2019年12月

「パパサマガ ヤッテキタ」

フィリッポ  濱田 了神父

教皇様が来日しました。38年ぶりです。
長い潜伏時代の後にやっと宣教師に巡り会えたキリシタンと同じように、
わたしは興奮していました。

11月25日の10時には東京ドームに到着してしまいました。
11時まで待たされてやっと中に入っても、合唱グループの練習や、
音響装置のテストで大きな音が鳴り響き、司祭たちへの説明も聞き取れない状況です。
お昼頃に祭服に着替えるようにと案内されたのは投球練習場で、そこが控え室でした。
渡された祭服は、現代的な十字架の絵がプリントされたイタリア製です。
教皇様の祭服やミトラにも同じ絵が入っていました。
2時半に司祭団の入場となり、大きな拍手で迎えられ、3時半に司教様方が祭壇の後ろから登場。
けれども教皇様はなかなか現れず、ワーッという歓声が上がる度に
そちらを向くのですが、振られる小旗の他は何も見えません。
内野席に設置された2台の大画面ディスプレイで、やっと教皇様の入場を確認できました。

オープンカーで場内を回られる教皇様の通路近くの信徒は、教皇様に祝福していただこうと、
故人や病人の写真などを差し出し、スマホや携帯で写真を撮りまくります。
時折、教皇様は後方にいる幼児を手招きされたので、
幼児は人々に持ち上げられ、手渡しリレーで前に送られます。
そして警備のイタリア人に抱きかかえられて、教皇様に祝福してもらいます。
子どもの方は、見知らぬおじさんたちに抱きかかえられ、
頭にキスされるものですから、泣き出すばかりです。

ミサに移ると一転して静粛な雰囲気となります。
教皇様が読まれるミサ奉献文はラテン語でしたが、第一朗読は女性信徒がポルトガル語で、
答唱詩編とアレルヤ唱は日本語で、若いシスターが透き通った声で歌いました。
福音朗読は日本語でした。説教はスペイン語で、もちろん教皇様です。
大画面ディスプレイには字幕で邦訳も表示されましが、教皇様のお話とは時間差がありました。
途中、教皇様が原稿から目を外してしばらく沈黙されたので、
イエズス会の管区長が近づき、アドリブのお話を通訳しようと備えました。
しかし、教皇様は思い直したように、続きの原稿を読み上げられました。
沈黙されたそのとき、教皇様が何を思われたのかと考えさせられます。

共同祈願は、英語、ベトナム語、日本語(目の不自由な人)、韓国語、タガログ語、スペイン語。奉納の歌はタガログ語、
平和の賛歌は韓国語、拝領の歌はベトナム語で、国際色豊かな典礼でした。
その後は聖体拝領となり、わたしは祭壇上をもはや見ることができません。
アリーナ席の拝領が終わると2階席通路に回り、
ご聖体が足りなくなると地下の祭具室まで階段を上り下りしなければなりません。
聖体奉仕を終えたとき、ミサはとっくに終了していました。

さて、クリスマス。神の御子が人となられたことを祝う大切な祭日です。
教皇様を迎える以上の喜びに満ちるものとなるはずです。
すべての人にとって、良いクリスマスでありますように。

教会報 2019年12月号 巻頭言

 

 

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