司祭のメッセージ

7月25日 年間第17主日 ヨハネによる福音 6章1節〜15節

そのとき、〕イエスはガリラヤ湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさった
しるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が
近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに「この人たちに食べさせるには、
どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしよう
としているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは
足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン
五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、
その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。
また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄に
ならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残った
パンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、
世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、
ひとりでまた山に退かれた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
  いろいろと批判が多くありましたが、この前の金曜日にオリンピック開会式が行われたようです。何をもって
その成功と判断するのかは存じませんが、これ以上コロナ感染者が増えなければ良いなと念じております。
  さて、福音ではイエスさまのパンを増やす奇跡が語られます。共観福音書にも記されていますが、ヨハネ福音書では
弟子のフィリポとアンデレが登場してきます。この二人は、初め洗礼者ヨハネの弟子でしたが、ヨハネが「見るがよい、
神の小羊だ」とイエスさまを示されると、イエスさまのもとに行き、最初の弟子となりました。そして直ぐに、
シモン・ペトロやナタナエルなど、他の弟子たちを呼び集める役割を担いました。今日の箇所では、まずフィリポが、
自分たちが持っているお金では大勢の群衆に食べさせるには足りないと言います。二百デナリオンと言いますが、
およそ1年分の給与と考えればよいでしょう。一人で生活するには十分ですが、五千人もの人々に食べさせるには、
まったく焼け石に水のような金額です。これは現代の教会の財政事情にも通じます。司祭の給与分だけでなく、
水道光熱費や教会建物の維持管理にと、いろいろ出費が多く、教会委員の方々の頭をいつも悩ませています。
また、世界中で貧困にあえぐ人々の困苦を知りながらも、その膨大な数の人々のために教会の財源をすべて使い果たして
みたところで、何の足しにもならないのが現実です。・・・
  一方、イエスさまのところに集まった群衆を考えてみると、過越祭りのためにエルサレムに向かう途中だったと
思われます。ガリラヤ湖畔からエルサレムまでは直線距離でも120キロメートル以上あります。歩いて行けば
二日間以上かかりますので、まったくの準備なしに出発したとは考えられず、皆がそれぞれ自分の食糧を持参
していたはずです。  アンデレは大麦のパン五つと魚二匹を持つ少年を紹介しますが、彼が大勢の群衆の中から
やっと探し出したというより、自発的に弟子たちに差し出したのが、正直な少年一人だけだったのでしょう。
他の大人たちは、イエスさまのお話が素晴らしかったとしても、自分たちの巡礼のために準備した食糧を、
イエスさまに提供する考えはなかったようです。
  少年が持ってきたのは大麦のパンと魚でした。大麦は、秋に種蒔きして春に収穫する穀物で、寒さや乾燥にも
強いので、歴史上、他の穀物よりもまず先に栽培され始めたそうです。しかし、皮と実の部分を取り分けるのが難しく、
ローマ時代には家畜の飼料にされてしまっていたそうです。(ちなみに、大麦・小麦というのは、大きさによるのではなく、
培され始めた歴史的順序を示すようです。大豆・小豆というのもこれと同じです。)また魚の方は、生では持ち運べませんので、
塩漬けにした干し魚だったでしょう。つまり、少年は貧しい者の食糧である大麦のパンと干し魚を、エルサレム巡礼中の
食糧のために持参し、その自分の食糧をイエスさまに差し出したのです。
 イエスさまはこの貧しい食糧に感謝の祈りを捧げてから、人々に分け与えられたと記されています。そのとき、
イエスさまが魔法を使ったかのように、突如としてパンと魚は増えたのでしょうか? 伝統的な解釈は別にして、
その場にいた大勢の群衆はどのような思いで、このパンと魚を受け取ったのでしょうか? 一人の少年が、自分の旅行の
ための貧しい食糧を、それも持っているすべての食糧を差し出したのに、大人たちは自分のものを隠し持って、少しも
差し出そうとしないという光景です。
 では、何が起こったのでしょうか? おそらく大人たちが自分たちの心の狭さを恥じて、近隣の者たちと一緒に
座りながら、隠し持っていた物をおずおずと取り出し、分かち合い、そして残ったパンの屑で十二の籠がいっぱいに
なったのではないでしょうか。
 では、何も増えなかったのでしょうか? いいえ、確かに増えました。物質的なパンについてよりも、人々の自己中心で
閉じた心が開かれ、互いに分かち合う隣人愛の精神が増えたのです。このことが分かってくると、人々の心を開かせ、
ひとつに向かわせられる方としてイエスさまを見ることができ、そのためにイエスさまを自分たちの王にしようとしたのです。
しかし、イエスさまは独りでまた山に退かれます。イエスさまの国は、この地上のどこかに築くものではありません。
それは神の愛に心を開く者たちの国だからです。

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7月18日 年間第16主日 マルコによる福音 6章30節〜34節

〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、
食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、
彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、
いろいろと教え始められた。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
   このところ、むしむしとした日が続いた後、気象台からも梅雨明け宣言が出されて、急に暑くなってきました。
もうすぐ、夏休みですね。でも、子どもたちの学校が夏休みになったとしても、このコロナ感染症のために故郷への
帰省もままならず、いつ休みを取れるだろうか、どこに行こうかと迷われている方も多いと思われます。まあ、
帰れる故郷のある人は、それだけでも幸いだと思わなければならないのでしょうか。
   さて福音では、イエスさまがしばらく休むために、使徒たちを連れてせっかく人里離れた所に行ったのに、
大勢の群衆はイエスさまを追いかけて、先回りしていたようです。そこで、イエスさまは「飼い主のいない羊のような
有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」のです。まったく「休み」になっていません。
   さて、聖書では、「たとえ」として羊がよく使われます。それはヘブライ人がもともと遊牧民であったため、
羊が最も身近な家畜だったからでしょう。聖書では羊は、まず生け贄として紹介されます。しかし羊を飼うのは、
その肉を食べるためだけではありません。羊の毛は織物にされてウールとなり、木綿が東アジアから伝わって来るまでは、
中近東から西では、ウールが衣服の主要な原材料でした。わたしどもの会服もウールで作るようにと定められておりますが、
それはウールが庶民の服地だったからで、ウールと言っても、ゴワゴワとして肌触りのよいものではありませんでした。
羊の皮は、屠った後に剥いで大きく延ばして、文字を書くための用紙(羊皮紙:ペルガモ紙)を作り、ヨーロッパでは
伝統的に正式な証書や賞状などを書く際の用紙となってきましたし、聖書の写本にも近代まで使われていました。
古代のエジプトやメソポタミア文明では、川岸に生える葦の茎を使った用紙(パピルス)が用いられていましたが、
でこぼこしていて、多くの文字を記せる羊皮紙に置き換えられていったようです。
羊は、このように家畜としていろいろ利用できる有用な動物でしたが、おとなしく柔順であることの象徴でもあります。
しかし、羊は視力があまり良くないそうで、常に群れで生活していて、群れから離れてしまうと、狼などに襲われたりします。
そのため、移動する際には、羊飼いの周りに集まって、水場やおいしそうな草の場所に連れて行ってもらうことになります。
羊毛の刈り込みや屠るなどの作業を除き、羊飼いとして牧場を移動させることは、子どもにでもできる簡単な作業と
されていたようです。一方、山羊も羊と同じように飼われていたのですが、雑食性であり、草の根や木の葉、木の皮まで
食べ尽くしてしまうため、山羊の群れが食べ尽くした後には、新たな草がまったく生えなくなったりします。
その悪食性が嫌われて、聖書のたとえ話では、あまり良い役割はもらえていません。例えば、マタイ福音書25章で
語られる「最後の審判」の場面では、隣人愛に誠実であった者は「羊」として審判者である王の右側に、
そうでなかった者は「山羊」として左側に分けられて審判が下されます。同じように牧畜の対象でありながら、
扱われ方に大きな違いがありますね。
   この羊と羊飼いとの言葉は、現代のキリスト教にも受け継がれ、日本語の「主任司祭」は、ラテン語で「パストール」
(Pastor:羊飼い)であり、「小教区」は、ラテン語で「パロキア」(Parochia:羊の群れ)です。イエスさまは
「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10・11)と司牧者たちに教えておられます。でも、コロナ禍のもとでは、
勝手な行動は自分だけでなく、他の人々をも巻き添えにしてしまうので、派手なパフォーマンスは控えなければなりません。
残念ながら、今年も「夏祭り」は見送りになります。

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7月11日 年間第15主日 マルコによる福音 6章7節〜13節

〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する
権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、
そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、
その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を
傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
  民放のテレビ番組で、「はじめてのおつかい」というのを見たことがあります。不定期の番組だそうで、
同じタイトルの絵本もあります。内容は、幼稚園児くらいの年齢の子どもに、お母さんがちょっとした「おつかい」を依頼し、
子どもにしてみれば、生まれて初めての「おつかい」を果たす様子を、テレビカメラが隠し撮りするものです。大人の目からは
たいしたことの無い、ほんのちょっとした「おつかい」なのですが、生まれて初めて「おつかい」に出る子どもにしてみれば、
お母さんに頼まれた「大切な」使命であり、気負いと不安が入り混じりながら、自分一人で、あるいは弟や妹を連れて、
家の外に出かけることは、「だいぼうけん」となるわけです。その「おつかい」を果たすことだけで、子どもが一回り
大きく成長することが、番組を鑑賞する側にもよく伝わってきます。
    さて、今日の福音では、イエスさまは、ご自分が選んだ十二人の弟子たちを二人ずつ組にして宣教に遣わします。
弟子たちは、まさに「イエスさまのおつかい」をするわけです。イエスさまは弟子たちに、汚れた霊に対する権能を授け、
旅には杖一本のほか何も持たず、パンも袋も金も持っていってはならないこと、ただ履物は履くように、また下着は
二枚着てはならないと指図されます。これらの持ち物、あるいは持たないことは何を意味するのでしょうか?
  まず、「汚れた霊に対する権能」とは、「悪魔払い」もありますが、それよりは正しい教えを宣べ伝えること、
つまり「教師」としての役割を意味するものです。また「杖一本」は、弟子たちがそれほどの年寄りでもなかったので、
護身用とも思われます。けれども「杖」はまた、羊飼いたちが使う物で、モーセの兄アロンが手にしていたように
「預言者のしるし」ともなり、この方が「イエスさまの使い」として町や村に向かう者にはふさわしいようです。
(現代では司教様方が司牧者のしるしとして使っています。)
     次に「パンと袋と金」とは、自分たちだけの力で、他の誰からも援助を受けずに旅行するための用意だったでしょう。
反対に、これらを持たないことは、行った先で誰かから(おそらく律法に忠実な人から)支えてもらわなければならず、
そのような人をまず捜さなければならないという真剣さが必要となります。「履物は履くように」というのは、
途中の道路が良くないからではありません。現代でもアフリカやアジアのある地域では、履物なしに、結構ひどい道を
歩く人々が沢山います。実は、聖フランシスコも普段は裸足の生活をしていたそうです。でも、ミサを捧げるときに
司祭の会員は履物を履くようにと、聖フランシスコは命じています。履物は自分の足を保護するためである以上に、
その人の、祭司としての職位を示すしるしとなります。また「下着」を二枚着るのは、裕福な人だけができることと思われ、
これを禁じるのは、弟子たちが、質素な生活をしていることを示すためでしょう。
   このように考えると、十二人の弟子たちに命じた「持ち物」は、教師、預言者、祭司の役割を示す簡素な道具であり、
その宣教の態度は威圧的なものではなく、礼節に満ちていなければならなかったはずです。
使徒たちの「はじめてのおつかい」は、カメラならぬ聖霊によって見守られたものとなりました。

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7月4日 年間第14主日 マルコによる福音 6章1節〜6節

  〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。
多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、
その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、
シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの
病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
  このところの梅雨寒で、寒がりのわたしは長袖シャツにズボン下、その上、雨の日には毛糸のチョッキ(この頃は「ベスト」
と言うそうですね)を着用しています。ところが、同じ修道院で生活する他の3人のメンバー(80歳代2人と60歳代後半)は、
半袖シャツだけで、それでも暑いような口ぶりで食堂に集まります。暑さ寒さの感じ方には個人差があるのは当然ですが
(わたしの方が夏風邪を引いたのかと怪しまれました)、暑さ寒さ以外の事柄についても、自分の感じ方を基準にして他人
を判断していることが多いのを反省させられます。
   さて、今日の福音箇所では、故郷のナザレにお帰りになったイエスさまが、会堂で教え始められると、故郷の人々は
イエスさまの知恵と奇跡には驚きますが、「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの
兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」とつまずいてしまいます。「大工」というのは
養父ヨゼフさまの職業でした。しかし、「マリアの息子」というのは普通の言い方ではありません。当時のイスラエルには
名字の制度は無く、通常は父親の名前を名字のように使って、「誰々の子の誰々」として個人を識別していました。ですから、
イエスさまの場合は「イエス・バル・ヨセフ」となったはずです。それなのにナザレの人々は、わざわざ母親の名前を使っているのです。
   これを理解するために、1)ヨゼフさまが、大分以前に他界していたため、あるいは、2)故郷の人々は、マリアさまが
ヨセフさまと同居する前からイエスさまを身ごもっていたことを知っていて、父親が誰だか分からない「父無し子」という軽蔑の意味
で使った、と考えられます。たとえ既に亡くなっていたとしても、個人を識別するための名前としては父親の名が使われるはずなので、
イエスさまが聖霊によって、処女であるマリアさまの胎に宿ったことの傍証であるとする学者もいます。
   また兄弟として「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」の名前が挙げられています。面白いのは2番目の「ヨセ」で、イエスさまの十字架の
下にたたずむ婦人たちの中に「ヤコブとヨセの母マリア」(マルコ15・40)という名があります。マルコ福音記者が間違って「ヨセ」と
記したのではないことは、十字架から降ろされたイエスさまの遺体を引き取って埋葬した人を、「アリマタヤのヨセフ」(マルコ15・43)
と記していることからも分かります。いずれにしましても、「ヤコブとヨセ」には聖母マリアさまとは別人の母親マリアがあったことが
分かります。当時のイスラエルの言い方では「兄弟」といっても、同じ父母から生まれた者たちだけでなく、親戚関係にある男性を
一般的に「兄弟」と紹介していたからです。
   このように故郷ナザレの人々は、その人の親戚関係を知っているというだけで、その人自身をすべて理解していると思い込み、
自分たちの理解を超える事柄、つまりイエスさまが語る、神について、また信仰についての教えを、素直に向け入れることができなかった
のです。例外は、母親であるマリアさまと、親戚のヤコブだけだったでしょう。マリアさまこそは、イエスさまが本当は誰の子であるかを、
その誕生のときからご存じであり、また、親戚のヤコブは、十二使徒の中にこそ選ばれませんでしたが、後にエルサレム教会の責任者となり、
新約聖書にも彼の名前で書かれた書簡が載せられています。
   故郷ナザレの人々の不信仰は、わたしたちにとって、自分は知っているとの思い込みに気をつけなければならないことと、イエスさまが
神の御子でありながら、マリアさまの一人子として生まれた方であることを、はからずも教えてくれます。

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6月27日 年間第13主日 マルコによる福音 5章21節〜43節

〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。
イエスは湖のほとりにおられた。
会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。
「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
《さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。
イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
イエスは、自分の内から力が出ていったことに気づいて、群衆の中で振り返り、
「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。
それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、》
会堂長の家から人々が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい。」と会堂長に言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。
一行は会堂長の家に着いた。
イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。
「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」
人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。
そして、子供の手を取って、「タリタ・クム」と言われた。
これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。
少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。
それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

説教(主任司祭)
今日の福音では二つの癒しの奇跡が語られますが、まず、
イエスさまの動きに従って、大勢の群衆がそばに集まって来て、押し合いへし合いする様子が述べられます。コロナウイルス感染症
によって、密にならないようにと、いつも言われているわたしたちには、少しうらやましい話です。昔ならば、例えばビートルズや、
ヨン様が来日したときなど、有名な歌手や俳優が来ると、若い女性が大勢集まって、大変な騒ぎになったのを思い出します。
またわたし自身、40年ほど前に、イタリアのグレッチオというフランシスコ会の巡礼所を、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れて、
隠世修道女たちと謁見したときのことを思い出します。ホールに集まっていたシスター方が、入場してきた教皇様に殺到して、
制止するお付きの司教様方を押しのけて教皇様に近づき、触れようとして、ついには、教皇様の着ている服を引きちぎってしまったのです。
警護の警官たちがあわてて割って入り、やっと教皇様を救出しなければならない事態になりました。わたしはそのとき、
ホールの2階席から「高みの見物」をしていて、「シスター方も、やはり女性なんだなぁ」と、妙に感心していました。
  さて、今日の福音に話を戻すと、イエスさまは、ご自分に触れた女に、「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいます。
初めにイエスさまの方から積極的に癒してあげようとしたのではなく、出血症を患っていた女の信仰が、イエスさまから
癒しの恵みを「盗み取った」ことがわかります。わたしたちの間では時々、祈るときに、「御旨(みむね)ならば…」と、
一見謙遜そうな言葉を付けて、自分の願いを慎ましく述べることがありますが、「御旨であろうがなかろうが、是非とも癒やされたい」
という、出血症を患っていた女のなりふり構わない強い願いこそが、イエスさまを動かしたのではないでしょうか。
会堂長のヤイロの場合には、イエスさまは「恐れることはない。ただ信じなさい」とおっしゃいます。
「恐れずに信じること」と教えられます。周囲の人たちからは笑われてしまうような、通常では不可能で、突飛な願いかも
知れませんが、本人にとって、それが本当に心の底からの願いであるなら、世間体などを恐れずに、堂々と、ただひたすら、
イエスさまにすがれば良いのです。けれども残念ながら、わたしの場合は、このように単純には行かないようです。
実感として、願いが聞き入れられない場合の方が多いのです。これは簡単に、願うときの熱心さが足りなかったからと
片付けられるものではありません。どんなに心の底から真剣に願ったとしても、そのとおりに聞き入れられないことがあるのです。
「どうして神さま、イエスさまは、わたしの願いを聞き入れてくださらないのだろうか」と疑問に思ってしまい、
自分の信仰自体が試されているような気がします。でも、だからこそ、「恐れることはない。ただ信じなさい」との、
イエスさまのおことばが心に響くのです。わたしたちの祈りと願いは、周囲の者からどのように受けとめられるかに関係なく、
わたしたちと共におられるイエスさまに向けられているはずです。
  奇跡は信仰が深まるきっかけではあっても、それ自体を追い求めるべき、神さまの御旨そのものではないのです。
神さまの御心(みこころ)を求めることこそが、わたしたちの信仰を深めます。

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6月20日 年間第12主日 マルコによる福音 4章35節〜41節

   その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、
イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほど
であった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちが
おぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。
すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは
非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

主 任 司 祭 の 説 教(濱田神父)
  5月から6月にかけては、真夏日のような暑さがつづき、あわてて信徒の皆さんに聖堂の扇風機を出してもらったのですが、
先週あたりからは梅雨入りしたようで、曇り空が続き、少し肌寒くなりました。せっかくの扇風機も聖堂脇に待機して
もらっている状態です。何歳になっても、季節の変わり目に体調を合わせるのが大変ですね。
  さて、今日の福音には、イエスさまが、風を叱り、湖に「黙れ」と仰せになると、「風はやみ、すっかり凪になった」
と記されています。イエスさまには、自然をも動かす力が備わっていたことを示しています。
 不思議なのは弟子たちです。おそらくイエスさまは舟に乗るまで、休む暇も寝る時間も無く、人々に教えておられたので、
すっかり疲れて、舟の中で寝入ってしまったのに、弟子たちは、「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか!」と言って、
無理に起こそうとしています。イエスさまは、当時の弟子たちからは、ナザレの大工であるヨゼフさまの息子と思われていました。
  また一方、弟子たちの間には、ペトロやアンデレ、ヤコブやヨハネなど、ガリラヤ湖の漁師だった者たちがいました。
湖についてや、舟のことは、「大工の息子」よりも、現役の漁師の方が良く知っていたはずです。ですから、弟子たちのことばは、
イエスさまに「なんとかして欲しい」とより頼むために、優しく起こそうとしたのではなく、「そんなところで、いつまでも
寝ていると、溺れてしまうぞ!」という、強い脅しの意味で、イエスさまに緊急事態を知らせただけだと思われます。
  しかし、イエスさまは起き上がると、風や波を鎮めます。神の御子であるからこそ、イエスさまには、このような力が備わって
いたのです。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」とのことばは、イエスさまが「神の御子であることを信じないのか」
という意味だけでなく、自分たちの間にいる「ガリラヤ湖の漁師たちの技量を信じないのか」という意味にも取れます。
そう考えると、イエスさまをあわてて起こしたのは、漁師出身の弟子ではなく、他の弟子たちだったと考えられます。
弟子たちが互いに信頼し、協力し合えば、自分たちだけで何とかできることを知っておられたからこそ、イエスさまは
ゆっくりと艫の方で寝ておられたのではないでしょうか?
  また、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」とのことばは、その当時の弟子たちにだけでなく、現代に生きる
わたしたちにも向けられています。いろいろな災害や紛争、コロナウイルス感染症など、わたしたちを取り巻く現代の情勢には、
わたしたちが「この荒波に飲み込まれてしまうのではないか」と怯(おび)えさせるものがいくつもあります。
そんな中で、イエスさまに「助けてください!」とすがりたいわたしたちですが、いつも共にいてくださるイエスさまは、
わたしたちが互いに信じて、協力し合えば、ほとんどのことは解決できるはずだと教えておられるのです。
解決できないものがあるとすれば、それはおそらく「不信仰」という闇だけでしょう。
信仰の恵みをすべての人のために祈りたいものです。

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※5月23日音声メッセージ(松井神父)はこのページの一番下よりご覧ください

 

 

 

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