司祭のメッセージ

4月21日 復活節第4主  ヨハネによる福音 10章11節〜18節

〔そのとき、イエスは言われた。〕「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。—— 狼は羊を奪い、また追い散らす。
—— 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。
その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。
それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。
わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

主任司祭の説教

新学期も始まり、幼稚園に入ったばかりの子どもたちも、それぞれの新しいクラスや友だちに慣れはじめてきているようです。
でも、先日の報道では、大学を卒業して就職したばかりの人の中に、希望した職種ではなかったとか、職場の環境に慣れないという理由から、
はやくも辞職した方が多くあると報じられていました。新しい環境に入るのは、若い人たちのみならず、大変なことです。
さて、今日の福音でイエスさまは、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる」と言われます。
この箇所についてフランシスコ会訳聖書の注釈では、「『この囲いに入っていない羊』とは、まだキリストを信じていないユダヤ人や異邦人のこと。
彼らもイエスの声を聞いて信じる。キリストを信じる者が、新しい『神の民イスラエル』、すなわち教会を形作る。」としています。
キリスト教国において、この「囲いに入っていない」という言葉は、洗礼によって教会という「囲い」に、まだ入っていない人を指すのだろうと思われてきました。
でも、「洗礼」を受けさえすれば、自動的に「イエスさまの囲い」に入ることになるのでしょうか?
つまり、洗礼を受けて教会の洗礼台帳に名前が記載されれば、その後どんな生活を送っても、天国に入ることが保証されるのでしょうか?
そのとおりだとは、簡単に言いたくありません。日常生活の中でイエスさまの教えを実践しない限り、イエスさまに導かれているとは言えないはずだからです。
秘跡としての洗礼を受けるだけでなく、日常生活においてもキリスト者であることが重要で、そのためには、信徒としての義務を果たすことが肝要だと言えます。
その義務の第一は、日曜日と守るべき祝日にミサに与ることとされています。
けれども信仰生活を長く続けると、自分の体調不良からだけでなく、家族や仕事の都合のために、実践できない日も生じてきます。
その際には、この義務の根底にある、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」という、イエスさまからの命令を思い出すべきでしょう。
「ミサに与る」というのは、この掟を遵守するために教会の定めた一つの方法だからです。
また他方で、日本の社会が全体として「キリスト教的」でない中で、「洗礼の秘跡」は受けていないけれども、良心に従った生活を送り、
隣人愛も実践している方が多くあります。そのような方たちが、「この囲いに入っていないほかの羊」と言えるのだろうかと考えてしまいます。
イエスさまは「この囲いに入らない羊」ではなく、まだ「この囲いに入っていないほかの羊」と仰っているからです。
そうすると、「この囲いに入らない」方々は、すでに「入っている羊たち」に邪魔されているからか、あるいは
自分が抱える固有の問題、妨げのために「入れない」のか、と考えてしまいます。
しかし、このように考えるのも、単なる人間的側面を対象にしているためかもしれません。
「ミサに与る」という言い方自体が、すでに人間中心的になっているからです。
そもそも御ミサは、わたしたちの救いのために、イエスさまが御自分の命をかけて定めてくださったものです。
御自分のもとにわたしたちを集めたい、天の国に招きたいという、イエスさまの強い望みから定められたものです。
このイエスさまからの招きに、わたしたちは感謝して与らせていただくだけで、
自分の都合を優先させた上で、あたかも「与ってあげる」的な態度で日曜日に教会に来るのは、感謝の気持ちに欠けているとしか言いようがありません。
他の人はどうであれ、自分がイエスさまから招かれていることに、感謝しなければならないと言えるでしょう。

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4月14日 復活節第3主日   ルカによる福音書 24章35節〜48節

〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、
亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、
わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、
まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。
「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、
その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」

主任司祭の説教(濱田神父)

  先日の嵐で、せっかく咲いたサクラがすべて散ってしまったかと案じておりましたが、どうやら枝にしっかりと残った花もまだまだ
あるようです。それにしても、急に暖かくなってきましたね。若い修練者の斎藤君が、もう元気なTシャツ姿でいるのを見ると、
余計に年齢差を感じさせられます。
  さて今日の福音箇所では、復活したイエスさまも、元気な体を持っていることを示すために、手や足をお見せになり、その後に、
焼いた魚を弟子たちの前で食べて見せます。 体の復活について勉強会などで話すと、「何歳くらいの体に復活するのですか?」
と尋ねる方がおられます。「何歳くらいだと思いますか?」と問い返しますと、自分は既におばあちゃんになってしまったから、
できるなら、若い頃、20歳くらいのピチピチした体に復活したいそうです。確かに、死ぬ間際の、ベッドに寝たままのような状態に
蘇生したとすれば、またもう一度息を引き取るのを待つだけで、何の意味もないかも知れません。かといって、あまり若すぎる、
赤ちゃんのようでは、「復活」というよりは「生まれ変わり」に近くなってしまいます。では、どのような「体」なのでしょうか?
 ヒントとなるのは、復活したイエスさまで、魚を食べただけでなく、戸が閉めてあったのに部屋の中に入ってきたり、また、
エマオに向かう弟子たちやエルサレムに集まった弟子たちなど、何カ所にも同時に現れたりします。しかも、そのお体には、
十字架の苦難の際に付けられた傷痕が、痛々しく残っているのです。
 復活したイエスさまが、すべての人の罪科を身に負って十字架に付けられたことを示す傷痕を持っておられたことからも分かる
ように、復活とは、他の存在になって生き返るのではなく、その人そのものとして復活するのです。十字架の傷痕とは、イエスさま
の地上での宣教生活の終わりに付けられたものであり、イエスさまの「生涯の総決算」を刻むものです。つまり、イエスさま
「らしさ」を端的に現すものだと言えます。しかも、戸が閉めてあったのに部屋の中に入ってきたり、何カ所にも同時に現れたり
ということは、時間や空間という、この世での制約から免れた自由な存在と言うことができます。
これはどのように理解することができるでしょうか? わたしたちの場合には、おそらく、「愛に満たされて、愛に動かされた生き方」
とでも理解できるでしょう。例えば、ある若夫婦の住む家が、真夜中に火事になったとします。外から「火事だ!火事だ!」と叫ぶ声で、
若夫婦は飛び起きて、安全な場所にまで逃げ出します。やっと安心できる所に来て、振り返ると、赤ちゃんを家に残したまま逃げて
きたことに気がつきます。「赤ちゃんが、まだ火の中にいる!」と、若いお父さんは、周囲の人が止めるのも聞かずに、炎の中に
飛び込んで、赤ちゃんを救い出そうとします。そこは、つい先ほど命からがら逃げ出したところであるのに、自分の身の安全や、
燃えさかる炎などはまったく考えもせず、ただただ、赤ちゃんが寝かされていたベッドにたどり着こうとします。
 このように、愛に突き動かされて行動するとき、人をこの世の価値や制約で縛ることはできません。その人は既に、時間と空間に
縛られた世界にはいないからです。イエスさまが示された復活とは、愛に満たされ、愛に動かされた生き方をすることなのです。

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4月7日 復活節第2主日(神のいつくしみの主日)
    ヨハネによる福音 20章19節〜31節

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、
あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、
「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、
この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、
信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、
あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

主任司祭の説教(濱田神父)

 やっと桜が満開になったのに、「花冷え」あるいは「桜冷え」と言われる気候になりました。先週の復活祭の晴天は、やはり神さまが
計らってくださっていたのでしょうか。そして、このぐずついた天気が示しているのは、普通の生活、通常の活動に戻りなさいとの、
神さまからの合図なのでしょうか。特別な祭日だけの信仰ではなく、普段着の信仰を身につけたいものです。
 さて、今日の第一朗読の「使徒たちの宣教」では、信じた人々が心も思いも一つにして、すべてを共有していたと伝え、第二朗読の
「使徒ヨハネの手紙」では、「イエスがメシア(救い主)であると信じる人は皆、神から生まれた者です」と宣言されます。
また福音では、週の初めの日の夕方に、家の戸に鍵をかけて弟子たちが集まっているところへ、イエスさまの現れたことを伝えています。
出現したイエスさまは、手とわき腹とをお見せになって、御自分が十字架の苦しみを受けた本人であることを示し、弟子たちに
息を吹きかけて、聖霊をお与えになります。
 ところで、なぜ弟子たちは「週の初めの日」、つまり日曜日に、一緒に集まっていたのでしょうか。福音書は「ユダヤ人たちを恐れて」
と理由を述べていますが、それは、教会がその始まりにおいて、「ナザレのイエスをリーダーとする、ユダヤ教の異端者グループ」
として理解され、周囲から迫害を受けていたからでしょう。しかし、弟子たちは単に隠れていたのではないようです。イエスさまがそ
こに現れることによって、それがイエスさまの教えを信じる者たちの集い、原初の集会祭儀の描写であることが分かります。
何よりも「八日の後」、つまり日曜日ごとに集まることによって、「主の復活」を記念する集いとなるのです。「八日目」とは、
一週間が終わった次の日です。創世記によれば、主なる神は天地を七日間で創造されました。このため「八日目」とは、新しい
一週間の初めだけでなく、新しい天地創造の始まりをも示すことになります。イエスさまの復活によって、新しい天地が始まるのです。
またイエスさまは、弟子たちに「手とわき腹」とをお見せになります。現れた方が、弟子たちと共に宣教生活を送り、十字架の苦しみを
受けて死に、墓に葬られた方そのものであることを示すためです。復活なさったイエスさまは、弟子たちに息を吹きかけて聖霊を与えられます。
それは弟子たちを遣わして、人々に罪の赦しを得させるためでした。その後、イエスさまはトマスのために再び現れて、
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言います。これに対してトマスが言った、「わたしの主、わたしの神よ」という言葉は、
イエスさまが「自分の先生」であるばかりでなく、「神」そのものである方、「主なる神」(ヤーウェ)であることを信仰告白しています。
ヨハネ福音書の冒頭の、「初めにことばがあった」という箇所に呼応する、信仰告白なのです。
 イエスさまを信じるとは、イエスさまの教えを信じることです。イエスさまの教えを信じる者は「弟子」となり、信じたことを他の
人々にも伝えることによって「使徒」となります。このことから、イエスさまが復活なさったのは、弟子たちを「使徒」に変容させるため、
言い換えれば、新しい天地創造のためであったと理解することができます。その新しい天地創造のために、使徒たちの伝えているものが
福音であり、イエスさまの教えを自分の生活に受肉させること、それこそが、永遠の命であり、まことの幸せに至るというメッセージです。
わたしたち皆が、「使徒」の賜物を与えられているのです。

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3月31日 復活の主日 (日中のミサ) ヨハネによる福音 20章1節〜9節

週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行き、墓から石が取り除かれているのを見た。
そこで、シモン・ペトロの所と、イエスが愛しておられたもう一人の弟子の所へ走って行って言った、「誰かが主を墓から取り
去りました。どこへ置いたのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロともう一人の弟子は、出かけて墓に向かった。
二人は一緒に走っていったが、もう一人の弟子のほうがペトロより速く走って、先に墓に着いた。そして、身をかがめてのぞき込むと、
亜麻布が平らになっているのが見えた。しかし、中には入らなかった。彼に続いてシモン・ペトロも来て、墓の中に入ってよく見ると、
亜麻布が平らになっており、イエスの頭を包んでいた布切れが、亜麻布と一緒に平らにはなっておらず、元の所に巻いたままに
なっていた。その時、先に墓に着いたもう一人の弟子も中に入ってきて、見て、信じた。二人は、イエスが死者の中から必ず復活
するという聖書の言葉を、まだ悟っていなかった。

主任司祭の説 教(濱田神父)

 御復活おめでとうございます。病気や身体の不具合などの理由から、あるいは他の種々の妨げのために、教会の全員でそろって
お祝いすることができないのが残念ですが、それでも時間や場所を違えて、共に主の復活をお祝いしましょう。
 お読みしました今日の福音は、フランシスコ会訳聖書による、主の復活を伝える箇所です。復活の日の朝、婦人たちからの
知らせを受けて、ペトロともう一人の弟子は、イエスさまの葬られた墓に急ぎます。そこで二人が遭遇したのは、「遺体」がない
という事実です。遺体を覆っていた亜麻布は元の場所にありましたが、平らになっていました。一方、顎を締めるために頭を包んで
いた布切れ(スーダリオン)は、亜麻布の中にそのまま残っていて、ポコンと盛り上がって見えます。マルコ福音書によれば、
イエスさまは最期に十字架上で「大きな叫び声をあげて、息を引き取られた」とあります。埋葬の際に、口が開いたままにならないために、
遺体の顎は丁度「おたふく風邪」に罹ったときのように、手ぬぐいで締めておかなければならなかったのです。しかし、この布切れを
亜麻布の間にそのまま残して、遺体だけを運び去ることはできません。これは他の「誰かが主の遺体を墓から取り去った」のではなく、
イエスさまの遺体が、その場所で煙のように消えたことを描写しています。ヨハネ福音書が伝える復活の状況は、通常の理解を超える、
本当に深い謎に包まれています。
 ペトロが主の復活を悟るのは、その日の夕方になってからでした。戸口には鍵を掛けて弟子たちが集まっていた部屋の真ん中に、
イエスさまが現れて「あなたがたに平和があるように」と仰ったのです。そしてイエスさまは、弟子たちに息を吹きかけて聖霊を
与えられました。十字架上で息を引き取るまでのイエスさまは、反対する者や信じない者でも見ることのできる存在でしたが、
復活した後のキリストには、信じる者、弟子となる者だけが出会うのです。
 このように「墓」は、イエスさまの宣教生活と復活後の姿を繋ぐものでありながら、そこにイエスさまのかつての姿を探し求めても、
見ることも会うこともできない「空の墓」なのです。わたしたちのこの世での生活は、この「空の墓」にも似ています。
自分の力だけで生きようとするときに、その行く先はすべて閉ざされ、否定されてしまうような状況です。でも、その「空の墓」は、
復活した主が弟子たちに聖霊を与えることにつながるもので、弟子たちの方が、いわば信仰上の「さなぎ」の状態にこもって、
美しい蝶へと変身できるためのものだったのです。「空の墓」の神秘は、復活の神秘でもあります。言葉では言い表すことのできない、
深い信仰上の確信が、この神秘によって表現されているのです。

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3月30日 聖土曜日・復活徹夜祭  マルコによる福音 16章1節〜7節

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、
週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」
と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、
白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。
若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方復活なさって、
ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。
『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 ご復活おめでとうございます。多くの方々が、この復活祭のために四旬節前から準備を進め、とりわけこの一週間は忙しく
働いていただきました。本当にありがとうございます。また、今夜の典礼には直接与っておられなくとも、わたしたちの信仰の
原点とも言える、「主の復活」を祝っているすべての方々に、おめでとうございますと言わせていただきます。
 さて、今夜の典礼では、まず復活のシンボルであるローソクの祝別を行い、復活賛歌の後、創世記、出エジプト記、ローマ書が朗読され、
そしてマタイ福音書からイエスさまの復活が語られました。創世記が読まれますのは、イエスさまの復活が天地創造の初めから、御父なる
神によって計画され、準備されてきたことを示しています。そして、出エジプト記ではイスラエルの民が紅海を渡って約束の地に入ったこと、
その意味で、ご復活は、死から生の世界へ渡ることと言えます。けれども、ただいま朗読しましたように、その最も重要で中心的な、
復活の証言となるはずの最初の報告は、「天使によって復活が告げられた」という、理解しがたい出来事でした。安息日が明けた日曜の朝早く、
墓を訪れた婦人たちに、まず主の復活が告げられたのです。婦人たちはこの喜びに満ちた知らせを、直ちに弟子たちに伝えるよう指示されます。
しかし、弟子たちのもとに行く途中で、すでにイエスさまは婦人たちに近寄り、天使のことばを裏付けなさるのです。
 復活についての福音書の記述は、人間的論理による解明を一切拒むものであることを示しています。
「天使によって教えられる」復活についての理解は、婦人たちがそうであったように、人間的な論理によるのではなく、復活された
主・キリストとの直接の出会いによって得られるものです。それは、要約したり、一般化したりすることのできない、個々の信仰者による、
個人的出会いによって初めて得られるものなのです。主との出会いが人格的であり、個人的である以上、一人として同じ体験を持つことは
ありません。
 今日の福音では、天使たちと復活なさったイエスさまは、「弟子たちにガリラヤに行くように」と婦人たちに告げます。ガリラヤとは、
弟子たちが最初にイエスさまと出会った地、自分たちの信仰と召命の原点とでも言うべき土地です。わたしたちにとっても同じでしょう。
弟子たちが主の十字架の死という、とてつもない困難に遭遇して、絶望の淵に立たされたとき、主は、ガリラヤに、イエスさまと最初に
出会った地に行くようにと命じられているのです。わたしたちが信仰に迷ったとき、信じることに疑いが生じたときも同じでしょう。
イエスさまは、まず自分の信仰の原点に立ち戻ることが重要だと教えておられるのです。
 イエスさまはわたしたちと共に、常にわたしたちの先を歩んでおられます。そのお姿に気づいたとき、わたしたちは信仰の原点から
再出発することができるのです。

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3月29日 聖金曜日・主の受難  
       ヨハネによる主イエス・キリストの受難(ヨハネ18・1〜19・42)

C 〔夕食のあと、〕イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちと
    共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役
 たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器をてにしていた。イエスは御自分の身に起こることを何もかも知って
 おられ、進み出て、言われた。
╋ 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは答えた。
S 「ナザレのイエスだ。」
C イエスは言われた。
╋ 「わたしである。」
C イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、
 地に倒れた。そこで、いえすは重ねてお尋ねになった。
╋ 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは言った。
S「ナザレのイエスだ。」
C すると、イエスは言われた。
╋ 「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
C それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。
 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかr、その右の耳を切り落とした。
 手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。
╋ 「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
C そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。
 彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに
 助言したのは、このカイアファであった。シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合い
 だったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう
 一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。
A 「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
C ペトロは言った。
A 「違う。」
C 僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
 大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。
╋ 「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは
 何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話した
 ことを知っている。」
C イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。
A 「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」
C イエスは答えられた。
╋ 「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」
C アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。
A 「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」
C ペトロは打ち消して、言った。
A 「違う。」
C 大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
A 「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
C ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。
A 「どういう罪でこの男を訴えるのか。」
C 彼らは答えて、言った。
S 「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」
C ユダヤ人たちは言った。
S 「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」
C それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。
 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出した、言った。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
C ピラトは言い返した。
A 「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、
 部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
C そこでピラトが言った。
A 「それでは、やはり王なのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
 真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
C ピラトは言った。
A 「真理とは何か。」
C ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。
A 「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。
 あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」
C すると、彼らは大声で言い返した。
S 「その男ではない。バラバを。」
C バラバは強盗であった。そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、
 紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、平手で打って言った。
A 「ユダヤ人の王、万歳。」
C ピラトはまた出て来て言った。
A 「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」
C イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは言った。
A 「見よ、この男だ。」
C 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。
S 「十字架につけろ。十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
C ユダヤ人たちは答えた。
S 「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
C ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、イエスに言った。
A 「お前はどこから来たのか。」
C しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。
A 「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
C イエスは答えられた。
╋ 「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
C そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。
S 「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
C ピラトは、これらを言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。
A 「見よ、あなたたちの王だ。」
C 彼らは叫んだ。
S 「殺せ、殺せ。十字架につける。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」
C 祭司長たちは答えた。
S 「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」
C そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。
 イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタというところへ向かわれた。
 そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、
 ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。
A 「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください。」
C しかし、ピラトは答えた。
A 「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ。」
C 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、
 それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、話し合った。
A 「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」
C それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。
 兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが
 立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に言われた。
╋ 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」
C それから弟子に言われた。
╋ 「見なさい。あなたの母です。」
C そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。
╋ 「渇く。」
C こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた
 海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。
╋ 「成し遂げられた。」
C 〔そして、〕頭を垂れて息を引き取られた。 (頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
 その日は準備の日で、翌日は徳辺悦の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、
 足を折って撮り下ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、
 もう一人の男の足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、
 兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、
 その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
 これらのことが起こったのは、「その骨は人とも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、
 「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、
 そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、
 ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、沒薬と沈香を混ぜた物を
 百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

今日の典礼は沈黙がテーマです。
御子が十字架の苦難を受けて亡くなるという事態に際しても、父なる神は沈黙し続けます。他の共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では、
「我が神よ、我が神よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)という、十字架上での
イエスさまの叫びを記録していますが、今日のヨハネ福音書にはありません。その代わりに、「渇く」という言葉が記されています。
何に渇いておられたのでしょうか? 単に喉が渇いたというより、御父のお言葉、お応えに渇いておられたのではないでしょうか。
そして、御父の側の沈黙があり、その後に、イエスさまは「成し遂げられた」と述べられます。つまり、その沈黙は、ただ間が空いた
だけではなく、イエスさまの心の内における葛藤と、その後に満たされた何らかの示しであったのです。
さらに、イエスさまもまた、ピラトの尋問で最も重要な二つの質問、「真理とは何か」、「お前はどこから来たのか」に対して、
そのどちらにもお答えになりません。もし仮にイエスさまが、真理とは「これこれである」という形でお答えになれば、
それはもう言語化されたことによって相対化され、真理そのものを示すものではありません。また、「どこから」という質問も、
イエスさまがガリラヤ出身であることは、ピラトも知っていた上でのものなので、その質問は、「イエスさまは何者なのか」という
イエスさまの自己理解を問うことになります。従って、これに応えないということは、「イエスさまとは何者なのか」への応えを
要求する問いかけとなってピラト自らに戻って来ます。
 つまり、今日の典礼で示され沈黙は、わたしたちにも「イエスさまとは一体わたしにとって何者なのか」という問いかけとなって
 戻ってきている沈黙なのです。

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3月28日 聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ
                                             ヨハネによる福音 13章1節〜15節

   過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、
この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださる
のですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたは
わたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
  さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師である
わたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、
あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 聖木曜日となりました。今日からの三日間は、典礼上最も大切な三日間とされて、四旬節にも復活節にも属さない、特別な期間です。
三日間が全体として、イエスさまの過越秘義を表していますので、イエスさまの宣教生活の総括である御聖体の意味と苦難の意味、
御父による沈黙の意味と復活の意味のすべてが、この三日間の典礼で表されています。今日の典礼ではこのために、御聖体の意味が中心
となって記念され、御聖体の制定とそれに対するわたしたちからの応答としての聖体礼拝が行われます。
 まず福音では、最後の晩さんにおいて、イエスさまが弟子たちの足を洗う場面が描かれています。不思議なことに、マタイ・マルコ・ルカ
の共観福音書が描く最後の晩さんには、この場面が述べられていません。反対に、共観福音書で最後の晩さん中に行われた最も大切なこと
として描かれている御聖体の制定、つまり、イエスさまがパンとぶどう酒をとって、「これはわたしの体、わたしの血」と言って示された
動作が、ヨハネ福音書には欠落しているのです。福音記者が書き忘れたとは考えられません。かえって、他の福音書には記されていない、
この弟子たちの足を洗う場面が、聖体制定の内容を示すものだということが分かります。つまり、互いに足を洗い合うこと、互いに仕え合う
ことが教えられているのです。
 御聖体は、それをイエスさまの体と血として拝領する者を聖化し、イエスさまと同じ神の子の身分に与らせるものです。しかしそれは、
神の御子が人となって、人々に奉仕したのと同じように、互いに仕え合い、愛し合うことを意味するのです。御聖体を拝領するのは、
利己的に自分の聖化に役立てるためではなく、むしろ、御父からの助けを得て、周囲の人々に愛を分かち合い、互いに仕え合うためのものです。
それだからこそ、聖体祭儀を「愛の秘義」とも呼び、この愛に、愛をもって応えることが、拝領する者に求められているのです。
そのことは、単なるホスチアがイエスさまの体、御聖体であることを信じることが要求し、さらにその拝領は、口によって物理的に
拝領することよりも、むしろ霊的に心において、主と結ばれることを憧れさせるものとなります。このことから、聖体礼拝を
「霊的聖体拝領」とも呼ぶのです。
わたしたちの「永遠の恋人」となって御聖体に現存してくださるイエスさまに感謝を捧げ、霊的にもイエスさまと一致するように、
短い時間であっても聖体礼拝しましょう。

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3月24日 受難の主日(枝の主日)行 列 前 の 福 音 マルコによる福音11章1節〜10節

 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、
イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、
まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐにここにお返しになります』と言いなさい。
二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。
すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおりに話すと、許してくれた。
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
 我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」

解 説(濱田神父:主任司祭)

 受難の主日は、「枝の主日」とも呼ばれて来ました。それは、イエスさまがエルサレムに入られたとき、
人々がシュロの葉をかざして迎えたからです。なぜ人々がシュロの葉を持っていたかと言えば、それが丁度「仮庵祭り」の頃だったからです。
イスラエルの祖先がエジプトを脱出して荒れ野を旅したとき、葉を組み合わせて作った住まい(仮庵)に住んだことを記念するものです。
つまり、神から召し出されて荒れ野を旅したことは、イスラエルの民のアイデンティティーを確認するものです。
わたしたちの場合も、神さまから呼ばれて信仰の旅を続ける民であることを確認しましょう。
その旅には、平和の象徴であるろばに乗ったイエスさまが、常に一緒に歩んでくださるのです。

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3月24日 受難の主日(枝の主日)マルコによる主イエス・キリストの受難 (マルコ15・1〜39)

   〈注〉十印はキリスト(司式司祭)、Cは語り手、Sは群衆、Aは他の登場人物
C 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
  ピラトがイエスに尋問した。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスは答えられた。
十 「それは、あなたが言っていることです。」
C そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
  ピラトが再び尋問した。
A 「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
C しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議におもった。ところで、祭の度ごとに、
  ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。
  群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは言った。
A 「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」
C 祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
  祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて言った。
A 「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか。」
C 群衆はまた叫んだ。
S 「十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「いったりどんな悪事を働いたというのか。」
C 群衆はますます激しく叫び立てた。
S 「十字架につけろ。」
C ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
  兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。
  そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせた、
A 「ユダヤ人の王、万歳」
C と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、
  紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
  そこへ、アレクランドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、
  兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
  そして、イエスをゴルゴタという所——その意味は「されこうべの場所」——に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、
  イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
  イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、
  一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
A 「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」
C 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。
A 「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」
C 一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
  三時にイエスは大声で叫ばれた。
十 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
C これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
A 「そら、エリヤを呼んでいる」
C と言う者がいた。ある者は走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、
A 「待て、エリヤが彼を卸に来るかどうか、見ていよう」
C と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
     (頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
  すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。
  そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った
A 「本当に、この人は神の子だった。」

説教(濱田神父:主任司祭)

 受難の主日になりました。別名、「枝の主日」とも言います。これはイスラエルで9月末頃に行われていた「仮庵祭」の名残です。
日本ではシュロの葉を使いますが、ルーラブというヤナギ科の枝を使っていたそうです。この葉を組み合わせて小さな庵(テント)を作り、
それを遊牧民の住居と見立てて、太祖たちが遊牧生活を送っていたことの記念としたようです。
ですから、民族のアイデンティティーをかき立てる祭となり、しばしば暴動も起こったそうです。
 さて、受難の週に入り、今週後半の「聖なる三日間」においてキリスト教典礼の頂点を迎えます:
弟子の一人によってイエスさまは裏切られますが、他の弟子たちとの「最後の晩餐」で愛の記念を残されます。
その後、兵士たちに捕らえられ、十字架の苦難を受けられて亡くなられ、墓に葬られます。
そして三日目に復活して弟子たちの前に再び現れることになります。
 今日は受難の主日として、イエスさまの苦しみと屈辱に満ちた十字架上での死の場面が紹介されます。
福音箇所の終わりに、異邦人である百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と述べます。
この福音書、マルコによる福音の初めは「神の子イエス・キリストの福音の始まり」(1章1節)なので、
イエスさまの生きざまが、「神の子」そのものとしての生き方であったことを、異邦人の口を通して確認されたことを示しています。
 百人隊長はユダヤ人たちとは異なり、客観的に、つまり第三者的にイエスさまの十字架刑を見ていました。
ですから、イエスさまが息を引き取られたとき、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け」ても、
冷静に「イエスの方を向いて、そばに立っていた」ことができたのです。その彼が証言した「本当に、この人は神の子だった。」ということばは、
その死を確認すると共に、イエスさまの生き方が「神の御旨に沿うもの」、「神に嘉されたもの」であったことを示しています。
周囲のユダヤ人たちの下品さと、はしたなさとは対照的に、十字架の上で逍遥として死にゆくイエスさまの姿が、
軍人としての潔さに一層の感銘を与えたのかも知れません。
 受難の主日で示されるのは、イエスさまの最期の情景ですが、それは同時に、イエスさまの宣教生活全体を象徴するものだからです。


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3月17日 四旬節第五主日 ヨハネによる福音 12章20節〜33節

 さて、祭のとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシャ人がいた。
彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。
「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。
わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。
 今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。
しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。
「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、
ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、
あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される。
わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

説教(濱田神父:主任司祭)

 桜の花が咲き始めて、卒業式のシーズンとなりました。隣のフランソワ幼稚園でも、この前の木曜日に、
この聖堂で卒園式が行われ、65人の園児が卒園しました。卒業式の前に謝恩会があったそうですが、感極まった保護者に影響されて、
涙を流す子どももあったようです。当人たちにとっては、卒園への感慨よりも、小学生となることへの不安と期待の方が大きいでしょう。
 さて、今日の福音箇所では、何人かの「ギリシャ人」が弟子のフィリポに、イエスさまへの取り次ぎを願ったとされています。
フィリポはアンデレに話し、そして二人でイエスさまに取り次いでいます。(「フィリポ」という名は、ギリシア語で「馬を愛する者」の意味で、
有名なアレキサンダー大王の父親もこの名前でした。ちなみに、わたしの洗礼名でもあります。また「アンデレ」は、ギリシア語の
「人間・アンドロス」の変形で、「長男」を表します。このことからペトロの「兄」とされるわけです。)ですから、
フィリポとアンデレは、かなりギリシア語を理解することができたと思われます。
 ヨハネ福音書によれば、このフィリポとアンデレは当初、洗礼者ヨハネの弟子でしたが、洗礼者ヨハネからイエスさまが
「神の小羊」であると示されて、イエスさまの弟子となった最初の二人です(ヨハネ1・35-40)。
今日の福音箇所でも、この二人は親しい間柄として描かれています。
 ここで「ギリシャ人」とされているのは、ギリシア語文化圏で生活するユダヤ人を示します。それゆえ、この物語が表しているのは、
イエスさまの評判がパレスチナを超えた地域にまで広まったことであり、イエスさまの福音のメッセージが、世界の各地に伝わり始めたという事実です。
言い換えれば、全世界の人々を救うというイエスさまの使命が完成に向かう「始まり」であり、
同時に、イエスさまの地上での生命の「終わり」を予感させることになります。それは、御父の栄光を現すものでもあり、
今日の箇所では、天からの声として述べられています。
 「始まり」と「終わり」を例えて言えば、教会の門は、外側からは入口となり、内側からは出口となります。
門とは、それゆえ内部と外部をつなぎ、また隔てるものと言えます。これと同じように、「いのち」の新たな次元への出発が、
それまでの「いのち」の次元の終了によって示されることが、「一粒の麦」のたとえ話に現されているのです。
「死ぬ」という、少し縁起でもない語で、現在の生活や活動の終了が示され、「多くの実を結ぶ」のは、
新たな次元での生活や活動の出発と発展ということになります。「人は死ななければ」とは、言い換えれば、
「従来のしがらみから解き放たれなければ」新たなものにはなれないという理解です。だからといって、
やみくもに現在の人間関係や生き方を壊すことが、自動的に新たな次元を拓くのではないのも確かです。
「一粒の麦」に象徴されるように、そこには一貫した「いのち」が受け継がれていなければなりません。そこにこそ、御父の栄光が現されるからです。

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3月10日 四旬節第四主日 ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、
御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。
神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。
それが、もう裁きになったいる。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、
光の方へ来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、
明らかになるために。」

説教(濱田神父:主任司祭)

 第一朗読では、歴代誌から、バビロン捕囚の原因が、民の罪によるものであることと、
キュロス王の時代に始まるユダヤへの帰還が語られました。帰還が始まったのは、バビロンに捕囚されてから70年後とされています。
 そして福音の中でイエスさまはニコデモに、モーセが荒れ野で蛇を上げた話を述べられます。
これは、民数記21章に記されていることで、出エジプト記や申命記には記されていないエピソードです。
おそらく出エジプト記や申命記では、偶像崇拝を徹底的に避けるために、偶像となり得るすべての形や像を、
元々の伝承から排除したためだろうとされています。残念ながら、この影響を受けてプロテスタントの中には、
「カトリック教会は偶像礼拝をしている」などと非難する方もあります。
しかし、カトリック教会が十字架に付けられたイエスさまの像を聖堂の中に掲げるのは、イエスさまの救いのわざを象徴するためであり、
丁度、荒れ野でモーセの掲げた蛇を見上げる者が命を助かったように、イエスさまが十字架が、それを見上げる者への救いのしるしとなるものです。
単なる偶像礼拝などとは異なる次元のものだと言わなければなりません。
 さて今日は、1月1日に能登半島での地震災害が起きてから70日目となります。そして明日、3月11日は13年前に起こった
東日本大震災の記念日ということもあり、多くのテレビ番組で、能登半島での地震災害と組み合わせて放送されたり、被災した方々への援助や、
県外に非難した方々の故郷への帰還の問題が扱われました。地震で家が壊されたり、津波で流された土地への帰還です。
被災によって生まれ育った土地を離れた多くの人々のうちには、地震が収まっても、すぐには元の土地に戻ることのできない方もあります。
子どもの健康や教育を考えたとき、また戻っても、仕事や生活が成り立たないため、そして何よりも、
家族を失った悲しい思い出の残っている方が多数あるからです。その方々にとっては、被災した土地に戻ることだけが選択肢ではないのかも知れません。
 今日の福音でイエスさまは「独り子を信じる者が一人も滅びない」ことが、この世に遣わされた理由だと説明されます。
「神の独り子を信じる」ことは、神さまが愛そのものである以上、愛を中心に据えた生き方に表されるはずです。
自分の最も大切な人の安全を考えるとき、それまでの価値をすべて、この愛の観点から問い直さなければなりません。
御子は世を救うために来られました。「この世のしがらみ」や「思い出」、「経験」などに囚われることから、解き放つためです。
 この3年ほど、コロナ禍のために、いろいろな活動を制限しなければならなかったわたしたちも、
地震や津波の被災者たちと、どこか似たところがあります。コロナ禍によってわたしたちは、生活スタイルや信仰実践の方法を変更せざるを
得なくなりました。それは、たとえ予防接種や治療法が確立されようとも、元には戻すことのできない変化をもたらしました。
それはわたしたちに、教会の活動や行事についても、何が本質的で以前のように再開しなければならないことなのか、何が枝葉末節で、
今となっては省略してもかまわない部分なのかを見極めるよう迫ります。
 自然災害の教訓から学ぶのは、自分と家族にとって、何が最も重要であり、何を優先させなければならないかを常に意識する態度です。
わたしたちの信仰生活においても、同じことが言えると思われます。
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3月3日 四旬節第3主日 ヨハネによる福音 2章13節〜25節

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。
そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。
ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」
と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、
「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。
イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、
弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。
しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、
人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかを
よく知っておられたのである。

説教(濱田神父:主任司祭)

今日は3月3日、ひな祭りの日です。各地で「ひな人形」を沢山集めて、盛大な「ひな飾り」が行われています。
女の子の祝いと言われますが、その子が成長して、嫁入りするまでの飾りで、
「3日を過ぎてまで飾ると、嫁入りが遅くなる」として、4日には早速片付けてしまう家もあるようです。
嫁入り道具の1つとして嫁ぎ先に持参し、そこで女の子が授かると、また新たな人形が加わるようですが、
子どもに恵まれなかったり、男の子しか授からない場合は、嫁ぎ先なしの人形となってしまいますので、
それが集まって「盛大なひな飾り」となっているようです。
さて今日の福音では、イエスさまがエルサレム神殿の浄めをなさいます。神殿とは、神を礼拝し、生け贄を捧げる場所ですが、
エルサレムに神殿が建てられたのは、やっとソロモン王の時代です。ソロモン王は、前950年頃にエルサレムに神殿を建てた後、
それまでに各地にあった主なる神への礼拝所を、異教の神々をまつる場所だと言いがかりをつけて破壊していき、
すべての民が年に3回、エルサレムに巡礼するよう義務づけました。ところが自分では、近隣諸民族との平和を保つために、
その族長の娘たちを自分の妻に迎えていき、その妻たちのために、その神々への礼拝所をエルサレム市内に建てていきました。
ですから、とても主なる神への信仰が篤かったとは思えません。単に、国を支配する道具として神殿を利用しただけのです。
ソロモン王の死後、その妻たちから生まれた沢山の子どもの間で後継者争いが起こり、イスラエルは南北に分裂してしまい、
北王国は前721年にアッシリアによって、また南王国は前588年にバビロニアによって滅ぼされてしまいます。
捕囚時代を終えてバビロニアから戻ったユダヤの民は、自分たちの国の復興のシンボルとして再びエルサレムに神殿を建設しました。
これが第2神殿と呼ばれるものです。しかし、前333年にマケドニアのアレキサンダー王に征服されて、
イスラエルは再び外国の支配下に置かれます。王の死後、プトレマイオス朝のエジプト領となり、
その後セレウコス朝のシリア領となります。シリアからは、前167年にマカバイの兄弟たちによって反乱が起こされ、
その結果一時期独立を勝ち取りますが、前69年にはローマ帝国によって支配され、イエスさまの時代にも続きます。
その時代のユダヤは、軍事権、徴税権などを除いた、幅広い自治権が与えられていました。
しかし、日常生活ではローマの貨幣を使用していたのに、自分たちの民族としての外面的体裁を保つために、
神殿はこれを献金として受け取れません。そのため、昔の貨幣と交換するための両替商が神殿に必要となりました。
また、各家庭で礼拝していた頃に書かれた太祖時代の規定を盾に、まったく傷も汚れもない動物だけが生け贄として認められたために、
人々は神殿の敷地内でその動物を入手しなければならなかったのです。ですから、一見乱暴に見える振る舞いに及ぶことによって、
イエスさまは人々にこの矛盾を直視させ、真の礼拝を教えようとなさったのです。
ヨハネ福音書は、「神殿とは、御自分の体のことだったのである」(2・21)と記しています。
イエスさまの体とは、神性と人性を兼ね備えたものであり、神と人とが出会う場であると言えます。
この体を「御聖体」の形で、わたしたちも拝領します。「人となられた神」を拝領することにより、
わたしたち自身もまた「聖なる神殿」となり、イエスさまの業をこの世界に、今の時代に再生してゆく「キリストの体」となり得るのです。

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2月25日 四旬節第二主日 マルコによる福音 9章2節〜10節

 〔そのとき、〕イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。
「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、
もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、
もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。
彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。

説教(濱田神父:主任司祭)

 このところ、急に夏になったかと思えるほど暑くなり、また次の日からは雪が降りそうな真冬の寒さに戻っています。
気温の急激な上がり下がりに、後期高齢者の体がついていけません。修道院の庭にあるカワヅザクラ(河津桜)も、
先週、春になったとばかりに咲き始めたのですが、まだ少し寒そうです。
 さて、先週の福音ではイエスさまの宣教生活の始まりが伝えられ、今日の箇所は、宣教がいよいよエルサレムで行われる前段階としての
「ご変容」を伝えています。
 これからエルサレムに赴き、宣教、そして十字架の受難に立ち向かおうとなさるイエスさまは、ペトロとヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られ、
そこでお姿が真っ白に輝き、エリヤがモーセと共に現れて、イエスさまと語り合います。ルカ福音書(9・31)では、
「イエスさまの最期」が語られたと記されています。「最期」とは、ギリシャ語では「エクスホドス」です。
七十人訳出エジプト記の冒頭にもこの語が使われていて、エジプトから「出て行くこと」を示しています。この語はまた「出口」を意味します。
普通の家でも、例えば「玄関」は、外から来る人にとっては「入口」なのですが、内側からは「出口」であり、内と外とを隔てる「境界」であり、
また、内と外とをつなぐ「通路」でもあります。出エジプト記では、奴隷の状態にあったイスラエルの民が、本来の土地に向かってエジプトを「出て」、
約束の地に「入る」意味となります。
 すると、イエスさまにとり、「出て行く」のはこの地上の生活からであり、「入る」のは神の独り子としての姿を示すことなのでしょう。
そのことを、モーセとエリアと共に語り合っていたのです。モーセとは律法を代表する人物であり、エリアとは預言者たちを代表する人物です。
したがって、「モーセとエリア」とは、旧約聖書全体を指しています。
 第一朗読で、神はイサクを「アブラハムの独り子」と呼んでいますが、アブラハムの最初の子はイシュマエルでした。
ところが正妻の子であるイサクが「約束の子」とされ、そして正妻からの「独り子」を生け贄に献げよと言うのが、神からの命令でした。
しかし最終的に屠られたのは、イサクの替わりに、木の茂みに角をとられた雄羊でした。
この雄羊が「神の小羊」、「神の独り子」であるイエスさまを示しており、「木の茂み」ならぬ「十字架の木」に架けられて、
御父なる神への生け贄となったのです。ですから、イエスさまがモーセとエリアと共に語り合っていたのは、
このことだと分かります。でも、3人の弟子たちは、どうして選ばれたのでしょうか?
 ペトロは使徒の頭で、教会を代表します。ヤコブは十二使徒の内で最初に殉教者となったので、殉教者の代表です。
そしてヨハネは、十二使徒の内で最後まで生きながらえ、独身を通し、十字架の下でマリアさまを自分の母として迎えました。
つまり、彼は独身で生涯を送る修道者と、信仰深く、マリアさまへの祈りも大切にする一般信徒、その両方の代表と言うことができます。
 十字架の受難後に復活される姿、栄光に輝く姿を、予めこれら弟子たちの代表にイエスさまがお見せになったのは、これらに続く者たちもまた、
地上での試練の後に、天の栄光へと招かれていることを表しています。今年の四旬節も四半分を終えましたが、しっかりと節制して、天の栄光に向かって
歩みましょう。

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2月18日 四旬節第一主日 マルコによる福音 1章12節〜15節

 〔そのとき、〕「霊」はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

説教(濱田神父:主任司祭)

 今年の典礼暦はB年で、主日には主にマルコ福音書が読まれます。このマルコ福音書のシンボルは「獅子」(しし)、
つまり「ライオン」で、旧約のエゼキエル預言書や新約の黙示録にも使われている四つの動物の一つとして、
マルコ福音書を示すと言われています。その理由は、マルコ福音書の初めの部分、つまり洗礼者ヨハネが登場して、
悔い改めを宣べ伝えた場所や、今日の福音箇所にあるように、イエスさまが試みを受けられた場所、「荒れ野」のシンボルだからです。
それはある意味で、イエスさまがヨハネから洗礼を受けられた後、その弟子として、彼の元で修行されたことを示すものでしょう。
実際に、当時のイスラエルの「荒れ野」にライオンが棲息していたかどうかは存じませんが、最も獰猛(どうもう)な動物として、
ローマ時代に恐れられていたことは確かです。そのため「野獣」と言えば「ライオン」を指していると解釈されます。
 さて、今日は四旬節の第一主日です。現代の典礼は、復活徹夜祭に洗礼を受ける方のために、四旬節の主日毎に段階的な準備が設けられ、
今日の3つの朗読箇所では「洗礼」がテーマになっています。
 成人の洗礼式では、まず、洗礼志願者に「罪のわざを退けますか?」、「悪を捨てますか?」、「神に反するすべてのものを退けますか?」
という3つの質問をします。洗礼を受けようとする方は、これに対して3回「退けます」と答えます。
これと関連して今日の第一朗読では創世記から、大洪水を通って救われたノアの箱舟のことが語られています。
この大洪水は、地上の人間に悪がはびこってしまったために、この悪をことごとく拭い去ろうとして、神さまが引き起こされたものです。
そのためここでは水が「死」をもたらすものの象徴となっています。実際、洗礼では、通俗的な自分の生活を捨て去ること、
「自我に死ぬ」ことを決意させるものです。
 洗礼式ではこれに続いて、御父・御子・聖霊について3回の「信じますか?」と質問され、そしてまた3回、「信じます」と答えます。
この部分は、20年ほど前までのミサで使っていた簡略版の「信仰宣言」と同じことばです。これと関連して第二朗読では、
この水が「洗礼」を前もって表すものだとされ、洗礼は「水を通って救われる」こと、「イエス・キリストの復活によって救われること」だと語られ、
とても短い形式の「信仰宣言」となっています。そして洗礼の儀では、この信仰宣言の上に、「父と子と聖霊のみ名による」洗礼が授けられます。
 これらの段階から、洗礼を受けるのは、自分を罪の生活から浄めるためであり、それはキリストの復活の命、
つまり聖三位の命に与ることが示されています。これがもたらす喜びは、自分の内だけに留めておくことができずに、
周囲の人にも伝えていくことになるでしょう。
 このように今日の朗読箇所と洗礼式とを結びつけてみると、わたしたちが受けた洗礼と、そのときに約束した事柄とが思い出されます。
洗礼志願者と共に、わたしたちも受けた洗礼の恵みに感謝し、その約束を新たにする生き方に励みましょう。

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2月14日 灰の水曜日 マタイによる福音 6章1節〜6節、16節〜18節

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、
偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。
彼らは既に報いを受けている。施しをするときには、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、
顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
それはあなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

説教(濱田神父:主任司祭)

 福音では、「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」とイエスさまは仰います。
そして「施しをするときには、偽善者たちが会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」とも仰います。
しかし、いくら二千年前でも、会堂や街角での施しの度にラッパを吹き鳴らすことは、とても理解が難しいものです。
ただ、エルサレムの神殿の賽銭箱が、日本の神社仏閣のように木製ではなく、金属製で、しかもラッパを逆さまにした形だったという研究もあり、
そうすると金持ちたちが、大きな音のするように、丁度、豆まきのように、手を振り上げながら賽銭を投げ入れ、
わざとジャラジャラと音を立てていたと考えられます。
ですから、その反対にイエスさまは、「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」と仰って、
大げさな身振りを批判されたのだと理解することができます。
 さて、今日から四旬節です。満14歳以上のカトリック信者には、年間を通しての小斎の義務があり、
そして四旬節の初め:灰の水曜日(今年は2月14日)と、終わりの日:聖金曜日(3月29日)には、満18歳以上で60歳未満のカトリック信者には、
大斎・小斎が義務づけられています。太りすぎや美容のためのダイエットならば、断食も自発的に行うものですから、いつ始めても、
また、いつ終わっても、自分で決められるので気楽ですが、節制も教会から定められ、「押しつけられた」と感じると、それだけで気が重くなります。
 教会が規定している節制のうち、小斎とは、鳥や獣などの肉を食べないこととされ、満14歳以上の信者に、
祭日に当たる場合を除く毎金曜日(聖金曜日も含まれます)と、灰の水曜日に課されています。ただし日本では、
「キリスト信者は、自分の判断により、償いの他の形式等、特に愛徳の業または信心業、または節欲の実行をもってこれに替えることができる」
(「日本における教会法施行細則」n. 23)とされています。これに対して大斎とは、一日に一回だけ十分な量の食事を摂ることができ、
他は「軽く済ます」というものです。別に、わざわざ「一食抜く」必要はありません。現代では、これらの節制について、飽食の日本とは異なり、
全世界では、まだまだ飢えに苦しむ人がいることに思いを馳せながら、自分がいかに恵まれているかを知って、神に感謝することが強調されています。
 また儀式として、四旬節の開始日(灰の水曜日)には、司祭から頭に灰を振りかけてもらい、自分が「塵(ちり)からとられて、塵(ちり)にもどる」、
はかない存在であることを表します。これは、その起源を旧約時代に遡るもので、ユディト記には「地面にひれ伏し、頭に灰をかぶり... 」と、
回心と神に嘆願する際の様式が描写されています。教会の初期においては、公的な回心式で、回心者が司教さまから頭に灰をかけられたり、
灰のかかった粗衣(あらぬの)を受け取りました。11世紀頃から、四旬節の初めとしての「灰の式」が慣習となったそうです。
わたしたちも今日、この灰の式と大斎・小斎を実践して、今年の四旬節を開始しましょう。

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