司祭のメッセージ

10月6日 年間第27主日 マルコによる福音 10章2節〜16節

 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。
イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。
しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。イエスは言われた。
「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
《イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。》

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 10月になりました。「神無月」とも呼ばれますが、通俗的に、各地の氏神さまたちが出雲に集まって、「縁結び」を話し合うので、
他の地方には神が不在となる月だからと言われます。また、それゆえ出雲では「神在月」と呼ぶとかも言われます。
ともかく、結婚式のシーズンが到来したわけです。
 今日の福音では、離婚・再婚の是非がイエスさまに投げかけられています。設問はしかし、
「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」というもので、夫側からの一方的な離婚を前提としています。
イエスさまはお答えになります、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
このお言葉から、カトリック教会では、信徒の離婚・再婚は、絶対に許されないものだと言われてきました。しかし、よく読むとイエスさまの言葉は、
夫側からの一方的な離婚についてのものであり、何らかの事情で、不幸にして別れざるを得なかった者たちを非難するためのものではありません。
かえって、イエスさまは、神によって結び合わされた者たちが、離婚などしたくないと思うほど、固く幸せに結ばれてほしいと願っているのです。
 さて、ローマで婚姻裁判を勉強した40年程前、日本では見合い結婚がまだまだ多かったのですが、せっかく結婚しても、
その3分の1ほどが5年以内に別れてしまうという統計がありました。信者同士の場合には、その割合がずっと低いと思われますが、
離婚すると教会に来なくなって、司牧者の目から隠れてしまうためか、どこにも統計がありませんでした。
今では、見合い結婚の比率が下がったにもかかわらず、離婚率はもっと高くなったと言われています。
キリスト教徒が多い米国の場合は、ほとんどが恋愛結婚だと思われるのですが、それでも結婚して5年以内にその3分の1ほどが別れてしまうそうでした。
また、同じその米国の統計では、10代で妊娠したことによる結婚は、5年以内に100%が別れてしまうと聞いたときには驚きました。
初めての結婚生活に、子育てという新たな重荷がいっぺんに加わってしまい、未熟な若者には耐えられないのだろうとの説明でした。
発育して身体的には子を造ることができても、生涯をかけて互いに愛し合うには、人間として成熟していることが必要だからです。
他方で、完全な人間的成熟といったものには、おそらく生涯をかけても到達できる方は少ないと思われます。
ですから、それは成熟してゆく「努力」を続けることにあるはずです。
その努力を促し、支えてくれるのが、神さまへの信仰と摂理への信頼でしょう。見合い結婚はもとより、たとえ恋愛結婚であったとしても、
自分の好みからではなく、神さまが結び合わせてくださったパートナーであると受けとめるとき、自分の便宜や損得勘定に関係なしに、
互いに相手を神さまからの賜物として受け入れることができます。神さまからの賜物であれば、パートナーの中には、
自分のまだ知らない宝物が隠れているはずで、日々の生活の中に少しずつ現され、また発見していくことができます。
つまり、「結婚式」はゴールなのではなく、生涯をかけて一致する結婚生活への「出発点」なのです。
 現代の夫婦は、日々変化する社会状況に置かれていますので、毎日、対話によって相手を理解し直す必要があります。
その対話は、たとえ自分たちの子どもや父母についてであっても、「何をどう対処するか」という事務的な連絡では不十分です。
時として「夫婦げんか」が生じるのは、大抵の場合、物事に対処する上で、男性的な考え方と女性的なそれとが異なるからであり、
言い争ってどちらかが「勝つ」というのは、あり得ないことです。男性は人間的な弱さを無視した論理に陥りがちであり、
そのため過労死したりもします。女性は女性で、自分本位の感情に流される傾向があります。
ですから、生まれも育ちも異なる男女が一緒に生活する以上、夫婦げんかは避けることができません。
ならば、夫婦げんかを予防する手段をあれこれ考えるよりは、仲直りする道を体得すべきでしょう。
 それには「話し合う」ことは不向きかも知れません。なぜなら「話し合い」こそが「言い争い」となる、ケンカの出発点なのですから。
仲直りするには、互いに今でも愛していることを確認すればよいのです。そのためには、結婚の当初から二人だけの間で理解できる、
ケンカを終了させる際の「合い言葉」をあらかじめ決めておくことが肝要です。どのような言葉でも構わないのですが、
子どもが傍らで聞いていても分からないように自然な言葉を使い、内容は、「その話は今はおしまい。互いの論理が違うのだから、まとめるのは無理。
けれども、わたしはあなたを愛しています」となります。実際にある若夫婦はケンカ終了の「合い言葉」として、
「ビールにしましょうか」と決めたそうです。互いに、完全には理解し得ない、男性と女性という別々の存在が、
愛によって一緒に生活してゆくのが夫婦というものでしょう。
 結婚を、愛そのものである「神さまが結び合わせてくださったもの」と受け入れるとき、離婚・再婚の話はまったく無縁・無用のものとなります。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

10月4日 聖フランシスコ(祭日)マタイによる福音 11章25節〜30節

 その時、イエスは仰せになった。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある者や賢い者に隠し、
小さい者に現してくださいました。そうです。父よ、これはあなたのみ心でした。
 すべてのものは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が現そうと望む者のほかに、父を知る者はいません。
 労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で、謙遜であるから、
わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは魂の安らぎを見出す。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日、10月4日は、一般の典礼暦では記念日ですが、フランシスコ会では本会の創立者・アシジの聖フランシスコの祭日として祝います。
そのため福音書の箇所も聖フランシスコを思い出させる箇所が選ばれています。
 さて、「フランシスコ会」という名前は通称で、正式には「小さき兄弟会」、ラテン語で "Ordo Fratrum Minorum" と言います。
フランシスコは、あまり大きな身体ではなかったと言われており、丁度、修道院のブラザー松本さんと、背格好が同じだったかもしれません。
でも、正式名称の「小さき兄弟会」は、会員の体が皆「小さい」ことを示すのではなく(松井神父様のように大きな人もいますので)、
フランシスコ自身が望んでいた霊的な「小ささ」、つまり謙遜を表す「小ささ」を目指すべき会です。
人々の間では、フランシスコは厳しい清貧を実践したことの方が有名で、その後の弟子たちには、修道会の清貧を巡って、
時の教皇さまと争うような者(ウイリアム・オッカムなど)もありました。でも、フランシスコが残した書き物の中では、
「貧しさ」とか「清貧」とかの語よりも、「謙遜」とか「小ささ」という語の方が多く使われています。
また、修道会を立ち上げるとき、その名前を「貧しい兄弟会」としなかったのは、金銭や物質、権力にとらわれずに、
無学・無力な者として、一途にイエスさまの生き方に従うという、「小さき者」としての理想がありました。
その理想を追い求め続けた結果、生涯の終わり頃には、十字架に付けられたイエスさまと同じ傷痕、「聖痕」を受けています。
それで、フランシスコは「中世最大の聖人」と呼ばれています。
 さて福音では、小さな者にこそ神の奥義が示されることを述べた後、イエスさまは、弟子になることを、「軛(くびき)を受け入れる」
と表現しています。しかし、「わたしの軛(くびき)を受け入れ、わたしに学びなさい」ということばは、
それでイエスさまの方が楽になるという意味ではありません。
軛(くびき)とは、牛や馬に農具や荷車を引かせるために繋ぐ道具ですが、聖書で言われているのは、日本のものとは異なり、一頭ではなく、
複数の動物に、一緒に力を合わせて引かせるための道具です。ですから、「わたしと一緒に苦労しましょう」という意味なのです。
イエスさまと一緒に、同じ軛(くびき)に連なるのですから、光栄である以上に、わたしたちの力の足りない分を、
すべてイエスさまが補ってくださることになります。イエスさまがわたしたちの元にお出でになり、わたしたちと共に働き、
わたしたちの労苦を一緒に担ってくださるのです。
 「小さな者」とは、自分の力が足りないことを知っている者のことであり、それを素直に認め、イエスさまにより頼むとき、
イエスさまを通した神の恵みに満たされるのです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

9月29日 年間第26主日   マルコによる福音 9章38〜43、45、47〜48節

〔そのとき、〕ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、
やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの
悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、
あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。
  わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。
もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、
片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで
地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。
両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、
火が消えることもない。」

 

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、涼しくなってきました。スポーツの秋ということで、あちらこちらで運動会が行われます。
隣の幼稚園では、この土曜日に運動会があります。徒競走などで、子どもたちが転んだり、怪我をしなければ良いのですが... 。
  さて、別に運動会で走っているわけでもないのに、高齢になるとちょっとした段差にも「つまずく」ことがあります。わたしも
気をつけなければなりません。また、身体的にではなく比喩的に「つまずく」とは、何かを行う際に、途中で困難や、障害があって
うまくいかなくなることです。今日の福音箇所では、自分たちと行動を共にしていないという理由で、イエスさまの名前を使って
悪霊を追い出している者を、弟子のヨハネが止めさせようと「つまずかせた」ことから、話が始まります。
  イエスさまは、「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」とヨハネを諭され、「わたしを信じるこれらの
小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれる方がはるかに良く」、もし「手足が
つまずかせるなら、それを切り捨ててしまいなさい」と言います。「それらが揃ったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、
片手片足になっても命にあずかる方がよい」からです。「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」のです。
   残念ながら、これを聞いても現代の子どもたちは、清潔で便利な生活に慣れていますので、「尽きることのない蛆」や、
「消えない火」の地獄を想像するのは難しいかも知れません。実際に「蛆」を見たことのある世代のわたしも、夏に放送される
原爆関連のテレビ番組などで、被爆者から、原爆の炎で体中の皮膚が焼かれ、その傷口を蛆が這い回るときの痛みとかの体験を
聞いたことはあっても、いつしか、自分のこととして想像するのが難しくなっています。
   今日のイエスさまのお話は、地獄の状態をわたしたちに説明するためではなく、そこに落ちないために、人を「つまずかせる」
ようなことを避けるようにとの教えです。重要なのは、自分たちと一緒にいないからという理由で、お名前を使って悪霊を追い出し
ていた者を弟子たちが排除したことに対して、イエスさまが「つまずかせる」と言っていることです。それは「一緒にいる」ことの
基準が「自分たち」であることから、自分中心に物事を判断することと言えます。このことは、福音のために働くことを含めて、
すべて自分を中心にして考える行動の行き着く先は、他者をつまずかせてしまうために、地獄に落ちることになり得ると言えます。
   皆と一緒に行動することは、幼稚園の子どもたちの場合には、社会性を学ぶための基本かも知れません。しかし、信仰生活に
おいては、健康や仕事、遠隔地に住むなど、様々な理由で、毎週一緒にはミサに与ることができない方もあります。
そのような方を排除していけば、教会に残れる方は本当にごく少数となってしまいます。重要なのは、より多くの方が、たとえ方法は
異なるとしても、それぞれの生活の場において、同じ信仰を保つための方法を探していくことです。裁いてつまずかせるのではなく、
理解して包み込む愛が求められています。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

9月22日 年間第25主日 マルコによる福音 9章30節〜37節

 〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。
彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。
「いちばん先になりたいものは、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 隣の幼稚園は、10月に入るとすぐに運動会になりますので、その練習が2学期の初めから行われています。
幼稚園は朝9時から始まるのですが、8時を少し過ぎる頃から、もう親御さんに連れられた園児たちが次々に登園してきます。
一番乗りはいつも、お父さんに連れられた園児でした。他の園児たちがお母さんに連れられて、
下の子どもと一緒に登園してきたりしますので、一番乗りの園児は、余計に誇らしいようです。
 さて、今日の福音では、受難の予告の第二回目が述べられます。第一回目では、ペトロがイエスさまを脇へお連れして、
いさめたので、イエスさまから「サタンよ、引き下がれ。」と叱られました。そのためか今回、弟子たちはイエスさまの
「言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられ」ませんでした。でも、イエスさまの言葉から、
いよいよ宣教生活の最終段階に入ったと感じとった弟子たちは、その直ぐ後で、自分たちの間では、誰が一番偉いかと論じ合っていたのです。
十二人の中には、ガリラヤの漁師出身のグループ(ペトロ、アンドレア、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ)と、
ギリシア系の名前を持つグループ(フィリッポ、バルトロマイ、マタイ、トマス)、
そしてその他のグループ(アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダ)がいました。
それぞれのグループが争って「誰が一番か」と「権力争い」していたならば、派閥争いを繰り返すどこかの政党と、
あまり変わらない集団に成り下がってしまいます。
 これに対してイエスさまは「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と教えられます。
そして一人の子どもを抱き上げて、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と言われます。
 子どもたちは一般に、自分の力が何をするにも不足しているのを自覚していますし、自分の思いをうまく言い表すこともできません。
特に幼児は、何かを表現しなければならないような困ったことがあると、泣いて周囲からの援助を求めることになります。
また家庭の中では、きょうだいが仲良く遊んでも、途中で誰かが泣き出すと、年上の子が母親から叱られてしまう場面をよく見かけます。
どちらの言い分が正しいかではなく、下の子を「泣かせた」と、頭からきめ付けられてしまうのです。
また家庭においては、夫婦でのお互い同士の呼び方が、新婚時代には互いに、はにかみながら「あなた」、「おまえ」と呼んでいたのが、
子どもが生まれると、お互いを「お父さん」、「お母さん」と呼ぶようになります。さらに子どもが成長して結婚し、孫が生まれると、
「おじいちゃん」、「おばあちゃん」となります。これは家庭内で一番幼い子どもが使う呼び方を、大人たちも使用するからです。
その子どもが混乱しないように、大人たちの方が呼び方を変えていくという、とても素晴らしい習慣でしょう。
そこには、子どもを中心とした生活、とりわけ幼い子どもへの思いやり、愛があふれています。
 つまり、イエスさまが子どもを引き合いに出したのは、弟子たちの間では誰が偉いかという議論ではなく、
互いに愛し合う関係が築かれなければならないことを教えられたのです。愛を表すためには、自分の自尊心や体裁、
そして「誰が一番か」などは、忘れていかなければならないでしょう。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

9月15日 年間第24主日  マルコによる福音 8章27節〜35節

 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。
その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。
「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。
「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、
ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 この頃、足腰に神経痛がでて、歩くときにもヨタヨタして、まっすぐ背筋を伸ばして歩けません。
若い頃は自分がそれに悩まされるとは思ってもみませんでした。まったく、辛く嫌なものですが、
もし取り柄があるとすれば、他人の痛みにも、口先だけでなく、共感できるようになったことでしょうか。
 さて、今日の福音では、ペトロの「信仰告白」とイエスさまによる「受難の予告」が述べられています。
イエスさまが弟子たちに、「人々は人の子を誰だと言っているか?」とお尋ねになった後、
「それでは、あなたたちはわたしを誰だと言うのか?」と尋ねられると、ペトロは「あなたは、メシアです」
と「信仰告白」しました。そのことを肯定しながらも、イエスさまは弟子たちに「誰にも話さないように」と戒められます。
でも、そのメシヤ像は、栄光に満ちた王のようなものではありませんでした。かえって、その宿命として、
「長老、祭司長、律法学者たち」、つまり当時のイスラエル社会上層部から「排斥されて殺される」こと、
そして三日の後に復活することを弟子たちにお話しになったのです。続いて「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言います。これは現代に生きるわたしたちにも言われていることです。
 では、「自分の十字架」とは何でしょうか? イエスさまは、「長老、祭司長、律法学者たちから排斥される」と言われましたが、
イスラエルの律法に反する者への刑罰は「石殺し」でした。「十字架刑」はローマ帝国がイスラエルを支配する上で、
反抗した者や犯罪者を見せしめとして殺す方法で、政治犯や殺人犯などの社会的犯罪に対するものであったはずです。
ですから「十字架を背負う」とは、宗教上の反抗ではなく、この世を支配する価値観に逆らう生き方であり、
この世から反対される生き方です。このように考えると、実際に政治的弾圧を受けるような状況ではないとしても、
キリスト者として、人間として、真摯に生きる上での妨げや試練が、わたしたちの周囲にも数多くあることに気づかされます。
 パウロは「コロサイの教会への手紙」の中で、「今やわたしは、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」
(コロサイ1・24)と述べます。ここにヒントを見ることができるでしょう。イエスさまは「十字架のわざ」を通して
「世の救い」を成し遂げられたのですから、「苦しみ」を甘んじて受けることは、神さまの御手の中で「救い」のわざに変えられているはずです。
 それぞれの人間がまず、自分が置かれた状況で、自分の抱える障害や病気を含めた「苦しみ」、
つまりキリスト者として十分に生きる上での妨げとなる事柄を、自分に与えられた「十字架」として受けとめるとき、
その苦しみは「キリストの十字架」に連なるものとなり、キリストと共に「この世の救いのわざ」に参加するものとなるのです。
殉教のように大きな決断を迫られる場合だけでなく、日々の平凡な生活の中でも起こり得る、キリスト者として生きる上での
「小さな妨げ」を、神のために、また御国のために耐え忍ぶことができるなら、自分の十字架を背負ったと言うことができるでしょう。
 他方、このように現実に自己の十字架を担っている人々に関心を寄せ、積極的に介護や援助の手を差し伸べることは、
苦しむ人の中に、キリストの姿を見ることにつながります。それは、貧しい人や病気の人に手を差し伸べた
「イエスさまのわざ」を受け継いでいるからです。同時に、苦しむ人はその苦しみによって、
周囲の人からイエスさまの愛を引き出すことになります。このように自分の苦しみを担い、また周囲の人の苦しみに気づき、
それに積極的に援助することによって、イエスさまと一緒に「十字架を背負う」ことができるのです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

9月8日 年間第23主日 マルコによる福音 7章31節〜37節

 〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。
人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。
そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。
そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、
人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。
耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 30年程前に、当時、ローマの聖アントニオ大学学長であったスペイン人のメリーノ・マルティネス神父が、
東京の聖アントニオ神学院を視察に来たときの話です。神学院を視察し、記念講演をした後に、
京都や長崎も観光することになりました。ところが、京都を見物した後、長崎に到着すると、彼は突然、
「耳が聞こえなくなった!」とスペイン語で言い始めました。同行していた神父たちは、あわてて病院に連れて行きました。
耳鼻科の先生に診てもらったところ、単に耳垢で耳が詰まっていただけとのことで、
大きな耳垢の塊をピンセットで摘出してくれました。大変な病気になったかと心配させられましたが、
ほっとしたのと同時に、耳が詰まって聞こえなくなるほどまで、耳掃除をしなかったのかと不思議に思われました。
彼に尋ねてみると、スペインやローマでは、おそらく空気が乾燥しているので耳垢が固まることはなく、
従って耳掃除の習慣も、「耳かき」の道具もないそうです。65歳にして、人生初めての耳掃除だったそうです。
 さて、今日の福音では、イエスさまが「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒やします。他の奇跡物語の場合とは異なり、
イエスさまは具体的な動作をして、「指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられ」ます。
現代では、このようなことをすれば、「衛生的でない」とか、「病原菌に感染してしまう」とか、
周囲から非難のまなざしが注がれたことでしょう。でも、イエスさまが「エッファタ」と言われると、
その人は「耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるように」なります。
 イエスさまは一体、どうしてそのような治癒をなさったのでしょうか? イエスさまは神の子なので、
その障害が悪霊によるものならば、単に一言おっしゃれば追い出すことができたはずです。
あるいは、悪霊を追い出したのは奇跡のわざではなく、当時の素朴な治療行為だったのでしょうか? 
福音書には、イエスさまの具体的な動作だけが書かれていますが、いかに昔の人たちでも、
通常の治療行為と奇跡とは区別できたと思われます。ですから、福音書がわざわざ取り上げる、この「聞く」・「話す」機能の回復は、
身体的機能だけでなく、それ以上のものを示そうとしているのではないかと推測されます。
 つまり、「聞く」・「話す」ことの身体的機能面を超える霊的な意味として、「神さまからの呼びかけに心を開く」、
「神さまへの賛美を口に上らせる」ことが推測されます。このようなことであるなら、わたしたち自身にも、
その意味で「耳が聞こえず、舌がもつれている」場合があるのに気がつかされます。
 「年を取ったから」、「もっと大事な責任があるから」といった言い訳で、神さまからの呼びかけに「聞こえないふり」をしたり、
「他に用事があるから」という言い訳で、日曜日であっても「舌がもつれて」神への賛美を口に上らせず、神への礼拝を怠るのは、
わたしたちキリスト者には許されないでしょう。わたしたちキリスト信者は、どのような制約を受けていても、
主日には、教会での礼拝以外の方法によってでも、神さまへの賛美を捧げなければなりません。
 今日、わたしは神さまに、どのようにして、賛美を捧げましょうか?

---  * --- * --- * --- * --- * ---

9月1日 年間第22主日  マルコによる福音 7章1〜8節、14〜15節、21〜23節

 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。
そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
——ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、
また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、
昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。——そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。
「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。
「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
 『この民は口先ではわたしを敬うが、
  その心はわたしから遠く離れている。
  人間の戒めを教えとしておしえ。
  むなしくわたしをあがめている。』
あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。
中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、
ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 中学生になりたての頃、3番目の姉の結婚披露宴に出席することになりました。西洋式の食事が出されるとのことで、
ほとんど和食しか食べたことのない者が恥をかかないために、早速、夕食後に家族そろってナイフとフォークの使い方の練習です。
苦労しながらフォークの背にライスを盛って食べる練習をしたのですが、本番ではロールパンが出されてしまいました。
これをフォークで押さえながら、ナイフで一口サイズに切って食べようと、わたしが奮闘していたところ、
後ろからウェイターの方が近寄って来て、「手でちぎって食べてください」と言われて赤面してしまいました。
和食の場合は、「箸」という便利な道具を使うので、食べ物に直接手で触れることはありません。
手づかみで食べるのは、赤ちゃんか、「おにぎり」や「寿司」ぐらいなので、洋式の食事では当然、
常にナイフとフォークを使うものだと思い込んでいたのです。今は昔の話です。
 さて今日の福音では、イエスさまの弟子たちの中に、「洗わない手」で食事をする者のいたことが、
エルサレムから来たファリサイ派や律法学者たちから、イエスさまを攻撃する材料にされました。
その弟子が手づかみで食べていたのを非難されたのか、あるいは何か道具を使っていても、食前に浄めの作法をしていなったのかは、
はっきりしません。そもそも、食卓用のナイフやフォークなどは、ヨーロッパでは近世以後に使われはじめたようですし、
イエスさま時代のパレスチナの文化にどのような食器が使われていたのか不明です。
いずれにせよ、「手づかみ」が基本の食事だったと考えられます。
 そのため、ユダヤ人たちが食事の前に「手を洗う」ことを問題にしたのは、衛生上のこと以上に、
宗教的な浄めの作法に関わることだからです。しかし、エルサレムという都会であれば、
食事の前に身を清めるための設備がどの家でも整っていたのでしょうが、ガリラヤ湖畔の漁村では、
そのような設備も作法も必要なかったのはずです。大切だったのは一緒に楽しく食事することでした。
ですからイエスさまは、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、
人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」と教えておられます。食べ物によっては、
人の体に悪い影響を与える毒素を持つ物があるかも知れませんが、それは食べる側の宗教的・道徳的な善悪とは関係ありません。
 この問答は、ある意味で、最近まで流行していたコロナウイルス感染症に似ています。コロナに感染するということは、
何か道徳的な悪を犯したからではありません。たまたま、既に感染した方とは知らずに会話をしたり、近くにいたというだけでも、
新型コロナウイルスには感染してしまったそうです。感染予防の対策は徹底しなければなりませんが、
不幸にして感染してしまった方やその家族を差別しないように心掛けなければなりません。
大切なのは、一緒に楽しくミサに与れることでしょう。今では、コロナ感染症にも治療法が研究されて、それほど怖がる必要もないそうです。
人混みに遊びに行くのは平気でも、教会に来るときに限って感染症を恐れるのは、イエスさまを非難したユダヤ人以上だと言えるでしょう。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

8月25日 年間第21主日 ヨハネによる福音 6章60節〜69節

 〔そのとき、〕弟子たちの多くの者は〔イエスの話〕を聞いて言った。
「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。
「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・・・。
命を与えるのは『霊』である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、
また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。
「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
 このため、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。
「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 夏休みの終わりに、蒸し暑さがまた戻って来ました。台風の影響によるのだろうと思われますが、
この蒸し暑さはこたえますね。暑いときには食欲も無くなります。この季節の食べ物というと、
今のわたしには「素麺」とか「冷や麦」しか思い浮かびません。またデザートやおやつには、昔は冷やしたスイカが定番でした。
子どもたちに、「スイカとバナナと、どちらがいい?」と尋ねると、夏は圧倒的にスイカが好まれたようです。
でも、夕食後では、子どもたちにはあまり勧められていません。夜中にトイレに行かなければならなくなるからです。
したがって、「選ぶ」という行為には、ただ「好きか、嫌いか」だけでなく、その後に生じる事柄にも責任が伴ってくると言えます。
 さて、第一朗読ではヨシュア記から、モーセの後を継いで、約束の地のカナン占領を導いたヨシュアが、
それぞれの領地に向かうイスラエルの民に、最終的にどの神に仕えたいのか、仕えたい神を「選ばせて」います。
ここで、神が「お選びになった」民であるイスラエルが、反対に「自分たちが」主なる神を「選ぶ」決意を示すことになります。
しかし、その後のイスラエルは、神を裏切るような偶像崇拝にしばしば陥ってしまったことが旧約聖書に記されています。
「自分たちで」、主なる神を「選んだ」にもかかわらずです。
 福音では、ペトロの信仰告白が記されています。これは北浦和教会でも、聖体拝領前の信仰告白に使用しております。
イエスさまが、御自分の体こそが命のパンであると宣言されて、これに多くの弟子たちがつまずき、離れて行ったときに、
イエスさまが十二人に「あなたがたも離れて行きたいか」とお尋ねになったときのペトロのことばです。
他の弟子たちがイエスさまを離れて行ったときに、ペトロはイエスさまを「選び」ました。
丁度日本の迫害時代に殉教者たちが、自分の生命よりも信仰を選んだのと同じです。
イエスさまこそが永遠の命の言葉を持っておられると決断したからです。
 しかし、この決断もペトロの場合、イエスさまの受難の際には、イエスさまを「知らない」と3度も否定する結果になります。
このように、後には裏切り者となったユダだけでなく、表面的には強くとも、いざとなると弱くなり、信仰を裏切ってしまう、
そんなペトロをも、イエスさまは御自分の弟子として「選ばれた」のです。ここにイエスさまの愛の姿が見られます。
御自分にとって益があるからではなく、父なる神のみ旨に従って「選ばれた」のです。
そのみ旨とは、人間の場当たり的な好き嫌いや、損得勘定などを遙かに超えて、御子の十字架を含め、
人間の歴史と未来を測り知れないほど、深く、遠くまで見通されているものです。
 殉教者たちにならい、わたしたちの回心をじっと待ち続けておられる神のみ旨に、思いを馳せなければなりません。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

8月18日 年間第20主日 ヨハネによる福音 6章51節〜58節

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来た生きたパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
イエスはいわれた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、
わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、
わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、
わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。
このパンを食べる者は永遠に生きる。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 せっかくのお盆休みなのに、先週は台風の影響で、旅行先を変更させられたり、キャンセルした方もあると聞きました。無理をしないのが一番です。
休みには、別に遠くに出かけなくとも、家族そろってご飯を食べるだけでも、子どもたちには良い思い出となるでしょう。
わたしも子どもの頃に、父親の発案で庭先に椅子やテーブルを持ち出し、皆で食事をした思い出があります。その秋に嫁入りするのを前にした姉が、
料理教室で習ってきたばかりの腕前を披露し、一家そろっての食事でした。姉の料理に対する弟たちの評価はさんざんでしたが、
両親は子どもたちの様子を見るだけで楽しそうでした。
 さて、今日の福音でもイエスさまはユダヤ人たちと論争をしています。それはイエスさまが「わたしは天から降って来た生きたパンである。」
と言われたからです。少し前の箇所で、イエスさまは5千人ほどの人々に大麦パン5つと魚2匹を分け与えられて人々を満腹させる
奇跡を行いました(6・1〜15)。その後、夕方にイエスさまが湖の向こう側に湖上を歩いて渡り(6・16〜21)、
翌日、岸辺に残っていた群衆がイエスさまを捜して向こう岸に来ると(6・22〜25)、イエスさまは、食べてなくなってしまうもののためでなく、
「永遠の命」に至らせる食べ物のために働くようさとします。そして「神のパンは、天から降って来て、この世に命を与えるもの」であり、
イエスさま御自身が「天から降って来たパン」であると教えられます(6・26〜40)。それは人間としてのイエスさまの本性だけでなく、
神の子としての本性を語るものです。そこでユダヤ人たちが「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、
互いに激しく議論し始めたとき、よりはっきりと「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、
わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(6・54)と宣言されるのです。
 ところで、イエスさまの肉を食べ、その血を飲むことなど可能なのでしょうか? ユダヤ人と同じように、世間的な一般の論理からすれば、
それは不可能でしょう。しかし、「肉や血」とは、「人の活動」や「活動を活発にするもの」を象徴するものと考え、
その全体が「命」であるなら、わたしたちの信仰の本質を描写するものとなります。
 イエスさまはこうも仰います:「命を与えるのは霊である」(ヨハネ6・63)。したがって、これらのことばは霊的に理解されなければなりません。
イエスさまを取り巻くユダヤ人たちは、イエスさまが彼らの論争の次元を越える、もっと大きなことを語っておられるので混乱しています。
イエスさまの語られることばは、弟子たちには最後の晩さんの後、復活したイエスさまに出会ったときに把握することができました。
イエスさまの「肉や血」とは、イエスさまの「わざ」であり、「御父のみ旨」なのです。そしてそれを支えるのが「聖霊による愛」であり、
これが三位の命を生きることなのです。イエスさまの体である「パン」を食べるとは、イエスさまの「行い」と「御父のみ旨」、
つまり、神と隣人を愛する力を自分のものにし、実行することを意味しています。
 弟子たちは主の死と復活の神秘を、主が再び来られるまで、聖なる食卓で祝うために、一緒に集まるのです。
その「パン」、つまり「愛する力」をいただくために。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

8月15日 聖母の被昇天の祭日 ルカによる福音書 1章39節〜56節

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
 そこで、マリアは言った。
 「わたしの魂は 主をあがめ、
 わたしの霊は 救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう。
 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
 その御名は尊く、
 その憐れみは 代々に限りなく、
 主を畏れる者に及びます。
 主はその腕で力を振るい、
 思い上がる者を 打ち散らし、
 権力ある者を その座から引き降ろし、
 身分の低い者を 高く上げ、
 飢えた人を 善い物で満たし、
 富める者を 空腹のまま追い返されます。
 その僕イスラエルを受け入れて、
 憐れみをお忘れになりません、
 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対して とこしえに。」
 マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日、8月15日は日本では終戦記念日です。太平洋戦争が始まったのが12月8日の真珠湾攻撃だったので、奇しくも聖母無原罪と聖母被昇天の祝日、
つまり、マリアさまの生涯の始まりと終わりが、この戦争の始まりと終わりに重なります。
もちろん、教会がこの祝日を定めたのは日本の戦争の終始を考えてのことではありませんが、平和の執り成しを願う方と重なって見えることは確かです。
 さて、福音では、天使から神の御子の受胎を告げられたマリアさまが、親類のエリザベトを訪問します。
2人の女性は、それぞれ旧約聖書と新約聖書を表す人物を産むことになるのですが、エリザベトが年寄りであるのに、
他方のマリアさまは若いおとめであり、この対比が新旧両聖書の対比に反映されています。
マリアさまの挨拶を聞いて、エリザベトの胎内でおどったのは、後に洗礼者ヨハネとなります。
 かつて、聖書の勉強会に来ていたお母さんたちに「お腹の中の赤ちゃんは『おどる』のですか?」と尋ねたことがあります。
お母さんたちは、「『おどる』というより、動いたり、お腹を蹴ったりする(笑い)」と答えました。「どんな時に?」と尋ねると、
「美味しい物を食べたとき」、「お風呂に入ったとき」とかの答えでした。すべてリラックスしているときで、緊張して何かの作業をしているときには、
お腹の赤ちゃんもじっとしているようです。このことから類推すると、エリザベトは緊張してマリアさまを迎えたのではなく、
喜びにあふれて迎えていたことが人間的にも理解されます。
 けれども福音書を書いた弟子たちは、そんな人間的な経験に基づくよりも、旧約聖書サムエル記の記述を下敷きにして描いているようです。
つまり、ダビデが「契約の櫃」の前で「おどった」という箇所です。
 サムエル記下6章には、一度ペリシテ人に奪われた「契約の櫃」をダビデがエルサレムに運ぶ次第が描かれています。
最初、櫃を運ぶ牛がよろけたので、脇にいたウザが「神の櫃」を手で支えようとすると、神はウザを打たれました。
これを見て、「どうして、主の櫃をわたしの所にお迎えできようか」(サムエル下6・9)と、ダビデは主を恐れて言います。
これとは反対にエリザベトは、マリアさまを迎えて「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは」(ルカ1・43)
と喜びの声をあげます。マリアさまはお腹に御子(神のみことば)を宿したことによって、「契約の櫃」(中に神のみことばが入っています)
と同じになったのです。
マリアさまはその後、エリザベトのところに3か月滞在されました。一方、ウザが打たれた後、ダビデは主を恐れて3か月間、
近くのガト人オベド・エドムの家に「契約の櫃」を置きます。その後、主がオベド・エドムの家を祝福されたのを知って、
再びエルサレムに移そうとするのですが、そのときに、ダビデは「契約の櫃」の前で裸になって「おどった」のです。
ちょうど、マリアさまの訪問を受けて、後の洗礼者ヨハネがエリザベトの胎内で(裸で)「おどった」のと同じです。
 マリアさまが「契約の櫃」と同じ役割を担ったことから、マリアさまの被昇天の教義も導かれました。
「契約の櫃」はアカシア材で作られています(出エジプト25・10)。その材質は水に強く、簡単には腐ったりしないことから、
「ア・カキア」(ギリシア語でa-kakia)、つまり「汚れがない」、「腐敗しない」という名前です。ですから、
マリアさまも「汚れがない」(無原罪)だけではなく、そのお体はこの世の生涯を終えた後も「腐敗しない」でそのまま、
天に上げられたのだという教義に発展していったのです。
---  * --- * --- * --- * --- * ---

8月11日 年間第19主日 ヨハネによる福音 6章41節〜51節

 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、
イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。
どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。
「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、
だれもわたしのともへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、
『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。
信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 あまりの暑さのせいか、夏休みなのに、教会の庭で遊ぶ子どもの数も、めっきり少ないような気がします。
皆、もうどこかに避暑に出かけてしまったのでしょうか?まあ、それだけではなく、最近の子どもたちは、
幼稚園や学校から帰ってきても、家の中でのゲームが主で、あまり体を使った遊びをしないと聞きました。
 わたしの子ども時代では、男の子の遊びと言えば、チャンバラごっこや西部劇ごっこが主流で、チャンバラでは、
家に置いてあった和裁用の竹の物差し(長さ1メートルくらい)が格好の刀になりました。
西部劇ごっこでは、人差し指を前に突き出し、他の指を握ってピストルの形をつくり、「ドギュン」、「ドギュン」とやったり、
弾丸の代わりに、輪ゴムを指に架けて飛ばしたりしていました。決闘や殺し合いのシーンなので、当然どちらかが勝者となり、
相手は負けて、切られたり撃たれたふりをして、地面に倒れなければなりません。切られたり撃たれたりするのは大抵、
年上の子どもの役で、大げさに「ウーン、やられた」と言いながら倒れなければなりません。そのとき年下の子は、
やったやったと喜びますが、もし年上の子が地面に倒れて、しばらくじっと動かなかったらどうなるでしょう。
年下の子は、「お兄ちゃん」と声を掛けた後、「お母さん、大変、大変、お兄ちゃん、死んじゃった。」
と母親のところに行くでしょう。お母さんが驚いて「決闘」の現場に駆けつけると、たしかに地面にお兄ちゃんは横たわっています。
でも、どこからも血の流れた様子がありません。お母さんは落ち着いて「お兄ちゃん、死んじゃったのかな?」と言いながら、
足の裏をくすぐってみます。お兄ちゃんがくすぐったいのを必死に我慢して、なおも横たわって死んだふりをしていると、
お母さんは「ホントにお兄ちゃん、死んじゃったね。じゃあ、ほっておいて、おやつにしようか?」と下の子に言って、台所に向かいます。
するとお兄ちゃんも我慢できなくなって、むくむくっと起き上がり、復活します。「おやつ」には復活させる力があるのですね。
 さて、今日の福音では、イエスさまは「わたしは命のパンである」と言います。
パンは食べ物として、活力、つまりエネルギーを与えるものです。何かを行うための力を与えるものです。
イエスさまがお使いになる、「死ぬ・生きる」とは、信仰上のことがらについてであり、神からの呼びかけに対して、
それに応じることができるかどうかが、その判断の基準となります。イエスさまがわたしたちに与えてくださるパンとは、
イエスさまの体です。イエスさまの体とは、イエスさまの心をこの地上に具体化するもの、つまり、イエスさまの行い、わざなのです。
一般に食物を摂取することは、それを自分の栄養にするための行為ですので、従って、イエスさまの体を拝領することとは、
イエスさまの行いを自分のものにすること、神を愛し、隣人を愛するためのエネルギー源となるのです。
ですから、もし神を愛すること、隣人を愛することを実践しないのであれば、神からの呼びかけに答えないことになり、
信仰上では「死んだ状態」を意味するのです。
 もしかすると、今日もわたしたちには、天のお母さんから「おやつにしようか?」と優しく呼びかけられているのかも知れません。
いつまでも地面に横たわって、貧しさや戦争に苦しむ人々を見ないように、「死んだふり」を続けることはできません。
---  * --- * --- * --- * --- * ---

8月4日 年間第18主日  ヨハネによる福音 6章24節〜35節

 〔五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった〕群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、
自分たちも舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、
「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。
「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。
これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。
「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」そこで、彼らは言った。
「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。
どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。
『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」すると、イエスは言われた。
「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、
わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 この前の土曜日の夕方は激しい雷雨となり、皇山町周辺に沢山のカミナリが落ちました。
そのために教会もご近所一帯も停電となり、真っ暗になってしまいました。その晩は皇山町の納涼祭だったのですが、
町内会の役員さんたちは、信徒会館の中に発電機を持ち込み、3つほど工事現場用ライトを付けて、質素な納涼祭を行ったようです。
教会の聖堂も停電してしまい、電力会社に電話をかけたのですが、なかなかつながらず、翌朝になってやっと事情説明し、
作業員が到着したのは昼過ぎでした。そのため主日のミサは、蒸し暑さの中、エアコンや扇風機も作動しないままでした。
オルガン伴奏も電気の明かりもなく、マイクもスピーカーも使えませんでした。しかし、朗読者の声もよく聞こえないはずなのに、
信徒の皆さんは御ミサにとても集中できたようです。わたしもできる限り、はっきりと大きな声で福音を朗読するように心掛けたのですが、
説教に移っても、信徒の皆さんがじっと聞き入ってくださり、お母さんに抱かれた赤ちゃんたちも、一人としてぐずったり、
声を上げる様子もなく、みな静かにおとなしくしていてくれたようです。オルガン伴奏もなく、エアコンも照明もないので、
「まるで100年前のミサのようだ」と、どなたかがつぶやいていました。確かに、電気を使った器具や設備で守られ、
飾られていない簡素なミサは、それこそ「ミサの本質」を実感させてくれる貴重な体験となったようです。
 さて、今日の福音では、パンを増やす奇跡の後に、湖を渡ってカファルナウムに来たイエスさまに、
その奇跡の意味を理解しない人々が質問を浴びせかけます。でも、それを受けたイエスさまのお答えと、
人々がまた、それを受けて問い返す新たな質問には、少しずつ飛躍があって、まるで禅問答を聞いているかのようです。
この問答は、イエスさまのお答えや、人々からの質問の「ことば」が直接示している内容よりも、
その背景となっているものの連鎖が紡ぎ出されているようです。質問と回答を繰り返すことにより、
語られている次元が少しずつ高度なものに移っていき、最終的にイエスさま御自身が「天から降って来て世に命を与えるパン」
であることが啓示されます。
 つまり、パンを増やす奇跡をきっかけとして始まった問答は、イエスさまを捜すのが「永遠の命に至る食べ物」を得るためであり、
そのことが「神の業」とされ、イエスさまを信じるための「しるし」が、「天からのパン」であり、
イエスさまそのものが「命のパン」であることが啓示されます。つまり、わたしたちがミサの中で拝領する、
御聖体のパンの意味をめぐる問答であったのです。その問答は、御聖体はわたしたちにとって、「神の業」を行うための
「命のパン」となっているのかという、わたしたちへの問いかけとなるのです。「神の業」とは、わたしたちの場合、
奇跡を起こすことや殉教に至るあかし、何か特別な奉仕をすることにではなく、イエスさまの教えに従った隣人愛の実践にあるはずです。
イエスさまの教えをしっかりと受けとめ、その体を拝領することが、「ミサの本質」だからです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

7月28日 年間第17主日 ヨハネによる福音 6章1節〜15節

 〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。
イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。
ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、
フィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、
こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。
フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。
そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、
感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。
人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。
イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 福音ではイエスさまのパンを増やす奇跡が語られます。共観福音書にも記されていますが、
ヨハネ福音書では弟子のフィリポとアンデレが登場します。この2人は洗礼者ヨハネの弟子だったのですが、
ヨハネが「見るがよい、神の小羊だ」とイエスさまを示されると、イエスさまのもとに行き、最初の弟子となりました。
そして直ぐに、シモン・ペトロやナタナエルなど、他の弟子たちを呼び集める役割を担いました。
今日の箇所では、まずフィリポが、自分たちが持っているお金では、大勢の群衆に食べさせるには足りないと言います。
2百デナリオンと言いますが、およそ1年分の給与と考えればよいでしょう。一人で生活するには十分ですが、
5千人もの人々に食べさせるには、まったく焼け石に水のような金額です。
 一方、イエスさまのところに集まった群衆を考えてみると、過越祭りのためにエルサレムに向かう途中だったと思われます。
ガリラヤ湖畔からエルサレムまでは直線距離でも120キロメートル以上あります。歩いて行けば2日以上かかりますので、
まったくの準備なしに出発したとは考えられず、皆がそれぞれ食糧を持参していたはずです。
 アンデレは大麦のパン5つと魚2匹を持つ少年を紹介しますが、彼が大勢の群衆の中からやっと探し出したというより、
自発的に弟子たちに差し出したのが、正直な少年一人だけだったのでしょう。
他の大人たちは、イエスさまのお話が素晴らしかったとしても、自分たちの巡礼のために準備した食糧を、
イエスさまに提供する考えはなかったようです。少年が持ってきたのは大麦のパンと魚でした。
少年は、エルサレム巡礼のために持参した自分の食糧のすべてを、イエスさまに差し出したのです。
イエスさまは、少年から提供された食糧に感謝の祈りを捧げてから、人々に分け与えられたと記されています。
 そのとき、イエスさまが魔法を使ったかのように、突如としてパンと魚は増えたのでしょうか? 
伝統的な解釈は別にして、その場にいた大勢の群衆はどのような思いで、このパンと魚を受け取ったのでしょうか? 
一人の少年が、自分の旅行のための貧しい食糧を、それも持っているすべての食糧を差し出したのに、
大人たちは自分のものを隠し持って、少しも差し出そうとしないという光景です。
 では、何が起こったのでしょうか? おそらく大人たちが自分たちの心の狭さを恥じて、近隣の者たちと一緒に座りながら、
隠し持っていた物をおずおずと取り出し、分かち合い、そして残ったパンの屑で十二の籠がいっぱいになったのではないでしょうか。
 では、何も増えなかったのでしょうか? いいえ、確かに増えました。物質的なパンについてよりも、
人々の自己中心で閉じた心が開かれ、互いに分かち合う隣人愛の精神が増えたのです。このことが分かってくると、
人々の心を開かせ、ひとつに向かわせられる方としてイエスさまを見ることができ、
そのためにイエスさまを自分たちの王にしようとしたのです。しかし、イエスさまは独りでまた山に退かれます。
イエスさまの国は、この地上のどこかに築くものではありません。それは神の愛に心を開く者たちの国だからです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

7月21日 年間第16主日 マルコによる福音 6章30節〜34節

 〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。
出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 梅雨明けとなって猛暑日、危険な暑さが続いております。学校や幼稚園は夏休みですね。でも、学校が休みになったとしても、
独身の方は別として、仕事のために休暇を取るのもままならず、いつ帰省できるか、どうやって故郷に行こうかと迷われている方も多いと思われます。
まあ、休暇を取れる人、帰る故郷のある人は、それだけでも幸いだと思わなければならないのでしょうか。
 さて福音では、イエスさまが休むために、使徒たちを連れて人里離れた所に行ったのに、大勢の群衆はイエスさまを追いかけて、先回りしていました。
そこでイエスさまは「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」のです。まったく「休み」になりません。
 このように聖書では、「たとえ」に羊がよく使われます。それはヘブライ人がもともと遊牧民であって、羊が最も身近な家畜だったからでしょう。
聖書において、羊はまず、神に献げる生け贄として紹介されます。しかし、羊を飼うのは、生け贄にしたり、
その肉(ラムやマトン)を食べるためだけではありません。羊の毛は織物にされてウールとなり、木綿が東アジアから伝わって来るまでは、
中近東から西の地域では、ウールが衣服の主要な原材料でした。わたしどもの会服もウールで作るようにと定められておりますが、
それはウールが庶民の服地だったからで、ウールと言っても、カシミヤのように柔らかなものではなく、ゴワゴワとして肌触りのひどいものでした。
 羊は、屠った後に皮を剥いで大きく延ばし、文字を書くための用紙(羊皮紙:ペルガモ紙)を作ります。
ヨーロッパでは伝統的に、正式な証書や賞状などを書く際の用紙となってきましたし、聖書の写本にも、近世まで使われていました。
古代のエジプトやメソポタミア文明では、川岸に生える葦の茎を使ったパピルスが用いられていましたが、でこぼこしていたので、
多くの文字を記せる羊皮紙に置き換えられていったようです。
 羊は、このようにいろいろ利用できる有用な家畜でしたが、おとなしく柔順なことの象徴でもあります。羊は視力があまり良くないそうで、
常に群れで生活していて、群れから離れてしまうと、狼などに襲われたりします。そのため、移動する際には、羊飼いの周りに集まって、
水場やおいしそうな草の場所に連れて行ってもらうことになります。羊毛の刈り込みや屠るなどの作業を除き、羊飼いとして牧場を移動させることは、
子どもにでもできる簡単な作業とされていたようです。
 一方、山羊も羊と同じように飼われていたのですが、雑食性であり、草の根や木の葉、木の皮まで食べ尽くしてしまうため、
山羊の群れが食べ尽くした後には、新たな草がまったく生えなくなったりします。
その悪食性が嫌われて、聖書のたとえ話では、あまり良い役割はもらえていません。例えば、マタイ福音書25章で語られる「最後の審判」の場面では、
隣人愛に誠実であった者は「羊」として審判者である王の右側に、そうでなかった者は「山羊」として左側に分けられて審判が下されます。
同じように牧畜の対象でありながら、扱われ方に大きな違いがありますね。
 この羊と羊飼いとの言葉は、教会でも使われ、日本語の「主任司祭」はラテン語の「パストール」(羊飼い)であり、
「小教区」はラテン語の「パロキア」(羊の群れ)です。区域ではなく、そこに集まる羊(信者)を対照としています。
「飼い主のいない羊のような有様」とは、信者の霊的世話を熱心にする司祭のいない教会を指しているのでしょう。耳の痛い話です。
イエスさまは「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10・11)と教えておられます。
わたしも、司牧のための熱意をかき立てなければならないのですが、この暑さでは、どうも冷房の効いた部屋に閉じこもりがちです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

7月14日 年間第15主日 マルコによる福音 6章7節〜13節

 〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。
その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、
ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。
「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。
しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、
彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 だいぶ前のテレビ番組で、「はじめてのおつかい」というのを見たことがあります。
不定期の番組だったようで、同じタイトルの絵本もあります。内容は、小学一年生くらいの年齢の子どもに、
お母さんがちょっとした「おつかい」を依頼し、子どもが生まれて初めての「おつかい」を果たす様子を、
テレビカメラが隠し撮りするものです。大人にはたいしたことの無い、ほんのちょっとした「おつかい」なのですが、
生まれて初めて「おつかい」に出る子どもにしてみれば、お母さんに頼まれた「大切な」仕事であり、
気負いと不安が入り混じりながら、自分一人で、あるいは弟や妹を連れて家の外に出かけることは、
「だいぼうけん」となるわけです。その「おつかい」を果たすことだけで、子どもが一回り大きく成長することが、
番組を視聴する側にもよく伝わってきます。
 さて、今日の福音でイエスさまは、ご自分が選んだ十二人の弟子たちを、二人ずつ組にして宣教に遣わします。
弟子たちは、まさに「イエスさまのおつかい」をするわけです。イエスさまは弟子たちに、汚れた霊に対する権能を授け、
旅には杖一本のほか何も持たず、パンも袋も金も持っていってはならないこと、ただ履物は履くように、また下着は2枚着てはならないと指示されます。
これらの物を持つこと、あるいは持たないことは何を意味するのでしょうか? 
 まず、「汚れた霊に対する権能」とは、「悪魔払い」のこともありますが、それよりは、正しい教えを宣べ伝えること、
つまり「教師」としての役割を意味するものです。
 また「杖一本」とは、弟子たちがそれほどの年寄りでもなかったので、護身用とも思われます。
けれども「杖」はまた、羊飼いたちが使う物で、モーセの兄アロンが手にしていたように「預言者のしるし」ともなり、
こちらの方が「イエスさまの使い」として町や村に向かう者にはふさわしいようです。(教会では司教様が司牧者のしるしとして持っています。)
 次に「パンと袋と金」とは、自分たちだけの力で、他の誰からも援助を受けずに旅行するための用意だったでしょう。
それで、これらを持たずに出かけることは、行った先で誰かから(おそらく律法に忠実な人から)支えてもらわなければならず、
そのような人をまず見きわめる真剣さが必要となります。
 「履物は履くように」というのは、途中の道路が良くないからではありません。現代でもアフリカやアジアの地域によっては、
履物なしに生活する人が沢山います。結構ひどい道なのですが、生まれ育った環境によって、足裏が丈夫になっているのでしょう。
実は、中世の聖フランシスコも、普段は裸足の生活をしていたそうです。
でも、ミサを捧げるとき、司祭の会員は履物を履くようにと、聖フランシスコは命じています。
履物は自分の足を保護する以上に、その人の、祭司としての職位を示すしるしとなります。
 また「下着」を2枚着るのは、裕福な人だけができることと思われ、これを禁じるのは、弟子たちが、質素な生活をしていることを示すためでしょう。
 このように考えると、十二人の弟子たちに命じられた「持ち物」は、教師、預言者、祭司の役割を示す簡素な道具であり、
その宣教の態度は威圧的ではなく、礼節に満ちていなければならなかったはずです。
使徒たちの「はじめてのおつかい」は、カメラならぬ聖霊によって見守られたものだったのです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

7月7日 年間第14主日    マルコによる福音 6章1節〜6節

〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。
多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、
その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの
兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に
手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。


主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日は「七夕」、神話によると、織姫と彦星が年に一度だけデートを許される日だそうです。笹の枝の短冊に願い事を書いている
若い人たちは、夢があって良いですね。
 さて、今日の福音箇所では、故郷のナザレにお帰りになったイエスさまが、会堂で教え始められると、故郷の人々はイエスさまの
知恵と奇跡には驚きますが、「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、
ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」とつまずいてしまいます。「大工」というのは養父ヨゼフさまの職業でした。しかし、
「マリアの息子」というのは普通の言い方ではありません。当時のイスラエルには名字の制度は無く、通常は父親の名前を名字のように
使って、「誰々の子の誰々」として個人を識別していました。ですから、イエスさまの場合は「イエス・バル・ヨセフ」となったはずです。
それなのにナザレの人々は、わざわざ母親の名前を使っているのです。これを次のように考えることができます。まず1)ヨゼフさまが、
大分以前に他界してしまったので、マリアさまの方が良く知られていたから;あるいは、2)故郷の人々は、マリアさまがヨセフさまと
同居する前からイエスさまを身ごもっていたのを知っていたので、父親が誰だか分からない「父無し子」という軽蔑の意味で使った、
というものです。そしてこれは、たとえ既に亡くなっていたとしても、個人を識別するための名前としては通常、父親の名が使われるはず
なので、イエスさまが聖霊によって、処女であるマリアさまの胎に宿ったことの傍証であるとする学者もいます。また兄弟として
「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」の名前が挙げられています。興味深いのは2番目の「ヨセ」で、イエスさまの十字架の下にたたずむ
婦人たちの中に「ヤコブとヨセの母マリア」(マルコ15・40)という名があります。マルコ福音記者が間違って「ヨセ」と記したのでは
ないことは、十字架から降ろされたイエスさまの遺体を引き取って埋葬した人を、「アリマタヤのヨセフ」(マルコ15・43)と記している
ことからも分かります。いずれにしましても、「ヤコブとヨセ」には聖母マリアとは別人の、母親マリアがあったことが分かります。
当時のイスラエルの言い方では「兄弟」といっても、同じ父母から生まれた者たちだけでなく、親戚関係にある男性を一般的に「兄弟」
と紹介していたからです。
 このように故郷ナザレの人々は、その人の親戚関係を知っているというだけで、その人をすべて知っていると思い込み、自分たちの理解を
超える事柄、つまりイエスさまが語る、神について、また信仰についての教えを、素直に向け入れられなかったのです。例外は、母親である
マリアさまと、親戚のヤコブだけだったでしょう。マリアさまこそは、イエスさまが本当は誰の子であるかをご存じでした。また、親戚の
ヤコブは、十二使徒の中にこそ選ばれていませんが、後から弟子団に加わり、教会の誕生後はエルサレム教会の責任者となり、新約聖書にも
彼の名前で書かれた書簡が載せられています。
 故郷ナザレの人々の不信仰は、わたしたちにとって、自分は知っているとの思い込みに気をつけなければならないことと、イエスさまが
神の御子でありながら、マリアさまの子として生まれた方であることを、はからずも証明することに役立ちました。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

6月30日 年間第13主日  マルコによる福音 5章21節〜43節

 〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。
会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。
どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
 《さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、
ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
イエスは、自分の内から力が出ていったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。
それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、》会堂長の家から人々が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい。」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、
だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、
家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。
しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、
「タリタ・クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。
少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日の福音では2つの癒しの奇跡が語られます。まず、イエスさまの動きに従って、大勢の群衆がそばに集まって来て、
押し合いへし合いする様子が述べられます。この日本でも、例えばビートルズや、ヨン様が来日したときなど、
有名な歌手や俳優が来ると、若い女性が大勢集まって、大変な騒ぎになったのを思い出します。
またわたし自身、40年ほど前に、イタリアのグレッチオというフランシスコ会の巡礼所を、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れて、
普段は外出を許されない隠世修道会のシスター方に謁見したときのことを思い出します。ホールに集まっていたシスター方が、
入場してきた教皇様に、熱狂して殺到し、制止するお付きの司教様方を押しのけて教皇様に近づき、触れようとして、ついには、
教皇様の着ている服の袖を引きちぎってしまったのです。警護のSPたちがあわてて割って入り、
やっと教皇様を救出しなければならない事態になりました。わたしはそのとき、ホールの2階席からの「高みの見物」をしていて、
「シスター方も、やはり女性なんだなぁ」と、変なことに感心していました。
 さて、今日の福音に話を戻すと、イエスさまは、ご自分に触れた女性に「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいます。
イエスさまの方から積極的に癒してあげたのではなく、出血症を患っていた女性が、イエスさまから癒しの恵みを、
言わば「盗み取った」ことがわかります。わたしたちの間では時々、祈るときに、「御旨ならば... 」と、
一見、謙遜にも思える言葉を付けて、自分の願いを慎ましく述べることがありますが、
「御旨であろうがなかろうが、どうしても癒やされたい」という、出血症を患っていた女性の「なりふり構わない」強い願いこそが、
イエスさまを動かしたのではないでしょうか。
 会堂長のヤイロの場合には、イエスさまは「恐れることはない。ただ信じなさい」とおっしゃいます。
「恐れずに信じること」と教えられます。周囲の人たちからは笑われてしまうような、通常では不可能で、突飛な願いかも知れませんが、
本人にとって、それが本当に心の底からの願いであるなら、世間体などを恐れずに、堂々と、ただひたすら、イエスさまにすがれば良いのです。
 けれども残念ながら、わたしたちの場合は、このように単純には行かないようです。たまには願いが聞き入れられたと思えることがあっても、
実感として、聞き入れられない場合の方が多いのです。これは簡単に、願うときの熱心さが足りなかったからと片付けられるものではありません。
どんなに心の底から真剣に願ったとしても、そのとおりには聞き入れられないことがあるのです。
「どうして神さま、イエスさまは、わたしの願いを聞き入れてくださらないのだろうか?」と疑問に思ってしまい、
自分の信仰自体が試されているような気がします。でも、だからこそ、「恐れることはない。ただ信じなさい」との、
会堂長へのイエスさまのおことばが聞こえてくるのです。
 わたしたちの祈りと願いは、周囲の者からどのように受けとめられるかに関係なく、
わたしたちと共におられるイエスさまに向けられているはずです。奇跡は信仰が深まるきっかけとはなっても、
奇跡自体を追い求めるべきではありません。神さまの御心を求めることこそが、わたしたちの信仰を深めるからです。


---  * --- * --- * --- * --- * ---

6月23日 年間第12主日 マルコによる福音 4章35節〜41節

  その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、
イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれても
かまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、
すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、
この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。


主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

  かかりつけの医師から運動不足を指摘され、先週から毎日15分間歩くようにしています。日中の雨がやむのを待ち、人目につかないように、
夕食後に教会と修道院の周りを歩きます。たった15分間ほどの運動なのですが、それだけでくたくたになって修道院に帰ってくると、
この季節にはクチナシの香りが漂っています。梅雨の季節に咲く花ですが、甘く柔らかな香りで、「お疲れさま」と迎えてくれます。
まるでわたしの疲れを癒やそうとしているかのようです。
  さて、福音では、弟子たちがイエスさまをお乗せして漕ぎ出した舟が、突然の嵐に襲われてしまいます。弟子たちに起こされた
イエスさまが風を叱り、湖に「黙れ」と仰せになると、「風はやみ、すっかり凪になった」と記されています。イエスさまには、
自然をも動かす力が備わっていたことを示しています。不思議なのは弟子たちです。おそらく、イエスさまは舟に乗るまで、
休む暇も、寝る時間も無く、人々に教え病人を癒やしておられたので、すっかり疲れて、舟の中で眠ってしまったのに、弟子たちは、
「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか!」と言って、無理に起こそうとしています。イエスさまは、弟子たちからは、
大工であるヨゼフさまの息子だと思われていました。また一方、弟子たちの間には、ペトロやアンデレ、ヤコブやヨハネなど、
ガリラヤ湖の漁師だった者たちがいました。湖や舟については、「大工の息子」よりも、現役の漁師の方が良く知っていたはずです。
ですから弟子たちは、イエスさまに「なんとかしてください」とお願いするために、優しく起こそうとしたのではなく、
「そんなところで、いつまでも寝ていると、溺れてしまうぞ!」という、半ば脅しの意味で、イエスさまに緊急事態を知らせた
のだろうと思われます。
  イエスさまは起き上がると、風や波を鎮めます。神の御子であるからこそ、イエスさまには、このような力が備わっていたのです。
「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」とのことばは、「イエスさまが神の御子であること」を信じないのかという意味だけでなく、
「自分たちの間にいるガリラヤ湖の漁師たち」を信じないのかという意味にも取れます。そう考えると、イエスさまをあわてて
起こしたのは、漁師であった弟子ではなく、その他の弟子たちだったと考えられます。弟子たちがお互いを信頼し、協力し合えば、
自分たちだけで何とかできるのを知っておられたからこそ、イエスさまはゆっくりと艫(とも)の方で枕をして眠っておられた
のではないでしょうか?また、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」とのことばは、その当時の弟子たちにだけでなく、
現代に生きるわたしたちにも向けられています。いろいろな災害や紛争、病気や事故など、わたしたちを取り巻く現代の情勢には、
わたしたちが「この荒波に飲み込まれてしまうのではないか」と怯(おび)えさせるものがいくつもあります。そんな中で、
イエスさまに「助けてください!」とすがりたいわたしたちですが、いつも共にいてくださるイエスさまは、わたしたちが互いに
信じて、協力し合えば、ほとんどのことは自分たちの力で解決できるはずだと教えておられるのです。解決できないものがあるとすれば、
それはおそらく「相互不信」という暗闇だけでしょう。これを乗り越えるためにも、信仰の恵みをすべての人のために祈りたいものです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

6月16日 年間第11主日 マルコによる福音 4章26節〜34節

〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、
種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、
そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。
「神の国を何にたとえような。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上の
どんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
  イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、
御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

主 任 司 祭 の 説 教

  今日は父の日です。最近ではお母さんたちの間でも外で働く方が増えたので、お父さんだけが働いているわけではありませんが、
それでも父の日ともなると、毎日のお仕事、ご苦労様ですと言いたくなります。
  さて今日の福音では、神の国について、イエスさまは、種まきのたとえ話を語られました。蒔かれた種が、どのように成長するか、
あるいは、どれほど大きく成長するかは、蒔く人にはわからないと言われます。まさに、人間の子どもの成長もこれに似ています。
赤ちゃんがどのように胎に宿るかは、昔から常に大きな神秘に満ちています。しかし、今も昔も、誕生すると直ぐに、やれミルクだ、
やれ「おしめ」だと、赤ちゃんの泣く声に翻弄され、両親は一日中振り回されていきます。赤ちゃんは無事に育つと、ハイハイを終え、
つかまり立ちをして歩くようになり、そのうちに幼稚園に入り、また学校に入るようになります。両親や祖父母たちが、子どもの
成長を考えて、少し大きめの新たな衣服を買い揃えたとしても、2か月、3か月もすれば、体の方が大きくなってしまい、新しい
衣服もすぐに小さくなって、着られなくなるようです。また両親は毎晩、子どもが寝入ってから、子どもの将来と家計を秤にかけて、
どのような習い事を、いつ頃から始めるのが良いか、あるいは当人の才能と好みを見極めてからにすべきかと、いつもソロバンを
片手に頭を悩ませているようです。しかし、どれほど両親が期待し、心配したとしても、当の子どもは、いつもそれを裏切る
スピードと方向に成長していきます。
  教会も、ある意味で、お父さんお母さんたちと同じように、子どもたちの霊的成長に期待し、心配しています。それぞれのご家庭に
誕生し、それぞれに洗礼の秘跡を受けた子どもたちですが、初聖体を受けると、それからは小さいながらも、一人前の信徒として扱われる
ことになります。具体的には、主日のミサでの侍者奉仕ができるようになり、司式司祭のお手伝いをすることになります。侍者奉仕をする
ということは、司式者団の一員に加わり、一緒にミサを捧げる立場に置かれることで、信徒として能動的にミサに参加することになります。  
  イエスさまは、蒔かれた種が生長することを使って、わたしたちに「神の国」の秘義を教えておられます。「神の国」は劇的な出来事を
通して実現されるのでも、また、一瞬に変化を遂げる「魔法のことば」でもたらされるものでもありません。子どもたちが日々成長して
ゆくように、さまざまな人や事柄を巻き込みながら、そして関わる人々も、それとは気づかないうちに発展し、成し遂げられていくものです。
つまり、わたしたちの日々の歩みそのものが、「神の国」への歩みであり、実現なのです。幼児として洗礼を受けた子どもたちは、
信徒としても成長し続けます。段階としては、初聖体の後に堅信の秘跡を受け、成人となって良いパートナーと巡り会えば、結婚の秘跡を
受け、年ごとのゆるしの秘跡で自分の信仰生活を反省し、また病に陥ったときは、病者の塗油の秘跡で強められます。また、もしかすると、
神さまから召し出されて、修道誓願を立てたり、叙階の秘跡を受けるようになるかも知れません。このように、信徒としての成長は、
天国に至るまで続くものです。子どもたちを見守る周囲の大人たち、特にお父さんたちは、子どもたちの手本となれるように気を引き締め
なければなりません。わたしたちの日々の歩みそのものが、「神の国」の実現を目指すものとなりますように。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

6月9日 年間第十主日 マルコによる福音3章20節〜35節

 〔そのときに、〕イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になったいる」と言われていたからである。
エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、
また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。
「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない
。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、
だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、
永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。
 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。
「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

主任司祭の説教(濱田神父)

 このところ、修道院の庭の芝生にはネジバナがニョキニョキと生えてきて、それに晴れたり曇ったり、そして突然雨になったり、
天気が安定しませんので、うかうかと芝刈りもできません。「梅雨入り」、あるいは「入梅」の季節が近いのでしょうか。
この前の木曜日、6月6日は、「梅の日」だとかテレビで言っていましたが、室町時代の1545年、京都・賀茂神社の例祭(葵祭)に
「梅の実」が献上されたことの記念だそうです。この季節の名前に「梅」が使われるのは、梅の「花」の開花ではなくて、
「実」の採り入れが基準となっているようです。まだ青い実は「梅酒」用に、黄色くなりはじめたものは「梅干し」などに作られます。
どちらも、純日本的な食材で、なつかしさとともに、思うだけで唾が出て来て、食欲が増します。お昼ご飯などに職場で、
あるいは日曜日の御ミサの後に、梅干し入りの「おにぎり」を食べる方も多いのではないでしょうか。
わたしも、44年前に新司祭として初めて赴任した教会では、毎日曜日の昼食は、信者さんが差し入れて下さる梅干し入りの「おにぎり」でした。
当時は、その「おにぎり」さえも、時々食べ損なうほどに忙しかったのを覚えています。
 さて、福音ではイエスさまが家に帰られると、群衆が集まってきて、食事をする暇もないほどになります。
そこで言われる食事とは、忙しい会社勤めの方が職場で食べる「おにぎり」やインスタントラーメンなどではないようですが、
また、きちんとテーブルについて給仕してもらう食事を意味しているのでもないようです。
ともかくイエスさまは、食事のことなど忘れて、人々に応対していたようです。今風に言えば、まったく「仕事人間」になっています。
ですから、このために「気が変になっている」とか、「ベルゼブル(悪霊の頭)に取り憑かれている」などと言われたのかも知れません。
神の国の宣教のためには、自分の休息時間などは、まったく考慮されなかった方なのです。
 けれども、いくら忙しいからと言って、せっかく母マリアさまや親戚の方が見えたとき、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と言うのは、
少し冷たく、素っ気ない態度に思われてしまいます。でもこれは、血縁上のつながりを拒否したのではありません。
イエスさまを呼びに来た人に向かって、周りに座っている人々を見回しながら、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と、イエスさまは紹介します。この言葉は、マリアさまや親戚の方が、
単に「血縁」で結ばれているのではなく、「神の御心を行うこと」によって、イエスさまと結ばれているのを説明しています。
ですから、「おことばどおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と天使に答えて、お腹に宿したときから信じていた母マリアさまこそ、
イエスさまの第一の弟子であるとされ、もう一人の「親戚」とは、おそらく後にエルサレムの司教となった、「主の兄弟ヤコブ」(ガラテヤ1・19)
のことだろうと言われています。このときマリアさまは、ヤコブを弟子たちの仲間に加えてもらうために、
イエスさまの元に連れてきたのだろうと思われます。
 イエスさまの教えを聞こうと御ミサに与っているわたしたちとしては、イエスさまから「わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と紹介されると、
少し面はゆい気もしますが、このお言葉に応えるためにも、「神の御心」を果たすよう努めてまいりましょう。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

6月2日 キリストの聖体(祭日) マルコによる福音 14章12節〜16節、22節〜26節 

 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意
いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。
すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。
『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた
二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」弟子たちは出かけて都に行ってみると、
イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯
から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。
神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、
オリーブ山へ出かけた。

主任司祭の説教(濱田神父)

 6月に入りました。晴れたり曇ったり、落ち着かない天気が続いていますが、世間では「ジューン・ブライド」と言って、
例年ですと結婚なさる方が多いようです。6月の英語名が「ジューン」、つまり、ギリシア神話の神々の王であるゼウスの妻
ジューノの名からとられ、この月に結婚する女性が、その女神によって祝福され、健康と幸せを豊かに受けるという縁起担ぎから
きたものです。「結婚式」というと日本では、教会や神社での挙式はしても、どちらかというと、披露宴やパーティーの方がその
中心です。一般のホテルや式場でも、結婚披露宴は短時間で収益の上がる「稼ぎ頭」だったそうですが、人口減少で若年層が少ない
うえに、コロナ禍の影響を受けて、職場を失った方が多くあり、披露宴どころか、結婚する余裕のある方が少なくなったようです。
 さて今日の福音では、いわゆる「最後の晩さん」が述べられ、イエスさまがパンとぶどう酒を使って、御聖体を制定された様子が
描かれます。ルカ福音書(24・13-35)には、エマオに向かう弟子たちが、パンを裂かれたときに、途中で道連れになったのがイエス
さまだと分かった次第が記されおり、イエスさまには、以前から食事の際に、パンを裂いて弟子たちに渡す、独特のやり方、流儀が
あったと思われるのですが、どのような仕草であったかは伝承されていません。また、本当に「最後」であったかどうかについても、
疑問を投げかける学者もあります。しかし、教会が「最後の晩さん」とするのは、時間の前後ではなく、イエスさまの地上での
宣教生活の総決算を意味するからです。そこでは、一緒に食事することによりも、「キリストの体」を拝領することが強調されています。
 人間の「体」を、霊魂や心と一緒になって「人間」を成り立たせるものと考えたときに、その人の思いや考え、その人の内面に
おける性格や感情を、外部の世界に直接、それこそ「具体的」に、つまり「体を具えて」表すものです。そのため、「御聖体」とは
イエスさまの思いや考えを、パンとぶどう酒の形で表すものとなります。その御聖体を「拝領」するとは、イエスさまの教えと
宣教生活を自分のものにすることであり、物理的にその御聖体を拝領することを通して、自分たちの方が反対に、イエスさまに
「受け入れ」られて「同化」され、イエスさまの体、手足となっていくこと、つまりイエスさまの「心」である「愛のわざ」を、
この地上で継続し、実現してゆくという、弟子たちの使命が示されているのです。
 そのことによってわたしたちは、ミサ以外でも御聖体を礼拝し、拝領し、霊的に一致することができるようになります。実際、
病気の方に御聖体を運んで行って驚かされるのは、ほんのひとかけらの御聖体のパンによって、拝領した方が本当に満たされて、
霊的な落ち着きを見せることです。そこには、実にイエスさまが御聖体の内に現存されることが示されているのです。
 御父のもとからわたしたちの間に来られ、わたしたちの内に今もおられ、わたしたちを強めてくださるのがイエスさまの御聖体です。
この偉大な秘跡に感謝しましょう。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

5月26日 三位一体の主日(祭 )   マタイによる福音 28章16節〜20節

  〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、
ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

主任司祭の説教(濱田神父)

  聖霊降臨祭をもって復活節が終了し、典礼的には「年間」となりました。聖霊降臨後の最初の日曜日は、神さまご自身に
捧げられた祭日、三位一体の主日です。御父・御子・聖霊である神さまをお祝いします。  実は、「三位一体」という用語の中で、
「位」や「体」は日本や中国などの漢字圏での単位を示す語で、西洋の用語には存在しません。「位」や「体」は、霊的なもの
を表すための単位なので、あえて加える必要は無く、平たく言えば「三つでありながら一つの神」となります。なぜ「三つ」
なのかと言えば、わたしたち人間が、御父、御子イエス、聖霊に対して、別々に呼びかけられるからであり、なぜ「一つ」かと
言えば、唯一の神、人間側からの勝手にはならない絶対他者である神を表すからです。(複数であれば「多神教」となり、
季節や生活の営みに合わせた「神々」となってしまいます。つまり、人間が神々を認めていく宗教となるのです。)
  この唯一の神さまを考えてみれば、御父は永遠の愛の源泉であり、万物の創造主である方です。「みことば」である
御子イエスさまは、御父の愛を人間に啓示してくださった方、そして、信じる者たちに働いて信者同士を結び合わせ、
御父・御子の愛の交わりに人間を与らせ、信じる者たちに神のわざを実践させてくださるのが聖霊です。したがって、
「三位一体」という語は、わたしたちが信じている神さまがどのような方であるかを、あたかも外部から客観的に眺めて述べた
語ではなく、神さまの愛の交わりにわたしたちも招かれ、巻き込まれているのを示すダイナミックな描写なのです。
しかし、わたしたちがどのように神さまを描写してみても、どのような言葉で表現してみても、結局の所、それは人間の
理解力、言葉による表現の限界によって、常に不完全なものに留まります。神さまが、実際にどのような方であるのかは、
生きているわたしたちが、完全には理解することはないでしょう。神さまの世界から来られた方、つまり、イエスさまのみが、
これをわたしたちに啓示することがおできになるだけです。
  今日の福音箇所では、復活したイエスさまが弟子たちと、「ガリラヤ」でお会いになることが言われます。「ガリラヤ」とは
ペトロやアンドレアなどの出身地を示すと同時に、彼らがイエスさまと最初に出会った地です。「ガリラヤに行け」という
命令は、復活した方に出会うために、自分がイエスさまと出会った、そもそもの場に戻れという命令であり、少し前に流行った
言い方では、「原点に帰れ」ということになります。原点に帰って自分の信仰を振り返るとき、自分のこれからの信仰の姿を
見定めることができるのです。そのためには、イエスさまが弟子たちに命じられたように、自ら福音を宣べ伝えてみることです。
そうすれば、自分の行った宣教のわざによって、かえって自分自身が宣教されるという体験が得られるはずです。 わたしたちの
行いが神さまの愛を表すものとなれるのは、父と子と聖霊である唯一の神が、常にわたしたちに寄り添ってくださるからです。
今日の福音箇所の最後、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」との言葉は、主なる神がモーセに対して
啓示されたご自分の名前、「わたしは『ある』ものである:エーイェ・アシェル・エーイェ」(出エジプト記3・14)を示しています。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

5月19日 聖霊降臨の祭j日 ヨハネによる福音 15章26−27節、16章12−15節

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、
すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、
すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、
『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

主任司祭の説教(濱田神父)

 昔、宣教師から聞いた話です。ある信者さんの家庭を訪問していたところ、その家の小学生の子どもが学校から帰るなり、
「神父さん!神さまって本当にいるんだよね?」と真剣な顔をして尋ねて来たそうです。どうやら、その子は信者だということで、
学校で友達から「神さまなんて、いないんだ!」と言われたようでした。ヨーロッパから来たその宣教師は、身を低くして、
その子の手を握り、まっすぐに目を見ながら、「だからわたしは、遠い国から海を渡って来たんだよ。」と答えたそうです。
その子は宣教師のこの一言で、すべてを納得できたようです。
 さて、今日の聖霊降臨祭では、復活したイエスさまが昇天された後、弟子たちの上に聖霊が降り、
それによって弟子たちは様々な賜物を受けて、力強く宣教を開始したとされます。言わば、教会の誕生を記念する祝日です。
聖霊によって受けた「賜物」は様々に描写されますが、それでは一体、聖霊「そのもの」とは何かと問われると、しばし考えてしまいます。
「聖」であり「霊」であるものと考えると、御父も御子も「聖」なる方で、御父も御子も「霊」的な方です。
ですから、「聖」とか「霊」とかの言葉だけから「聖霊」を理解することは難しいようです。手がかりを探すと、今日の福音箇所では、
イエスさまから「真理の霊」として紹介されています。「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」
とイエスさまは言います。しかし、それでは「真理とは一体何か?」という問題になっていきます。
 同じヨハネ福音書(18章)でイエスさまは、最後の晩餐の後にユダヤ人たちに捕まり、大祭司に尋問され、
そして、ローマ総督ピラトの元に連れて行かれました。「お前はいったい何をしたのか?」というピラトの質問に対して、
「わたしは、真理について証しするために世に来た。」(18・37)と答えます。これに対して総督ピラトは「真理とは何か?」(18・38)
と尋ねますが、これに対するイエスさまのお答えは、福音書には記されていません。ですので、この間の情景は想像するしかないのですが、
イエスさまが何も答えないことに対して、ピラトは、ユダヤ人たちの所に出ていき、「わたしはあの者に何の罪も見いだせない」(18・38)
と言います。イエスさまが「何も答えない」ことによって、ピラトは「真理とは何か?」という質問への回答に、納得したとしか解釈できません。
一方で、ピラトはイエスさまが訴えられた原因が、人間社会での犯罪ではないと見極めていたと考えられます。
また他方、イエスさまが「分からないから答えない」のではなくて、言葉に言い表せるようなものは「真理」の部分的・派生的な側面でしかなく、
言葉にしてしまえば、それはもはや「真理」自体ではなくなるということを、イエスさまが示されたとピラトは理解したのでしょう。
 このことから、イエスさまが「真理の霊」として紹介された「聖霊」を、「聖霊とは、これこれである」という形で
簡単に定義づけられないことが理解されます。むしろ、「聖霊」とは、これを受けた者がイエスさまの弟子となり、
弟子として生きることを通して、受けた賜物をこの世に表していくものではないでしょうか。しかし、このように述べても、
所詮、それは「聖霊」の働きの一側面でしかなく、言葉では言い尽くせず、「言葉で答えない」ことの方が、より雄弁に語ってくれるもの、
つまり「言葉で宣べ伝えるもの」ではなく、「心に伝わるもの」・「感じるもの」だと言えます。
 先ほどの宣教師が、「だからわたしは、遠い国から渡って来た」と答えた言葉から、その子は何を感じとったのでしょうか?
---  * --- * --- * --- * --- * ---

5月12日 主の昇天の祭日  マルコによる福音 16章15節〜20節

〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

主任司祭の説教(濱田神父)

隣のフランソア幼稚園からは、つい最近まで、この4月に入園したばかりの子どもの泣き叫ぶ声が毎朝、修道院にまで聞こえていましたが、
どうやらこの頃は、幼稚園そのものや、優しい先生方にも慣れ、またお友達もできてきたようです。泣き声があまり聞こえてきません。
大型連休もおわり、元に戻ってしまったかと心配しましたが、近頃の子どもは幼児でも、かなりしっかりしているようです。
反対に、お母さんたちの方が、少しがっかりしているようにも見えます。連休中には子どもと一日中一緒にいられたのに、
幼稚園が始まってしまい、日中は離れて生活しなければなりません。我が子が成長するとともに、だんだんと手を離れていくことに、少し淋しさを感じているのかもしれません。
今日は5月の第2日曜日。一般には「母の日」とされています。日頃、わたしたちの世話をしてくださるお母さま方に、感謝をささげる日です。
「もう、とっくに子ども時代を卒業した」という方にも、お母さんがあったはずです。たとえ子どもが結婚して巣立ったとしても、
また自分がこの世の生を終えて天にめされたとしても、お母さんの心はいつも子どものそばにあります。
まるで、天に昇られたイエスさまのようです。お母さま方に感謝しましょう。
典礼では「主の昇天」の祭日をお祝いします。
復活したイエスさまが、40日にわたって弟子たちとともに過ごした後、天に昇っていかれ、弟子たちの肉眼には見えなくなります。
しかし弟子たちは、イエスさまが彼らの元を離れて天に昇っていかれても、悲しみに沈むことはなく、
「出かけて行って、至るところで宣教した」とされます。本当でしょうか? 少し薄情にも聞こえますね。
まあ、「主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」と、
福音書は続けていますので、そんな心配は要らないのかもしれません。
でもこのことから、「主の昇天」は、復活した主が、弟子たちの目の前という、時間的・空間的に限定されたこの「地上」から離れて、
「天」という「神の右の座」に着かれたことを示しながら、また神が全能であって、時間にも空間にも制限されない方であるために、
イエスさまご自身もまた、どこでも、常に、弟子たちとともにあるのが可能となったことを示すものだと言えます。
ありがたいことに、人間でも親となった方々が、自分の子どもが手元を離れて独自の人生を歩み始めても、
決して自分の子どものことを忘れない心を持っているように、イエスさまも、弟子たちの元から身体は離れていっても、彼らを忘れることなく、
いつもその働きとともにおられるのです。そのはっきりとしたしるしが、神の霊であり、イエスさまの霊であり、
わたしたち信じる者同士を結ぶ聖霊なのです。それは、わたしたちが自立してゆくための霊であり、もう一方で、
神である御父・御子と、そして信者同士を結ぶ聖霊なのです。その聖霊を送ってくださるためにこそ、イエスさまは昇天したと言えます。
「わたしは、代の終わりまで、いつまでもあなた方とともにいる」(マタイ28・20)というイエスさまのお声が聞こえてくるようです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

5月5日 復活節第6主日   ヨハネによる福音 15章9節〜17節

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、
わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが
満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の
命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

主任司祭 の 説教(濱田神父)

 今日は5月5日、端午の節句、こどもの日です。男の子が誕生した家庭では、鯉のぼりや、熊にまたがった金太郎の人形だけでなく、
鎧兜(よろいかぶと)や太刀なども飾られることが多いようです。でも、都市部では住宅事情のせいか、節句の飾りも、小さな兜と
旗だけだったり、鯉のぼりも控え目なものが多くなりました。しかし、鎧兜や太刀は、現代では美術工芸品となってはいても、
本来、戦の装備です。端的に言って、殺し合いのための道具です。可愛い息子さんやお孫さんが、将来そのような、殺し合いの場で
ある戦争に行くことを願っているのでしょうか? それとも、実社会は競争が激しいから、戦場と同じだというのでしょうか。
殺し合うこと、競い合うことよりも、助け合うこと、愛し合うことを、イエスさまは命じておられるはずです。
 さて、1981年前に、歴史上、初めて訪日したローマ教皇、聖ヨハネ・パウロ2世は、その翌年の1982年にマキシミリアン・マリア・
コルベ神父を列聖しました。コルベ神父は教皇様と同じポーランド出身で、コンベンツァル会の会員であり、戦前の日本で布教して、
長崎で「聖母の騎士」という雑誌を創刊しています。けれども戦争中に帰国したコルベ神父は、ナチスに捕まり、アウシュビッツの
強制収容所に入れられ、そこで、ある若いお父さんの身代わりに餓死刑となって死んだのです。コルベ神父は1971年に、パウロ6世
教皇様によって列福されたのですが、列聖されるためには、当時の基準で2つの奇跡が必要でした。しかし、コルベ神父には、
まだ二つ目の奇跡が証明されていませんでした。それで、列福・列聖を審査するバチカン聖省は、彼の列聖に難色を示していたのです。
 そこでヨハネ・パウロ2世教皇様は、今日の福音箇所、「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」ということばを
引き合いに出して、コルベ神父の列聖に踏み切り、そして教会の列聖・列福手続自体を改訂しました。以前は、「奇跡が必要だ」
とのことで、列福・列聖を推進する団体は、その聖人候補者の「御絵」と祈りのことばをカードにして、「何か奇跡が起こったなら
連絡してください」と、これを世界中の信徒に配っていたのです。ですから昔は、ミサ中でも聖堂内でトランプ・カードを繰るように、
様々な聖人候補者の「御絵」を使ってお祈りする信心深い方も、時折見受けられました。でも、それで病気が治ったり、「奇跡」が
起こったとしても、どの聖人のおかげなのかは分からないだろうなと、余計な心配もしていました。
 いずれにしても、ヨハネ・パウロ2世教皇様が提起したのは、聖人として称える根拠が、その生き方にあるのか、それとも、
死後にその取り次ぎによって起きたとされる、超自然で不思議な出来事なのかという点です。コルベ神父は、「友のために
自分の命を」捨てました。福音の教えに忠実に従ったのです。わたしたちが福音を読むとき、ただことばや表面上の美しさに感動
しているだけでは不十分なはずです。今日の福音はわたしたちに、まさに「命をかけて」、友を愛することを命じています。
それを生活に生かし、自分で実行しようと心掛けるときに、わたしたちもイエスさまから親しく、「友」と呼ばれるでしょう。
イエスさまが命を捧げられたのは、その「友」のため、つまり、わたしたちのためだったからです。
子どもたちが元気に育ち、平和な世界を実現する力となるように祈りましょう。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

4月28日 復活節第5主日 ヨハネによる福音 15章1節〜8節

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、
実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、
枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」

主任司祭の説教(濱田神父)

 今日の福音でイエスさまは、「ぶどうの木とその枝」の「たとえ」をお話しになりますが、これを聞いた当時の人々は、
そのまま直ぐに理解し、納得できたようです。
 この修道院の裏手にも「ぶどうの木」があります。小粒で大して甘くもならないのですが、3年ほど前までは確かに実を付けていました。
しかし、このところ、さっぱり実がなりません。こまめに手入れをしてくれる人がいなくなったためでしょうか。
わたしも試しに裏手に回って、ぶどうの木を眺めてみたのですが、どこからどこまでが幹なのか、どこからが枝なのか、
見分けがつきませんでした。地面から生え出ている部分が幹だろうとは見当が付くのですが、その先がまったく区別つきません。
柿やりんごのようには、はっきりとしていないのです。
 そうすると、御父が手入れをなさるように、「実がならないから、この枝はだめだ」と決め付けて、枝を刈り込み、
外に投げ捨てるのも容易なことではありません。イエスさまは大工の息子だったというのに、よくもまあこんな「たとえ話」をなさったなと、
感心する反面、もしかすると、「ぶどうの木」のことをご存知ないままに話されたのではないかと疑ってしまいます。
また一方で、そのお話のとおり、もしイエスさまが、この「ぶどうの木」自身であるなら、イエスさまはご自分にくっついている枝を、
「この枝は実がならないから捨ててしまおう」と判断されるのでしょうか?いや、そうではなくて、「幹にとどまったまま、何とか実をつけてほしい。
もっと栄養を送ってやるから」と思われるのではないでしょうか。なぜなら、幹と枝が区別できないほど一体であるなら、
その部分を特定して、決め付けて、捨てるなど、そんな冷たいことは簡単にできないはずです。
 一方でまた、良く見ると聖書では「捨てる」とは書かれておらず、ただ「投げ捨てられて枯れる」と表現しています。
つまり、「イエスさまの方から」枝を捨てるのではなく、「枝の方から」イエスさまとのつながりを拒んだために、
実を結ぶことができなくなって枯れていき、ついには幹を離れて地に落ちてしまうことを描写しているようです。
幹であるイエスさまとしては、最後までその枝を守りたかったに違いありません。これは非常に甘い考えかも知れません。
厳しい御方ならば、他の枝を豊かに実らせるために、だめな枝をさっさと刈り込んでしまうのかもしれません。
けれどもイエスさまは、きっと優しく、待っていてくださる方です。その証拠にイエスさまは、「望むものは何でも願いなさい」とも仰っています。
それは幹であるイエスさまの方から、恵みという栄養をたっぷり送りたいのに、それが枝に届かないとすれば、枝の方が「遠慮して」拒んでいるからで、
正直に自分の必要を打ち明けるのを求めておられるからです。
 では、わたしたちが「実を結ぶ」ための必要とは何でしょうか。それはわたしたちの日常生活にあるはずのものです。
わたしたちは毎日のように、事故や災害などのいろいろなニュースを耳にします。その被災者や犠牲者たちを「可哀想」と思い、
不正や犯罪、汚職などに憤り、小さな子どもや弱い立場にある人たちが懸命に努力する姿を見て、応援したくなります。
このような、わたしたちが日常生活で、普通の人間としての感情を抱くことは、イエスさまも同じだと思います。
特別な事柄を、遠くに探しに出て行かなくとも、わたしたちの生活に生じる事柄に、わたしたちの目を向けることが、
イエスさまの思いを実践する手始めになるでしょう。テレビや新聞で報道されるような極端なものではない、
わたしたちの生活の場での小さな出来事に対して、教会の教えと自分の良心に従い、目をむけて応援することが、
イエスさまの思いを実践することになるはずです。そのためにも、イエスさまからの助けが必要なのです。
柔らかく素直な心、信じないのではなく信じる心を持つことが、生活においてイエスさまの教えを実行する恵みを受けるために、
それも豊かに受け取るために、必要なのです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

4月21日 復活節第4主日  ヨハネによる福音 10章11節〜18節

〔そのとき、イエスは言われた。〕「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。—— 狼は羊を奪い、また追い散らす。
—— 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。
その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。
それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。
わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

主任司祭の説教(濱田神父)

新学期も始まり、幼稚園に入ったばかりの子どもたちも、それぞれの新しいクラスや友だちに慣れはじめてきているようです。
でも、先日の報道では、大学を卒業して就職したばかりの人の中に、希望した職種ではなかったとか、職場の環境に慣れないという理由から、
はやくも辞職した方が多くあると報じられていました。新しい環境に入るのは、若い人たちのみならず、大変なことです。
さて、今日の福音でイエスさまは、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる」と言われます。
この箇所についてフランシスコ会訳聖書の注釈では、「『この囲いに入っていない羊』とは、まだキリストを信じていないユダヤ人や異邦人のこと。
彼らもイエスの声を聞いて信じる。キリストを信じる者が、新しい『神の民イスラエル』、すなわち教会を形作る。」としています。
キリスト教国において、この「囲いに入っていない」という言葉は、洗礼によって教会という「囲い」に、まだ入っていない人を指すのだろうと思われてきました。
でも、「洗礼」を受けさえすれば、自動的に「イエスさまの囲い」に入ることになるのでしょうか?
つまり、洗礼を受けて教会の洗礼台帳に名前が記載されれば、その後どんな生活を送っても、天国に入ることが保証されるのでしょうか?
そのとおりだとは、簡単に言いたくありません。日常生活の中でイエスさまの教えを実践しない限り、イエスさまに導かれているとは言えないはずだからです。
秘跡としての洗礼を受けるだけでなく、日常生活においてもキリスト者であることが重要で、そのためには、信徒としての義務を果たすことが肝要だと言えます。
その義務の第一は、日曜日と守るべき祝日にミサに与ることとされています。
けれども信仰生活を長く続けると、自分の体調不良からだけでなく、家族や仕事の都合のために、実践できない日も生じてきます。
その際には、この義務の根底にある、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」という、イエスさまからの命令を思い出すべきでしょう。
「ミサに与る」というのは、この掟を遵守するために教会の定めた一つの方法だからです。
また他方で、日本の社会が全体として「キリスト教的」でない中で、「洗礼の秘跡」は受けていないけれども、良心に従った生活を送り、
隣人愛も実践している方が多くあります。そのような方たちが、「この囲いに入っていないほかの羊」と言えるのだろうかと考えてしまいます。
イエスさまは「この囲いに入らない羊」ではなく、まだ「この囲いに入っていないほかの羊」と仰っているからです。
そうすると、「この囲いに入らない」方々は、すでに「入っている羊たち」に邪魔されているからか、あるいは
自分が抱える固有の問題、妨げのために「入れない」のか、と考えてしまいます。
しかし、このように考えるのも、単なる人間的側面を対象にしているためかもしれません。
「ミサに与る」という言い方自体が、すでに人間中心的になっているからです。
そもそも御ミサは、わたしたちの救いのために、イエスさまが御自分の命をかけて定めてくださったものです。
御自分のもとにわたしたちを集めたい、天の国に招きたいという、イエスさまの強い望みから定められたものです。
このイエスさまからの招きに、わたしたちは感謝して与らせていただくだけで、
自分の都合を優先させた上で、あたかも「与ってあげる」的な態度で日曜日に教会に来るのは、感謝の気持ちに欠けているとしか言いようがありません。
他の人はどうであれ、自分がイエスさまから招かれていることに、感謝しなければならないと言えるでしょう。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

4月14日 復活節第3主日   ルカによる福音書 24章35節〜48節

〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、
亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、
わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、
まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。
「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、
その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」

主任司祭の説教(濱田神父)

  先日の嵐で、せっかく咲いたサクラがすべて散ってしまったかと案じておりましたが、どうやら枝にしっかりと残った花もまだまだ
あるようです。それにしても、急に暖かくなってきましたね。若い修練者の斎藤君が、もう元気なTシャツ姿でいるのを見ると、
余計に年齢差を感じさせられます。
  さて今日の福音箇所では、復活したイエスさまも、元気な体を持っていることを示すために、手や足をお見せになり、その後に、
焼いた魚を弟子たちの前で食べて見せます。 体の復活について勉強会などで話すと、「何歳くらいの体に復活するのですか?」
と尋ねる方がおられます。「何歳くらいだと思いますか?」と問い返しますと、自分は既におばあちゃんになってしまったから、
できるなら、若い頃、20歳くらいのピチピチした体に復活したいそうです。確かに、死ぬ間際の、ベッドに寝たままのような状態に
蘇生したとすれば、またもう一度息を引き取るのを待つだけで、何の意味もないかも知れません。かといって、あまり若すぎる、
赤ちゃんのようでは、「復活」というよりは「生まれ変わり」に近くなってしまいます。では、どのような「体」なのでしょうか?
 ヒントとなるのは、復活したイエスさまで、魚を食べただけでなく、戸が閉めてあったのに部屋の中に入ってきたり、また、
エマオに向かう弟子たちやエルサレムに集まった弟子たちなど、何カ所にも同時に現れたりします。しかも、そのお体には、
十字架の苦難の際に付けられた傷痕が、痛々しく残っているのです。
 復活したイエスさまが、すべての人の罪科を身に負って十字架に付けられたことを示す傷痕を持っておられたことからも分かる
ように、復活とは、他の存在になって生き返るのではなく、その人そのものとして復活するのです。十字架の傷痕とは、イエスさま
の地上での宣教生活の終わりに付けられたものであり、イエスさまの「生涯の総決算」を刻むものです。つまり、イエスさま
「らしさ」を端的に現すものだと言えます。しかも、戸が閉めてあったのに部屋の中に入ってきたり、何カ所にも同時に現れたり
ということは、時間や空間という、この世での制約から免れた自由な存在と言うことができます。
これはどのように理解することができるでしょうか? わたしたちの場合には、おそらく、「愛に満たされて、愛に動かされた生き方」
とでも理解できるでしょう。例えば、ある若夫婦の住む家が、真夜中に火事になったとします。外から「火事だ!火事だ!」と叫ぶ声で、
若夫婦は飛び起きて、安全な場所にまで逃げ出します。やっと安心できる所に来て、振り返ると、赤ちゃんを家に残したまま逃げて
きたことに気がつきます。「赤ちゃんが、まだ火の中にいる!」と、若いお父さんは、周囲の人が止めるのも聞かずに、炎の中に
飛び込んで、赤ちゃんを救い出そうとします。そこは、つい先ほど命からがら逃げ出したところであるのに、自分の身の安全や、
燃えさかる炎などはまったく考えもせず、ただただ、赤ちゃんが寝かされていたベッドにたどり着こうとします。
 このように、愛に突き動かされて行動するとき、人をこの世の価値や制約で縛ることはできません。その人は既に、時間と空間に
縛られた世界にはいないからです。イエスさまが示された復活とは、愛に満たされ、愛に動かされた生き方をすることなのです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

4月7日 復活節第2主日(神のいつくしみの主日)
    ヨハネによる福音 20章19節〜31節

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、
あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、
「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、
この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、
信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、
あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

主任司祭の説教(濱田神父)

 やっと桜が満開になったのに、「花冷え」あるいは「桜冷え」と言われる気候になりました。先週の復活祭の晴天は、やはり神さまが
計らってくださっていたのでしょうか。そして、このぐずついた天気が示しているのは、普通の生活、通常の活動に戻りなさいとの、
神さまからの合図なのでしょうか。特別な祭日だけの信仰ではなく、普段着の信仰を身につけたいものです。
 さて、今日の第一朗読の「使徒たちの宣教」では、信じた人々が心も思いも一つにして、すべてを共有していたと伝え、第二朗読の
「使徒ヨハネの手紙」では、「イエスがメシア(救い主)であると信じる人は皆、神から生まれた者です」と宣言されます。
また福音では、週の初めの日の夕方に、家の戸に鍵をかけて弟子たちが集まっているところへ、イエスさまの現れたことを伝えています。
出現したイエスさまは、手とわき腹とをお見せになって、御自分が十字架の苦しみを受けた本人であることを示し、弟子たちに
息を吹きかけて、聖霊をお与えになります。
 ところで、なぜ弟子たちは「週の初めの日」、つまり日曜日に、一緒に集まっていたのでしょうか。福音書は「ユダヤ人たちを恐れて」
と理由を述べていますが、それは、教会がその始まりにおいて、「ナザレのイエスをリーダーとする、ユダヤ教の異端者グループ」
として理解され、周囲から迫害を受けていたからでしょう。しかし、弟子たちは単に隠れていたのではないようです。イエスさまがそ
こに現れることによって、それがイエスさまの教えを信じる者たちの集い、原初の集会祭儀の描写であることが分かります。
何よりも「八日の後」、つまり日曜日ごとに集まることによって、「主の復活」を記念する集いとなるのです。「八日目」とは、
一週間が終わった次の日です。創世記によれば、主なる神は天地を七日間で創造されました。このため「八日目」とは、新しい
一週間の初めだけでなく、新しい天地創造の始まりをも示すことになります。イエスさまの復活によって、新しい天地が始まるのです。
またイエスさまは、弟子たちに「手とわき腹」とをお見せになります。現れた方が、弟子たちと共に宣教生活を送り、十字架の苦しみを
受けて死に、墓に葬られた方そのものであることを示すためです。復活なさったイエスさまは、弟子たちに息を吹きかけて聖霊を与えられます。
それは弟子たちを遣わして、人々に罪の赦しを得させるためでした。その後、イエスさまはトマスのために再び現れて、
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言います。これに対してトマスが言った、「わたしの主、わたしの神よ」という言葉は、
イエスさまが「自分の先生」であるばかりでなく、「神」そのものである方、「主なる神」(ヤーウェ)であることを信仰告白しています。
ヨハネ福音書の冒頭の、「初めにことばがあった」という箇所に呼応する、信仰告白なのです。
 イエスさまを信じるとは、イエスさまの教えを信じることです。イエスさまの教えを信じる者は「弟子」となり、信じたことを他の
人々にも伝えることによって「使徒」となります。このことから、イエスさまが復活なさったのは、弟子たちを「使徒」に変容させるため、
言い換えれば、新しい天地創造のためであったと理解することができます。その新しい天地創造のために、使徒たちの伝えているものが
福音であり、イエスさまの教えを自分の生活に受肉させること、それこそが、永遠の命であり、まことの幸せに至るというメッセージです。
わたしたち皆が、「使徒」の賜物を与えられているのです。

---  * --- * --- * --- * --- * ---

Script logo