司祭のメッセージ

2月9日 年間第5主日 ルカによる福音 5章1節〜11節

 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。
そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、
来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。
すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 わたしの中学時代からの友人に、マナブ君がいます。わたしが修道会に入って司祭叙階する少し前に、彼もやっと結婚することになり、
相手を紹介してくれました。参考までにと、マナブ君に、「ところで、どうして彼女と結婚する気になったの?」と尋ねました。
すると、「ある日、二人で喫茶店に入ったときに、初夏だったので窓が少し開いていて、風がサーァっと吹き抜けたんだ。
そうしたら彼女の長い髪がパラッと顔にかかって、彼女はそれを指でかき上げたんだけど、その仕草がとても優雅に見えたので、
是非この人と結婚したいと思った。」との答えでした。へぇ〜っと思いながら次に、彼女に向かい、「どうして、貴女はマナブと結婚しようと思ったの?」
と尋ねました。彼女は、「そのとき彼は、『ごめん、ごめん』と言いながら、手にしていたタバコを灰皿で消してくれたんです。
その仕草がとても格好良かったものですから。」との答えでした。どうやら質問する方が馬鹿だったようで、実のところは二人とも、
「そんな大切なことは、他人にペラペラ話せるものではない」という回答だったようです。本当に大切な決断に至るきっかけというのは、
他人には明かせられないようです。
 さて、今日の福音ではペトロの召し出しのきっかけが語られています。ペトロは自分が夜通し働いても、何もとれなかったのに、
あえてイエスさまの指図に従って網を降ろしました。すると、おびただしい魚がかかり、驚いて、「主よ、わたしから離れてください。
わたしは罪深い者なのです」と言います。そこでイエスさまから「人間をとる漁師に」と召し出されます。
常識では理解できない不思議な力をイエスさまが持っておられることを、ペトロは理解したのです。しかしそれは、
あくまでも人間としての能力を基準としたものであり、イエスさまの本当の姿を理解した後でのことではありませんでした。
その本当の理解が出来たのは、イエスさまが十字架の苦難を受けて死に、そして三日目に復活した後になります。
けれども、ペトロが最初イエスさまに従って行こうと決心したのは、漁師のペトロだけには分かる、不思議な力を見たからです。
しかし、それでもペトロはイエスさまの苦難に際しては、イエスさまを「知らない」と否定して逃げ出しています。
そして復活したイエスさまが現れてくださることにより、再度イエスさまについて行こうと決心し、自分自身の殉教に至るまで、
それは揺るぎませんでした。
 召命とは、その道の最後までを完全に把握してから応じるものではなく、自分にとって充分な理由、
自分だけが分かる示しを感じとって応えていくものです。しかし、長い人生の間には、その決心を揺るがすような出来事が何度も持ち上がり、
その都度、召命の再確認を迫ってきます。
 おそらく、結婚も同じなのではないでしょうか?「この人だ!」とひらめく一瞬があり、それは日常生活の何気ない言葉、
仕草の内に隠れているものでありながら、その人には決定的な意味を持つものです。人の生涯を左右する決断は、
損得勘定では測れない次元のもので、いつもその人の召し出しに関わります。しかしその決断は、一度限りで十分なのではなく、
おそらく毎日のように再確認していかなければならないものでしょう。一緒に天の国に入るまで。

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2月2日 主の奉献 ルカによる福音 2章22節〜40節

 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、
山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、
聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
シメオンが霊に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。
 わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。
 この救いは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、
 あなたの民イスラエルの誉れです。」
《父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
——あなた自身も剣で心を刺し貫かれます——多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いときに嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。》

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日は「主の奉献」の祝日です。イエスさまの誕生を祝った40日後に、律法(出エジプト13章)に従い、両親が、エルサレムの神殿において、
初子を神に献げたことの記念です。日本でも、子どもが生まれると、近くの神社(氏神さま)に連れて行くという「お宮参り」の風習がありました。
それは誕生後30日だったり、40日だったり、地方によって異なります。また「主の奉献の祝日」の以前の名前は、「マリアの清めの祝日」だったそうです。
マリアさまは出産されたので、日本的には「赤不浄」となります。「赤不浄」とは、出血にかかわる不浄一般を指しますが、
特に女性の生理や出産がこれに当たります。「不浄」とされると、通常の生活から遠ざけられますので、昔は会社勤めの女性なら、
「生理休暇」が毎月もらえました。出産の場合は母屋から離れた、出産の場所である「産屋」にこもって出産し、
その後、生まれたての赤ちゃんと一緒に定められた日数を過ごさなければなりません。それが30日だったり、40日だったりするわけです。
長い「有給休暇」のように思えます。でも、これはよく考えると、昔の人の知恵なのかも知れません。
 昔の日本は、ほとんどが農家でしたから、そのお嫁さんたちは、立場上、朝から晩まで働きづめです。子どもを宿していても出産までは、
何とか体を動かして作業しなければなりません。しかし、魂と体の全力を使って出産した後では、少し動くのも大変で、無理に畑仕事などをすれば、
体を壊してしまいます。なるべく早く体力を回復させなければなりません。そこで「産屋」にこもっている間は、
お嫁さんの代わりにお姑さんが家事一切を引き受け、お嫁さんの分の食事も作り、産屋まで運んで来てくれるのです。
お嫁さんの方は、生まれたての赤ちゃんと二人きりで、濃密な子育ての時間をもらえるわけです。でも、「休むことができる」という表現では、
立場の弱い昔のお嫁さんたちにとり、現代女性の有給休暇とは異なり、「休み」を申し出るのは不可能だったでしょう。
そこで、「あなたは穢れているから」と決め付けられて、産屋から出ることなく、休み続けることを義務づけられるのです。
そして、その休み明けが「お宮参り」となるわけです。
 さて福音の方では、老人であるシメオンとアンナが、両親に連れて来られた幼子イエスを祝福して、
「異邦人を照らす啓示の光、イスラエルの誉れ」であると宣べています。高齢となった人が、誕生したばかりの赤ちゃんを見て、その将来を祝福するのは、
自分の子でなくとも、新しい生命のなかに救いの光を見るからでしょう。当教会にも、同じように赤ちゃんや幼い子どもを連れて
ミサに与っている方々があります。子どもたちの泣き声や騒ぐ物音を、「うるさい!」と顔をしかめて叱るよりも、シメオンやアンナと同じように、
わたしたちの誉れ、救いの「しるし」ととらえ、お父さんやお母さんたちも一緒に、祝福してあげたいものです。

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1月26日 年間第3主日(神のことばの主日) ルカによる福音 1章1節〜4節、4章14節〜21節

 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、
物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、
わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
 〔さて、〕イエスは『霊』の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった。
 「主の霊がわたしの上におられる。
  貧しい人に福音を告げ知らせるために、
  主がわたしに油を注がれたからである。
  主がわたしを遣わされたのは、
  捕らわれている人に解放を、
  目の見えない人に視力の回復を告げ、
  圧迫されている人を自由にし、
  主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 わたしが初めて聖書を手にしたのは、小学5年生のときでしたが、「よし、読んでやれ!」とばかりに、
新約聖書の最初のマタイ福音書から読み始めました。ところが、皆さんもご存じの通り、マタイ福音書の初めの部分は、
アブラハムからイエスさまに至る系図が記されていますので、カタカナの名前ばかりが続きます。
そのアブラハムがどんな人物だったのか、何の説明もエピソードもなく、その子ども、またその子どもと系図は続いていきます。
何の予備知識もなかったわたしは、それが終わる頃には、もうあきてしまい、聖書を読めるのは、その後、大人になってからでした。
今でも、これから勉強しようとする方には、聖書は、ぱらぱらっとめくって、出て来た箇所から、つまり綺麗な表現にすれば、
聖霊が示す箇所から、読むように勧めています。そして、もっと勉強したい方には、ルカ福音書から読み始めるように勧めています。
旧約聖書の知識なしにも分かるからです。
 さて、今日の箇所の前半は、ルカ福音書の「著者の序」とされる部分で、「テオフィロさま」という人物に献呈された形を取っています。
この名前が「神を愛する者」という意味を含むことから、キリスト信者すべてに対して宛てられたものと理解できます。
ルカ福音書は、この「著者の序」に続いて、今日は割愛されていますが、「洗礼者ヨハネとイエスの誕生」(1・5〜2・52)と
宣教への準備」(3・1〜4・13)が述べられ、そして今日の「宣教開始」に続きます。ですから、ルカ福音書におけるイエスさまの宣教の第一声は、
「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき、実現した」というものなのです。
 イエスさまがお読みになった聖書は、預言者イザヤの巻物(61・1〜2)なので、主の僕の使命、つまり「約束された救いの到来を告げる使命」
を宣言して宣教を開始されたのです。これをイエスさまは「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣べられました。
では、「今日」とはいつなのでしょうか? 「今日」とは、2千年前のある日ではなく、この言葉がわたしたちの耳に届いた「今日」です。
「あなたがた」とは誰なのでしょうか? イエスさまのお声を聞いていた、ナザレの会堂に集まった人々でしょうか?
 しかし、この福音書は「テオフィロさま」に宛てられたものです。つまり、神を愛し、イエスさまの教えについて良く知りたいと願う人たちに
宛てられたものです。それは、イエスさまの教えについて初めて聞いた人だけでなく、既に何度も何度も聞いている人、わたしたち、
既に信者となった者にも宛てられているのです。わたしたち自身が「貧しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる」とき、この言葉が「実現した」とされるのです。
つまり、聞くだけではなく、実際に、経済的に貧しい人、因習に捕らわれている人、救いへの希望が見えない人に、
解放と光をもたらすことが言われているのです。
 このように考えると、世知辛い社会にあって、さまざまな制約を受けている人、絶望の淵に瀕している人、困窮している人々が、
自分の周囲には多くいるのに気づくときにこそ、イエスさまの言葉が思い出されるのです。
 「主の霊がわたしの上におられる。」イエスさまはこの言葉によって、ご自分の使命をはっきりと自覚され、宣教を開始されました。
イエスさまの弟子となったわたしたちも、自分の使命を思い起こして、隣人愛のわざを捧げなければなりません。

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1月19日 年間第2主日 ヨハネによる福音 2章1節〜11節

 〔そのとき、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、
「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、
かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、
世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 福音では、婚礼の最中にぶどう酒が足りなくなり、イエスさまが水をぶどう酒に変えるという奇跡をなさいます。
イエスさまが相当な酒好きであったなどと考える必要はありません。イスラエルの結婚式は3段階に分けて理解できます。
まず、花婿の家族は、彼が結婚を切望する若い女性の親と婚約を取り決めます。この婚約はラビからの離婚許可書なしには破棄されることができません。
そのためこの段階で既に結婚したものと見なさているのです。もし、その後に他の異性と性交渉を持つなら、これは姦通したことになり、
律法の規定に従えば「石殺し」になる可能性があります。ですから、イエスさまを身ごもった時のマリアさまは、
大変危うい状況に追い込まれていたのです。さて、結婚の次の段階は、人々の前でのお披露目と祝杯です。
まず、ぶどう酒と式のための祝福が行われます。次いで、花婿と花嫁が天蓋の下に立ち、花婿が花嫁に指輪を渡します。
結婚証書が読まれ、もう一度ぶどう酒が祝福されて、結婚のための七つの祝福の言葉が唱えられます。
それは、ぶどう酒、被造物、男、女、シオンの出来事、結婚の喜び、イスラエルの回復についての祝福です。その都度、参列者は祝杯を挙げます。
そして第3の段階は、花婿と花嫁が一室に退いて二人だけとなり、結婚式は完了します。饗宴は3日から7日間続くとも言われます。
ですから、今日の福音箇所はこの結婚式の第2段階にあたるもので、乾杯が終わらなければ結婚の祝福が中断されることになってしまうのです。
単に酒飲みどもの欲求を満たすための乾杯ではなかったのです。
 また「宴会の世話役」は、イエスさまが変化させたぶどう酒を味見して、良いぶどう酒だと言いましたが、彼が現代のソムリエのように、
ぶどう酒を鑑定する専門家であったとはされていません。ただ一口飲んだだけで分かるほどの違いがあったということです。
それは、当時は、秋に実を収穫して発酵させたぶどう酒を長く持たせるために、アルコール度数と糖度を上げて腐敗を防がなければなりませんでした。
焼酎ほどのアルコール度数になったと言います。これを実際に飲む場合は、適度に水で割って飲まなければなりません。
糖分のあまり多くないブドウで造ったものは、長く置くと酸化して、半ば酢になってしまうので、海水のような塩水で割ってごまかしたようです。
そうすると塩味の混じったぶどう酒となります。宴会の世話役は、まったく塩味のしない純粋なぶどう酒を一口味わって、
「良いぶどう酒だ」と花婿をほめたのです。
 さて、イエスさまは母マリアさまに「婦人よ」と呼びかけています。サマリアの女性に呼びかけたとき(ヨハネ4・21)と同じ言葉なので、
自分の母親に対するものとしては、とても他人行儀で冷たい印象を与えてしまいますが、少しイエスさまの意図は異なるものだったでしょう。
別の箇所、受難の箇所では、十字架の下に立つマリアさまに「婦人よ、これはあなたの子です」(ヨハネ19・26)と愛する弟子を示しています。
その意向として、マリアさまがキリストを信じるすべての者の母親となることを願ったのであれば、
人類の始祖であるエワと対比されていることが分かります。つまり、エワが罪を犯すことによって、その子孫のすべてに原罪の害悪を
及ぼしたのに対して、マリアさまは、すべてのキリスト信者のために恵みを執り成す母と立てられたと言えるのです。
まさにカナの婚礼の場面もこれに当たります。
 わたしたちの生活において、それほど高尚ではなくとも、身近で切実な事柄を、直接神さまやイエスさまには気恥ずかしくて
お願いできないようなことも、母であるマリアさまには打ち明けることができ、マリアさまは必ず執り成してくださるのです。

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1月12日 主の洗礼 ルカによる福音 3章15節〜16節、21節〜22節

 〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。
わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 先週の中頃から学校などの冬休みが終わり、授業が再開されたようです。隣の幼稚園でも金曜日に始業式となり、
朝と昼の送り迎えも再開されたようです。休み中にたっぶりと家族の愛情に甘えていた子どもたちには、
また「親離れ」の試練のときとなります。
 さて典礼では、降誕節の締めくくりとして今日は「主の洗礼」を祝い、明日の月曜日からは年間の典礼となります。
福音では、イエスさまが聖家族に守られた生活から、宣教生活に踏み出すことを示して、イエスさまご自身がヨルダン川で、
洗礼者ヨハネから洗礼を受け、そのとき三位の神性の現れたことが紹介されます。御父は「天からの声」として、また聖霊は「鳩のように見える」姿で、
そしてイエスさまは「祈る人」として描写されます。この洗礼の後、イエスさまは荒れ野での試みを受けられ、それから宣教を開始することになるのです。
イエスさまの洗礼において三位の神性が現れることから、その後の宣教生活におけるイエスさまの言葉とわざは、常に三位の神のわざ、
つまり御父そして聖霊のわざでもあることが示されているのです。
 特に御父については、「天からの声」と表現されます。旧約聖書の創世記には、天地創造の第1日目に、神が光あれと「仰せになる」と、
そのとおりになったとされています(創世記1・3)。そして続く第2日目も第3日目も、第6日目まで、神は「仰せになる」ことを通して、
そのわざを行われます。このため、「創造する方の声」として表現されていると理解できます。御父は創造主なる神なのです。
 同じように聖霊は、神の霊として、天地創造の初めに、「水の上を覆うように舞う」姿で描かれます(創世記1・2)。
フランシスコ会訳聖書の注釈を見ますと、「『覆うように舞っている』という動詞(ラヘーフェー)はまれにしか使われない語で、
鷲が雛鳥を飛ばせようとして、その巣の上を舞っている様を描く申命記32章11節に用いられている」とあります。
イエスさまはそのとき、「洗礼を受けて祈っておられます。」創世記の天地創造の箇所にあてはめれば、「深淵」のように静かな状態です。
このことは、聖霊が「鳩のように降って来る」ことの理解を助けるもので、「まったく霊的でない存在の上に聖霊が降った」のではなく、
同じ霊的な本質を持つ方、イエスさまの上に舞う(降る)ことにより、その霊的本質を発露させるよう促している様を描くものとなります。
 このように、創世記における天地創造の初めを描写する神の働きが、再びイエスさまの洗礼において行われることによって、
イエスさまが「新しい世界」を創造し、開く方として示されていることが分かります。
 すべてを新しくされるイエスさまへの信仰を新たにして、わたしたちもまた、新しい年をご一緒に築いてまいりましょう。

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1月5日 主の公現 (祭日) マタイによる福音 2章1節〜12節

   イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレム
に来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、
拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや
律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
  『ユダの地、ベツレヘムよ、
  お前はユダの指導者たちの中で
  決していちばん小さいものではない。
  お前から指導者が現れ、
  わたしの民、イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを
詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて
出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物
として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

   公現とは、隠れていた神が公にその実の姿を現すという意味です。その意味では、今日の福音にある、
1)占星術の学者たちによって幼子のイエスさまが拝まれたという箇所だけでなく、2)洗礼者ヨハネからイエスさまが洗礼を
お受けになったときに、神の霊が鳩のように降り、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声
がしたというイエスさまの受洗の箇所(マタイ3・17;マルコ1・11;ルカ3・22)、そして、3)山の上で弟子たちの前でイエスさま
の姿が変わり、モーセとエリアが現れ、そして光り輝く雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」
との声がしたというご変容の箇所(マタイ17・1ー5;マルコ9・2ー8;ルカ9・28ー36)があります。一方、イエスさまがこの世に現れた
という固有の意味で、クリスマスの一環として御公現が祝われ、以前は東方典礼の降誕祭に合わせて、1月6日にお祝いしていました。
御公現の中で重要な役割を担っているのが占星術の学者たちとその贈り物です。学者たちの名前は、伝説によればカスパー、
メルキオール、バルタザールです。ローマ留学していた頃、ドイツ人の同級生が主任を務めていた小教区で冬休みを過ごしたことが
ありました。彼の小教区では、御公現の祭日に子どもたちが占星術の学者たちの扮装をして各家庭を訪問し、今年でしたら
「2+C+0+M+2+B+5」と玄関のドアにチョークで書いていきます。西暦を表す数字とアルファベットの合わさったこの文字を、
子どもたちは占星術の学者たちの名前、カスパー、メルキオール、バルタザールの頭文字だと思っていたようですが、友人によると
それは "Christus Mansionem Benedicat"(キリストがこの家を祝福してくださいますように)というラテン語の頭文字だそうです。
降誕祭の飾りの馬小屋では、学者たちは白人と黒人、そしてアジア人を代表するような肌の色です。この学者たちが献げた贈り物は、
黄金、乳香、そして没薬です。黄金は権威を表し、キリストの王職のため、乳香は神さまへの献香に使う、祭司職のため、そして
没薬は古くは医師の務めも担っていた預言者の職務のためとされます。
   しかし、このような献げ物としての考察よりも、学者たちが持って来た宝物は、その後どのように使われたのだろうかと気になります。
子どもたちにも分かる説明としては、次のようになります:イエスさまが誕生して間もなく、ヘロデ王による追求の手を逃れるために
聖家族はエジプトに行きました。そこでは陽射しがとても強かったので、マリアさまは赤ちゃんのイエスさまの日焼け止めのために
「乳香」を使いました。また時が流れて、大人となったイエスさまが教えを宣べ伝えたために十字架に付けられてしまったとき、
マリアさまは埋葬のために「没薬」を使いました。では、黄金はどうなったのでしょうか? 実は、イエスさまが復活して弟子たちを
遣わして、全世界で教会を作り始めたとき、マリアさまはその中心となった司教さまたちに、それぞれ「黄金」の指輪を作ってあげた
とのことです。現代でも司教さまたちは、その権威を表す指輪をつけています。学者たちの贈り物は、イエスさまの生涯のみならず、
その後の教会にまで助けとなったという次第です。
   子どもたちがしっかり勉強して、将来は立派な学者になることができたら良いですね。

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1月1日 神の母聖マリア ルカによる福音 2章16節〜21節

 〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、〔彼らは、〕この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今日は元旦、新しい年が始まる日です。
日本では、新年というと、元日だけでなく、1月一杯いろいろな行事が企画されます。しかし、ローマでは新年の祝いというと、
1日(ついたち)だけです。午前零時の時報とともに、教会の鐘を鳴らすだけでなく、人々もそれぞれの家でパンパンとクラッカーを鳴らしたり、
自動車のクラクションを盛大に鳴らしてお祝いします。
下町のトラステベレ地域などでは、ローマっ子が古くなったものをアパートの窓から投げ捨ててしまうため、朝早く外出するときには、
道路上に投げ捨てられたモノをよけながら歩かなければなりません。もちろん、市の清掃局は、もう午前3時ころから道路の清掃を始め、
元日の教皇さまのミサに与ろうとする善男善女の邪魔にならないようにしています。
 さて、1日だけでは終わらない、日本の年中行事では、年が新しくなってから初めて行う「〇〇初め」という表現が、
この日を基準にいろいろな分野で使われます。例えば、書道の「書き初め」や消防の「出初め式」、
皇室などでの優雅な「歌会始」(うたかいはじめ)があります。アマチュア・スポーツでは、例えば、
箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)が2日と3日に、また花園高校ラグビー(全国高等学校ラグビー・フットボール大会)は、
暮れの12月27日から1月7日にかけて行われますが、年の初めだからというより、学校が冬休みだったり、普段は混雑する国道1号線で
交通の邪魔にならないという理由もあるようです。
 一方、教会の典礼暦年は、イエスさまが誕生したクリスマスを中心に考えていますので、待降節の第1主日がその始まりです。
でも、もう一つの教会の暦、聖人暦は、1月1日の「神の母聖マリア」の祭日に始まり、12月31日の「聖シルヴェルストロ1世教皇」の記念日で終わります。
ですから、大晦日にウイーンで行われるクラシック音楽のコンサートは(ドイツ語式では)「ジルベスター・コンツェルト」と呼ばれ、
翌日の元旦に行われる「ニューイヤー・コンサート」と同じ演目を行うそうです。年の終わりと年の始まりに、同じ曲を上演することは、
年が改まることによって嫌なこと、不幸なことに区切りをつけようとするよりは、神さまからの祝福の連続を願っているようです。
 このように、世界中で新しい年の始まりをお祝いしていますが、特に日本では、毎日曜日の他に、信徒が集まりやすい日として、
1月1日の「神の母聖マリア」の祭日と8月15日「聖母被昇天」の祭日には、平日であっても教会に行ってミサに与るよう、
すべての信徒が義務づけられています。
日本人にとって重要な日なので、どこかの神社やお寺に参詣に行くよりは、教会に行って祈りなさいという趣旨なのでしょう。
 神さまからの祝福を受けて始めることによって、この一年間が平和で実り豊かでありますようにと祈る思いは、宗教や文化を越えて、
すべての人に共通するものです。この年もまた、世の人すべてに、豊かな祝福が与えられる年であるように祈りましょう。

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12月29日 聖家族 ルカによる福音 2章41節〜52節

 〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を探し回ったが、見つからなかったので、
捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。
御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 さて、今日は「聖家族」の祝日ですが、「聖家族」というタイトルを聞くと、互いに完全に理解し合い、何のいさかいも、
行き違いも生じないような、理想的な家庭のように受けとめられがちです。しかし、今日の福音では、少々異なった様相が示されます。
12歳になった少年のイエスさまが、両親に断りもなく勝手にエルサレムに残り、両親はそれと気づかずに3日も捜し回ります。
何故こんなことにと、皆さんは思われるかも知れませんが、「12歳」という年齢と当時の巡礼の在り方が関係しています。
イスラエルでは当時、巡礼旅行の際には男女別々の組になって歩きました。それで、12歳になったイエスさまは、
おそらくエルサレムに向かうときには、マリアさまと一緒に歩いていったのでしょう。帰るときに、マリアさまはイエスさまが側にいなくとも、
「あの子も大きくなったから」と、ヨゼフさまと一緒にいるものと思い、ヨゼフさまの方は「あいつはまだまだガキだな」
とイエスさまはマリアさまと一緒にいると思ったのです。それで一日分の道のりを歩いてしまったという訳です。
往復で2日ですが、出発の日を数えて3日となります。
 母親のマリアさまは「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」と反省を促しました。
しかしイエスさまの反応は、素直な謝罪の言葉ではなく、かえって、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
知らなかったのですか。」とイエスさまの方が驚いています。その言葉は、ご自分がヨゼフさまの子ではなく、
神の御子として自覚され始めたことを示しています。
ヨゼフさまのその時の言葉は示されていません。しかし、ヨゼフさまは、もともと寡黙な方であったので、黙ってその言葉を受け流されたことでしょう。
 マリアさまは天使からのお告げでイエスさまを身籠もったのですから、イエスさまの反応を理解出来たはずです。
またヨゼフさまの方も、同居する前にマリアさまが身ごもっていたのを知った際に、夢で天使からお告げを受けて(マタイ1・19-23)、
マリアさまを辱めることなく「彼女を妻として家に迎え入れた」(マタイ1・24)と記されていますので、同じように納得されていたはずです。
しかしお二人とも、天使からのお告げが具体的にどのようなことを意味するかを、完全には理解していなかったのでしょう。
今日の福音がそれを暴露しています。
 では、どうしてイエスさま・マリアさま・ヨゼフさまの家族は、互いに完全には理解していなかったのに、一緒に生活できたのでしょうか。
それはおそらく、互いに人として尊重し合う心があったからではないでしょうか。実際、ややもするとわたしたちは、血がつながっているだけで、
互いに分かり合っているような気持ちになったり、あるいは、自分と同じ屋根の下に一緒に暮らしているから、自分と同じ考えを持つはずだといった、
一方的な思い込みを抱きがちです。反対に、血がつながっていなければ、また、同じ屋根の下に暮らしていなければ、
本当にはわかり合えないとも考えてしまいがちです。しかし、そのような思い込みは、かえって互いの真の理解や協力を妨げてしまうでしょう。
聖書には述べられていませんが、もしかすると聖家族は、その後、互いにわかり合えるようになるまでに、
沢山の努力をして行かなければならなかったのかも知れません。
 だとすると今日の福音箇所が示している「聖家族」の手本は、神さまから選ばれたことにあるのではなく、互いの相違や、
自分の理解を超える部分を、人格を尊重して受け入れること、互いに譲歩しながら少しずつわかり合っていこうとする努力にあると言えます。
だからこそ、わたしたちの家族にとっての手本となるのです。本能的な感情に基づくだけではない、愛の姿なのです。

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12月25日 主の降誕(日中) ヨハネによる福音 1章1節〜18節

 初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は、初めに神と共にあった。
万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言(ことば)によらずに成ったものは何一つなかった。言(ことば)の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
《神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。
光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。》
その光は、まことの光で、世に来てすべての人をてらすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その他を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
《ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしよりも優れている。
わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。》

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 クリスマス、おめでとうございます。
 主の降誕、日中ミサの福音箇所は、「初めに」の語で始まる「神であるみことばの賛歌」で、「ロゴス賛歌」とも呼ばれています。
旧約聖書の最初の書である創世記も、「初めに」の語で始まりますので、このヨハネ福音書は、天地創造が行われたとき、
つまり世界が創られたときには、既に「みことば」が神と共にあったことを記しています。
 一般に、「みことば」であるイエスさまが人となって生まれたのは、「世を救うため」であったとされています。
しかし、「世を救うため」ということを、単にイエスさまがお生まれになった当時のローマ帝国の支配からイスラエルの民を解放するため
と理解するなら、イエスさまを政治家か革命運動家かのように把握することになってしまいます。
その時点から2000年も経過して、ローマ帝国などとっくに滅亡してしまった現代では、何の意味も持たなくなります。
ですから、「みことば」が人となってこの世に来なければならない理由は、単にイスラエル民族やローマ帝国などという、
個々の民族や国家を超えた「人類全体」に関するものであるはずです。それは、人間の世に常に存在してきた悪と罪、
つまり、「原罪」とされるものからの解放でなければなりません。
 旧約聖書では「原罪」を、人祖アダムとエワが神さまからの言いつけに背いて、善悪の知識の木の実を食べたことと描写しています。
そのことから、その罪の結果は、罰として彼らが楽園から追放されるだけに止まらず、すべての人間に及んでいること、
それぞれの人間が自分の自由意志で何らかの悪を犯すことによって、その「原罪」を自分のものにしていること、
また、誰の責任にも特定できないような、共通の悪の存在を説明するものとなります。また神さまは「愛そのものである方」(1ヨハネ4・16)なので、
悪とは、愛に背く行いのすべてと言うことが出来ます。そのため神さま側から、新たな救いの手が差し伸べられなければ、
人間はこの状態から脱出できないのです。
 しかし、人祖が罪を犯したことに起因すると仮定すると、もし仮に、人祖が罪を犯さなかったならば、「みことば」である御子が
人間となって生まれる必要がなかったことになります。このような、人間の罪だけに注目してしまう考え方を排除するのが、今日の福音です。
人祖アダムとエワが罪を犯した原罪を前提として、その罪の結果から人類を救うために、御子イエスさまが人となられたというよりは、
この福音箇所が教えるのは、世界の初めから神さまと共にいて、万物をお造りになり、その天地創造のわざを完成するために、
「みことば」である御子が遣わされたことです。実に御子イエスさまによる救いとは、人間を悪と罪の状態から、創造の初めにあった幸いな状態、
「原始義」を取り戻すに止まらず、わたしたちを「神の子」とするまでに高める「救い」なのです。つまり、「愛そのものである方」からの、
「新たな愛」が差し伸べられたのです。
 御降誕おめでとうございます。

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12月25日 主の降誕(夜半)ルカによる福音 2章1節〜14節

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、
彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
   地には平和、御心に適う人にあれ。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 クリスマスを迎えました。一昔前ですと、駅前の商店街や、近くのスーパーでも、クリスマス・ソングが賑やかに流されていたのですが、
最近はあまり大音量にはしないようです。自粛というわけでもないのでしょうが。
 けれども、子どもたちにとっては、お正月に続いていく楽しみなシーズンに、変わりありません。教会の幼稚園だけでなく、
無宗教の公立幼稚園や、お坊さんが経営する幼稚園までも「クリスマス」を祝い、「♪き〜よし ♪こ〜のよる」と歌うそうです。
もちろん中心は、サンタクロースの登場と、プレゼントがもらえるパーティーです。クリスマスは、既に日本の文化に定着したと言えるでしょう。
そのためか、教会の近くでも、一般の住宅に、チカチカと点滅する豆電球で飾ったクリスマス・ツリーや「トナカイさん」が見かけられます。
信者さんのお宅か、あるいは小さなお子さんのいる家庭なのだろうなと想像してしまいます。また、先年訪れた関西のある新興住宅地では、
町内全体にチカチカ電球のモールを張り巡らせ、クリスマス・ツリーも裏通りの十字路中央に大きく飾られていました。
比較的若い世代の親たちが、子どもたちのために、町内会で申し合わせて飾ったようです。まったく宗教色なしにも、
クリスマスを祝うことができます。なにしろ、主人公は「赤ちゃんのイエスさま」なのですから。
 しかし残念ながら、本家のカトリック教会では、最近のインフルエンザなどの影響で、クリスマスのパーティーを控え目にしなければ
ならなくなりました。さらに、ロシアとウクライナの間だけでなく、パレスチナとイスラエルの間の戦争から、中東全体が不穏な雰囲気となり、
そのために日本でも、遠い国々の戦争の影響を受けた景気の沈滞で、会社が倒産したり、また解雇されないまでも、
給与を減らされたりしている方々のことを思うと、単純に、自分たちの信仰や楽しみだけを考えてはいられません。
戦争の恐怖から難民となった人々、また種々の理由で経済的貧困にあえいでいる人々のためにこそ、教会は救いへの希望を
掲げ続けなければならないからです。
 このような厳しい社会情勢だからでしょうか、夕方にたまたま通りかかった、普段は教会の礼拝とは無縁の方も、
教会の入り口にある掲示板の飾りや、イエスさま像の周囲でチカチカ光る電飾、窓を飾るステンドグラスの明かりを見て、
ひとときの安らぎを得ておられるようです。何の苦労も心配もなく、家族に囲まれて幸せだった子どもの頃の思い出が、
クリスマスの飾りを通してよみがえってくるのでしょう。もしかすると、それこそがクリスマス本来の意味かも知れません。
 すべてを御覧になっておられる神に祈りを捧げながら、静かに救い主の誕生を祝いましょう。クリスマスおめでとうございます。

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12月22日 待降節第4主日  ルカによる福音 1章39節〜45節

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日の福音は、マリアさまのエリザベト訪問の箇所です。天使からお告げを受けた後、マリアさまは親戚のエリザベトを訪問します。
するとエリザベトの胎内で子が喜びおどりました。それでエリザベトは、声高らかにマリアさまを祝福します。
エリザベトとマリアさまという2人の女性は、それぞれ旧約聖書と新約聖書を体現する人物を産むことになるのですが、
エリザベトが年老いた不妊の女であったのに対して、他方のマリアさまは若いおとめであり、
この対照が旧約聖書と新約聖書の対比に反映されています。マリアさまの挨拶を聞いて、エリザベトの胎内で「おどって喜んだ」
お腹の赤ちゃんは、後に洗礼者ヨハネとなります。この場合、「おどった」とは、日本舞踊のように静かに「踊る」ではなく、
飛び上がって喜ぶ「躍る」です。期待に胸を弾ませる「心躍る」以上に、喜びを表現して「体ごと躍った」のです。
つまり、子どもが「ワーイ!」と言って喜んで、飛び跳ねて「躍る」ようなものです。この赤ちゃんの動きは、
旧約聖書の代表である洗礼者ヨハネの反応を示すものなので、マリアさまの挨拶のお声には、新約聖書を体現する
イエスさまの御旨が反映されていることになります。
 かつて、新司祭の頃、聖書の勉強会に来ていたお母さんたちに、「お腹の中の赤ちゃんは、本当に『おどる』のですか?」
と尋ねたことがあります。お母さんたちは、「『おどる』というより、動いたり、お腹を蹴ったりする」と答えました。
「どんな時に?」と重ねて尋ねると、「美味しい物を食べたとき」や「お風呂に入ったとき」、
「コタツに入ってミカンを食べながらテレビを見ていたとき」などの答えでした。その他の答えもありましたが、
すべてリラックスしているときで、例えば台所で包丁を使って料理しているときとか、お母さんが緊張して何かの仕事をしているときには、
お腹の赤ちゃんもじっとしているそうです。お母さんの緊張感が胎内の赤ちゃんにも伝わるのでしょう。
このことから類推すると、エリザベトは、偉い人や難しい人を迎えたときのように、緊張しながらマリアさまを迎えているのではなく、
親戚であり、気配りや遠慮のいらない女性を、喜びにあふれて迎えていたことが、人間的にも理解されます。
 そのことはまた、旧約聖書と新約聖書の関係についても当てはめることができます。新旧両聖書は、まったく異質な書物なのではなく、
互いに補完し合い、関係しています。イエスさまは、イスラエルの民が長い信仰の旅路を経た上で、初めて人間としてお生まれになったのです。
これをわたしたち個人の信仰の旅路について当てはめて考えると、わたしたちもまた、イエス・キリストと出会うため、
本物の信仰に巡り会うために、それぞれ長い回り道をたどってきました。それは、たとえ先祖からの信仰を受け継いで幼児洗礼を受けた方でも、
成人してから洗礼を受けた方と同じように、信仰を自分自身のものとするまでに、迷いや長い試練のときがあったはずです。
つまり、信仰にたどり着くまでの道のりを、わたしの旧約時代とするならば、その中にすでに、
信仰に導かれる新約時代が隠されていたと考えることができます。だからこそ、イエスさまの誕生を、わたしたちの信仰の誕生として
祝うことができるのです。

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12月15日 待降節第3主日 ルカによる福音 3章10節〜18節

 〔そのとき、群衆はヨハネに、〕「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。
自分の給料で満足せよ」と言った。
 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。
わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 やっとこの季節らしい寒さが訪れてきました。今日は12月の15日、待降節の第3主日です。この日にミサの司式者は、「バラ色」の祭服を着用します。
それは、待降節の節制を強調する「紫色」ではなく、第一朗読と第二朗読で示された「喜び」を表す色です。
そのため、かつては節制期間の「中休み」とも言われましたが、待降節に入っても、あまり特別な節制もしていないわたしなどにとっては、
少し恥ずかしい思いがさせられます。でも、昔の厳しい規定に縛られていた時代では、待降節中のこの日には「結婚式」が許される「喜びの日」でした。
 さて今日の福音は、イエスさまについてではなく、先駆者である洗礼者ヨハネについてのものです。ヨハネが宣教を開始し、
悔い改めの洗礼を宣べ伝えると、大勢の人々が洗礼を受けに彼の所に来ますが、ヨハネはファリサイ派やサドカイ派の人々を、
「まむしの子孫よ」(ルカ3・7)と呼んで彼らを寄せ付けません。ですから、「群衆」はヨハネに「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。
ここの「群衆」とは、ギリシア語原文では「オクロイ」(οχλοι)であり、暴動騒ぎなどに集まってきた「人々の群れ」や「大衆」を意味し、
ファリサイ派やサドカイ派のような特別の立場にない、一般の庶民であったことが分かります。
 ヨハネはこの庶民に、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。」と答えます。「下着」と訳されている語は、
ギリシア語では「キトーナス」(χιτωνας)なので、日本語の「下着」よりは、「衣服」を意味します。例えば、イエスさまを尋問していた大祭司が、
イエスさまのことばを聞いて「衣を引き裂いて言った」という箇所(マルコ14・63)での「衣」(キトーナス)は、
着ている衣服・上着を意味することから分かります。このことから今日の箇所でヨハネは、着替えを持てる余裕のある者は、
上着を一つも持てない者に分かちなさいと教えているのです。そして徴税人や兵士たちにも、簡単に実践できる良心的な生活を教えました。
 このような教えを聞いて、宗教的にも社会的にも、奪われては困るような立場を何一つ持っていない「民衆」は、メシアを待ち望んでいて、
ヨハネに期待をかけていました。ここの「民衆」とは、ギリシア語原文で「ラオン」(λαον)であり、指導者でない者、
またユダヤ人でない諸民族を意味します。
 このように、財産も地位も、何も持たない者、また血筋もはっきりしない庶民こそが、純粋にメシア・救い主を待ち望むことができ、
それゆえヨハネから、イエスさまを示してもらえたのです。それはユダヤ人だけに留まらず、使徒たちの宣教によって異邦人にも広げられた招きでした。
実際、異邦人改宗者が最初に生まれたフィリピに対して、使徒パウロは「フィリピの教会への手紙」の中でこう言っています。
「皆さん、主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4・4)

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12月8日 待降節第2主日 ルカによる福音 3章1節〜6節

 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、
その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、
神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。
 谷はすべて埋められ、
 山と丘はみな低くされる。
 曲がった道はまっすぐに、
 でこぼこの道は平らになり、
 人は皆、神の救いを見る。』」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 この夏頃から脊柱管狭窄症になってしまい、背筋を伸ばして歩くと痛みが走ります。背中を丸めた「おじいさん歩き」をすると、少し楽になります。
まったく、おじいさんになってしまいました。
 さて、日本のおとぎ話は大抵、「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」で始まります。
それは主な聞き手である子どもたちの空想を引き出すためであり、現実のことではないという前提の上に、荒唐無稽な世界を示すためです。
始まりのことば、「昔々あるところに」とは、具体的な年代と場所を無視した物語であること、また「おじいさんとおばあさん」とは、
子どもたちにとって、とてつもない年寄りとして、やはり想像も付かない経験や物語を暗示します。
 子ども向けのイエスさまの誕生物語においては、時々、マリアさまが、本を正せば、由緒正しき家柄の生まれで、
お姫さまか何かのように扱っているものもあります。これに対して聖書は、救い主であるイエスさまを描写しています。
今日の福音箇所でも、イエスさまの宣教の先駆者としての洗礼者ヨハネを記すために、当時の皇帝や領主たちの名前を列挙し、
その登場の場所を明記して、これが実際に起こった事柄であることを示しています。聖書の注釈によりますと、
「皇帝ティベリウスの治世の第15年」とは紀元28年頃、「ポンティオ・ピラトがユダヤの総督」であったのが紀元26年から36年までの10年間です。
さらに、「アンナスとカイアファとが大祭司であったとき」とされていますが、カイアファが紀元18年から36年までの大祭司であり、
アンナスはカイアファのしゅうとで、紀元6年から15年までの大祭司でした。けれども、アンナスは紀元6年に、
当時のユダヤの領主アルケラオを追放して、ユダヤに一定程度の自治権を取り戻させた功績により、
紀元15年にローマの支配者によって更迭された後も、大祭司の称号と権威を持っていたとされています。
 この洗礼者ヨハネが活動を開始した場所が「荒れ野」であったことは、20世紀に遺構が発見されたことで有名な、
クムランでのエッセネ派を思わせます。エッセネ派は、現代風に言えば、観想修道院のようなもので、世俗の穢れから離れて浄化されることを願い、
社会に関わることなく集団生活している人たちでした。エッセネ派にも入信の浄化儀礼としての「洗礼」がありましたが、
その洗礼は、律法の完全な遵守を約束できた、比較的裕福な者だけに許されました。これに対して洗礼者ヨハネは、このエッセネ派の元を去って、
「ヨルダン川沿いの地方一帯に行き」、「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」のです。
その対象はすべての者であり、律法を完全に守り得る者も、またそうでない者も、悔い改めを願う者すべてに洗礼を授けたのです。
 この洗礼者ヨハネから、イエスさまご自身が洗礼を受けられたことから(マタイ3・13)、イエスさまも洗礼者ヨハネの弟子となったこと、
そして彼の活動がイエスさまの宣教の手本となり、特別な階級に属さない一般庶民に、救いのメッセージを伝えたと言えます。
このように考えると、イエスさまもわたしたちと同じく、一般庶民の出身であったと推測することができます。
しかし、救い主であるイエスさまを再び迎える準備の待降節にあたって、イザヤ預言書が記しているように、曲がりくねって、
でこぼこになってしまった、わたしたちの心を改めていかなければなりません。

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12月1日 待降節第1主日 ルカによる福音 21章25節〜28節、34節〜36節

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、
諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。
天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
 放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、
いつも目を覚まして祈りなさい。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 わたしが生まれ育った所は、東京・葛飾のはずれ、いわゆるゼロメートル地帯でしたので、昔は大雨が降ると、
直ぐに江戸川や荒川放水路の水が溢れて、洪水になってしまいました。戦後間もない頃に来た大きな台風の際には、
軒下あたりまで泥水に浸ってしまったそうです。そんな毎度の洪水も、台風が去って水が引き始めると、
大人たちが泥水に浸かった家具の後片付けや掃除に追われているのに、小学生のわたしなどは、のんきに、学校が休みになったのを幸いに、
水が引くまでのしばらくの間、路地に流れてきた古い木材を集めて即席の筏を作り、
近所の子どもたちと一緒にそれに乗って遊んでいたのを思い出します。
 さて、今日から待降節、紫の季節です。イエスさまが再び到来されるのを迎える準備の期間です。
子どもたちは商店街を彩るクリスマスのきらびやかな飾りを見て、サンタクロースからもらうプレゼントへの期待を
膨らませていることでしょう。けれども、待降節の始まりである今日の福音では、「来たるべきその日」が告げられ、
その日には「恐ろしさのあまり気を失う」ほどのことが起きると言われます。おそらく、罪深い大人たちにとっての話でしょう。
子どもたちはそれほど罪深くないので、「恐ろしいこと」があまり想像できないのかも知れません。
つまり、失う物を持っていない者にとっては、「海がどよめき荒れ狂っ」ても、「天体が揺り動かされ」ても、大雨で水が溢れてきたときの、
子どもの頃のわたしのように、「どんな遊びをしようか?」と、災害をも楽しんでしまうかも知れません。
この世の「正常な」状態といったものを、まだ身につけていないからです。
 では、大人たちは一体、何を恐れるのでしょうか? 自然界が動かされることで、
「これまでの常識」が通用しなくなることを恐れているのでしょうか? しかし、前世紀から始まった世界的な気温の上昇により、
南極や北極の氷が徐々に溶けて「海がどよめき荒れ狂う」ことや、海水面が上昇して南洋の島々が水没してしまうこと、
大雨が続いたり、反対に干ばつが続いたりということは、既に現実問題として世界の各地に起きています。
地球規模の気温の上昇は、エネルギー資源を使い果たしてまで、自分たちの生活の快適さや経済的利益を求め続けたいという、
人々の欲望がもたらした結果と言えます。
 このように考えると、今日の福音が教える「来たるべきその日」は、人間の果てしない欲望から考えると、
わたしたちの生活の中で、既に始まっているとも言えます。それゆえ、「その日」が、やがていつかは来る避けられないものとして
何もせずに迎えるのか、あるいは、今の生活態度を改めて、何とか、少しでもこれに備え始めようとするのかは、
今の時代の大人であるわたしたちの責任です。神さまから与えられた豊かな自然・天然資源は、
わたしたちの世代で使い果たして良いものではなく、実は、次の子どもたちの世代から「前借りしている」に過ぎず、
今の世代の人間は、これをできるだけ損なわないようにして、子どもたちの世代に返さなければならないと考えることができます。
 「待降節」は、今わたしたちが「当たり前」のようにして受けている便利さを、感謝と信仰の目で見直さなければならない季節なのです。

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11月24日 王であるキリスト(祭)ヨハネによる福音 18章33b節〜37節

 〔そのとき、ピラトはイエスに、〕「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。
「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。
「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。
「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、
部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。
「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、
そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 60年程前、「赤ちゃんは王様だ」という歌が出されました。フランク永井という優しい声の歌手によるもので、
ラジオやテレビで流され、レコードはその後何回も再版されています。「♪赤ちゃんは王様だ ♪裸の王様だ ♯笑ったら王様だ
♭泣いていたって王様だ ♪やってこい飛んでこい ♪こうのとりといっしょに ♪やってこい飛んでこい ♬おもちゃといっしょに。」
という歌でした。赤ちゃんは家庭で一番小さな存在なのに、一番大切にされる存在です。自分では何もできないので、
周囲の大人たちを自分の世話のために動かします。だから王様のようだと言うのです。
確かに、家族は赤ちゃんを中心に生活することになりますが、それは赤ちゃんが周囲から愛を引き出しているからでしょう。
 さて。今日は典礼暦年の最後の日曜日、「王であるキリスト」の祭日です。イエスさまがわたしたちの王であることを信仰告白して、
一年を締めくくります。もちろん、救い主キリストであるイエスさまが、中世や近世の王様のように、
自分の意のままに周囲の臣下を動かす権力を持っているからというのではありませんが、終わりの時に天地万物のすべてを一つに集めて、
すべてのものを罪の束縛から解放する方であることを表すものです。ですから、その王国はこの世に既に完成しているものではなく、
終わりの日に初めて実現されるものです。これに対して「赤ちゃんは王様だ」という場合は、周囲の大人たちの方が、
何事にも赤ちゃんを中心に生活しますが、それも赤ちゃんの成長によって、やがて終了していきます。
 イエスさまは、ご自分をとおして実現される奇跡や教えによって、ご自分を遣わされた御父の存在を明らかになさいました。
それはご自分に人々の注意を集めるためのものではありません。たとえて言えば、透明な窓ガラスが一点の曇りもないように磨かれて、
その存在自体も気づかれなくなったとき、窓ガラスの向こうにある景色がはっきりと見え、陽の光も、より暖かに差し込むようなものです。
これとは対象的に、自分を際立たせるステンドグラスは、その芸術性はともかく、陽の光とその暖かさを人々からさえぎって吸収してしまい、
人の眼を自分に止めようとします。このように、イエスさまがご自分を無にすることは、透明な窓ガラスのように、
人々の眼がご自分の姿に留まることなく御父を仰ぎ見るよう向けさせ、御父の慈愛が人々に豊かに注がれるようになるためなのです。
そしてその結果、すべての人の救いのために、ご自分を無にして、十字架上の生け贄として自らを献げられたのです。
 「王であるキリスト」とは、このように、ご自分を無になさったイエスさまの姿こそが、わたしたちの模範であり、
わたしたちが生活をとおして神の愛を人々に伝えるように招かれていることを信仰告白するものです。

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11月17日 年間第33主日 マルコによる福音 13章24節〜32節

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
 「それらの日には、このような苦難の後、
  太陽は暗くなり、
  月は光を放たず、
  星は空から落ち、
  天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。
 いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
 その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 朝晩が冷えるようになり、やっと本格的な秋が訪れました。そろそろ霜柱も立つ頃となるでしょう。
修道院におけるわたしの仕事としては、庭の落ち葉掃きが主になりました。多くの方にお手伝いしていただき、とても感謝しています。
 先週の日曜日(10日)は、教会での七五三の祝福を行いました。元気な子どもたちに比べて、わたしの方は足が痛い、
腰が痛いと言って、いろいろと周囲の人から助けてもらう機会が増えました。やはり自分も後期高齢者の一員だなという、
感慨というか、嘆きといったものを感じながら、でも、心のどこかでは、「だから何だ!」という、一種の開き直りのようなものを覚えます。
人間は誰しも、いつかは必ずこの世の生を終えて、神さまのもとに召されるのですが、それは生まれた順番通りに召されるのでも、
どのような人生を送ったかという道徳的評価によるものでもないようです。俗に言う「佳人薄命」とか、
「憎まれっ子、世にはばかる」という言葉も、これを表現するのでしょう。確かに、年を重ねれば重ねるほど、
この世を去る可能性は高まりますが、けれどもそれは、確実性とは異なるものです。また、だからと言って、
自分の好き勝手に人生を送っても良いなどということではなく、あくまでも人間としての良心に基づいた生を貫きたいものです。
 さて福音では、イエスさまが天地の終わりのときについて語っておられます。「その日、その時」は
だれも知らないものでありながら、必ずやってくる「終わりの日」です。ここで注意しなければならないのは、
イエスさまの語り口が、当時のイスラエルの政治状況を背景としている点です。愛という教えの点では、
ファリサイ派やサドカイ派、祭司たち、律法学者たちと対立していることが福音書にしばしば描かれていますが、
それらはすべて、ローマ帝国による支配という政治的状況に置かれていました。
「世の終わり」は、今日の福音では「太陽は暗くなり、月は光を放たず・・・」といった自然宇宙の現象で表現されていますが、
それは「ローマ帝国による支配の終焉」を示すための黙示的表現なのです。もし、あからさまに「ローマ帝国の支配の終わり」
と言えば、ローマに対する反乱を企て、煽動する者とされて、たちまち捕らえられ、処刑されてしまっていたでしょう。
 では、イエスさまの教えの中心は何だったのでしょうか? 「いちじくの木から教えを学びなさい」と言われています。
「いちじく」はイスラエルを象徴する木ですが、木そのものとして、季節の移り変わりによって葉を茂らせ、実を結びます。
つまり、絶対的な力を永遠に持っているように見えるローマ帝国の支配も、季節が移り変わるように、やがては終わりを迎えること、
そして社会情勢の変化よりも先に、いつ終わってしまうかも知れない人の命のはかなさ、
わたしたちの人生の有限性に気づかなければならないことです。今の信仰態度のままで人生を終えても良いのでしょうか?
残された時間は、長いのか短いのか、どれほど残っているのか? 残念ながら、だれも前もって知ることができないのです。
ただ、普段から心の備えをしておかなければならないだけです。つまり、愛するということです。

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11月10日 年間第32主日 マルコによる福音 12章38節〜44節

 〔そのとき、〕《イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、
広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。
このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」》
 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 先週は、中軽井沢の宣教クララ会に黙想に行ってきました。フランシスコ会の六本木修道院とさいたま修道院の合同黙想会で、
総勢12人でした。黙想者に割り当てられたわたしの部屋の窓からは、聖堂の薄緑色の屋根が正面に見え、
後ろには赤や黄に色づいたモミジと、またその後ろには濃い緑色のモミが背景として控えており、窓越しに、祈りへと誘っているようでした。
 さて福音では、イエスさまは「賽銭箱の向かいに座って」人々が献金する様子を見ておられます。
「向かいに座る」ということは、至聖所側から、つまり神さまの立場で見ておられることになります。
そこでは「大勢の金持ちがたくさん入れていた」のに、一人の貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を入れると、イエスさまは、
「この貧しいやもめは、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」と言われます。
レプトン銅貨2枚とは、今日の日本では100円ほどの価値となります。
 このやもめの貧しさは、おそらく彼女の身なりから分かったことでしょう。当時の「賽銭箱」は、上部が広く底辺が狭い円錐形で、
昔使っていた「じょうご」のようになっています。それで通称「ラッパ」と呼ばれていたそうです。これはわたしの勝手な連想ですが、
別の箇所でイエスさまは、「施しをする時には、偽善者たちが人から賞賛されようとして、会堂や大通りでするように、
自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」(マタイ6・2)と言われます。施しをするときに「ラッパを吹き鳴らす」習慣は、
他の書物には記録がありませんので、これは賽銭箱のラッパ形の投入口を賽銭で鳴らすことから来たのかも知れません。
ともあれ、賽銭箱には目的別にラッパの形をした投入口があり、そこにたくさんの献金を入れると大きな音が響き、反対に少ないと、
ほとんど聞こえないようなかすかな音となったようです。献金の多さは、その音色で判断できたのでしょう。
 このように他人のものと比べれば、ごくわずかな金額であっても、もしイエスさまのお言葉通りならば、
生活費を全部献金してしまったこのやもめは、その後、一体どうやって生活するつもりだったのでしょうか? 
おそらく、既にわずかしか残っておらず、その先、もうどうにも生活できないので、かえってそれをすべて献金することによって、
神にまったくその後を任せようとしたのかも知れません。神さまの計らいによって自分が生き続けられるか、それとも死ぬかを賭けた、
命の瀬戸際の献金だったのです。福音書には記されていませんが、おそらくイエスさまは、何らかの人間的な手立て、
あるいは奇跡をもって、やもめのその後の生活を計らわれただろうと思われます。なぜなら、聖書の別の箇所では、
ベテスダの池で38年間も病気にかかっている人を癒やした後、イエスさまは神殿の境内でその人を見つけて声を掛けて
安否を尋ねておられるからです(ヨハネ5章)。
 その「貧しいやもめ」の真剣さは、他人と比較できる金額で測れるものではなく、神さまにすがるしかないという
切羽詰まった状況にあって、生活費をすべて献金するという行為に表された信仰の深さなのです。
つまり、イエスさまご自身がまず彼女の真の意図を汲み取り、そして弟子たちにこの「貧しいやもめ」を手本にして教えようとなされたのは、
深い信頼を込めて自分のすべてを献げるとき、神さまは必ずそれを受け入れ、さらに豊かな恵みで包んでくださるということです。
わたしたちもこの「貧しいやもめの献金」から、神さまへの信頼という真の価値を学ばなければならないでしょう。

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11月3日 年間第31主日  マルコによる福音 12章28節b〜34節

 〔そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。〕「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。
「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、
どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、
「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日の福音では、一人の律法学者がイエスさまに「どれが第一の掟か」と尋ねています。
わたしが受けた昔の公教要理では、「天主の十戒」が最も大切な掟であるかのように教えられていました。
確かに、「わたしは、あなたの主なる神である。わたしのほか、だれをも神としてはいけない」(1972年版)という掟は、
イエスさまが第一の掟として挙げられた「わたしたちの神である主は、唯一の神である」というのに似ています。
 「十戒」は「10」個の「戒め」なのですが、元来「十」という数は、1つ、2つと数えていって10個あったからというより、
「十」という数で「完全」となるからという象徴的な理由だと思われます。小さな子どもが指を折って何かを数えるときに、
右手で五つ、さらに左手で五つを数えて、それ以上は数えられなくなるという原始的な意味は直ぐに理解されます。
仏教にも「十戒」というのがあり、出家した者だけに課される「五戒」と、在家の者にも課される「五戒」を合わせて「十戒」とするそうです。
また数学で宇宙の原理を解き明かそうとした古代ギリシア人は、数字の最初の1,2,3,4を合計すると10になるとしてます。
これによると「1」は唯一の世界を表し、「2」は男性と女性、あるいは光と闇というような2つの原理、
「3」は過去・現在・未来という時制、「4」は火・水・金属・土という当時考えられていた物質を形成する元素を表すそうです。
 いずれにしましても、「十戒」とは「ひとまとまりになった完全な掟」を意味し、それは神さまの言葉である聖書全体を意味していましたので、
聖書のどこに記されており、また、どれが第一で、どれが第二か、といった問題はありませんでした。
中世になり、「十戒」についてのヘブライ語本来の意味が分からなくなってから、聖書のどこに記されているかを特定するようになったと思われます。
それはおそらく聖アウグスティヌスの時代頃(5世紀)だと思われます。つまり、イエスさまの時代には、
かつての公教要理で暗記させられたようには、「十の戒め」など、まだ詳しくは定められていなかったのです。
 イエスさまの時代には、もちろん神さまから与えられた掟の総体という意味が分かっていました。
ですから律法学者が、どれが第1かと質問したのです。それでイエスさまは、聖書全体を通して語られている「神を愛すること」が第1であり、
そして第2のものとして「隣人を自分自身のように愛すること」を教えられたのです。この2つの掟は表裏一体のものとして、
イエスさまご自身が実践され、生涯をかけてわたしたちに示されました。神を愛するとは人の内的な行為です。
それを外的にも見える形で表すものが隣人愛です。言い換えれば、神を信じているなら、その内的信仰は公的礼拝という見える形に現れるものであり、
さらには隣人愛の実践に現れてくるのです。わたしたちキリスト教徒の特徴である「神への愛」と「隣人愛」とを実践するよう心掛けましょう。

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11月2日 死者の日  ヨハネによる福音6章37節〜40節

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。
わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、
自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、_
終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 昨日が「諸聖人の祭日」で、天の国に召された方のお祝い。
今日は「死者の日」で、天国に入る資格があったのかどうかは分かりませんが、亡くなられた方すべてのために祈ります。
 テレビで動物番組を見るのが好きですが、動物たちが他の動物の餌食になったり、
病気になって死ぬ場面はいつもいたたまれなくなります。けれども、ライオンなどに襲われて死ぬのではなく、
どちらかと言うと老衰のように力衰えて死んでいく場合、よく頑張ったねという気持ちになります。
ゾウなどが自然死を迎えるとき、自ら「ゾウの墓場」に行くという話を聞いたことがあります。
また、身近な動物の家ネコも、年を取って死期が近づくとその家を出て行って、
飼い主に見られないところで死ぬという話も聞いたことがあります。「死」はすべての生物にあるわけですから、
単にその命の終了というより、別の次元に移行するものと考えると、ゾウやネコなどは、それまでの仲間や環境を離れて、
新たな命に向かったとすべきなのでしょう。
 福音では、御父の御心が「わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させること」にあると言います。
では、御父がイエスさまに与えたのは、どうのような人でしょうか? 二千年前にイエスさまの弟子となった人々? 
ガリラヤの人々だけ? イスラエル人だけ? それとも彼を信じてキリスト者となった人々? それだけでしょうか? 
それとも、それよりも過去の時代、未来の時代を含めて、すべての時代の、すべての人々なのでしょうか?
 しかし、このように抽象的に論理に遊んでいるよりは、その中に「わたし」が含まれているのかどうかが重要です。
つまり、イエスさまを信じる人とは、自らが信じるようになったからではなく、御父が、既に世の始まりの時から、
「わたし」という存在を、みことばであり、キリストである主イエスに委ねられたからこそ、
わたしはその救いへの招きを受けることができ、それに喜んで応えさせていただくことができるのです。
それは御父が天地の創造主であること、イエスさまが永遠のみことばであることを前提として成り立ち、聖霊によって実現される救いの計画なのです。
 このように考えると、「死」とは「新たな命への入り口」であり、「死者」とは、
「わたしよりも先に神への道を歩み始めた人々」ということになります。この人々の歩みが、確かなものとなるように祈りましょう。


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11月1日 諸聖人の祭日 マタイによる福音 5章1節〜12節a

 〔そのとき、〕イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。
 柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
   喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 福音では、イエスさまが山に登ってご自分の教えを宣べ伝え始められたときのことばが記されています。
そのとき、「心の貧しい人は幸いである」に始まる「真の幸い」、昔流に言えば「真福八端」が語られます。
「福」とは「幸いなこと」、「喜ばしいこと」の意味なので、その中身を知らせる「便り」が「音」とされるのです。
でもラーメンの丼は別にして、身近に「福」が使われているのは、「福引き」とか「大福」とかでしょう。
「大福」と聞くと、よほどのへそ曲がりは別にして、ほとんどの人がニッコリします。つまり、イエスさまが告げ知らせた「福音」とは、
抽象的で頭の痛くなるような難しい話ではなく、具体的で、それを受け取る人がニッコリとうれしくなるような話なのです。
 今日の箇所で、その「幸いである」との祝いのことばが向けられているのが、「貧しい人」、「悲しむ人」、「柔和な人」、
「義に飢え渇く人」、「憐れみ深い人」、「心の清い人」、「平和を実現する人」、「義のために迫害される人」であり、
これらの人々に共通するのが、真面目な生活をしながらも「現状では報われていない人々」と言うことができます。
その人々が、イエスさまのメッセージでは、既に「幸いである」とされます。なぜ「幸い」なのか、イエスさまは、
それぞれの人への「幸い」の後にその理由を付け加えられます。つまり:「慰められる」、「地を受け継ぐ」、「満たされる」、
「憐れみを受ける」、「神をみる」、「神の子と呼ばれる」、そして、最初と最後の人の幸いである理由は、
「天の国はその人たちのものである」とされます。全体として、天の国とはこれらの人々のものとなることが宣言されるのです。
 イエスさまの元に集まってくるのは、その時代の人々ばかりではありません。時代を超えて、すべて苦しみ、悲しみ、悩みを抱える人々が、
救いを求めて集まってきます。その解決は、しかし、何かの奇跡を行うことでも、革命を起こして時の権力者たちを追い出すことでもありません。
そんなことをしても、また次に、別の権力者が台頭してくるだけで、根本的な解決にはならないのです。
それよりも、イエスさまの「幸い」とは、人が本来の姿を取り戻すこと、神の似姿として創造された、人間の尊厳を取り戻すことにあります。
それは、生活を向上させようと努力するあまり、いつの間にか社会の競争に巻き込まれてしまい、他者を蹴落としてでも、自分が上に立とう、
前に出ようとするあせりから、見失われてしまった尊厳です。反対に、この尊厳を保つ正直な生き方は、今の世の中では報われず、
あまり成功しない生き方になってしまっています。
 イエスさまがもたらした福音は、神さまこそが、それらをすべてご覧になっておられること、そして最終的に、
それに報いてくださることにあります。この意味で「聖人たち」とは、神さまのみ旨に従って生きることで天の国に入った人々であり、
その中には、奇跡を起こすことや、自分の生命を捧げ、多くの人に影響を与えて、名前の良く知られた聖人もあれば、人知れず、
神さまのみ旨を果たす生活を送った無名の聖人も多くあります。わたしたちが自分の苦しみ、悲しみ、悩みを抱えてイエスさまにより頼むときも、
「幸いである」とのことばをいただきます。それにより、イエスさまから天の国に入る「聖人」として認められたと言えるでしょう。
まだ教会からは、公式に、個別に祝われることがないとしても、すでにわたしたちは「諸聖人」の一員に予定されているのです。
このことから、「諸聖人の祝い」とは、イエスさまを信じるわたしたち自身のお祝いなのです。
 諸聖人の祭日、おめでとうございます。

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10月27日 年間第30主日  マルコによる福音 10章46節〜52節
 
     イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って
物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々
が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、
「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、
躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と
言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれる
イエスに従った。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 明治になり、キリスト教の再宣教が始まってから初の日本人フランシスコ会員司祭となったのは、武宮雷吾神父様でした。
東京の築地教会出身で、生粋の江戸っ子です。ドイツに送られて司祭となって帰国した後、生涯を北海道での宣教司牧に献げました。
教会付属の幼稚園に来る子どもたちにはとても優しい方で、園長室兼主任司祭室のドアの取っ手は、幼稚園児でも届くようにと、
床から60cmのほど高さに付けられていました。大人の信者にはとても不便な高さです。しかし、子どもに優しいのとは反対に、
後輩のフランシスコ会員司祭や神学生、そして大人の信徒には厳しい方でした。例えば、先年亡くなられた戸田三千雄神父様など、
すでに司祭になっていましたが、武宮神父様が神学生になさる講話を聞きたいと思っていました。しかし、先に修道院長から頼まれた
用事をしていたため、講話が行われている教室に遅刻してしまいました。恐る恐る後ろのドアから入ったのですが、「講話に遅刻するとは
何事か!」と、あまりに大きな声で怒鳴られたので、気を失って倒れてしまったと聞いております。そんな厳しい武宮神父様ですが、
子どもたちには時々、「オレは神さまよりも偉いんだぞ」と「うそぶく」ことがありました。ギョッとさせられる言葉ですが、どういう意味
かと言えば、武宮神父様が祈ると、どんな願いでも聞き入られるからだそうです。だから、「神さまに命令しているようなもんだ」との
ことでした。神さまが常に祈りを聞いてくださることに、絶対の信頼を置いていたのです。
 さて、今日の福音では、イエスさまがエリコを出て行かれるとき、物乞いをしていたバルティマイという盲人の目を見えるようにします。
イエスさまは、「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。どこに彼の信仰が現れているのでしょうか? バルティマイは道端で
物乞いをしていただけなのですが、大勢の人が通る音を聞き、それがナザレのイエスさまに付き従う人々だと分かると、「ダビデの子よ、
わたしを憐れんでください!」と叫び出します。イエスさまが彼をお呼びになると、「上着を脱ぎ捨て、躍り上がって」イエスさまのところに
来ます。彼は物乞いをするくらいですから、お金も財産も持っていなかったのでしょう。しかし、ただ一つ、夜寝る時にも使う上着だけが
ありました。それを脱ぎ捨ててイエスさまのところに行ったのです。つまり、イエスさまのところに行きさえすれば、必ず目が見えるように
して下さると信じていたのです。もし、目が見えるようにならなければ、脱ぎ捨てた上着は誰かに盗まれてしまうかも知れません。
その日の夜から、安らかに寝ることも出来なくなってしまうかも知れなかったのです。持っている物をすべて投げ打って、主の元に近づく
という態度が、彼のイエスさまへの信仰を表していたのです。見方を変えれば、イエスさまの方が、この盲人の信仰に圧倒されて
「負けてしまった」とも言えます。これほどの信仰が示されるとき、おそらく神さまも「お手上げ」になったのでしょう。
「オレは神さまよりも偉いんだぞ」と、うそぶくことが出来るほどの信仰を養いたいものです。

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10月20日 年間第29主日 マルコによる福音 10章35節〜45節

 〔そのとき、〕《ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、
もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。
「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、
わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。
そこで、》イエスは〔十二人〕を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、
偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を
献げるために来たのである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 この頃は町内を散歩すると、どこからともなくキンモクセイの香りが強く漂ってきます。そして教会に戻れば、
修道院の中庭ではコスモスの花が咲き誇り、柿の実も色づき始め、もうそろそろかなと知らせています。
いよいよ実りの秋、収穫の秋、これまでの努力が「成果」として現れる季節です。
 今日の福音では、ヤコブとヨハネが彼らの望みをイエスさまに打ち明けたとき、これを聞いたほかの十人の者は、
「ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた」とされます。弟子たちは皆、イエスさまがエルサレムに入ったならば、
いよいよ新たな王国を宣言し、王となるだろうと期待していたのです。そこでヤコブとヨハネは、ほかの十人の弟子たちよりも先に、
イエスさまが「栄光を受けたときに、その右と左に座らせてください」と願い出たのです。つまり、イエスさまが王座に就いたら、
その右大臣と左大臣にしてもらう約束を得ようとしたのです。ほかの十人にしてみれば、これは抜け駆けであり、
他の仲間を出し抜こうとするものでした。これに腹を立て始めたということは、彼らもまた、同じような願いを密かに抱いていたことが現れています。
ただ、ヤコブとヨハネの方が彼らよりも早く、正直にそれを口に出しただけなのです。しかし、イエスさまは、弟子たちに、
「偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、すべての人の僕になるように」と諭されます。
なぜなら、イエスさまがエルサレムで成し遂げられようとされているのは、「多くの人の身代金として自分の命を献げる」ことだからです。
 ところで、弟子のヤコブとヨハネが願い出たときにイエスさまは、彼らの覚悟を確かめようとして「わたしが飲む杯を飲み、
わたしが受ける洗礼を受けることができるか」と質問しています。この言葉はイエスさまご自身が受ける試練を示しているはずです。
「杯」とは、食事でぶどう酒を飲むために使うものですから、イエスさまと苦楽を共にすることを示すと解釈できます。
ところが「洗礼」については、イエスさまは宣教生活の初めに洗礼者ヨハネから既に「洗礼」を受けたのですから、
「わたしが受ける洗礼」はこれとは異なるはずです。「洗礼」はもともと、「水によって新たに生まれ直す」意味を持っていますので、
イエスさまが話しておられる「洗礼」とは、新たな命に生まれるために、これまでの価値観や生き方を捨て去ることとなるでしょう。
ですから、「洗礼」と「杯」は、イエスさまの生き方全体を現すことにもなります。
しかし、その生き方とは「皆に仕える者になり、すべての人の僕になる」という、この世での価値や権力とはまったく異なるものでした。
 このことは、十二人の弟子たちだけに言われたのではなく、すべての時代の、すべての弟子、つまり、わたしたちにも言われているはずです。
なぜなら、わたしたちもまた、洗礼によってキリスト者となり、神の子として新たな生き方を始め、
生涯をかけてイエスさまの教えを宣べ伝える者となっているからです。でも実際には、なかなか実行に移すことは難しいかも知れません。
これを誠実に実践できたのは、教会から信仰の手本として、殉教者あるいは証聖者として称えられる人たちでしょう。
その人たちは、殉教することによって、あるいは生涯を教えに捧げることによってこれを完成しました。
ちなみに、ヤコブは十二人の中で最初に殉教した弟子となり、他方のヨハネは、十二人の中で最後まで生きながらえ、
独身生活を貫いて証しを立てた弟子です。つまり、イエスさまのお言葉通りに、二人はその後、イエスさまの杯を飲み、
洗礼を受けることになったのです。わたしたちもまた、彼らに倣い、殉教の方はともかくとして、日々の生活で証しを立てたいものです。

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10月13日 年間第28主日 マルコによる福音 10章17節〜30節

 〔そのとき、〕イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。
「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。
「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。
たくさんの財産を持っていたからである。
 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。
イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、
らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
 《ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。
「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、
今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」》

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 長雨も止んで、一昨日あたりから久しぶりに青空が広がっています。土曜日・日曜日に続き、月曜日の明日も「スポーツの日」
ということで休日となります。これは「体育の日」と呼ばれていたのが2020年から改称されたものです。
「体育の日」は60年前の1964年10月10日に、最初の東京オリンピックの開会式が行われた日の記念として1966年に制定されたものです。
その当時、開会式をいつにするかオリンピック委員会がとても悩んだという話を聞いたことがあります。最終的に10月10日に決まったのですが、
その決め手となったのは、気象庁が過去何十年かのデータを分析して、10月10日ならば東京は晴れる確率が高いと予測したからだと言われています。
わたしの記憶でもその年、東京は10月に入ると雨が続き、いやな雰囲気が漂いました。ところが当日になると、早朝から快晴となり、
無事開会式を迎えることができたのです。NHKのアナウンサーが興奮して「今日の主役は、この青空です!」と叫んでいたのを思い出します。
おそらく、誰もが天気になるようにと、子どものように願っていたのでしょう。
 さて、今日の福音でイエスさまは、永遠の命を望む人に「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と言い、
その人が気を落として立ち去ると、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言います。
これを聞いて弟子たちは「それでは、一体だれが救われるのだろうか」と互いに言ったとされています。
 イエスさまが使われた「らくだ」と「針の穴」の比喩について、ある解説者によると、「らくだ」は当時、
エジプトやメソポタミアなどの遠くから、はるばる砂漠を越えて荷物を運ぶために使われた代表的な動物で、
「針の穴」とは、エルサレムを囲む城壁にあったいくつかの門のうち、一番小さな通用門のニックネームだったそうです。
その通用門が人間の背丈ほどの大きしかなかったため、ここを荷物を積んだ「らくだ」を通そうとすると、門が小さすぎるため、
「らくだ」から荷物を降ろしたうえで、頭を垂れさせ、膝を屈めさせなければなりません。
でも、頭を垂れて膝を屈めた「らくだ」は歩くことができないので、「らくだ」を通すためには、
前から引っぱったり後ろから押したりしなければなりません。そして「らくだ」に積んできた荷物は、
持ち主が自分で背負って運ばなければならなくなります。「らくだ」を使って運び込もうとした荷物が大きければ大きいほど、
その苦労も大きくなってしまいます。余計な荷物など一切持たない子どもたちならば、この門をらくらくと通ることができ、
おそらく「大人は大変だな〜」と思ったことでしょう。
 ここでエルサレム城壁の「針の穴」は、神の国に入るための「狭き門」に喩えられていますが、別の箇所(ヨハネ10・7)でイエスさまは、
ご自分を「羊の通る門」だと述べられています。それは、イエスさまご自身、あるいはイエスさまの教えのことであり、
その門を通って神の国に至るためには、教えに対して素直に頭を垂れ、謙虚に膝を屈めて、何も持たない子どものようにならなければならないのです。

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10月6日 年間第27主日 マルコによる福音 10章2節〜16節

 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。
イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。
しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。イエスは言われた。
「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
《イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。》

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 10月になりました。「神無月」とも呼ばれますが、通俗的に、各地の氏神さまたちが出雲に集まって、「縁結び」を話し合うので、
他の地方には神が不在となる月だからと言われます。また、それゆえ出雲では「神在月」と呼ぶとかも言われます。
ともかく、結婚式のシーズンが到来したわけです。
 今日の福音では、離婚・再婚の是非がイエスさまに投げかけられています。設問はしかし、
「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」というもので、夫側からの一方的な離婚を前提としています。
イエスさまはお答えになります、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
このお言葉から、カトリック教会では、信徒の離婚・再婚は、絶対に許されないものだと言われてきました。しかし、よく読むとイエスさまの言葉は、
夫側からの一方的な離婚についてのものであり、何らかの事情で、不幸にして別れざるを得なかった者たちを非難するためのものではありません。
かえって、イエスさまは、神によって結び合わされた者たちが、離婚などしたくないと思うほど、固く幸せに結ばれてほしいと願っているのです。
 さて、ローマで婚姻裁判を勉強した40年程前、日本では見合い結婚がまだまだ多かったのですが、せっかく結婚しても、
その3分の1ほどが5年以内に別れてしまうという統計がありました。信者同士の場合には、その割合がずっと低いと思われますが、
離婚すると教会に来なくなって、司牧者の目から隠れてしまうためか、どこにも統計がありませんでした。
今では、見合い結婚の比率が下がったにもかかわらず、離婚率はもっと高くなったと言われています。
キリスト教徒が多い米国の場合は、ほとんどが恋愛結婚だと思われるのですが、それでも結婚して5年以内にその3分の1ほどが別れてしまうそうでした。
また、同じその米国の統計では、10代で妊娠したことによる結婚は、5年以内に100%が別れてしまうと聞いたときには驚きました。
初めての結婚生活に、子育てという新たな重荷がいっぺんに加わってしまい、未熟な若者には耐えられないのだろうとの説明でした。
発育して身体的には子を造ることができても、生涯をかけて互いに愛し合うには、人間として成熟していることが必要だからです。
他方で、完全な人間的成熟といったものには、おそらく生涯をかけても到達できる方は少ないと思われます。
ですから、それは成熟してゆく「努力」を続けることにあるはずです。
その努力を促し、支えてくれるのが、神さまへの信仰と摂理への信頼でしょう。見合い結婚はもとより、たとえ恋愛結婚であったとしても、
自分の好みからではなく、神さまが結び合わせてくださったパートナーであると受けとめるとき、自分の便宜や損得勘定に関係なしに、
互いに相手を神さまからの賜物として受け入れることができます。神さまからの賜物であれば、パートナーの中には、
自分のまだ知らない宝物が隠れているはずで、日々の生活の中に少しずつ現され、また発見していくことができます。
つまり、「結婚式」はゴールなのではなく、生涯をかけて一致する結婚生活への「出発点」なのです。
 現代の夫婦は、日々変化する社会状況に置かれていますので、毎日、対話によって相手を理解し直す必要があります。
その対話は、たとえ自分たちの子どもや父母についてであっても、「何をどう対処するか」という事務的な連絡では不十分です。
時として「夫婦げんか」が生じるのは、大抵の場合、物事に対処する上で、男性的な考え方と女性的なそれとが異なるからであり、
言い争ってどちらかが「勝つ」というのは、あり得ないことです。男性は人間的な弱さを無視した論理に陥りがちであり、
そのため過労死したりもします。女性は女性で、自分本位の感情に流される傾向があります。
ですから、生まれも育ちも異なる男女が一緒に生活する以上、夫婦げんかは避けることができません。
ならば、夫婦げんかを予防する手段をあれこれ考えるよりは、仲直りする道を体得すべきでしょう。
 それには「話し合う」ことは不向きかも知れません。なぜなら「話し合い」こそが「言い争い」となる、ケンカの出発点なのですから。
仲直りするには、互いに今でも愛していることを確認すればよいのです。そのためには、結婚の当初から二人だけの間で理解できる、
ケンカを終了させる際の「合い言葉」をあらかじめ決めておくことが肝要です。どのような言葉でも構わないのですが、
子どもが傍らで聞いていても分からないように自然な言葉を使い、内容は、「その話は今はおしまい。互いの論理が違うのだから、まとめるのは無理。
けれども、わたしはあなたを愛しています」となります。実際にある若夫婦はケンカ終了の「合い言葉」として、
「ビールにしましょうか」と決めたそうです。互いに、完全には理解し得ない、男性と女性という別々の存在が、
愛によって一緒に生活してゆくのが夫婦というものでしょう。
 結婚を、愛そのものである「神さまが結び合わせてくださったもの」と受け入れるとき、離婚・再婚の話はまったく無縁・無用のものとなります。

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10月4日 聖フランシスコ(祭日)マタイによる福音 11章25節〜30節

 その時、イエスは仰せになった。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある者や賢い者に隠し、
小さい者に現してくださいました。そうです。父よ、これはあなたのみ心でした。
 すべてのものは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が現そうと望む者のほかに、父を知る者はいません。
 労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で、謙遜であるから、
わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは魂の安らぎを見出す。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)

 今日、10月4日は、一般の典礼暦では記念日ですが、フランシスコ会では本会の創立者・アシジの聖フランシスコの祭日として祝います。
そのため福音書の箇所も聖フランシスコを思い出させる箇所が選ばれています。
 さて、「フランシスコ会」という名前は通称で、正式には「小さき兄弟会」、ラテン語で "Ordo Fratrum Minorum" と言います。
フランシスコは、あまり大きな身体ではなかったと言われており、丁度、修道院のブラザー松本さんと、背格好が同じだったかもしれません。
でも、正式名称の「小さき兄弟会」は、会員の体が皆「小さい」ことを示すのではなく(松井神父様のように大きな人もいますので)、
フランシスコ自身が望んでいた霊的な「小ささ」、つまり謙遜を表す「小ささ」を目指すべき会です。
人々の間では、フランシスコは厳しい清貧を実践したことの方が有名で、その後の弟子たちには、修道会の清貧を巡って、
時の教皇さまと争うような者(ウイリアム・オッカムなど)もありました。でも、フランシスコが残した書き物の中では、
「貧しさ」とか「清貧」とかの語よりも、「謙遜」とか「小ささ」という語の方が多く使われています。
また、修道会を立ち上げるとき、その名前を「貧しい兄弟会」としなかったのは、金銭や物質、権力にとらわれずに、
無学・無力な者として、一途にイエスさまの生き方に従うという、「小さき者」としての理想がありました。
その理想を追い求め続けた結果、生涯の終わり頃には、十字架に付けられたイエスさまと同じ傷痕、「聖痕」を受けています。
それで、フランシスコは「中世最大の聖人」と呼ばれています。
 さて福音では、小さな者にこそ神の奥義が示されることを述べた後、イエスさまは、弟子になることを、「軛(くびき)を受け入れる」
と表現しています。しかし、「わたしの軛(くびき)を受け入れ、わたしに学びなさい」ということばは、
それでイエスさまの方が楽になるという意味ではありません。
軛(くびき)とは、牛や馬に農具や荷車を引かせるために繋ぐ道具ですが、聖書で言われているのは、日本のものとは異なり、一頭ではなく、
複数の動物に、一緒に力を合わせて引かせるための道具です。ですから、「わたしと一緒に苦労しましょう」という意味なのです。
イエスさまと一緒に、同じ軛(くびき)に連なるのですから、光栄である以上に、わたしたちの力の足りない分を、
すべてイエスさまが補ってくださることになります。イエスさまがわたしたちの元にお出でになり、わたしたちと共に働き、
わたしたちの労苦を一緒に担ってくださるのです。
 「小さな者」とは、自分の力が足りないことを知っている者のことであり、それを素直に認め、イエスさまにより頼むとき、
イエスさまを通した神の恵みに満たされるのです。

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