2017年12月

クリスマスの思い出

フィリッポ 濱田了神父

30年以上も前のことですが、クリスマスの頃にドイツの片田舎にある友人宅に滞在したことがあります。当時、わたしはローマに留学していて、教区司祭の彼も同級生でした。同じ大学、同じ年齢ということで、彼のお母さんからかわいがられました。わたしの方は、何しろ本場でのクリスマスなので、かなり期待しながらドイツに向かいました。冬のドイツは日の暮れるのが早く、午後2時過ぎには暗くなってきます。近くの教会で、真夜中のミサでもあるのかと思っていたのですが、6時頃から始まった降誕祭ミサは、わたしの期待とは裏腹に、かなりサッサと終わり、その後にパーティーも何もなく、信徒も皆、サッサと帰宅します。「クリスマスは家庭で祝うもの」だそうで、教会からは早く帰れと言われます。これはイタリアでも同じで、ある年クリスマス前に列車で一緒になった青年が、「クリスマスは家族と、復活祭は自分の好きな人と一緒に祝う」と言っていたのを思い出しました。ナポリ生まれの彼はそのため、彼女と離れて故郷に戻らなければならないと嘆いていました。

さてドイツの友人宅では、夕食からが本番のようでした。日本でのクリスマスの食事に比べるとかなり簡単な夕食の後に、居間にきれいに飾られたもみの木の前で、全員が集まり、子どもたちだけでなく、大人たちもそれぞれのプレゼントを交換します。そして、子どもたちがプレゼントをもらって、それぞれの部屋に戻って寝た後、感動的だったのは家族が互いに「この一年間、ありがとう」と言いながら、肩を抱き合って挨拶するシーンです。普段は改まって挨拶することもない間柄の家族ですが、この夜ばかりは、きちんと感謝のことばを口にします。見ていて胸が熱くなりました。

おもしろかったのは、クリスマスの2週間後、公現祭から始まる風習です。子どもたちがクリスマスの聖劇に出てくる三博士の衣装を着て、各家庭の玄関に1+C+9+M+8+B+5とチョークで書いていきます。「1985」はその年の数で、間に挟まれているCMBは "Christus Mansionem Benedicat"(キリストがこの家を祝福してくださいますように)というラテン語文の頭文字です。子どもたちは、三博士の名前として伝わっている、カスパー、メルキオール、バルタザールの頭文字だと思い込んでいたようで、友人である司祭がくれぐれも間違わないようにと注意していました。米国から始まったハローウィンのように、「お菓子をくれないとイタズラするぞ」という手前勝手な脅しではなく、教会から出発して各家庭をまわりながら祝福し、その見返りとして寄付やお菓子を集めるものです。したがって、お菓子や献金をもらえても、もらえなくても同じように祝福し、お菓子はすべて子ども会の全員でわけ、集まった献金は、飢えに苦しむアフリカの子どもたちのために送金するそうでした。

教会報 2017年12月号 巻頭言

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