2017年8月

お帰りなさい

フランシスコ・マリア 古里慶史郎神父

7月のある暑い日、古里とブラザー大友は、献体のおつとめを無事に終えられた須賀澤神父様を、埼玉医科大学へとお迎えに行きました。昨年ご帰天なさってから、一年と少し経ってのご帰還です。

その間、修道院の小聖堂の私の隣の席は、トマ神父様の遺影が、まるで生前のお姿そのままに鎮座ましまして、いつも新しい花が添えられていました。私が祈りの前後に床にひざまずき、遺影を目の前にしますと、「ん?何?」と、きょとんとした顔のお顔から今にも声が聞こえてきそうでした。この一年、ずっと地上と天国と、場所は違っても、一緒にお祈りしてきたような気がします。

お迎えの日、大友さんは本当に暑い中、「ちゃんと出迎えてあげなきゃね」と言って、修道服を着ていらっしゃいました。大学病院の駐車場から汗をふきふき、霊安室に向かいます。霊安室は、巨大な大学病院の病棟群の中でも、一番隅の、人も通らないような目立たないところにありました。しかし、到着してみますと、医学解剖を担当してくださった医師の代表の方と、斎場の方が、ご遺骨の前に燈明を灯し、最敬礼で私たちを迎えてくださいます。日本政府から、文科省大臣の名での立派な表彰状も受け取りまして、無事にご遺骨は車の中へ。大友さんは暑さと長距離のドライブで疲れているのに、「ちゃんと修道院まで、私の膝の上で、トマ神父様を抱えていくから、安心して」とおっしゃり、こうしてトマ神父様は宝物のように大事にされながら、無事に修道院へと戻ってこられたのでした。

今もトマ神父様は、私の席の隣で、一緒に教会の祈りを唱えてくださっていると感じます。

実はこうして目に見える形で皆から大切にされる兄弟は、珍しいと感じています。もちろん皆、とても大切な兄弟であり、神父様なのですが、トマ神父様には、特にまわりから大切にされる人徳のようなものがあるのですね。近年、さまざまなやむを得ぬ理由で冠婚葬祭が簡素に営まれる傾向があります。そこに参列される方々の想いの深さは、今も昔もまったく変わりませんが、それでもなお、人が生まれるとき、大きな祝いを迎えるとき、結婚のとき、病気のとき、そして、この世界の旅路を終えて、天国に旅立つとき、そこに参列される方々が「あなたが大事です」という想いを互いに伝え合うことは、イエス・キリストが本当に本当に大切にしていたことでした。いつの時代にも、私たち信徒も大切にしていきたいところですね。

教会報 2017年8月号 巻頭言

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