2016年2月

想いを伝える

フランシスコ・マリア 古里慶史郎神父

この原稿を書いている現在、日本管区に属するイタリア人宣教師の神父様が、宣教地である上海から日本に一時帰国しています。仮にA神父様としましょう。ベネツィア管区出身ですので、クラウディオ神父様の後輩にあたります。

A神父様は今年60歳です。彼が先日、55歳を越えてまた新しい言葉である中国語を習得し、どうして宣教に赴こうと思ったのか、教えてくれました。

「ヴェネツィアに帰ると、かつて中国で宣教し、戦後共産党によって海外に追放されてヴェネツィアに戻って余生を過ごしておられる神父様方とお話しする機会がありますが、みんなが『中国に帰りたい』とおっしゃいます。『また中国に行きたい』ではなく、『帰りたい』と。どれほど中国という国を愛しておられるのでしょうか。残念ながら、皆さん高齢となり、体力的にその望みは叶いません。それならば、私がかわりに、宣教師の神父様方の想いを背負って中国の土を踏みたいと思いました」ということでした。

ちょっと感動しました。かつての宣教師の方々の心を動かし、そしてまたA神父様の心をも動かして、さらにその先に出会う新しい人々へを伝わっていこうとする力は何なのでしょう。

こうした先輩方と接すると、改めて「イエス・キリストに出会う」ということの計り知れない大きな力を思わずにはいられません。

この稿をお読みになっている皆さんは、灰の水曜日を経て、四旬節の季節を迎えておられることでよう。回心のしるしである灰を額と心に受けて、私たちはこの四旬節の間、少しでも深くイエス・キリストに会おう、その心の内奥に触れようと決意します。回心した放蕩息子の首を抱き、何度も接吻しようとなさる父なる神の愛を感じようと決意します。人間は、その御父の人間に対する愛情のしるしと同じ仕草―「首を抱き、接吻をする」―によって、ゲッセマニの園で神の愛を裏切っていくことになるでしょう。何度も何度も。二千年前も今も。それでも、抱きしめ接吻することをやめない御父のいつくしみを、イエス・キリストの十字架によって知ろうと決意します。

もし私たちが、こうしたイエス・キリストの想いに触れることができれば、ヴェネツィア管区のフランシスコ会の神父様方のように、キリストを多くの人に伝えたいと思えるようになるでしょうか。

そうありたいと思います。皆さんにとって、2016年の四旬節が、実り多いものとなり、深い喜びのうちに復活祭を迎えることができる、よい準備の時とまりますように。

教会報 2016年2月号 巻頭言

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