2018年10月

今さらの派遣

ヨゼフ 松井繁美神父

2,3年前からわたしの中で一つのテーマが生まれ始めたと感じている。
それは「今さらの派遣」。
9月30日の日曜日、北浦和教会では「長寿を祝う会」が行われた。台風接近のために参加者の事が心配されたが、大勢の方が来られてミサをともに捧げ祝賀会が行われたと聞いた。残念ながら私は草加教会のミサに行ったために帰ってきた時にはすでに終わってほとんどの方は帰られた後であった。
敬老の日が近づいてくると、サムエル・ウルマンの「青春とは」という詩を思い出す。
「青春とは人生のある時期を言うものではなく心のあり様というのだ」という言葉で始まる詩。
「優れた創造力、逞しき意志、燃える情熱、怯懦を却ける(しりぞける)勇猛心、安易を振り捨てる冒険心・・・」読み進めていくうちに、もうすでに青春を失ってしまった自分の姿が思われる。
今から34年前。司祭に叙階された頃にどんな情熱を持っていたかさえ忘れようとしているが、この34年の間に様々な出会いがあり、様々な出来事があった。全てに余裕がなく、その時その時をいっぱいいっぱいに生きて来て、それは今も変わっていないように思う。
そんな事を考えていた時に今から2,3年前ごろから「今さらの派遣」という事を考えるようになった。
「ガリラヤへ行きなさい。そこで会おう」-マタイ28章10節-というイエスの言葉である。イエスに従っていた弟子たちは実にいろんなことがあった。決定的な出来事は、イエスの十字架を前にしてイエスを見捨てて逃げてしまったということだろう。ペトロは3度イエスとの関わりを問われて三度ともそれを否定してしまったのです。この時の弟子たちの心を思うと、どこにも思いをぶつけることの出来ない弟子たちの悔しさが思われます。しかしその弟子たちにイエスは婦人たちを通して声をかけてくださるのです。「ガリラヤへ行きなさい。そこで会おう」と。ガリラヤは最初にキリストと出会い「私に従いなさい」と声をかけられキリストとともに福音を告げて歩いたところ。弟子たちの福音宣教の出発の地であったところです。弟子としての原点でした。
最初の召命からその時まで弟子たちは様々な体験を重ねていきます。悪霊を追い出したり様々な病人を癒すという輝かしい体験もありました。イエスと行動をともにすることによって多くの人から賞賛されるような事もありましたし、イエスのなさる数多くのしるし、奇跡にも触れることも出来ました。
しかしそれと同時に様々な失敗や挫折を味わいイエスに叱責をされることもあったのです。
確かに「ガリラヤへ行きなさい・・」という言葉を受けた弟子たちは疲れ、恐れ、不安の中にあり、自信を失くしていたでしょう。初めの召命の時とは全く違っていたのだと思われます。しかしだからこそイエスは彼らに言われたのでしょう。
「いまのあなた方を私は今、派遣する。今だからあなた方にしか出来ないことがある。最初の派遣とは違う派遣がある。様々なことを体験して来たからこそ、人の痛みや人の寂しさ、人の苦しみ悲しみに寄り添うことが出来る。
改めて思い起こしてみるとモーセもエリアも挫折を味わった人たちです。フランシスコも例外ではありません。そして彼らは挫折の中で神の呼びかけを聞くのです。「ガリラヤへ行きなさい。そこで会おう」。モーセにもエリアにもそうした神の呼びかけがあったことを聖書は記しています。
サムエル・ウルマンの詩は続きます。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。
・・中略・・人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いる。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び、勇気や力などを感じ取ることが出来る限り、その人は若いのだ。」

先日「長寿を祝う会」に参加された皆さん、神様は皆さんを必要としています。
「今さらの派遣」です。最初の派遣とはまた違う役割を神様は与えてくださっているのでしょう。

教会報 2018年10月号 巻頭言

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