのでしょう。
神さまからの祝福を受けて始めることによって、この一年間が平和で実り豊かでありますようにと祈る思いは、宗教や文化を越えて、
すべての人に共通するものです。この年もまた、世の人すべてに、豊かな祝福が与えられる年であるように祈りましょう。
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