司祭のメッセージ
5月18日 復活節第5主日 ヨハネによる福音 13章31節〜33節a、34節〜35節
さて、ユダが〔晩さんの広間から〕出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。
神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。
子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによって
あなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
近年、ペットを飼う人が増えたように思えます。特に休日の午前中などは、多くの方が飼っているイヌを連れて、あるいはイヌに連れられて、
お一人やご夫婦で散歩をなさるようです。手塩にかけて育てた子どもでも、成長すると家を離れてしまいますので、
その後の淋しさを紛らわすために飼う人が多いのでしょう。人間の子どもと異なり、当然ですが、小型犬などの場合、
小さいままで、いつまでも愛らしく飼い主を慕ってくれます。
先年亡くなったわたしの2番目の姉夫婦も、小型のイヌを飼っていました。初めはテリアで次にチワワでしたが、
飼い主である姉夫婦の命令には素直に従い、特にチワワは、わたしのような「見知らぬ他人」が手を出すと、ウーッと呻ったり噛み付いたりします。
しかし、姉夫婦には体のどこを触られてもおとなしくしていました。動物病院の獣医さんから注射を打たれるときでも、姉夫婦がそばにいれば、
我慢してじっとしていたそうです。ですから姉たちも、思い通りにならない子どもたちに対する以上に、自分の愛情を注いでいたのです。
しかし8年前に夫が先立ち、その年末にそのチワワも亡くなると、姉の方まで急にボケが始まりました。3年後にやっと老人ホームに入ることが
できたのですが、ほどなくして亡くなりました。愛することは、生きる力ともなっていたようです。
さて、福音では、「互いに愛し合いなさい」と、イエスさまは新しい掟を与えておられます。それは、ユダが「最後の晩餐」の席から
出て行った後に教えられたことでした。イエスさまは既にユダが裏切ることを知っておられたので、彼にこの掟を与えても無意味であったし、
それによってユダが余計に傷つくことを分かっておられたので、それで、あえて彼がいなくなってから、残った弟子たちに教えられたのでしょう。
イエスさまの優しさからの配慮であったと思われます。
しかし、この「最後の晩餐」において、イエスさまが食事の席でなさったのは、まず「弟子の足を洗う」ことでした(13・1〜11)。
つまり、イエスさまが教えられた「互いに愛し合うこと」とは、「互いに仕え合うこと」であり、相手を自分の意のままに支配することでも、
自分の満足のために利用するでもありません。互いに尊重し、尊敬することです。自分の考えとは異なる意見や生き方をも尊重することです。
それも一方的なものではなく、「互いに」愛し合うことです。ですから、相手を支配したり、利用したりする接し方は、ペットに対するように、
どれほど一方的に可愛がったとしても、「互いに愛し合うこと」にはならないのです。人間はペットの動物とは異なるのです。
人間にはそれぞれ人格があり、それぞれの考え方や人生を持っています。イエスさまが教えておられるのは、自分の考え方や期待とは異なるときでも、
相手を尊重して、愛することです。
ユダは、自分の期待どおりにはメシアとして行動なさらないイエスさまを、愛しきることができませんでした。
そのためにイエスさまを裏切ってしまったのですが、その裏切り者のユダに対してさえも、イエスさまは、彼の考えを尊重して、
愛しておられたのです。ある意味でその「ユダ」は、「わたし」であったかもしれません。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
5月11日 復活節第4主日 ヨハネによる福音 10章27節〜30節
〔そのとき、イエスは言われた。〕「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
5月は聖母月であり、その第2日曜日は「母の日」とされています。教会の典礼暦によるのではありませんが、今では日本にもその風習が広まっていて、
「お母さんに感謝する日」となっていて、カーネーションを飾ったりします。朝早くから夜遅くまで、家族全員、
特に子どもたちのために尽くしてくださっているお母さま方に、心から感謝いたします。育児放棄とか、自分が産んだ子を虐待する母親などの
暗いニュースを聞くたびに、「普通の」お母さんたちのありがたさが際立ちますね。
さて、福音では、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とイエスさまは言います。わたしも、羊についてではありませんが、
牧場の牛が人の声を聞き分けるのをつくづく実感したことがあります。それは修道会に入りたての頃、まだ志願者だったとき、
上智哲学科の夏休みに、北海道の牧場にお手伝いをさせてもらった時のことです。同期の志願者には、切江修道士さんや、
前の管区長であった村上神父さんもいました。皆、初めての牧場体験で、受け入れ先では、都会から来た若者だからということで、
まず薪割りの作業を頼まれました。大きなマサカリでバッサリ木材を割るはずなのですが、マサカリが重くてうまく割れず、ふうふう言いながら、
6人の志願者が交代で挑戦しました。内心、「これはかなり男らしい作業だ」と思っていたのですが、その家のおばあちゃんが来て、
「こんなのは女の仕事だ」と言われてしまいました。そして午後になると、「あんちゃんたち、そろそろ牛を小屋に入れてくれや」と頼まれました。
牧草地に30頭ほどの乳牛が放たれており、それを牛小屋に追い込む作業です。まず、おっかなびっくり、草を食べている牛に近づき、
歩いてくれるようにお願いしました。牛の方は、わたしたちが初心者だと見くびって、わたしたちを無視し、座り込んでモグモグと食べ続けています。
仕方がないので、後ろから近づいて、2・3人で押してみようとすると、尻尾で顔をピシャリとたたかれてしまいました。
先の方がふさふさの毛だけならば良いのですが、フンがくっついて乾き、かりんとうのような形状で固くなっていて、石ころのようでした。
たたかれた者にはかなりこたえます。それでも、こわごわ、木切れで牛のお尻をたたいたりして立たせ、なんとか皆で一頭ずつ牛小屋の方に
歩かしたのですが、うまくいったと、次の牛に注意をそらせた途端に、元の牧草地に戻っていってしまい、2時間ほどかけても、
一頭も入ってくれません。するとまた、あのおばあちゃんが出て来て、「あんちゃんたち、何やってるんだべ」と言い、牛たちに向かって、
「お〜い、おいで〜」と一声を掛けると、牛たちはぞろぞろと自分たちから牛小屋に入って行くではないですか!
そのとき、非常な脱力感に襲われると共に、今日の福音のことばが身にしみました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」
牛たちは、都会から来た若者などは無視しても、毎日愛情を込めて世話をしてくれるおばあちゃんの声を知っており、それに素直に従います。
わたしたちも同じように、イエスさまがわたしたちと共にいて、毎日わたしたちのために働いていてくださることを感じているならば、
たとえその声が遠くから、またかすかなものであろうと、それを聞き分けることができるのではないでしょうか。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
5月4日 復活節第3主日 ヨハネによる福音 21章1節〜19節
その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、
ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、
彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。
そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは、「主だ」と聞くと、裸同然だったので、
上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりした離れていなかったのである。
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚で
いっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。
弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、
これでもう三度目である。
《食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、
あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。
「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。
「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。いかし、年をとると、
両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを
示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに「わたしに従いなさい」と言われた。》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
聖書の注解によれば、ヨハネ福音書は元来20章で終わっていて、21章は元の福音書ができあがった後に追加された、「補遺」とか「こぼれ話」
とされる部分だそうです。
フランシスコ会訳聖書では、この初めの箇所に「不思議な漁」という小見出しがつけられています。「夜通し漁をしても何もとれなかったが、
岸辺に立つ人(イエスさま)の指示に従って網を打つと、大漁になった」というのが、「不思議な漁」とされる理由のようですが、けれども、
もっと「不思議」なのは、漁に出かけたペトロたちです。この前の章では、エルサレムで弟子たちの集まっているところに、
復活したイエスさまが出現し、人々の罪を赦すために遣わされた(ヨハネ20章)はずなのに、ペトロたちは、また元のガリラヤの漁師に
戻っているのです。ですから、この部分が「補遺」とされるのです。
さて、今日の箇所の初めでは、ペトロと他の弟子たちの名前が紹介されますが(2節)、大漁になった網を引き上げるときになると、
「イエスの愛しておられたあの弟子」(7節)が突然登場し、「主だ」とペトロに教えます。つまり、読者の心がその場に入ってペトロを応援します。
これに続いて新共同訳では、「シモン・ペトロは ... 裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」と訳していますが、フランシスコ会訳聖書は、
「シモン・ペトロは ... 下には何も着ていなかったので仕事着の裾をからげて、湖に飛び込んだ」と訳しています。新共同訳で(上着を)「まとって」
と訳される動詞は、ギリシア語原文では「ディエゾーサト」(διεζωσατο) であり、フランシスコ会訳では(仕事着の裾を)「からげて」と訳されています。
これは船乗りことばでの、「帆を巻き上げる」ときの言葉を指します。日本の船乗りさんたちが左に舵を切るとき、「とり(酉)舵いっぱ〜い」
と言うように、独特の業界ことばです。つまり、「裸では主に対して失礼だから上着をまとった」のではなく、
「泳ぐのに邪魔になる仕事着の裾をからげて」水に飛び込んだという情景です。このように見てみますと、この21章の前半は、
少なくとも、ガリラヤ湖での漁に従事していた人物からの情報に基づいて記されたものであり、復活した主との直接の出会いを述べたものと言えます。
21章の次の部分で、食事の後にイエスさまはペトロに、「わたしを愛しているか」と尋ねます(16節)。ギリシア語原文では
「アガパース・メ」(αγαπασ με)、つまり、好き嫌いの感情ではなく、完全な無私の愛、「アガペー」の愛を尋ねています。
ところがペトロは「フィロー・セ」(φιλω σε)、つまり「好きです」と答えます。それで2回目もまたイエスさまはアガペーの愛を尋ねますが、
ペトロはまた、好きですと答えます。それで3回目にイエスさまは「フィレイス・メ」(φιλεις με) と尋ねます。ことばの違いに気づかないペトロは、
3回も尋ねられたことを悲しみながらも、今度も好きですと答えているのです。もしペトロが、イエスさまの受難の時に3回「知らない」と言ったから、
それを消し去るために3回「愛しているか」と尋ねられたのだとすれば、わたしなどは、何千回も何万回も「愛しています」
と答えなければならないでしょう。ところがイエスさまは、アガペーの愛を示して、自分の感情や損得に関係なく、真理であり善である方に
いつも倣うように招いておられるのです。
原文の細やかな語のニュアンスをたどるとき、このヨハネ21章は、イエスさまの愛を直接体験した弟子が、後世のわたしたちのために
伝えてくれたものとしか思えません。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月27日 復活節第2主日(フランシスコ教皇さまの追悼)ヨハネによる福音 20章19節〜31節
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、
その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、
「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、
信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、
あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日は復活節第2主日ですが、この前の月曜日に教皇さまが逝去されましたので、このミサで教皇さまの追悼をいたしましょう。
教皇さまは「平和の使者」とされる「アッシジのフランシスコ」を教皇名とされて、紛争の絶えない現代世界にあって、聖フランシスコのように、
実際に現地に赴いて当事者たちとの対話、そして仲介を続けられました。逝去は、本当に残念です。
さて福音では、週の初めの日の夕方に、家の戸に鍵をかけて弟子たちの集まっているところへ、イエスさまが出現したことを伝えています。
出現したイエスさまは、手とわき腹とをお見せになって、御自分が十字架の苦しみを受けた本人であることを示し、弟子たちに息を吹きかけて、
聖霊を与えます。それにより、一致して苦難を乗り越える力をお与えになります。
ところで、なぜ弟子たちは「週の初めの日」、つまり日曜日に、一緒に集まっていたのでしょうか。福音書は「ユダヤ人たちを恐れて」
と理由を述べていますが、それは教会がその始まりにおいて、「ユダヤ教内の一つの異端者グループ」として理解され、
それによって周囲から迫害を受けていたからでしょう。しかし、弟子たちは単に隠れていたのではないようです。
イエスさまが現れることによって、それがイエスさまの教えを信じる者たちの集い、原初のミサを描写していることが分かります。
何よりも「8日の後」、つまり日曜日ごとに集まることは、「主の復活」を記念する集いとなるのです。「8日目」とは、一週間が終わった次の日です。
創世記によれば、主なる神は天地を7日間で創造されました。このため「8日目」とは新しい一週間の初めであるだけでなく、
新しい天地の始まりを示すことになります。イエスさまの復活によって、新しい天地が始まるのです。
またイエスさまは、弟子たちに「手とわき腹」とをお見せになります。現れた方が、弟子たちと共に、この地上での宣教生活を送り、
十字架の苦しみを受けて死に、墓に葬られた方そのものであることを示すためです。復活なさったイエスさまは、弟子たちに息を吹きかけて
聖霊を与えられます。それは弟子たちを遣わして、人々に罪の赦しを得させるため、つまり命を与えるためでした。その場にいなかったトマスは、
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ...、わたしは決して信じない」と言いましたが、「8日の後」、つまり次の日曜日に
再びイエスさまが現れて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われます。トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と答えます。それは、イエスさまが、
単に人間的な「先生」の意味としての「主」であるだけでなく、神としての「主」であるとの信仰告白です。ここに、ヨハネ福音書の目的があります。
さらに言えば、イエスさまを信じるとは、イエスさまが「神」であることだけでなく、イエスさまの「教え」を信じることです。
イエスさまの教えを信じる者は、イエスさまの「弟子」となり、信じた内容を他の人々にも伝えることによって「使徒」となります。
このことから、イエスさまが復活なさったのは、弟子たちを「使徒」に変容させるため、言い換えれば、
これが新しい天地創造の内容であったと理解できます。その新しい天地創造において「使徒たち」が伝えることばが福音であり、
イエスさまの教えを自分の生活の中で実践することが、永遠の命であり、まことの幸せに至るというメッセージです。
「8日目」ごとにわたしたち皆が、イエスさまに「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白し、日常生活で「使徒」の役割を担っていくのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月20日 復活の主日 (日中のミサ) ヨハネによる福音 20章1節〜9節
週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行き、墓から石が取り除かれているのを見た。そこで、
シモン・ペトロの所と、イエスが愛しておられたもう一人の弟子の所へ走って行って言った、「誰かが主を墓から取り去りました。
どこへ置いたのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロともう一人の弟子は、出かけて墓に向かった。二人は一緒に
走っていったが、もう一人の弟子のほうがペトロより速く走って、先に墓に着いた。そして、身をかがめてのぞき込むと、亜麻布が
平らになっているのが見えた。しかし、中には入らなかった。彼に続いてシモン・ペトロも来て、墓の中に入ってよく見ると、
亜麻布が平らになっており、イエスの頭を包んでいた布切れが、亜麻布と一緒に平らにはなっておらず、元の所に巻いたままに
なっていた。その時、先に墓に着いたもう一人の弟子も中に入ってきて、見て、信じた。
二人は、イエスが死者の中から必ず復活するという聖書の言葉を、まだ悟っていなかった。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
御復活おめでとうございます。例年ですと復活祭を彩るサクラが、今年は葉桜になってしまいましたが、それでも教会の庭では、
ハナミズキやフジの花、そして生垣や御心像の足元にはツツジが咲き競っています。それぞれが主の御復活をお祝いしているようです。
さて、朗読しました福音は、フランシス会訳聖書からのもので、復活された主の出現に先立つ、「空の墓」を伝える箇所です。
十字架に付けられてから3日目、朝早く墓を訪問した婦人たちから、墓から遺体がなくなったとの知らせを受けて、シモン・ペトロと
もう一人の弟子は、イエスさまの葬られた墓に急ぎます。そこで2人が確認したのは、婦人たちのことば通り、墓から「遺体」が
なくなっていたという事実です。遺体を覆っていた亜麻布は元の場所にありましたが、平らになっていました。
一方、顎を締めるために頭を包んでいた布切れは、亜麻布の中に残っていて、ポコンと盛り上がって見えます。マルコ福音書によれば、
イエスさまは最期に、十字架上で「大きな叫び声をあげて、息を引き取られた」(マルコ15・37)とあります。埋葬の際に、
口が開いたままにならないように顎を締めなければならなかったのです。それで、この布切れを亜麻布の間に残したまま、遺体だけを
抜き取って運び去ることはできません。これは「誰かが主の体を墓から取り去った」のではなく、イエスさまの体が、その
「亜麻布の間から煙のように消えたこと」を描写しています。ヨハネ福音書が伝える復活の状況は、通常の理解を超える、
本当に深い謎に包まれています。
ペトロが主の復活を悟るのは、その日の夕方になってからでした。戸口には鍵を掛けて弟子たちが集まっていた部屋の真ん中に、
イエスさまが現れて「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)と仰ったときです。そしてイエスさまは、弟子たちに
息を吹きかけて聖霊を与えられました。十字架上で息を引き取るまでのイエスさまは、反対する者や信じない者でも見ることのできる
存在でしたが、復活した後のキリストには、信じる者、弟子となる者だけが出会うことができるのです。このように「墓」は、
イエスさまの宣教生活と復活後の姿を繋ぐものでありながら、そこにイエスさまのかつての姿を探し求めても、見ることも会うことも
できない「空の墓」なのです。
わたしたちの経験する日常生活でも、この「空の墓」に似た状況が生じることがあります。それは、受験や仕事などに失敗したり、
健康や加齢による制限から、かつての元気や目標を失ってしまい、自分がもう何の役にも立たなくなったと思い込むような状況です。
でも、それは単にそれまで目指していたものから方向転換するように与えられた、神からの示しで、新しい方向、新しい次元を
指し示すものであるはずです。
福音書の伝える「空の墓」は、復活した主が弟子たちに聖霊を与えることにつながるもので、弟子たちの方が、いわば信仰上の
「さなぎ」の状態にこもって、美しい蝶へと変身するためのものでした。同じように、わたしたちも八方ふさがりの「さなぎ」の
状態に陥ることがあるとすれば、それは新しい生き方へと方向転換するための準備段階と言うことができます。「空の墓」の神秘は、
復活信仰の神秘です。言葉では言い尽くすことのできない、深い信仰上の確信が、この神秘によって表現されているのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月19日 復活の主日(復活徹夜祭)ルカによる福音 24章1節〜12節
週の初めの日の明け方早く、〔婦人たちは、〕準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、
主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、
二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。
まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、
三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、
十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
ご復活おめでとうございます。多くの信徒の方々が、この復活祭のために四旬節前から準備を進め、とりわけこの一週間は忙しく働いていただきました。
本当にありがとうございます。また、この典礼には与っておられなくとも、それぞれの場で、わたしたちの信仰の原点とも言える
「主の復活」を祝うすべての方々に、祝辞を述べさせていただきます。
今夜の典礼では、まず復活のシンボルであるローソクの祝別を行い、復活賛歌の後、創世記、出エジプト記、ローマ書が朗読され、
そしてルカ福音書からイエスさまの復活が語られました。創世記が読まれますのは、イエスさまの復活が天地創造の初めから、
御父なる神によって計画され、準備されてきたことを示しています。そして、出エジプト記ではイスラエルの民が紅海を渡って約束の地に入ったこと、
その意味で、ご復活は、死から生の世界へ渡ることと言えます。けれども、ただいま福音書から朗読しましたように、その最も重要で中心的な、
復活の証言となるはずの報告は、「墓が空であった」という、理解しがたい出来事でした。
福音では、安息日が明けた日曜の朝早く、墓を訪れた婦人たちが見たのは、「イエスさまの遺体がない」ということでした。
それまでイエスさまに忠実に付き従ってきた婦人たちが抱いていた、イエスさまの姿、思い出のすべてが、そこには残されていなかったのです。
そして天使たちから主の復活を教えられたのです。婦人たちはこの不思議な事実に直面したその驚きを、直ちに弟子たちに伝えました。
しかし、それを聞いた使徒たちには、それが婦人たちの「たわ言」のように思えました。ただ一人ペトロは、自ら墓に赴いて確かめようとしましたが、
彼もまた理解しがたい事実に直面して驚くばかりでした。
このように、復活について新約聖書が伝えるさまざまな記述は、人間的論理による解明を一切拒むものであることを示しています。
「天使によって教えられる」復活についての理解は、使徒たちにとってそうであったように、人間的な理性や推論によるのではなく、
復活された主・キリストとの、直接の出会いによってのみ得られるものです。それは、要約したり、一般化したりすることのできない、
個々の信仰者による、個人的出会いによって初めて得られるものなのです。主との出会いが人格的であり、個人的である以上、
一人として同じ体験を持つことはありません。新約聖書にはさまざまな弟子たちが、いろいろな形で、復活なさった主と出会うことが記されています。
これはわたしたちにとっても同じことでしょう。なぜなら、生きておられる主は、いつまでも過去の同じ場所に、同じ姿でおられるのではないからです。
常にわたしたちと共に、わたしたちの先を歩んでおられます。その姿に気づいたとき、わたしたちは自分の信仰の出発点を確認するのです。
ご復活、おめでとうございます。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月18日 聖金曜日・主の受難 ヨハネによる主イエス・キリストの受難(ヨハネ18・1〜19・42)
C 〔夕食のあと、〕イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、
イエスは弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした
下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器をてにしていた。イエスは御自分の身に起こることを
何もかも知っておられ、進み出て、言われた。
╋ 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは答えた。
S 「ナザレのイエスだ。」
C イエスは言われた。
╋ 「わたしである。」
C イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、
地に倒れた。そこで、イエスは重ねてお尋ねになった。
╋ 「だれを捜しているのか。」
C 彼らは言った。
S「ナザレのイエスだ。」
C すると、イエスは言われた。
╋ 「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
C それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。
シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。
手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。
╋ 「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
C そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。
彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、
このカイアファであった。シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、
イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、
出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。
A 「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
C ペトロは言った。
A 「違う。」
C 僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。
╋ 「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。
なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」
C イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。
A 「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」
C イエスは答えられた。
╋ 「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」
C アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。
A 「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」
C ペトロは打ち消して、言った。
A 「違う。」
C 大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
A 「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
C ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。
明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。
A 「どういう罪でこの男を訴えるのか。」
C 彼らは答えて、言った。
S 「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」
C ユダヤ人たちは言った。
S 「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」
C それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、
イエスを呼び出した、言った。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
C ピラトは言い返した。
A 「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、
部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
C そこでピラトが言った。
A 「それでは、やはり王なのか。」
C イエスはお答えになった。
╋ 「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
C ピラトは言った。
A 「真理とは何か。」
C ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。
A 「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。
あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」
C すると、彼らは大声で言い返した。
S 「その男ではない。バラバを。」
C バラバは強盗であった。そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、
紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、平手で打って言った。
A 「ユダヤ人の王、万歳。」
C ピラトはまた出て来て言った。
A 「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」
C イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは言った。
A 「見よ、この男だ。」
C 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。
S 「十字架につけろ。十字架につけろ。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
C ユダヤ人たちは答えた。
S 「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
C ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、イエスに言った。
A 「お前はどこから来たのか。」
C しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。
A 「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
C イエスは答えられた。
╋ 「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
C そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。
S 「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
C ピラトは、これらを言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。
A 「見よ、あなたたちの王だ。」
C 彼らは叫んだ。
S 「殺せ、殺せ。十字架につける。」
C ピラトは言った。
A 「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」
C 祭司長たちは答えた。
S 「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」
C そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、
いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタというところへ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。
また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。
それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、
多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。
A 「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください。」
C しかし、ピラトは答えた。
A 「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ。」
C 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、
それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、話し合った。
A 「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」
C それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。
兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に言われた。
╋ 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」
C それから弟子に言われた。
╋ 「見なさい。あなたの母です。」
C そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。
╋ 「渇く。」
C こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿を
ヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。
╋ 「成し遂げられた。」
C 〔そして、〕頭を垂れて息を引き取られた。 (頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、
足を折って撮り下ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、
もう一人の男の足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。
その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、
「その骨は人とも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」
とも書いてある。その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、
イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、沒薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、
そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の典礼は沈黙がテーマです。
御子が十字架の苦難を受けて亡くなるという事態に際しても、父なる神は沈黙し続けます。他の共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では、
「我が神よ、我が神よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)という、
十字架上でのイエスさまの叫びを記録していますが、今日のヨハネ福音書にはありません。その代わりに、「渇く」という言葉が記されています。
何に渇いておられたのでしょうか? 単に喉が渇いたというより、御父のお言葉、イエスさまの叫びに対する、
お応えに渇いておられたのではないでしょうか。しかし、御父の側からは沈黙だけが返され、その後に、イエスさまは
「成し遂げられた」と述べられます。つまり、その沈黙は、ただ間が空いていただけではなく、イエスさまの心の内における葛藤と、
その後に満たされた何らかのものを示すものであったのです。
振り返って見れば、イエスさまもまた、ピラトの尋問での最も重要な2つの質問、「真理とは何か」、「お前はどこから来たのか」
という問いに対して、そのどちらにもお答えになりません。もし仮にイエスさまが、真理とは「これこれである」という形でお答えになれば、
それはもう言語化されたことによって相対化され、真理そのものを示すものではありません。また、「どこから来たのか」という質問も、
イエスさまがガリラヤ出身であることは、ピラトも知っていた上でのものなので、その質問は、「自分は何者なのか」という
イエスさまの自己理解を問うことになります。従って、これに応えないということは、「自分とは何者なのか」への応えを要求する
問いかけとなってピラト自らに戻って来ます。
つまり、今日の典礼で示される沈黙は、わたしたちにも「イエスさまとは一体、わたしにとって何者なのか」、
そして「わたしとは一体何者なのか」という問いかけとなって戻ってくる沈黙なのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月17日 聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ ヨハネによる福音 13章1節〜15節
過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」
と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、
あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、
師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
聖木曜日となりました。東京など他の教区では、今日の午前中に司教さま司式の聖香油ミサが、各カテドラルで行われるようですが、
さいたま教区では昨日既に、伊勢崎教会でその聖香油ミサが行われました。わたしは電車で伊勢崎まで行くことにしたのですが、
大宮から東武電車に乗り、春日部や久喜を通り伊勢崎線になると、車窓からの田園風景の後ろに、富士山がくっきりと朝日に映えて、
電車の進行に寄り添っているようでした。わたしたちの人生に、いつもイエスさまが歩みを共にしてくださる象徴のように思えました。
さて今日からの三日間は、典礼上最も大切な三日間とされて、四旬節にも復活節にも属さない、特別な期間です。
三日間が全体として、イエスさまの過越秘義を表していますので、イエスさまの宣教生活の総括である御聖体の意味と苦難の意味、
御父による沈黙の意味と復活の意味のすべてが、この三日間の典礼で表されています。今日の典礼ではこのために、
御聖体の意味が中心となって記念され、御聖体の制定とそれに対するわたしたちからの応答としての聖体礼拝が行われます。
まず今日の福音では、最後の晩さんにおいて、イエスさまが弟子たちの足を洗う場面が描かれています。不思議なことに、
マタイ・マルコ・ルカの共観福音書が描く最後の晩さんでは、この場面が述べられていません。
反対に、共観福音書で最後の晩さんに行われた最も大切なこととして描かれている御聖体の制定、つまり、イエスさまがパンとぶどう酒をとって、
「これはわたしの体、わたしの血」と言って示された動作が、ヨハネ福音書には欠落しています。
これはヨハネ福音記者が書き忘れたとは考えられません。かえって、他の福音書には記されていない、この弟子たちの足を洗う場面が、
聖体制定の内容を示すものとして記されていることが分かります。つまり、互いに足を洗い合うこと、互いに仕え合うことが教えられているのです。
御聖体は、それをイエスさまの体と血として拝領する者を聖化し、イエスさまと同じ神の子の身分に与らせるものです。
しかしそれは、神の御子が人となって、人々に奉仕したのと同じように、互いに仕え合い、愛し合うことを意味するのです。
御聖体を拝領するのは、利己的に自分の聖化に役立てるためではなく、むしろ、御父からの助けを得て、周囲の人々に愛を分かち合い、
互いに仕え合うためのものです。それだからこそ、聖体祭儀を「愛の秘義」とも呼び、この愛に、愛をもって応えることが、
拝領する者に求められているのです。
そのことは、単なるホスチアがイエスさまの体、御聖体であることを信じることを要求し、さらにその拝領は、
口によって物理的に拝領することよりも、むしろ霊的に心において、主と結ばれることを憧れさせるものとなります。
このことから、聖体礼拝を「霊的聖体拝領」とも呼ぶのです。
わたしたちの「永遠の恋人」となって御聖体に現存してくださるイエスさまに感謝を捧げ、霊的にもイエスさまと一致するように、
短い時間であっても聖体礼拝しましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月13日 受難の主日 ルカによる福音23章1節〜49節
(C=語り手、+=司祭、A=他の登場人物、S=会衆)
C〔そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは〕立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
S「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
C そこで、ピラトがイエスに尋問した。
A「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスはお答えになった。
+ 「それは、あなたが言っていることです。」
C ピラトは祭司長たちと群衆に言った。
A「わたしはこの男に何の罪も見いだせない。」
C しかし、彼らは言い張った。
S「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです。」
C これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。
ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、
ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、
イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちや律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。
ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。
それまでは互いに敵対していたのである。
ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。
A「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は
この男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは
何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
C しかし、人々は一斉に叫んだ。
S「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」
C このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。
しかし、人々は叫び続けた。
S「十字架につけろ、十字架につけろ。」
C ピラトは三度目に言った。
A「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
C ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、
イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。
+ 「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、
乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、
『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
C ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
そのとき、イエスは言われた。
+ 「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
C 人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。
A「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。
C 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。
A「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
C イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
A「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
C すると、もう一人の方がたしなめた。
A「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
C そして、言った。
A「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」
C すると、イエスは言われた。
+ 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
C 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
イエスは大声で叫ばれた。
+ 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
C こう言って息を引き取られた。〔頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る〕
百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して言った。
A「本当に、この人は正しい人だった。」
C 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、
ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
「受難の主日」になりました。別名、「枝の主日」とも言います。これはイスラエルで9月末頃に行われていた「仮庵祭」の名残です。
日本ではシュロの葉を使いますが、ルーラブというヤナギ科の枝を使っていたそうです。この葉を組み合わせて小さな庵(テント)を作り、
それを遊牧民の住居と見立てて、太祖たちが遊牧生活を送っていたことの記念としたようです。
ですから、民族のアイデンティティーをかき立てる祭となり、しばしば暴動も起こったそうです。どこか、現代の中東で、
イスラム教徒の多いガザ地区の人々が抗議して立ち上がったことに対して、イスラエルが圧倒的な武力で鎮圧し、
かつイスラム教徒を抹殺しようとしているのと同じです。2千年前にはユダヤ人が立ち上がり、ローマ帝国が鎮圧しましたが、
これと同じようなことが、立場を替えてイスラエルで起こっています。もしかすると、2千年前よりも激しく、
残酷な仕方で起きているのかもしれません。しかし、このような現代世界の政治情勢とは関わりなく、教会の典礼では、この「仮庵祭」を
イエスさまの「エルサレム入城の記念」として行い、信徒の皆さんが手にしているシュロの葉の祝福を行いました。
来年の四旬節まで、その枝をご家庭で保存してください。来年はその枝を燃やして灰を作り、「灰の水曜日」に使用します。
さて、受難の週に入り、今週後半の「聖なる三日間」においてキリスト教典礼の頂点を迎えます:弟子の一人によってイエスさまは裏切られますが、
他の弟子たちとの「最後の晩餐」で愛の記念を残されます。その後、兵士たちに捕らえられ、十字架の苦難を受けられて亡くなられ、墓に葬られます。
そして三日目に復活して弟子たちの前に再び現れることになります。
今日の福音の内容は「受難の主日」として、司式者だけでなく、朗読奉仕者と全会衆も参加して、苦しみと屈辱に満ちたイエスさまの十字架上での
死の場面を朗読しました。その終わりに、異邦人である百人隊長の口から、「本当に、この人は正しい人だった」と述べられました。
イエスさまの生きざまが、「義人」そのものとしての生き方であったことを、異邦人の口を通して確認されたことを示しています。
この百人隊長はローマ人であり、ユダヤ人たちとは異なり、客観的に、つまり第3者的にイエスさまの十字架刑を見ていました。
ですから、イエスさまが息を引き取られたときに「神殿の垂れ幕が真ん中から裂け」ても、冷静に「この出来事を見る」ことができたのです。
その彼が神を賛美して言った、「本当に、この人は正しいだった。」ということばは、その死を確認すると共に、イエスさまの生き方が
「神の御旨に沿うもの」、「神に喜ばれるもの」であったことを示しています。周囲のユダヤ人たちが投げかける「下品な言葉」や、
イエスさまの服を分け合うような「卑劣さ」とは対照的に、十字架の上で逍遥として死にゆくイエスさまの姿が、軍人としての潔さにも通じる、
ある種の感銘を与えたのかも知れません。
受難の朗読で描かれるのは、十字架でのイエスさまの最期の情景ですが、それは同時に、イエスさまの宣教生活全体を象徴するものです。
それは、わたしたちの信仰生活に必然的に伴う試練と、その先に待つ栄光の姿を予想させるものです。
このすべてをシュロの葉に込めて、わたしたちの生活の場に持ち帰ることにしましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
4月6日 四旬節第5主日 ヨハネによる福音 8章1節〜11節
〔そのとき、〕イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、
座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、
指で地面に何かを書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい。イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、
イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
ようやく天気が落ち着いてきました。ソメイヨシノや枝垂れ桜も見頃を迎えていますが、修道院入り口のマリアさまの前にはアヤメが咲き競っています。
細く長い葉と、紫や白の柔らかな花びらです。
さて今日の福音では、「姦通の現場で捕らえられた女」が語られます。律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられたとされる
女性をイエスさまの前に引き出します。このような女性は、律法に従えば、石殺しの刑に処せられることになっていますが、それはイエスさまを試みて、
訴える口実を得るためでした。ですから、本当のところは分かりません。
少し前のことですが、教皇フランシスコは、2016年「いつくしみの特別聖年」の閉幕にあたって、使徒的書簡「あわれみあるかたとあわれな女」
を発しました。使徒的書簡はこの「姦通の現場で捕らえられた女」のエピソードを、イエスさまのいつくしみを説明するものとしています。
そして、教皇さまは書簡の冒頭で、聖アウグスティヌスが、人々が去った後に残された2人、つまり、イエスさまとその女とを、
次のように表現したことを紹介しています。「罪人に触れるときの神の愛の神秘を表現するのに、これよりも美しく、あるいは適したものを想像することは
難しいでしょう。『彼らのうちの2者だけが残った。惨めな女といつくしみ。』」イエスさまがこれほどのいつくしみを示されたのは、惨めな女の背後に
隠れているものに気づかれていたからでしょう。
この場面は、律法学者たちやファリサイ派の人々によって、イエスさまを、言わば「わな」にかけるために仕組まれたものです。
人々はこの女性が姦通の罪を犯したと、その結果だけを言い立てていますが、石殺しにされるかも知れないような恐ろしい罪の状況に、
どうして彼女が陥ったのかをまったく考慮していません。姦通に走ったのは、幸福であった家庭生活を一方的に捨て去ったのではないはずです。
おそらく、夫や家族から自分がまったく無視されてきたこと、いろいろな悩み事を抱えながらも、それを相談できる相手がいないこと。
自分の親類に打ち明けても、「夫婦のことは自分たちで」と取り合ってくれないことなどが積み重なっていたのでしょう。
そんなとき、優しく声をかけてくれる異性に惹かれたとしても、それは結果であって、当初から望んでいたことではなかったのです。
そしてまた「姦通」であるならば、当然その相手であり、共犯者である男性がいたはずなのに、彼女が捕らえられたときには、
彼女を弁護しようともせず、姿を消して、集まった群衆の影に隠れています。彼女は、もしかすると、イエスさまを訴える口実を作るために、
だまされて利用されていたのかも知れません。
イエスさまはしかし、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われます。
そして、群衆の顔を直接見るのではなく、地面に指で何かを書き始められます。教父たちは、イエスさまが周囲の人々の罪を地面に書いていたのだと
説明しています。人間的に考えても、面と向かって反論されるのではなく、ただ冷静に振り返る時間を与えられることにより、自分も関係している過ち、
つまり、この女性が罪の状況に陥るのを防がなかったという過ちに気づかされたのです。それに気づいた人々は、年長者から始まって一人また一人と、
立ち去っていきました。
四旬節の第5主日にこの福音箇所が読まれるのは、自分が積極的に罪を犯したかどうかだけではなく、何気ない自分の行為によって、
結果的には他者を罪に追いやってしまう、人間社会の罪の構造に目を向けるためです。イエスさまを十字架の死に追いやったのは、紛れもなく、
わたしたち自身の過ちであるからです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
3月30日 四旬節第4主日 ルカによる福音 15章1節〜3節、11節〜32節
〔そのとき、〕徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。
「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、
そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、
彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚のたべるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。
『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、
これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、
お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。
『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。
それなのに、わたした友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、
娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の福音は「放蕩息子のたとえ話」として有名です。ある人に息子が2人いて、そのうちの「弟」が、父親から財産を分けてもらい、
その全部を金に換えて遠い国に行き、「放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いした」とされています。
確かに、もしそのような息子がいたとすれば、親にとっては大変なことでしょう。特に、親が地道に長い間働いて、
苦労して築き上げた財産であればなおさらのことです。でも、イエスさまはこのたとえを、
ファリサイ派や律法学者たちに向けて話しておられるので、「放蕩して無駄遣いした」のは、金銭的な財産ではないようです。
なぜなら、徴税人たちは他の人々よりも、経済的には裕福であったからです。
ファリサイ派や律法学者たちと徴税人とを比較すると、ファリサイ派の人々の方が、はるかに真面目に律法の掟を遵守していました。
つまり、たとえでは「兄」の役割です。そのため、「弟」である徴税人が「無駄遣いした」のは、イスラエルの民としての誇り、
あるいは宗教的な義務ということになります。つまり、神の民としての当然の掟や義務をないがしろにしていたことになります。
しかし、これらの人々には、心ならずもそのような職に就かざるを得なかった、さまざまな事情や背景があったことに、
イエスさまは気づいておられれたのです。「医者を必要とするのは病人である」と述べられて、「弟」の彼らに神の国の福音を宣べ伝えられると共に、
一方「兄」であるファリサイ派の人々が地道に掟をしっかりと遵守していることに対して、父親に「わたしのものは全部お前のものだ」
と言わせて、慰めています。
さて、このたとえは、わたしたちにはどのように当てはまるのでしょうか? わたしたちがイエスさまによって御父と結ばれるのは、
主日(日曜日)の礼拝を通してです。ユダヤ教徒は、安息日である土曜日に、普段の仕事を休んで神への礼拝を献げました。
イエスさまの復活の後、キリスト教徒は主の日、つまり日曜日に普段の仕事を休んで、礼拝であるミサに与ります。
週に一日だけですが、すべての人に日曜日が巡って来ます。神の子としての「分け前」とも言えるものです。
この日を、必要な安息のためだけでなく、いつもいつも自分の趣味や娯楽のために使うとすれば、いつか、困難にぶつかったときに、
自分の方から「もう神の子と呼ばれる資格」が無いことに気づかされるでしょう。
また一方、真面目に教会に行きながらも、「せっかくの日曜日にも好きなことができない」と、自分がカトリック信者であることに対して
不平を言う人は、たとえ話の「兄」に良く似ています。主日を賜物として受け入れることに意味を見出していないからです。
信徒の皆さんが、スケジュールをやりくりし、いろいろな不便を忍びながら、日曜日に教会での礼拝に与っておられるのは良く理解できます。
でも、それができるのも大きな恵みであることも事実です。主日に与えられる大きな恵みの第一は、
神と共に過ごす一日を与えられるという恵みです。それは、御父から「わたしのものは全部お前のものだ」と言ってもらえる恵みなのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
3月23日 四旬節第3主日 ルカによる福音 13章1節〜9節
ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。
「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。
言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、
エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。
言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。
なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。
木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかも知れません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
春のおとずれと共に、自然界では草花が芽を出し、枝葉を伸ばして、つぼみをつけ始めています。けれども人間の世界では、
まだ真冬の寒さが続いているようです。分厚いコートの襟に包むかのように、心を閉ざして争いを続ける国々があり、またそれに乗じて、
権益を増やそうとする国もあります。武力や戦争、あるいは政治的な取引によっては、たとえ一時的な勝利や和平を収めることができたとしても、
国民や周囲の国々からの共感を得ることはできません。咲きかかった平和のつぼみも、あわてて閉じてしまうでしょう。
さて福音では、不運な目に遭ったガリラヤ人たちの話と、実を結ばない「ぶどう園のいちじくの木」のたとえが語られています。
災難に遭った人たちについてイエスさまは、「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と言われました。
これは決して、ウクライナやパレスチナのことを言っているのではありません。悔い改めなければならないのは、
ウクライナやパレスチナではないからです。他方、それを説明する「いちじくの木」のたとえ話の中で、
3年もの間「いちじくの木」に実を探しに来ている主人とは、父である神さまのことと思われます。
そして「ぶどう園」とはイスラエルの象徴であり、「いちじくの木」はその民です。
「3年間」とは、園丁であるイエスさまの宣教生活を指していると思われます。つまり、イエスさまの宣教にもかかわらず、
回心の実を結ばないイスラエルの民が「いちじくの木」とされているのです。
今日の箇所で、ぶどう園の「いちじくの木」が切り倒されないのは、「今年もここままにしておいてほしい」との、
園丁であるイエスさまの執り成しによるものです。しかし、それは猶予されているだけで、もし、次の年にも実を結ばないのであれば、
主人である神さまによって、切り倒されてしまうかもしれません。神さまがお望みになる「回心の実を」結ばないなら、わたしたちもまた、
今日の福音にあるように、ピラトによって殺されたガリラヤ人や、シロアムの塔が倒れて死んだ18人のように滅びてしまうかも知れないのです。
わたしたちも新約のイスラエルの民として、神さまの期待に沿う、「回心の実」を結ぶことができるように祈りましょう。
今日の共同回心式にあたっては、わたしたちが、どれほどイエスさまから恵みというお世話を受けてきたかを考え、
そして、他人との比較ではなく、自分の良心に照らして、自分がどれほど努力してきたか、あるいは努力してこなかったかを素直に反省いたしましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
3月16日 四旬節第2主日 ルカによる福音 9章28b節〜36節
〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、
じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。
「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、
もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
春、3月というとサクラの花の季節。幼稚園から大学まで、卒業式をサクラが彩ってくれる季節です。
風に乗ってサァーっと飛んでいく花びらのように、卒業生たちは新たな進路に向かって出て行きます。見送る側には一抹の寂しさが残りますが、
「ありがとうございました!」という卒業生たちの言葉に、「頑張れよ!」という励ましの言葉が自然に出て来ます。
さて、今日は四旬節の第2主日。福音では、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人の弟子たちが、
イエスさまの本来の姿を垣間見させてもらいます。それぞれ、教会位階、証聖者、殉教者を表す3人です。
それは「イエスさまがエルサレムで遂げようとしておられる『最期』」、つまり十字架の苦難を目撃することに備えるためだと言われています。
この「最期」という語は、ギリシア語原文では「エクスホドス」、つまり直訳で「出口」という意味ですが、
旧約聖書の目次では「出エジプト記」を指す語です。奴隷状態にあったイスラエルの民が、エジプトを脱出して、約束の地に向かうという意味です。
ですから、イエスさまが遂げようとしておられるのは、単に十字架の上での惨めな人生の終わりではなく、
その先にある輝かしい天の国の生命の始まりなのです。
わたしたちの四旬節における節制も、これに似たところがあります。節制の先には、イエスさまと同じ栄光の姿があるはずです。
しかし、天の国で受ける栄光を想像できない方には、節制すること自体が何の意味を持つのか理解できないかも知れません。
「四旬節の節制はカトリック信者の義務だから」とか、「長年の慣習だから」という説明では、ただ耐えるだけの季節になってしまいます。
この節制の先に何が待っているかを考えることによって、節制自体が「楽しい」とまではならなくとも、意味のあるものになるかも知れません。
卑近な例えになりますが、「スタイルを良くしたい」とか、「血糖値を下げたい」などの願望でも、人は節制に動かされるものです。
他人の目から見れば、その動機は不純なものであったり、とてもつまらないものであったとしても、当人にとって納得できるものであれば良いのです。
節制にはさらに、自分の欲望を抑え、それによって周囲の世界に目を向けられるようになる意味があります。
3年前の2月から始まったウクライナでの戦争や、パレスチナでの殺戮、それによって殺されたり、傷つけられた人々、
国を去らなければならなかった人々が何千人、何万人にもおよびます。遠い国々の戦争のために、日本でも貿易面や防衛論などに影響が出ています。
昔とは比較にならないほど密接に、世界中の国々はつながっているのです。それは悪い面の影響だけではないはずです。善い方への影響もあるはずです。
ほんのわずかな節制によって、日本に居ながら世界平和に貢献できれば、大きな意味を持つことができるでしょう。
自分ひとりの聖性のためでなく、世界の救いにも役立つからです。この四旬節を、より意味あるものとするために、
何か身近な目標を定めては如何でしょうか?
--- * --- * --- * --- * --- * ---
3月9日 四旬節第一主日 ルカによる福音 4章1節〜13節
〔そのとき、〕イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、
一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。
それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』
と書いてある。」そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。
『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』
また、
『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
「四旬節」は、復活祭までの準備の期間で、「四十日間の季節」という意味です。それは、イエスさまがヨハネから洗礼を受けた後、
四十日間、荒れ野で修行し、断食していたこと、そして悪魔から誘惑を受けられたことから定められたものです。ですから、この前の水曜日、
「灰の水曜日」がその初日で、聖土曜日までの間となるのですが、日数で計算すると46日となっています。
元来は待降節と同じように第一日曜日から始まり、そして6週間続くものとされていたようですが、それでも42日間となります。
細かく計算する学者が、「それでは2日間も多いし、日曜日にも節制を強いるのはおかしい」として、日曜日を除外してしまいました。
そうすると今度は36日になってしまい、40日には4日足りませんので、これを補うために、その前の土曜日、金曜日、木曜日、
そして水曜日をこれに加えることになったそうです。これでめでたく「四十日間」となったはずですが、第2バチカン公会議後には、
典礼の専門家が、終わりの3日間、つまり聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日は四旬節には含まれないと言いだしました。
それは典礼色が、それぞれ白、赤、白となって、もう紫ではないからです。このように、専門家の議論は続くのですが、いずれにしましても、
四旬節は復活祭、つまりイエスさまのご復活に与るための準備の期間なので、いつ始めても遅すぎることはないはずです。
今日から節制を始める方も、引け目を感じる必要はありません。
さて、今日の福音では、荒れ野での悪魔からの誘惑が述べられます。「空腹なら、この石をパンにしたらどうか」、
「わたしを拝むなら、一切の権力と繁栄とを与えよう」、「神の子なら、屋根の端から飛び降りたらどうだ」というものです。
悪魔の登場からしても、これらの誘惑は史実とは思われませんし、単なるフィクション、飾りのように受け取られがちです。
しかし、この誘惑が一体何を示そうとしているのかを理解する必要はあります。
つまり、この悪魔による誘惑は、現実にはイエスさまの生涯の最後の場面、つまり、十字架での誘惑と試練を予告するものではないかということです。
実際、イエスさまが十字架刑を宣告される前に、ピラトは「わたしには、お前を釈放する権限があり、十字架に付ける権限もある」(ヨハネ19・10)
と言います。これは悪魔の「わたしを拝むなら」とのことばに対応しています。次に、十字架に付けられたイエスさまに向かって、
通りかかった人々の「十字架から降りて、自分を救え」(マルコ15・30)は、悪魔の「飛び降りたらどうだ」ということばに対応しています。
そして、十字架の近くに立っていた人々のうちの一人が、最期を迎え、のどの乾きを覚えられたイエスさまにすっぱいぶどう酒を飲ませようとします
(マタイ27・48;マルコ15・36;ヨハネ19・30)。荒れ野での誘惑では、悪魔は空腹となったイエスさまに「石をパンにするように」と言いますが、
キリスト教の典礼においては、パンもぶどう酒も同じご聖体の形色の種類とされていて、同じ意味を持ちます。
このように考えてみますと、福音書がイエスさまの宣教生活の初めに置いている「荒れ野での誘惑」は、イエスさまの最期の試練を前もって
示すものだと言えます。それは、この世の権力や富に惑わされないこと、神を試みることなく、その摂理に信頼すること、
そして自分の生活の糧すらも惜しまずに、神のみ旨を求めることなのです。
四旬節の始まりは、イエスさまの生涯におけるその行く末を示し、わたしたちにしっかりと節制することを促しています。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
3月5日 灰の水曜日 マタイによる福音 6章1節〜6節、16節〜18節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、
偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときには、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
それはあなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日から四旬節です。四旬節の初め:灰の水曜日(今年は3月5日)と、終わりの日:聖金曜日(4月18日)には、
満18歳から満60歳までのカトリック信者に、大斎・小斎が義務づけられています。神学生の頃に、ある先輩が灰の水曜日の日付が変わる
夜中の午前0時過ぎに食べようと、巻き寿司を買って台所に取っておきましたが、本人はその前に寝入ってしまい、
朝まで食べられなかったという話がありました。また、他の先輩は、前日の火曜日に少し賞味期限の切れたものを食べて、お腹が痛くなり、
翌日の夕方、つまり灰の水曜日になって、医師に往診してもらうと、「食べ過ぎです」と言われてしまい、
誤解を解くのに大変だったという話もありました。若い時は空腹に悩まされますが、それでもあまり邪推しない方が良いようです。
一方、太りすぎや美容のためのダイエットならば、断食も自発的に行うものですから、いつ始めても、また、いつ終わっても、
自分で決められるので気楽ですが、節制も教会から定められ、「押しつけられた」と感じると、それだけで気が重くなるものですね。
さて、公教要理のおさらいをしてみますと、教会が規定している節制のうち、小斎とは、鳥や獣などの肉を食べないこととされ、
満14歳以上の信者に、祭日に当たる場合を除く毎金曜日と、灰の水曜日に課されています。これに対して大斎とは、
一日に一回だけ十分な量の食事を摂ることができ、他は「軽く済ます」というものです。別に、「一食抜く」必要はありません。
実は、教皇庁が位置しているローマでは、一日2食が普通でしたので、別にわざわざ大斎日に食事を抜くことはありませんでした。
かえって、わたしが初めてイタリア・シエナの修道院に泊まったとき、それは聖霊降臨祭の終わったあとでしたが、朝のミサが終わって食堂に行くと、
朝食がまったく準備されていませんでした。台所のコックさんに「朝ご飯は?」と尋ねると、「えっ! 食べるの?」と反対に驚かれました。
イタリア人は、ほとんど朝ご飯を食べないで、コーヒーを一杯飲むだけなので、食事とは言えないのです。ですから「大斎」の規定は、
彼らにはあまり節制にもならないのかも知れません。しかし、これらの節制について、世界の状況を考えますと、飽食の日本とは異なり、
世界的には、まだまだ飢えに苦しむ人がいることに思いを馳せなければなりません。現代では、それゆえ四旬節には、
自分がどれほど恵まれた環境にあるのかを知って、神に感謝することが強調されています。
また儀式として、四旬節の開始日(灰の水曜日)には、司祭から頭に灰を振りかけてもらい、自分が「塵からとられて、塵にもどる」、
はかない存在であることを表します。これは、その起源を旧約時代に遡(さかのぼ)るもので、ユディト記には「地面にひれ伏し、頭に灰をかぶり... 」と、
回心と神に嘆願する際の様式が描写されています。教会の初期においては、公の回心式で、回心者が司教から頭に灰をかけられたり、
灰のかかった粗末な衣服を受け取りました。11世紀頃から、四旬節の初めとしての灰の水曜日が慣習となったそうです。
わたしたちも今日、この灰の式と大斎・小斎を実践して、今年の四旬節を開始しましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
3月2日 年間第8主日 ルカによる福音 6章39節〜45節
〔そのとき、イエスは弟子たちに〕たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。
弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。
悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、
野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。
人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
このところ、腰の不具合のために、ご覧の通り杖をついて歩いています。食事当番の日の食材の買い出しには、車でスーパーに行けますので、
それほど不自由は感じません。しかし、月末になると、北浦和駅近くの銀行や郵便局に、振込や年金の引き出しに行かなければなりません。
駐車場が使えないので、農協前からバスに乗って行くのですが、それが大変です。バスの発車時刻に合わせて、停留所まで早足で歩かねばならず、
急ぐと足腰が痛み出し、息も切れてしまい、かえって早く歩けなくなります。ゆっくりしか歩けないわたしの脇を、
若い方々は自転車でさぁ〜っと抜き去っていきます。そんな時、盲人ではないのですが、よろよろと杖をついて歩いてくるわたしに、
バスやエレベーターの乗り口では、お先にどうぞとばかりに、乗り込む順番をゆずってくれる人たちもいます。
その人たちに、今日一日、神さまからの祝福がありますようにと、心の中で祈りながら、のろのろと歩き続けています。
さて、今日の福音にあるイエスさまの教えは、とりわけ、教会の司牧者に当てはまるものであり、主任司祭としては耳の痛い話です
:「盲人が盲人の道案内をすることができようか。兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、自分の目にある丸太に気づかないのか。」
しかし、ここで開き直って語らなければならないのが主任司祭の務めです。つまり、直接自分のこととして反省し、うなだれて、
黙り込んでしまうのではなく、信徒の皆さんにも共通する教えとして、厚顔にも説明しなければなりません。敢えて言わせてもらえば、
わたしも単なる人間であり、別段、優れた取り柄を持っているわけではないので、皆さんとご一緒にイエスさまの教えを味わうことにしましょう。
今日の福音箇所の後半部分でイエスさまは、「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」と言われます。ここで言われる「実」とは何でしょうか?
主任司祭としてとか、家庭の主婦としてとか、学校の生徒としてとか、それぞれの役割による「実」が問題とされているのではないでしょう。
もっと根本的に、人間として、神さまに創られた神の子としての「実」と考えることができます。素朴に考えてみると、
まず心に浮かぶのは「信仰の実り」であり、礼拝行為に表される神への愛と、隣人愛のわざとなるでしょう。表向きは洗礼を受けていても、
心の底で神さまを信じていない方であれば、礼拝行為はうわべだけのものとなります。そして、少しでも不都合や障害があれば、
何かと理由を取り繕って信仰を実践しないことになります。また、自分の周囲の人々、とりわけ、困難にある人々の存在を無視して、
援助の手をまったく差し伸べようとしないなら、これもまた、信仰の「良い実」を結んでいるとはとても言えません。
でも反対に、「自分はこれこれの良いわざを行っている」と誇るならば、その「信仰のわざ」は、単なる自己満足に成り下がってしまうでしょう。
たまたま道で出会った人の困難を、神さまが与えてくださった機会として、謙遜に隣人愛のわざを実践していくことが「良い実」を結ぶはずです。
さあ、今週の水曜日からは、いよいよ四旬節になります。カトリック信者としての自覚を深める典礼季節です。
自分の周囲に置かれた「隣人愛の機会」を、見逃さないようにしましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
2月23日 年間第7主日 ルカによる福音 6章27節〜38節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の福音は先週の続きの箇所で、「敵を愛しなさい、憎む者に親切にしなさい」、そして、「人を裁くな、罪人だと決めるな」
という教えが宣べられます。自分に対して親切にしてくれる人や、身内・親族の者を愛するのは、半ば本能的な感情ですが、
イエスさまはこれを超えて、敵までも愛するように教えられます。「敵」とは元来、戦争などの極端な状況を示す言葉ですが、
誰が「敵」であるか、どこに潜んでいるかと捜し回る前に、何故それが「敵」なのかを考えてみる必要があります。
「敵」は「自分と対立するもの」という概念から始まっています。昔からの「戦争ごっこ」や「おままごと」と同じように、
現代の子どもたちが大好きな、妖怪や怪獣の場合、人類とは異なる存在として、「敵」を排除し攻撃することが、
通常まったくの善として考えられて、マンガやアニメなどのストーリーが作られています。しかし、人間は妖怪や怪獣ではありません。
にもかかわらず、愛し合うはずの同じ親族内、身内同士でも、例えば遺産相続をめぐって争えば、しばしば「敵」となってしまいます。
自分には相続する権利、取り分があるはずだと思い込んで、それを妨げる者を皆、「敵」と見なしてしまうのです。
遺産相続をめぐる抗争には、時として殺人事件にまで発展するものもあり、推理小説やホラー映画の格好の題材となっています。
つまり、初めから「敵」として存在していたのではなく、自分が「敵」を創り出したと言えるのです。
「敵」とは、自分の心の内に潜んでいた欲望や願望が、外に姿を現したものと言えるでしょう。また、愛し合ってきたはずの者同士が憎み合うという例は、
離婚についての争いにしばしば見られることです。離婚経験者の話からすると、離婚するには、
結婚するために費やした3倍以上の労力を必要とするようです。まあ、これは結婚したことのないわたしなどにはピンとこない話ではあります。
でも、このように考えると、イエスさまのお話にある、「悪口を言う者」、「頬を打つ者」、「上着を奪い取る者」などは、憎しみにしても、
まだ「序の口」と言えるでしょう。しかしその「序の口」であっても、これを押さえて解決し、さらには愛することができるためには、
どのような態度、力が必要なのでしょうか? 昔、「子は親のかすがい」と言って、両親の離婚を思いとどまらせたのは、
結局、可愛い子どもの存在であるとされていました。つまり、「子への愛情」だとされていたのです。
では、共通の子どもがないなどの、「子への愛情」という抑止力を前提としない状況でも、「敵」を愛するためには、
どのようなものが愛する力の源泉となるのでしょうか?
おそらくそれは、自分自身を冷静に見つめ直したときに、自分がどれほど取るに足りない人間であるかを自覚し、
そのような人間にも常に注がれている、神の愛に気づくことでしょう。陽差しのぬくもりのように、内側から氷の冷たさをとかしてくれる
神さまからの愛に気づく時に、自然とその愛に促されて、すべてを容認し、愛すことができるのではないでしょうか。
♪春〜よ来い、早〜く来い... 。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
2月16日 年間第6主日 ルカによる福音 6章17節、20節〜26節
〔そのとき、イエスは十二人〕と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、
ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から〔来ていた。〕
さて、イエスは目を上げて弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである。
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
10年ほど前、あるテレビ番組で「世界で最も幸せな国とはどこか?」というクイズがありました。経済的な指標についてではなく、
国民がどれほど満足しているかという観点からの問題です。正解は、ヒマラヤ山脈の東の端にある仏教王国のブータンだそうです。
国民のほとんどすべてが、王様を含めて、電子製品や家電機器を持っていないにも関わらず、現状の生活に満足しているからだそうです。
しかし、このように天国に近いような王国も、地球温暖化の影響を受けているようです。このブータンでの「スノーマンレース」を、
先月NHKテレビが放送していました。全行程のほとんどが富士山よりも高く、酸素の量は平地の半分ほどの高地で行われた、世界一過酷な山岳レースです。
番組では、参加選手たちのレースそのものよりも、地球温暖化の影響を受けて、ヒマラヤの氷河が溶け始めたための水不足、
また、氷河からの流れを堰き止める自然のダム、氷河湖が、温暖化によって決壊して起きる壊滅的な被害を大きく映していました。
その温暖化は、ヒマラヤから遠く離れた「豊かな」国々で排出した、二酸化炭素が原因となっているのです。真っ青な空に映えるヒマラヤの山々が、
被害を受けたふもとの貧しい村々とは、切ないほどに対照的でした。このブータンとは対照的に、世界的にも「豊か」と思われている国、
日本に生活する人々は、はたして本当に「幸せ」なのでしょうか? 確かに、一見、モノに溢れていますので、その意味では「豊か」なのかもしれません。
けれども、新聞やテレビで時折報道される「孤独死」や、「育児放棄」された子ども、「ヤング・ケアラー」などの問題は、
日本の社会全体としての、精神的な貧困を暴露しています。
さて、今日の福音でイエスさまは、4つの幸いと4つの不幸を示されました。貧しさ、飢え、悲しみ、周囲から理解されないことが幸いとされ、
反対に、豊かさ、満腹、笑い、周囲からほめそやされることが不幸とされています。常識的には、これらはまったく正反対のもので、
「幸い」と「不幸」が入れ替わっているように見えます。しかし、イエスさまが教えられる「神の国」が到来する終末においては、
すべての価値が逆転するのです。「神の国」の到来においては、この世的な幸いは、もしそれが神の御旨に適うものでないなら、
不幸の元凶となり、またこの世的な不幸は、教えのためにそれを耐え忍ぶ人には、大きな幸いのもととなるのです。
従って、自分の生活に満ち足りていて、何の不自由も感じていない人にとっては、「主の祈り」おける「御国が来ますように」という祈願は、
一段と恐ろしいものとなるでしょう。反対に今、さまざまな困難や苦しみにあえぐ人々には、この「主の祈り」が大きな慰めのもととなります。
尊大にも、健康だけが自分にとって一番大切な事柄で、その他には何の苦労もないと言い切る人は、貧困や飢餓にあえぐ世界中の人々や、
豊かな国の人々が勝手に排出した二酸化炭素が造り出す、地球温暖化の影響を受けている国々のことを知らないのでしょうか。
また、同じ日本に生活しながら、国籍や家庭の事情から、行政からも、また周囲の人たちや親戚からも助けてもらえない子どもたち、
そして外国籍の人々の存在を、理解していないのか、あるいは、あえて無視しているのでしょうか。
わたしたちの霊魂にとって、一番大切なものとは何かを、見失わないようにしなければなりません。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
2月9日 年間第5主日 ルカによる福音 5章1節〜11節
イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。
そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、
来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。
すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしの中学時代からの友人に、マナブ君がいます。わたしが修道会に入って司祭叙階する少し前に、彼もやっと結婚することになり、
相手を紹介してくれました。参考までにと、マナブ君に、「ところで、どうして彼女と結婚する気になったの?」と尋ねました。
すると、「ある日、二人で喫茶店に入ったときに、初夏だったので窓が少し開いていて、風がサーァっと吹き抜けたんだ。
そうしたら彼女の長い髪がパラッと顔にかかって、彼女はそれを指でかき上げたんだけど、その仕草がとても優雅に見えたので、
是非この人と結婚したいと思った。」との答えでした。へぇ〜っと思いながら次に、彼女に向かい、「どうして、貴女はマナブと結婚しようと思ったの?」
と尋ねました。彼女は、「そのとき彼は、『ごめん、ごめん』と言いながら、手にしていたタバコを灰皿で消してくれたんです。
その仕草がとても格好良かったものですから。」との答えでした。どうやら質問する方が馬鹿だったようで、実のところは二人とも、
「そんな大切なことは、他人にペラペラ話せるものではない」という回答だったようです。本当に大切な決断に至るきっかけというのは、
他人には明かせられないようです。
さて、今日の福音ではペトロの召し出しのきっかけが語られています。ペトロは自分が夜通し働いても、何もとれなかったのに、
あえてイエスさまの指図に従って網を降ろしました。すると、おびただしい魚がかかり、驚いて、「主よ、わたしから離れてください。
わたしは罪深い者なのです」と言います。そこでイエスさまから「人間をとる漁師に」と召し出されます。
常識では理解できない不思議な力をイエスさまが持っておられることを、ペトロは理解したのです。しかしそれは、
あくまでも人間としての能力を基準としたものであり、イエスさまの本当の姿を理解した後でのことではありませんでした。
その本当の理解が出来たのは、イエスさまが十字架の苦難を受けて死に、そして三日目に復活した後になります。
けれども、ペトロが最初イエスさまに従って行こうと決心したのは、漁師のペトロだけには分かる、不思議な力を見たからです。
しかし、それでもペトロはイエスさまの苦難に際しては、イエスさまを「知らない」と否定して逃げ出しています。
そして復活したイエスさまが現れてくださることにより、再度イエスさまについて行こうと決心し、自分自身の殉教に至るまで、
それは揺るぎませんでした。
召命とは、その道の最後までを完全に把握してから応じるものではなく、自分にとって充分な理由、
自分だけが分かる示しを感じとって応えていくものです。しかし、長い人生の間には、その決心を揺るがすような出来事が何度も持ち上がり、
その都度、召命の再確認を迫ってきます。
おそらく、結婚も同じなのではないでしょうか?「この人だ!」とひらめく一瞬があり、それは日常生活の何気ない言葉、
仕草の内に隠れているものでありながら、その人には決定的な意味を持つものです。人の生涯を左右する決断は、
損得勘定では測れない次元のもので、いつもその人の召し出しに関わります。しかしその決断は、一度限りで十分なのではなく、
おそらく毎日のように再確認していかなければならないものでしょう。一緒に天の国に入るまで。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
2月2日 主の奉献 ルカによる福音 2章22節〜40節
モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、
山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、
聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
シメオンが霊に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。
この救いは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
《父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
——あなた自身も剣で心を刺し貫かれます——多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いときに嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日は「主の奉献」の祝日です。イエスさまの誕生を祝った40日後に、律法(出エジプト13章)に従い、両親が、エルサレムの神殿において、
初子を神に献げたことの記念です。日本でも、子どもが生まれると、近くの神社(氏神さま)に連れて行くという「お宮参り」の風習がありました。
それは誕生後30日だったり、40日だったり、地方によって異なります。また「主の奉献の祝日」の以前の名前は、「マリアの清めの祝日」だったそうです。
マリアさまは出産されたので、日本的には「赤不浄」となります。「赤不浄」とは、出血にかかわる不浄一般を指しますが、
特に女性の生理や出産がこれに当たります。「不浄」とされると、通常の生活から遠ざけられますので、昔は会社勤めの女性なら、
「生理休暇」が毎月もらえました。出産の場合は母屋から離れた、出産の場所である「産屋」にこもって出産し、
その後、生まれたての赤ちゃんと一緒に定められた日数を過ごさなければなりません。それが30日だったり、40日だったりするわけです。
長い「有給休暇」のように思えます。でも、これはよく考えると、昔の人の知恵なのかも知れません。
昔の日本は、ほとんどが農家でしたから、そのお嫁さんたちは、立場上、朝から晩まで働きづめです。子どもを宿していても出産までは、
何とか体を動かして作業しなければなりません。しかし、魂と体の全力を使って出産した後では、少し動くのも大変で、無理に畑仕事などをすれば、
体を壊してしまいます。なるべく早く体力を回復させなければなりません。そこで「産屋」にこもっている間は、
お嫁さんの代わりにお姑さんが家事一切を引き受け、お嫁さんの分の食事も作り、産屋まで運んで来てくれるのです。
お嫁さんの方は、生まれたての赤ちゃんと二人きりで、濃密な子育ての時間をもらえるわけです。でも、「休むことができる」という表現では、
立場の弱い昔のお嫁さんたちにとり、現代女性の有給休暇とは異なり、「休み」を申し出るのは不可能だったでしょう。
そこで、「あなたは穢れているから」と決め付けられて、産屋から出ることなく、休み続けることを義務づけられるのです。
そして、その休み明けが「お宮参り」となるわけです。
さて福音の方では、老人であるシメオンとアンナが、両親に連れて来られた幼子イエスを祝福して、
「異邦人を照らす啓示の光、イスラエルの誉れ」であると宣べています。高齢となった人が、誕生したばかりの赤ちゃんを見て、その将来を祝福するのは、
自分の子でなくとも、新しい生命のなかに救いの光を見るからでしょう。当教会にも、同じように赤ちゃんや幼い子どもを連れて
ミサに与っている方々があります。子どもたちの泣き声や騒ぐ物音を、「うるさい!」と顔をしかめて叱るよりも、シメオンやアンナと同じように、
わたしたちの誉れ、救いの「しるし」ととらえ、お父さんやお母さんたちも一緒に、祝福してあげたいものです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
1月26日 年間第3主日(神のことばの主日) ルカによる福音 1章1節〜4節、4章14節〜21節
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、
物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、
わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
〔さて、〕イエスは『霊』の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしが初めて聖書を手にしたのは、小学5年生のときでしたが、「よし、読んでやれ!」とばかりに、
新約聖書の最初のマタイ福音書から読み始めました。ところが、皆さんもご存じの通り、マタイ福音書の初めの部分は、
アブラハムからイエスさまに至る系図が記されていますので、カタカナの名前ばかりが続きます。
そのアブラハムがどんな人物だったのか、何の説明もエピソードもなく、その子ども、またその子どもと系図は続いていきます。
何の予備知識もなかったわたしは、それが終わる頃には、もうあきてしまい、聖書を読めるのは、その後、大人になってからでした。
今でも、これから勉強しようとする方には、聖書は、ぱらぱらっとめくって、出て来た箇所から、つまり綺麗な表現にすれば、
聖霊が示す箇所から、読むように勧めています。そして、もっと勉強したい方には、ルカ福音書から読み始めるように勧めています。
旧約聖書の知識なしにも分かるからです。
さて、今日の箇所の前半は、ルカ福音書の「著者の序」とされる部分で、「テオフィロさま」という人物に献呈された形を取っています。
この名前が「神を愛する者」という意味を含むことから、キリスト信者すべてに対して宛てられたものと理解できます。
ルカ福音書は、この「著者の序」に続いて、今日は割愛されていますが、「洗礼者ヨハネとイエスの誕生」(1・5〜2・52)と
宣教への準備」(3・1〜4・13)が述べられ、そして今日の「宣教開始」に続きます。ですから、ルカ福音書におけるイエスさまの宣教の第一声は、
「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき、実現した」というものなのです。
イエスさまがお読みになった聖書は、預言者イザヤの巻物(61・1〜2)なので、主の僕の使命、つまり「約束された救いの到来を告げる使命」
を宣言して宣教を開始されたのです。これをイエスさまは「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣べられました。
では、「今日」とはいつなのでしょうか? 「今日」とは、2千年前のある日ではなく、この言葉がわたしたちの耳に届いた「今日」です。
「あなたがた」とは誰なのでしょうか? イエスさまのお声を聞いていた、ナザレの会堂に集まった人々でしょうか?
しかし、この福音書は「テオフィロさま」に宛てられたものです。つまり、神を愛し、イエスさまの教えについて良く知りたいと願う人たちに
宛てられたものです。それは、イエスさまの教えについて初めて聞いた人だけでなく、既に何度も何度も聞いている人、わたしたち、
既に信者となった者にも宛てられているのです。わたしたち自身が「貧しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる」とき、この言葉が「実現した」とされるのです。
つまり、聞くだけではなく、実際に、経済的に貧しい人、因習に捕らわれている人、救いへの希望が見えない人に、
解放と光をもたらすことが言われているのです。
このように考えると、世知辛い社会にあって、さまざまな制約を受けている人、絶望の淵に瀕している人、困窮している人々が、
自分の周囲には多くいるのに気づくときにこそ、イエスさまの言葉が思い出されるのです。
「主の霊がわたしの上におられる。」イエスさまはこの言葉によって、ご自分の使命をはっきりと自覚され、宣教を開始されました。
イエスさまの弟子となったわたしたちも、自分の使命を思い起こして、隣人愛のわざを捧げなければなりません。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
1月19日 年間第2主日 ヨハネによる福音 2章1節〜11節
〔そのとき、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、
「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、
かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、
世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
福音では、婚礼の最中にぶどう酒が足りなくなり、イエスさまが水をぶどう酒に変えるという奇跡をなさいます。
イエスさまが相当な酒好きであったなどと考える必要はありません。イスラエルの結婚式は3段階に分けて理解できます。
まず、花婿の家族は、彼が結婚を切望する若い女性の親と婚約を取り決めます。この婚約はラビからの離婚許可書なしには破棄されることができません。
そのためこの段階で既に結婚したものと見なさているのです。もし、その後に他の異性と性交渉を持つなら、これは姦通したことになり、
律法の規定に従えば「石殺し」になる可能性があります。ですから、イエスさまを身ごもった時のマリアさまは、
大変危うい状況に追い込まれていたのです。さて、結婚の次の段階は、人々の前でのお披露目と祝杯です。
まず、ぶどう酒と式のための祝福が行われます。次いで、花婿と花嫁が天蓋の下に立ち、花婿が花嫁に指輪を渡します。
結婚証書が読まれ、もう一度ぶどう酒が祝福されて、結婚のための七つの祝福の言葉が唱えられます。
それは、ぶどう酒、被造物、男、女、シオンの出来事、結婚の喜び、イスラエルの回復についての祝福です。その都度、参列者は祝杯を挙げます。
そして第3の段階は、花婿と花嫁が一室に退いて二人だけとなり、結婚式は完了します。饗宴は3日から7日間続くとも言われます。
ですから、今日の福音箇所はこの結婚式の第2段階にあたるもので、乾杯が終わらなければ結婚の祝福が中断されることになってしまうのです。
単に酒飲みどもの欲求を満たすための乾杯ではなかったのです。
また「宴会の世話役」は、イエスさまが変化させたぶどう酒を味見して、良いぶどう酒だと言いましたが、彼が現代のソムリエのように、
ぶどう酒を鑑定する専門家であったとはされていません。ただ一口飲んだだけで分かるほどの違いがあったということです。
それは、当時は、秋に実を収穫して発酵させたぶどう酒を長く持たせるために、アルコール度数と糖度を上げて腐敗を防がなければなりませんでした。
焼酎ほどのアルコール度数になったと言います。これを実際に飲む場合は、適度に水で割って飲まなければなりません。
糖分のあまり多くないブドウで造ったものは、長く置くと酸化して、半ば酢になってしまうので、海水のような塩水で割ってごまかしたようです。
そうすると塩味の混じったぶどう酒となります。宴会の世話役は、まったく塩味のしない純粋なぶどう酒を一口味わって、
「良いぶどう酒だ」と花婿をほめたのです。
さて、イエスさまは母マリアさまに「婦人よ」と呼びかけています。サマリアの女性に呼びかけたとき(ヨハネ4・21)と同じ言葉なので、
自分の母親に対するものとしては、とても他人行儀で冷たい印象を与えてしまいますが、少しイエスさまの意図は異なるものだったでしょう。
別の箇所、受難の箇所では、十字架の下に立つマリアさまに「婦人よ、これはあなたの子です」(ヨハネ19・26)と愛する弟子を示しています。
その意向として、マリアさまがキリストを信じるすべての者の母親となることを願ったのであれば、
人類の始祖であるエワと対比されていることが分かります。つまり、エワが罪を犯すことによって、その子孫のすべてに原罪の害悪を
及ぼしたのに対して、マリアさまは、すべてのキリスト信者のために恵みを執り成す母と立てられたと言えるのです。
まさにカナの婚礼の場面もこれに当たります。
わたしたちの生活において、それほど高尚ではなくとも、身近で切実な事柄を、直接神さまやイエスさまには気恥ずかしくて
お願いできないようなことも、母であるマリアさまには打ち明けることができ、マリアさまは必ず執り成してくださるのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
1月12日 主の洗礼 ルカによる福音 3章15節〜16節、21節〜22節
〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。
わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
先週の中頃から学校などの冬休みが終わり、授業が再開されたようです。隣の幼稚園でも金曜日に始業式となり、
朝と昼の送り迎えも再開されたようです。休み中にたっぶりと家族の愛情に甘えていた子どもたちには、
また「親離れ」の試練のときとなります。
さて典礼では、降誕節の締めくくりとして今日は「主の洗礼」を祝い、明日の月曜日からは年間の典礼となります。
福音では、イエスさまが聖家族に守られた生活から、宣教生活に踏み出すことを示して、イエスさまご自身がヨルダン川で、
洗礼者ヨハネから洗礼を受け、そのとき三位の神性の現れたことが紹介されます。御父は「天からの声」として、また聖霊は「鳩のように見える」姿で、
そしてイエスさまは「祈る人」として描写されます。この洗礼の後、イエスさまは荒れ野での試みを受けられ、それから宣教を開始することになるのです。
イエスさまの洗礼において三位の神性が現れることから、その後の宣教生活におけるイエスさまの言葉とわざは、常に三位の神のわざ、
つまり御父そして聖霊のわざでもあることが示されているのです。
特に御父については、「天からの声」と表現されます。旧約聖書の創世記には、天地創造の第1日目に、神が光あれと「仰せになる」と、
そのとおりになったとされています(創世記1・3)。そして続く第2日目も第3日目も、第6日目まで、神は「仰せになる」ことを通して、
そのわざを行われます。このため、「創造する方の声」として表現されていると理解できます。御父は創造主なる神なのです。
同じように聖霊は、神の霊として、天地創造の初めに、「水の上を覆うように舞う」姿で描かれます(創世記1・2)。
フランシスコ会訳聖書の注釈を見ますと、「『覆うように舞っている』という動詞(ラヘーフェー)はまれにしか使われない語で、
鷲が雛鳥を飛ばせようとして、その巣の上を舞っている様を描く申命記32章11節に用いられている」とあります。
イエスさまはそのとき、「洗礼を受けて祈っておられます。」創世記の天地創造の箇所にあてはめれば、「深淵」のように静かな状態です。
このことは、聖霊が「鳩のように降って来る」ことの理解を助けるもので、「まったく霊的でない存在の上に聖霊が降った」のではなく、
同じ霊的な本質を持つ方、イエスさまの上に舞う(降る)ことにより、その霊的本質を発露させるよう促している様を描くものとなります。
このように、創世記における天地創造の初めを描写する神の働きが、再びイエスさまの洗礼において行われることによって、
イエスさまが「新しい世界」を創造し、開く方として示されていることが分かります。
すべてを新しくされるイエスさまへの信仰を新たにして、わたしたちもまた、新しい年をご一緒に築いてまいりましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
1月5日 主の公現 (祭日) マタイによる福音 2章1節〜12節
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレム
に来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、
拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや
律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民、イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを
詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて
出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物
として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
公現とは、隠れていた神が公にその実の姿を現すという意味です。その意味では、今日の福音にある、
1)占星術の学者たちによって幼子のイエスさまが拝まれたという箇所だけでなく、2)洗礼者ヨハネからイエスさまが洗礼を
お受けになったときに、神の霊が鳩のように降り、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声
がしたというイエスさまの受洗の箇所(マタイ3・17;マルコ1・11;ルカ3・22)、そして、3)山の上で弟子たちの前でイエスさま
の姿が変わり、モーセとエリアが現れ、そして光り輝く雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」
との声がしたというご変容の箇所(マタイ17・1ー5;マルコ9・2ー8;ルカ9・28ー36)があります。一方、イエスさまがこの世に現れた
という固有の意味で、クリスマスの一環として御公現が祝われ、以前は東方典礼の降誕祭に合わせて、1月6日にお祝いしていました。
御公現の中で重要な役割を担っているのが占星術の学者たちとその贈り物です。学者たちの名前は、伝説によればカスパー、
メルキオール、バルタザールです。ローマ留学していた頃、ドイツ人の同級生が主任を務めていた小教区で冬休みを過ごしたことが
ありました。彼の小教区では、御公現の祭日に子どもたちが占星術の学者たちの扮装をして各家庭を訪問し、今年でしたら
「2+C+0+M+2+B+5」と玄関のドアにチョークで書いていきます。西暦を表す数字とアルファベットの合わさったこの文字を、
子どもたちは占星術の学者たちの名前、カスパー、メルキオール、バルタザールの頭文字だと思っていたようですが、友人によると
それは "Christus Mansionem Benedicat"(キリストがこの家を祝福してくださいますように)というラテン語の頭文字だそうです。
降誕祭の飾りの馬小屋では、学者たちは白人と黒人、そしてアジア人を代表するような肌の色です。この学者たちが献げた贈り物は、
黄金、乳香、そして没薬です。黄金は権威を表し、キリストの王職のため、乳香は神さまへの献香に使う、祭司職のため、そして
没薬は古くは医師の務めも担っていた預言者の職務のためとされます。
しかし、このような献げ物としての考察よりも、学者たちが持って来た宝物は、その後どのように使われたのだろうかと気になります。
子どもたちにも分かる説明としては、次のようになります:イエスさまが誕生して間もなく、ヘロデ王による追求の手を逃れるために
聖家族はエジプトに行きました。そこでは陽射しがとても強かったので、マリアさまは赤ちゃんのイエスさまの日焼け止めのために
「乳香」を使いました。また時が流れて、大人となったイエスさまが教えを宣べ伝えたために十字架に付けられてしまったとき、
マリアさまは埋葬のために「没薬」を使いました。では、黄金はどうなったのでしょうか? 実は、イエスさまが復活して弟子たちを
遣わして、全世界で教会を作り始めたとき、マリアさまはその中心となった司教さまたちに、それぞれ「黄金」の指輪を作ってあげた
とのことです。現代でも司教さまたちは、その権威を表す指輪をつけています。学者たちの贈り物は、イエスさまの生涯のみならず、
その後の教会にまで助けとなったという次第です。
子どもたちがしっかり勉強して、将来は立派な学者になることができたら良いですね。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
1月1日 神の母聖マリア ルカによる福音 2章16節〜21節
〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、〔彼らは、〕この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今日は元旦、新しい年が始まる日です。
日本では、新年というと、元日だけでなく、1月一杯いろいろな行事が企画されます。しかし、ローマでは新年の祝いというと、
1日(ついたち)だけです。午前零時の時報とともに、教会の鐘を鳴らすだけでなく、人々もそれぞれの家でパンパンとクラッカーを鳴らしたり、
自動車のクラクションを盛大に鳴らしてお祝いします。
下町のトラステベレ地域などでは、ローマっ子が古くなったものをアパートの窓から投げ捨ててしまうため、朝早く外出するときには、
道路上に投げ捨てられたモノをよけながら歩かなければなりません。もちろん、市の清掃局は、もう午前3時ころから道路の清掃を始め、
元日の教皇さまのミサに与ろうとする善男善女の邪魔にならないようにしています。
さて、1日だけでは終わらない、日本の年中行事では、年が新しくなってから初めて行う「〇〇初め」という表現が、
この日を基準にいろいろな分野で使われます。例えば、書道の「書き初め」や消防の「出初め式」、
皇室などでの優雅な「歌会始」(うたかいはじめ)があります。アマチュア・スポーツでは、例えば、
箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)が2日と3日に、また花園高校ラグビー(全国高等学校ラグビー・フットボール大会)は、
暮れの12月27日から1月7日にかけて行われますが、年の初めだからというより、学校が冬休みだったり、普段は混雑する国道1号線で
交通の邪魔にならないという理由もあるようです。
一方、教会の典礼暦年は、イエスさまが誕生したクリスマスを中心に考えていますので、待降節の第1主日がその始まりです。
でも、もう一つの教会の暦、聖人暦は、1月1日の「神の母聖マリア」の祭日に始まり、12月31日の「聖シルヴェルストロ1世教皇」の記念日で終わります。
ですから、大晦日にウイーンで行われるクラシック音楽のコンサートは(ドイツ語式では)「ジルベスター・コンツェルト」と呼ばれ、
翌日の元旦に行われる「ニューイヤー・コンサート」と同じ演目を行うそうです。年の終わりと年の始まりに、同じ曲を上演することは、
年が改まることによって嫌なこと、不幸なことに区切りをつけようとするよりは、神さまからの祝福の連続を願っているようです。
このように、世界中で新しい年の始まりをお祝いしていますが、特に日本では、毎日曜日の他に、信徒が集まりやすい日として、
1月1日の「神の母聖マリア」の祭日と8月15日「聖母被昇天」の祭日には、平日であっても教会に行ってミサに与るよう、
すべての信徒が義務づけられています。
日本人にとって重要な日なので、どこかの神社やお寺に参詣に行くよりは、教会に行って祈りなさいという趣旨なのでしょう。
神さまからの祝福を受けて始めることによって、この一年間が平和で実り豊かでありますようにと祈る思いは、宗教や文化を越えて、
すべての人に共通するものです。この年もまた、世の人すべてに、豊かな祝福が与えられる年であるように祈りましょう。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月29日 聖家族 ルカによる福音 2章41節〜52節
〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を探し回ったが、見つからなかったので、
捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。
御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
さて、今日は「聖家族」の祝日ですが、「聖家族」というタイトルを聞くと、互いに完全に理解し合い、何のいさかいも、
行き違いも生じないような、理想的な家庭のように受けとめられがちです。しかし、今日の福音では、少々異なった様相が示されます。
12歳になった少年のイエスさまが、両親に断りもなく勝手にエルサレムに残り、両親はそれと気づかずに3日も捜し回ります。
何故こんなことにと、皆さんは思われるかも知れませんが、「12歳」という年齢と当時の巡礼の在り方が関係しています。
イスラエルでは当時、巡礼旅行の際には男女別々の組になって歩きました。それで、12歳になったイエスさまは、
おそらくエルサレムに向かうときには、マリアさまと一緒に歩いていったのでしょう。帰るときに、マリアさまはイエスさまが側にいなくとも、
「あの子も大きくなったから」と、ヨゼフさまと一緒にいるものと思い、ヨゼフさまの方は「あいつはまだまだガキだな」
とイエスさまはマリアさまと一緒にいると思ったのです。それで一日分の道のりを歩いてしまったという訳です。
往復で2日ですが、出発の日を数えて3日となります。
母親のマリアさまは「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」と反省を促しました。
しかしイエスさまの反応は、素直な謝罪の言葉ではなく、かえって、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
知らなかったのですか。」とイエスさまの方が驚いています。その言葉は、ご自分がヨゼフさまの子ではなく、
神の御子として自覚され始めたことを示しています。
ヨゼフさまのその時の言葉は示されていません。しかし、ヨゼフさまは、もともと寡黙な方であったので、黙ってその言葉を受け流されたことでしょう。
マリアさまは天使からのお告げでイエスさまを身籠もったのですから、イエスさまの反応を理解出来たはずです。
またヨゼフさまの方も、同居する前にマリアさまが身ごもっていたのを知った際に、夢で天使からお告げを受けて(マタイ1・19-23)、
マリアさまを辱めることなく「彼女を妻として家に迎え入れた」(マタイ1・24)と記されていますので、同じように納得されていたはずです。
しかしお二人とも、天使からのお告げが具体的にどのようなことを意味するかを、完全には理解していなかったのでしょう。
今日の福音がそれを暴露しています。
では、どうしてイエスさま・マリアさま・ヨゼフさまの家族は、互いに完全には理解していなかったのに、一緒に生活できたのでしょうか。
それはおそらく、互いに人として尊重し合う心があったからではないでしょうか。実際、ややもするとわたしたちは、血がつながっているだけで、
互いに分かり合っているような気持ちになったり、あるいは、自分と同じ屋根の下に一緒に暮らしているから、自分と同じ考えを持つはずだといった、
一方的な思い込みを抱きがちです。反対に、血がつながっていなければ、また、同じ屋根の下に暮らしていなければ、
本当にはわかり合えないとも考えてしまいがちです。しかし、そのような思い込みは、かえって互いの真の理解や協力を妨げてしまうでしょう。
聖書には述べられていませんが、もしかすると聖家族は、その後、互いにわかり合えるようになるまでに、
沢山の努力をして行かなければならなかったのかも知れません。
だとすると今日の福音箇所が示している「聖家族」の手本は、神さまから選ばれたことにあるのではなく、互いの相違や、
自分の理解を超える部分を、人格を尊重して受け入れること、互いに譲歩しながら少しずつわかり合っていこうとする努力にあると言えます。
だからこそ、わたしたちの家族にとっての手本となるのです。本能的な感情に基づくだけではない、愛の姿なのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月25日 主の降誕(日中) ヨハネによる福音 1章1節〜18節
初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は、初めに神と共にあった。
万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言(ことば)によらずに成ったものは何一つなかった。言(ことば)の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
《神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。
光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。》
その光は、まことの光で、世に来てすべての人をてらすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その他を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
《ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしよりも優れている。
わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。》
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
クリスマス、おめでとうございます。
主の降誕、日中ミサの福音箇所は、「初めに」の語で始まる「神であるみことばの賛歌」で、「ロゴス賛歌」とも呼ばれています。
旧約聖書の最初の書である創世記も、「初めに」の語で始まりますので、このヨハネ福音書は、天地創造が行われたとき、
つまり世界が創られたときには、既に「みことば」が神と共にあったことを記しています。
一般に、「みことば」であるイエスさまが人となって生まれたのは、「世を救うため」であったとされています。
しかし、「世を救うため」ということを、単にイエスさまがお生まれになった当時のローマ帝国の支配からイスラエルの民を解放するため
と理解するなら、イエスさまを政治家か革命運動家かのように把握することになってしまいます。
その時点から2000年も経過して、ローマ帝国などとっくに滅亡してしまった現代では、何の意味も持たなくなります。
ですから、「みことば」が人となってこの世に来なければならない理由は、単にイスラエル民族やローマ帝国などという、
個々の民族や国家を超えた「人類全体」に関するものであるはずです。それは、人間の世に常に存在してきた悪と罪、
つまり、「原罪」とされるものからの解放でなければなりません。
旧約聖書では「原罪」を、人祖アダムとエワが神さまからの言いつけに背いて、善悪の知識の木の実を食べたことと描写しています。
そのことから、その罪の結果は、罰として彼らが楽園から追放されるだけに止まらず、すべての人間に及んでいること、
それぞれの人間が自分の自由意志で何らかの悪を犯すことによって、その「原罪」を自分のものにしていること、
また、誰の責任にも特定できないような、共通の悪の存在を説明するものとなります。また神さまは「愛そのものである方」(1ヨハネ4・16)なので、
悪とは、愛に背く行いのすべてと言うことが出来ます。そのため神さま側から、新たな救いの手が差し伸べられなければ、
人間はこの状態から脱出できないのです。
しかし、人祖が罪を犯したことに起因すると仮定すると、もし仮に、人祖が罪を犯さなかったならば、「みことば」である御子が
人間となって生まれる必要がなかったことになります。このような、人間の罪だけに注目してしまう考え方を排除するのが、今日の福音です。
人祖アダムとエワが罪を犯した原罪を前提として、その罪の結果から人類を救うために、御子イエスさまが人となられたというよりは、
この福音箇所が教えるのは、世界の初めから神さまと共にいて、万物をお造りになり、その天地創造のわざを完成するために、
「みことば」である御子が遣わされたことです。実に御子イエスさまによる救いとは、人間を悪と罪の状態から、創造の初めにあった幸いな状態、
「原始義」を取り戻すに止まらず、わたしたちを「神の子」とするまでに高める「救い」なのです。つまり、「愛そのものである方」からの、
「新たな愛」が差し伸べられたのです。
御降誕おめでとうございます。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月25日 主の降誕(夜半)ルカによる福音 2章1節〜14節
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、
彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
クリスマスを迎えました。一昔前ですと、駅前の商店街や、近くのスーパーでも、クリスマス・ソングが賑やかに流されていたのですが、
最近はあまり大音量にはしないようです。自粛というわけでもないのでしょうが。
けれども、子どもたちにとっては、お正月に続いていく楽しみなシーズンに、変わりありません。教会の幼稚園だけでなく、
無宗教の公立幼稚園や、お坊さんが経営する幼稚園までも「クリスマス」を祝い、「♪き〜よし ♪こ〜のよる」と歌うそうです。
もちろん中心は、サンタクロースの登場と、プレゼントがもらえるパーティーです。クリスマスは、既に日本の文化に定着したと言えるでしょう。
そのためか、教会の近くでも、一般の住宅に、チカチカと点滅する豆電球で飾ったクリスマス・ツリーや「トナカイさん」が見かけられます。
信者さんのお宅か、あるいは小さなお子さんのいる家庭なのだろうなと想像してしまいます。また、先年訪れた関西のある新興住宅地では、
町内全体にチカチカ電球のモールを張り巡らせ、クリスマス・ツリーも裏通りの十字路中央に大きく飾られていました。
比較的若い世代の親たちが、子どもたちのために、町内会で申し合わせて飾ったようです。まったく宗教色なしにも、
クリスマスを祝うことができます。なにしろ、主人公は「赤ちゃんのイエスさま」なのですから。
しかし残念ながら、本家のカトリック教会では、最近のインフルエンザなどの影響で、クリスマスのパーティーを控え目にしなければ
ならなくなりました。さらに、ロシアとウクライナの間だけでなく、パレスチナとイスラエルの間の戦争から、中東全体が不穏な雰囲気となり、
そのために日本でも、遠い国々の戦争の影響を受けた景気の沈滞で、会社が倒産したり、また解雇されないまでも、
給与を減らされたりしている方々のことを思うと、単純に、自分たちの信仰や楽しみだけを考えてはいられません。
戦争の恐怖から難民となった人々、また種々の理由で経済的貧困にあえいでいる人々のためにこそ、教会は救いへの希望を
掲げ続けなければならないからです。
このような厳しい社会情勢だからでしょうか、夕方にたまたま通りかかった、普段は教会の礼拝とは無縁の方も、
教会の入り口にある掲示板の飾りや、イエスさま像の周囲でチカチカ光る電飾、窓を飾るステンドグラスの明かりを見て、
ひとときの安らぎを得ておられるようです。何の苦労も心配もなく、家族に囲まれて幸せだった子どもの頃の思い出が、
クリスマスの飾りを通してよみがえってくるのでしょう。もしかすると、それこそがクリスマス本来の意味かも知れません。
すべてを御覧になっておられる神に祈りを捧げながら、静かに救い主の誕生を祝いましょう。クリスマスおめでとうございます。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月22日 待降節第4主日 ルカによる福音 1章39節〜45節
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
今日の福音は、マリアさまのエリザベト訪問の箇所です。天使からお告げを受けた後、マリアさまは親戚のエリザベトを訪問します。
するとエリザベトの胎内で子が喜びおどりました。それでエリザベトは、声高らかにマリアさまを祝福します。
エリザベトとマリアさまという2人の女性は、それぞれ旧約聖書と新約聖書を体現する人物を産むことになるのですが、
エリザベトが年老いた不妊の女であったのに対して、他方のマリアさまは若いおとめであり、
この対照が旧約聖書と新約聖書の対比に反映されています。マリアさまの挨拶を聞いて、エリザベトの胎内で「おどって喜んだ」
お腹の赤ちゃんは、後に洗礼者ヨハネとなります。この場合、「おどった」とは、日本舞踊のように静かに「踊る」ではなく、
飛び上がって喜ぶ「躍る」です。期待に胸を弾ませる「心躍る」以上に、喜びを表現して「体ごと躍った」のです。
つまり、子どもが「ワーイ!」と言って喜んで、飛び跳ねて「躍る」ようなものです。この赤ちゃんの動きは、
旧約聖書の代表である洗礼者ヨハネの反応を示すものなので、マリアさまの挨拶のお声には、新約聖書を体現する
イエスさまの御旨が反映されていることになります。
かつて、新司祭の頃、聖書の勉強会に来ていたお母さんたちに、「お腹の中の赤ちゃんは、本当に『おどる』のですか?」
と尋ねたことがあります。お母さんたちは、「『おどる』というより、動いたり、お腹を蹴ったりする」と答えました。
「どんな時に?」と重ねて尋ねると、「美味しい物を食べたとき」や「お風呂に入ったとき」、
「コタツに入ってミカンを食べながらテレビを見ていたとき」などの答えでした。その他の答えもありましたが、
すべてリラックスしているときで、例えば台所で包丁を使って料理しているときとか、お母さんが緊張して何かの仕事をしているときには、
お腹の赤ちゃんもじっとしているそうです。お母さんの緊張感が胎内の赤ちゃんにも伝わるのでしょう。
このことから類推すると、エリザベトは、偉い人や難しい人を迎えたときのように、緊張しながらマリアさまを迎えているのではなく、
親戚であり、気配りや遠慮のいらない女性を、喜びにあふれて迎えていたことが、人間的にも理解されます。
そのことはまた、旧約聖書と新約聖書の関係についても当てはめることができます。新旧両聖書は、まったく異質な書物なのではなく、
互いに補完し合い、関係しています。イエスさまは、イスラエルの民が長い信仰の旅路を経た上で、初めて人間としてお生まれになったのです。
これをわたしたち個人の信仰の旅路について当てはめて考えると、わたしたちもまた、イエス・キリストと出会うため、
本物の信仰に巡り会うために、それぞれ長い回り道をたどってきました。それは、たとえ先祖からの信仰を受け継いで幼児洗礼を受けた方でも、
成人してから洗礼を受けた方と同じように、信仰を自分自身のものとするまでに、迷いや長い試練のときがあったはずです。
つまり、信仰にたどり着くまでの道のりを、わたしの旧約時代とするならば、その中にすでに、
信仰に導かれる新約時代が隠されていたと考えることができます。だからこそ、イエスさまの誕生を、わたしたちの信仰の誕生として
祝うことができるのです。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月15日 待降節第3主日 ルカによる福音 3章10節〜18節
〔そのとき、群衆はヨハネに、〕「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。
自分の給料で満足せよ」と言った。
民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。
わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
やっとこの季節らしい寒さが訪れてきました。今日は12月の15日、待降節の第3主日です。この日にミサの司式者は、「バラ色」の祭服を着用します。
それは、待降節の節制を強調する「紫色」ではなく、第一朗読と第二朗読で示された「喜び」を表す色です。
そのため、かつては節制期間の「中休み」とも言われましたが、待降節に入っても、あまり特別な節制もしていないわたしなどにとっては、
少し恥ずかしい思いがさせられます。でも、昔の厳しい規定に縛られていた時代では、待降節中のこの日には「結婚式」が許される「喜びの日」でした。
さて今日の福音は、イエスさまについてではなく、先駆者である洗礼者ヨハネについてのものです。ヨハネが宣教を開始し、
悔い改めの洗礼を宣べ伝えると、大勢の人々が洗礼を受けに彼の所に来ますが、ヨハネはファリサイ派やサドカイ派の人々を、
「まむしの子孫よ」(ルカ3・7)と呼んで彼らを寄せ付けません。ですから、「群衆」はヨハネに「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。
ここの「群衆」とは、ギリシア語原文では「オクロイ」(οχλοι)であり、暴動騒ぎなどに集まってきた「人々の群れ」や「大衆」を意味し、
ファリサイ派やサドカイ派のような特別の立場にない、一般の庶民であったことが分かります。
ヨハネはこの庶民に、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。」と答えます。「下着」と訳されている語は、
ギリシア語では「キトーナス」(χιτωνας)なので、日本語の「下着」よりは、「衣服」を意味します。例えば、イエスさまを尋問していた大祭司が、
イエスさまのことばを聞いて「衣を引き裂いて言った」という箇所(マルコ14・63)での「衣」(キトーナス)は、
着ている衣服・上着を意味することから分かります。このことから今日の箇所でヨハネは、着替えを持てる余裕のある者は、
上着を一つも持てない者に分かちなさいと教えているのです。そして徴税人や兵士たちにも、簡単に実践できる良心的な生活を教えました。
このような教えを聞いて、宗教的にも社会的にも、奪われては困るような立場を何一つ持っていない「民衆」は、メシアを待ち望んでいて、
ヨハネに期待をかけていました。ここの「民衆」とは、ギリシア語原文で「ラオン」(λαον)であり、指導者でない者、
またユダヤ人でない諸民族を意味します。
このように、財産も地位も、何も持たない者、また血筋もはっきりしない庶民こそが、純粋にメシア・救い主を待ち望むことができ、
それゆえヨハネから、イエスさまを示してもらえたのです。それはユダヤ人だけに留まらず、使徒たちの宣教によって異邦人にも広げられた招きでした。
実際、異邦人改宗者が最初に生まれたフィリピに対して、使徒パウロは「フィリピの教会への手紙」の中でこう言っています。
「皆さん、主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4・4)
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月8日 待降節第2主日 ルカによる福音 3章1節〜6節
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、
その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、
神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを見る。』」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
この夏頃から脊柱管狭窄症になってしまい、背筋を伸ばして歩くと痛みが走ります。背中を丸めた「おじいさん歩き」をすると、少し楽になります。
まったく、おじいさんになってしまいました。
さて、日本のおとぎ話は大抵、「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」で始まります。
それは主な聞き手である子どもたちの空想を引き出すためであり、現実のことではないという前提の上に、荒唐無稽な世界を示すためです。
始まりのことば、「昔々あるところに」とは、具体的な年代と場所を無視した物語であること、また「おじいさんとおばあさん」とは、
子どもたちにとって、とてつもない年寄りとして、やはり想像も付かない経験や物語を暗示します。
子ども向けのイエスさまの誕生物語においては、時々、マリアさまが、本を正せば、由緒正しき家柄の生まれで、
お姫さまか何かのように扱っているものもあります。これに対して聖書は、救い主であるイエスさまを描写しています。
今日の福音箇所でも、イエスさまの宣教の先駆者としての洗礼者ヨハネを記すために、当時の皇帝や領主たちの名前を列挙し、
その登場の場所を明記して、これが実際に起こった事柄であることを示しています。聖書の注釈によりますと、
「皇帝ティベリウスの治世の第15年」とは紀元28年頃、「ポンティオ・ピラトがユダヤの総督」であったのが紀元26年から36年までの10年間です。
さらに、「アンナスとカイアファとが大祭司であったとき」とされていますが、カイアファが紀元18年から36年までの大祭司であり、
アンナスはカイアファのしゅうとで、紀元6年から15年までの大祭司でした。けれども、アンナスは紀元6年に、
当時のユダヤの領主アルケラオを追放して、ユダヤに一定程度の自治権を取り戻させた功績により、
紀元15年にローマの支配者によって更迭された後も、大祭司の称号と権威を持っていたとされています。
この洗礼者ヨハネが活動を開始した場所が「荒れ野」であったことは、20世紀に遺構が発見されたことで有名な、
クムランでのエッセネ派を思わせます。エッセネ派は、現代風に言えば、観想修道院のようなもので、世俗の穢れから離れて浄化されることを願い、
社会に関わることなく集団生活している人たちでした。エッセネ派にも入信の浄化儀礼としての「洗礼」がありましたが、
その洗礼は、律法の完全な遵守を約束できた、比較的裕福な者だけに許されました。これに対して洗礼者ヨハネは、このエッセネ派の元を去って、
「ヨルダン川沿いの地方一帯に行き」、「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」のです。
その対象はすべての者であり、律法を完全に守り得る者も、またそうでない者も、悔い改めを願う者すべてに洗礼を授けたのです。
この洗礼者ヨハネから、イエスさまご自身が洗礼を受けられたことから(マタイ3・13)、イエスさまも洗礼者ヨハネの弟子となったこと、
そして彼の活動がイエスさまの宣教の手本となり、特別な階級に属さない一般庶民に、救いのメッセージを伝えたと言えます。
このように考えると、イエスさまもわたしたちと同じく、一般庶民の出身であったと推測することができます。
しかし、救い主であるイエスさまを再び迎える準備の待降節にあたって、イザヤ預言書が記しているように、曲がりくねって、
でこぼこになってしまった、わたしたちの心を改めていかなければなりません。
--- * --- * --- * --- * --- * ---
12月1日 待降節第1主日 ルカによる福音 21章25節〜28節、34節〜36節
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、
諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。
天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、
いつも目を覚まして祈りなさい。」
主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
わたしが生まれ育った所は、東京・葛飾のはずれ、いわゆるゼロメートル地帯でしたので、昔は大雨が降ると、
直ぐに江戸川や荒川放水路の水が溢れて、洪水になってしまいました。戦後間もない頃に来た大きな台風の際には、
軒下あたりまで泥水に浸ってしまったそうです。そんな毎度の洪水も、台風が去って水が引き始めると、
大人たちが泥水に浸かった家具の後片付けや掃除に追われているのに、小学生のわたしなどは、のんきに、学校が休みになったのを幸いに、
水が引くまでのしばらくの間、路地に流れてきた古い木材を集めて即席の筏を作り、
近所の子どもたちと一緒にそれに乗って遊んでいたのを思い出します。
さて、今日から待降節、紫の季節です。イエスさまが再び到来されるのを迎える準備の期間です。
子どもたちは商店街を彩るクリスマスのきらびやかな飾りを見て、サンタクロースからもらうプレゼントへの期待を
膨らませていることでしょう。けれども、待降節の始まりである今日の福音では、「来たるべきその日」が告げられ、
その日には「恐ろしさのあまり気を失う」ほどのことが起きると言われます。おそらく、罪深い大人たちにとっての話でしょう。
子どもたちはそれほど罪深くないので、「恐ろしいこと」があまり想像できないのかも知れません。
つまり、失う物を持っていない者にとっては、「海がどよめき荒れ狂っ」ても、「天体が揺り動かされ」ても、大雨で水が溢れてきたときの、
子どもの頃のわたしのように、「どんな遊びをしようか?」と、災害をも楽しんでしまうかも知れません。
この世の「正常な」状態といったものを、まだ身につけていないからです。
では、大人たちは一体、何を恐れるのでしょうか? 自然界が動かされることで、
「これまでの常識」が通用しなくなることを恐れているのでしょうか? しかし、前世紀から始まった世界的な気温の上昇により、
南極や北極の氷が徐々に溶けて「海がどよめき荒れ狂う」ことや、海水面が上昇して南洋の島々が水没してしまうこと、
大雨が続いたり、反対に干ばつが続いたりということは、既に現実問題として世界の各地に起きています。
地球規模の気温の上昇は、エネルギー資源を使い果たしてまで、自分たちの生活の快適さや経済的利益を求め続けたいという、
人々の欲望がもたらした結果と言えます。
このように考えると、今日の福音が教える「来たるべきその日」は、人間の果てしない欲望から考えると、
わたしたちの生活の中で、既に始まっているとも言えます。それゆえ、「その日」が、やがていつかは来る避けられないものとして
何もせずに迎えるのか、あるいは、今の生活態度を改めて、何とか、少しでもこれに備え始めようとするのかは、
今の時代の大人であるわたしたちの責任です。神さまから与えられた豊かな自然・天然資源は、
わたしたちの世代で使い果たして良いものではなく、実は、次の子どもたちの世代から「前借りしている」に過ぎず、
今の世代の人間は、これをできるだけ損なわないようにして、子どもたちの世代に返さなければならないと考えることができます。
「待降節」は、今わたしたちが「当たり前」のようにして受けている便利さを、感謝と信仰の目で見直さなければならない季節なのです。